004ローマ、ティボリ

イタリア旅行・その他印象に残った事

Fi1957460_0e トイレ。
今回の旅で一番インパクトが強かったのがビデ。用を足した後、ビデにまたがり直して足を踏ん張って股間を洗う、というのはどう考えても面倒だ。結局使わなかった。
ビデとは知らずに買ってきた野菜を洗ったり服を洗濯する人もいたとか。

エレベーター。
イタリアのエレベーターは「閉める」ボタンがない。勝手に閉まるのをじっと待つ。でもたとえ急いでいる時でも無ければ無いで諦めがつく。

パン。
ホテルの朝食は全てバイキングだったが、パンが菓子パンばかりで参った。朝っぱらからアップルパイ。一説によると、イタリア料理には糖分が少ないのでその分パンを甘くしているとか。




Fi1957460_1e イタリア人。
男性は年齢を問わず見栄えがする。背は低いのだが胸板が厚く、ジャケット姿がバッチリ決まる体型である。それに気さくで性格も明るい。しかし添乗員によると、恋人にはいいのだが夫としては?堅実さが足りないそうだ。まあ性格は人それぞれだと思います。
女性は気が強そうで無愛想。私が男前なら態度は違ったかも知れないが。添乗員によるとイタリアは女尊男卑の国だそうだ。でも態度はつっけんどんでも、意外と親切。ティボリで帰りのバスのチケットを買おうとして近くのバールに入ったのだが、女主人は私の持っているチケットが一日乗り放題のチケットとわかると、知らなかった私に辛抱強く説明してくれた。慌てていてお礼もそこそこに立ち去ったが、本当にありがとう。

交通事情。
信号無視は当り前。信号の「青」の時間が極端に短いのは、信号機が歩行者の安全を守る設備ではない事を意味している。なので歩行者は信号に従わずにそれぞれ勝手にドライバーと意思確認しながら横断歩道を渡っているように見える。あくまで人間同士のコミュニケーション。私もイタリアの流儀に従って信号無視していたが、ある時、渡りきった目の前に警官が立っていて焦った。でも無視された。
それから交通事故が多い。8日間で3回衝突事故に遭遇した。

スリ。
何回も注意するように言われたが、実際今回のツアー客も2回危うい目にあった。一回は両側からいきなり手を掴まれたそうで、もう一回はポケットに手を突っ込まれた。

現地ガイド。
行く先々で現地ガイドが付いていて、しかも頻繁に変わっていた。中には特に観光案内するでもなく、何のためにいるんだ、という人もいたが。イタリアでは雇用対策のため必ず現地ガイドを付けなくてはいけないらしい。
以前ある旅行社に、イタリアで日本語ガイドを付けたら幾らかかるのか聞いたら、9時間で39000円との事(H17.2月のヴェネツィアで)であった。
団体ツアーだと割安感があるが、サービスは充実させて欲しいものだ。




Fi1957460_2e 土産物。
観光地の屋台で売っている物は、置物のコロッセオやスカーフ、ポストカードなどありきたりでつまらない物ばかり。
美術館、博物館、寺院の中にはそこでしか売っていない物があり、希少性を求めるならいいかなと思った。
またスーパーで売っている物は安く品数が多いので、じっくり見ると日用品で面白い物が見つかったかも。お菓子も安いので大量に買う場合は助かる。ちなみにファンタ0.5㍑はホテル近くの屋台で3ユーロもしますが、スーパーでは1ユーロもしません。

帰国してからクセになった事。
海外から帰国すると変なクセを身につけてくるのだが、今回は信号無視と車内での過剰なまでのスリ警戒。未だにカバンの状態を頻繁にチェックしている。

今回はもともとヴェネツィア以外は眼中になかったのだが、今考えるとローマは良い!見所が多くて市内散策をすると宝探しをしている気分だ。1週間は滞在したい都市である。
今までこの旅行記を僅かでも見てくださった方々、ありがとうございました。





参考にした資料。
・書籍
イタリア史 森田鉄郎編 山川出版社
ローマ 弓削達 文芸春秋
地球の歩き方・ローマ2000~2001 ダイヤモンド社
同2003~2004版
地球の歩き方・イタリア2005~2006 ダイヤモンド社
ローマ古代散歩 小森谷慶子・賢二 新潮社
ヴェネツィアの冒険家 H・H・ハート 新評論
ヴェネツィア(上・下) C・ヒバート 原書房
・ネット
ウィキペディア
http://www.welcometoscana.com/indexjp.html
http://veneziancafe.hp.infoseek.co.jp/tour.html
http://hkmd.hp.infoseek.co.jp/htm/roma/
http://art.pro.tok2.com/index.html

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イタリア旅行・ティボリ~その3

Fi1957439_0e_2 「ネプチューンの噴水」を近くから見る。
大きいだけあってこの噴水の辺りだけ水音がうるさいです。
そういえばこの辺を歩いていた時に、かすかに単調な音楽が流れていた。
庭園内に音楽を奏でる場所なんてないはずなんですが。
まさか、「オルガンの噴水」復活!なんて事はないですよね?



ネプチューンの噴水の上から庭園を眺める。
41 57' 50.03"N 12 47' 46.06"E
Fi1957439_1e
この庭園の中、実はベンチが全くない。
休むとしたら、画像の池の縁に腰掛けるしかないですね。
うとうとして池に落ちないよう注意。


Fi1957439_2e こんもりした苔のばけものみたいですが、これも噴水。
41 57' 48.03"N 12 47' 40.27"E
てっぺんと内側に水が噴き出ています。
彫刻が入った石室だと思いますが、苔に覆われて何が何だかわからなくなっています。




小さな噴水も至る所にあります。
水音がちょろちょろと小川のせせらぎのようで、眠気を誘います。
Fi1957439_3e
しかし良くこんなもの造ったなあ。相当金がかかったろう。
それに冬場は寒いだけだぞ、こんな風景。
でもたぶん避暑別荘だから夏しか使わなかったんだろう。もったいない。

別荘の建物から一番遠いところ。
41 57' 50.64"N 12 47' 41.11"E
Fi1957439_4e
この奥まった場所にも噴水があります。
撮影している私の、左右両側にあります。
遊歩道を歩いていると、水音が近づいては遠ざかり、また別の場所から誘うように流れてきます。水音のシンフォニーを聞いているだけでも楽しいです。

さて、観光時間もタイムリミットになりました。
帰りはA24経由のローマ行きバスで、40分足らずでローマに着きました。
その後市内でおみやげを買って無事帰路につきました。

旅行中、話し相手になってくれたツアー客の方々、添乗員さん、親切にして下さったイタリア人の方々に感謝します。

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イタリア旅行・ティボリ~その2

楕円の噴水の上から広場を眺める。
Fi1957406_0e
案内板を見ると、一見わからない場所にも噴水がある。
楕円の噴水の上は「ペガサスの噴水」だったかな・・・?
忘れてしまった。

楕円の噴水から一段下に降りて、真ん中辺まで歩いていくと「ドラゴンの噴水」がある。
41 57' 46.94"N 12 47' 44.62"E
Fi1957406_1e
他の噴水は古代の彫刻をモチーフにしているようだが、この噴水だけは雰囲気が違う。
背景は別荘の建物とテラス。

ドラゴンの噴水から真横に歩いた突き当たりに「ふくろうの噴水」がある。
41 57' 45.60"N 12 47' 41.18"E
Fi1957406_2e
これは面白い!
祠の中のふくろうや小鳥や何かを捧げている女性の人形が水力で右に左に動くのだ。
水の音が小鳥のさえずりのようにピーヒョロロと鳴っていて、見ているとほのぼのとしてくる。
見ていると、ある程度水が溜まったら動く仕掛けのようである。


ふくろうの噴水から更に下がった所にあるテラスから、ローマの方向(南西)を眺めたところ。
41 57' 46.83"N 12 47' 39.90"E
Fi1957406_3e
ここに立った時ちょうど正午になったのですが、いきなり四方八方から教会の鐘の音が聞こえてきて、何とも言えない福福しい気分になりました。
本当に鐘の音に包まれた、という感じです。それに教会が至る所にあるんだなあと実感しました。もしかしたらローマの教会の音も混ざっていたかな。
ここから見る景色はのどかです。古代からの別荘地なので、よく見ると遺跡もあるようです。


Fi1957406_4e テラスから四角い池の縁をまっすぐ歩いて行くと、突き当たりに「ネプチューンの噴水」がある。
41 57' 48.47"N 12 47' 43.06"E
園内で一番大きな噴水で、水しぶきも豪快、涼味満点です。
上にあるのはたぶん「オルガンの噴水」。昔は水力でオルガンの音色を奏でていたそうです。

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イタリア旅行・ティボリ~その1

9月14日。
テルミニ駅近くのタバキでティボリ行きの切符を買う。たまにはイタリア語で買い物しようとガイドブックに書いてある買い物の時の文例をそのまま話したら、答えがイタリア語で返って来て意味がさっぱりわからなくて困った。
こういう時は無理せずに、イタリア語はわからん、という態度を露骨に示した方が、相手もそれなりの受け答えをしてくれるのでコミュニケーションがスムースに行くようだ。

地下鉄B線のポンテ・マンモーロ駅で降りて、そこからティボリ行きのバスに乗る。バス待ちの行列がきっちりあるわけでなく、乗客はバス停の周りになんとなく佇んでいた。う~ん、何だか日本とは勝手が違うぞ。

出発。バスに乗って外を眺めていると、ヴィラ・アドリアーナという文字が目に飛び込んで来た。あれ、ヴィラ・アドリアーナってこんな解りやすい所にあったのか!ここも見学すればよかったと悔しがる。ヴィラ・アドリアーナはハドリアヌス帝の別荘で世界遺産。

しばらくすると綺麗な赤茶の建物が立ち並ぶ風光明媚なティボリの丘が見えた。なる程昔から別荘地だったと言うのもうなずける。ガイドブックによるとローマから1時間程で目的の停留所ペヌリティマーテに着く筈だが、イタリアのバスは次に止まる停留所の名前を言ってくれない。これではどこで降りれば良いのかさっぱりわからない。
隣の女の子にここはペヌリティマーテか?と停留所を指差して身振りで質問したらここはフェルマータだ、との答え。フェルマータって何だ?ローマに帰ってから添乗員に聞いたら「停留所」という意味だった。そりゃそうだ。

結局降りる場所がわからないので、終点で降りた。ペヌリティマーテは終点のひとつ手前なので、何とかなると思ったのだ。
降りると、同じバスに乗っていたじいさんが、「おまえヴィラ・デステに行くんだろ?ちょっとここで待ってろ(イタリア語で)」。と言うので待っていたら、Uターンして来た先程のバスに乗れと言い、運転手に「こいつをヴィラ・デステまで乗せてやってくれ」と言ってくれた。私の中で、イタリア人の株が大いに上がったのは言うまでもない。

Fi1957367_0e さてペヌリティマーテで降りて土産物屋が集まる坂道を降り、ヴィラ・デステの入口に着いた(画像 41 57' 44.47"N 12 47' 49.16"E )。
ヴィラ・デステは16世紀に造られた貴族の別荘で、古典的な噴水庭園で有名。
造ったのはイッポーリト・デステ(イッポーリト・デ・エステ)で、父はエステ家の当主でフェッラーラ公のアルフォンソ1世、母はチェーザレ・ボルジアの妹ルクレツィア・ボルジアという超名門の家柄。
フランス王フランソワ1世の推薦で枢機卿になり、後に教皇領のティボリ総督になった。
教皇の座を狙っていたらしいが、教皇パウルス4世の時に失脚、引退して造ったのがヴィラ・デステ。失脚した原因は調べていないのでわかりません。
当時はスペインとフランスが争ったイタリア戦争の最中。教皇庁はスペイン寄りになったりフランス寄りになったりしていた。

さて受付で9ユーロ払って中へ。
邸宅の中は全面フレスコ画が描かれた見事な部屋や彫刻が立ち並んでいたが、私としては一番の売りである庭園を早く見たい。しかしどこに出口があるのか良くわからない。カフェと土産物売り場は思いっきり地下にあるし、変な屋敷だ。


Fi1957367_1e ようやく出口が見つかって、テラスから北西方向を望んだのがこの画像。
41 57' 45.57"N 12 47' 46.05"E
イトスギとオリーブが茂る谷から涼しげな水音が聞こえてきます。
遠くにはティブルティーナ山地。



早速テラスから谷間に降りて行く。
まずは古代ローマの建築物を再現した「ロメッタの噴水」。
そこから横に一直線に「百の噴水」がある(画像 41 57' 45.52"N 12 47' 42.99"E )。
Fi1957367_2e
噴水は3段になっており、一番下の段はユーモラスな顔の口から水が噴き出ている。
ひとつひとつ顔が違っていて、犬顔、猿顔、化け物顔と様々である。
これだけ沢山の顔が一斉に水を吹き出している様は笑いを誘う。
この前を歩くと実に気分が涼しくなります。

Fi1957367_3e まっすぐ歩いた突き当たりが、「楕円の噴水」。
41 57' 48.19"N 12 47' 47.96"E
実はこの噴水の背後が回廊になっていて、噴水の中を通れる趣向になっている。
しかし残念ながら立ち入り禁止でした。

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イタリア旅行・ローマ~その15

【ローマの模型店】
歴史物のプラモデル(1/72サイズ)に興味があるのですが、歴史の国イタリアの模型店には掘り出し物があるのではと勝手な想像をしまして、今回いくつか行ってみる事にしました。
行くと言っても全く情報がない為、「ヤマイな人いらっしゃ~~い!」さんの「ROMA modelissmo情報(http://www.globetown.net/~daikin1962/Modellismo.html)」を参考にさせて頂きました。

Fi1957339_0e_2 まずテルミニ駅近くのGiocattoli。

共和国広場とマッシモ宮殿の間の道沿いにある。
41 54' 05.70"N 12 29' 50.56"E
プラモデル、鉄道模型、ヒストリカルフィギュア、帆船模型、普通のおもちゃ等々をまんべんなく少しずつ置いている、といった感じ。
ただミニカーは多かった。

お目当ての1/72歴史プラモはイタレリ、IMEX主体で30ケ程と少なく、見るべきものはなかった(以下個数は概算です)。
ミリタリープラモはイタレリ、タミヤ主体で他にズベズダ、エッシー、ドラゴン、ICMなど90ケ(うち車両物50ケ)。
ちなみにタミヤの1/35ドイツ重ロケットランチャー41型(¥735)が10ユーロ。倍の値段ですね。 
航空機プラモはハセガワ主体で90ケ。
鉄道模型はプライザー、CORGI,HERPA,ROCO,MARKLINなどが多少。
ミニカーは種類はよくわかりませんが2500ケとダントツに多い。




Fi1957339_1e_2 Baby's Store Modellismo。

地下鉄B線ボローニャ駅を降りて広場を見渡すと、一番大きな郵便局の建物があるので、その右の路地をちょっと入った所。
41 54' 51.96"N 12 31' 12.37"E
期待した店なんですが、シエスタらしく閉まっていた。残念です。
しかし営業時間の案内文が何もなかった。そんな物なんですかね。




Fi1957339_2e_2 GIORNI。

地下鉄A線オッタヴィアーノ・サン・ピエトロ駅下車。
場所はちょっとわかりにくく、駅を出てオッタヴィアーノ通りをリソルジメント広場に向かい、広場に着く手前のグラッキ通りを左(東)に歩いていくと通りの右側にある。
41 54' 25.76"N 12 27' 33.81"E
店内はやや広く、期待したのだが・・・。

お目当ての1/72歴史プラモはイタレリ主体で他のメーカーも満遍なくあり、300ケ程。
珍しい物もあったが、どれも私が過去に日本で見たものだった。
ミリタリープラモはイタレリ、タミヤ、ドラゴン主体で他に韓国のメーカー、イースタンエクスプレス、トランペッターなど250ケ。
ちなみにタミヤの1/35ドイツ重ロケットランチャー41型が10.15ユーロ。 
航空機プラモは400ケ。
鉄道模型は150ケ。
鉄道模型のストラクチャーは200ケ。
車・バイクのプラモは150ケ。
軍艦プラモはハセガワ、イタレリ、レベル主体で100ケ
帆船は50ケ。
ミニカーは700ケとやはり多い。

時間がないので値段は調べられなかった。安いものもあるのかもしれない。
ちなみに店は12:00~15:30はシエスタで開いていない。今回も15:30直前に着いたので入ることができた。

結論を言うと、1/72歴史プラモの品揃えに関してはローマも東京も変わらない、という事でした。以上。




この後、大急ぎでホテルに向った。
地下鉄のホームに立っていた警察官の後を通ったら、警察官をわざと避けたと思われたらしく「切符を見せろ」と言われる。話に聞いていた抜き打ちチェックを体験できた。

集合時間ギリギリにホテル到着。すぐにバスで空港に出発した。
と、添乗員が突然妙に押し殺したような声で、「たった今空港から連絡がありまして、飛行機が出発延期になったそうです」。
バスはUターンしてホテルに戻った。

副操縦士が急病との事で25時間出発延期になった。航空会社は海外に予備の操縦士を置かない、という事を初めて知った。
今後の宿泊代と食事代は航空会社持ちなので、金が足りなくなると言う事はないのだが、帰国してからの仕事が辛くなるなあ、とそればかり考えていた。

1日伸びたので、明日はローマ郊外のティボリに行く事にした。イタリア語や英語がわからなくても移動や食事はできる、という事がわかったので、オプションツアーを使わずに一人で行く事にした。

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イタリア旅行・ローマ~その14

【コロッセオからアッピア街道への旅⑧】
ドミネ・クォ・ヴァディス教会に着いた 41 51' 59.25"N 12 30' 13.25"E 。
Fi1957316_0e
1世紀、ネロ帝のキリスト教徒大迫害から逃れる為ローマからの脱出途上の聖ペテロが、ここでキリストに出会って「ドミネ・クォ・ヴァディス?(主よ、どこに行かれるのですか?)」と尋ねた事から付いた名前。
キリストは、迫害に遭っているキリスト教徒の代わりに再び十字架に架けられに行く、と答え、ペテロは恥じてローマに引き返したそうだ。
その後ペテロが逆さ磔になった場所に建ったのが、サン・ピエトロ寺院。

ドミネ・クォ・ヴァディス教会は意外とこじんまりとした教会だが、アッピア街道のたたずまいには似合っている。建物は17世紀に再建。




Fi1957316_1e 残念ながら、これ以上観光する時間がなくなったので戻る事にする。
南の方を見ると、どうやら田園風景がありそうな雰囲気。
帰国後、グーグル・アースでこの辺を見たら、やはり昔の墓地や遺跡が点在する畑が広がっていた。ああ、歩きたかったなあ、アッピア街道。
まあ聖ペテロゆかりの場所で、彼に倣って引き返すというのも、旅の良い思い出か。




Fi1957316_2e 再びサン・セバスティアーノ門に着いた。
表から見ると、堂々とした門構えである。
この辺は特に車の交通量が多く、中々横断歩道が渡れなくてイライラする。




Fi1957316_3e チルコ・マッシモの手前に戻った。

ここですぐ近くのチェリオの丘に上がってみる事にした。
チェリオの丘はローマ七丘のひとつでありながら、ガイドブックに紹介されていない。
どんな所だろうかと気になったのだ。

丘の周辺を歩いてみるが、どこが入口なのかよくわからない。
仕方なく、パラティーノの丘の向いのサン・グレゴリオ・マーニョ教会の敷地に入る。
ここから坂道を上がっていくと、画像のような植物園みたいな公園に着く。
41 53' 04.62"N 12 29' 40.06"E
いつの物かわからないが、遺跡も多少あるようだ。

期待した眺めは、樹木のためほとんど得られず。
ガイドブックに載らないわけである。
(くまなく歩いた訳ではないので、眺めの良い場所もあるかもしれません)




Fi1957316_4e 南西の斜面の草地は、周りに樹木が多いせいか市内の喧騒から逃れる事ができる。
静けさを求めてくるのか、何人かの人が読書したりもの想いにふけっていた。

朝からぶっ通しで歩いてきた私も、ここで腰を落ち着けた。
たちまち睡魔が襲ってきた。
しばらく意識混濁状態を楽しんだ後、丘を下った。

近くのチルコ・マッシモ駅から地下鉄に乗って、今度は市内の模型店めぐりに出かける。

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イタリア旅行・ローマ~その13

【コロッセオからアッピア街道への旅⑦】
Fi1957247_0e カラカラ浴場を出て、更に南東に向う。
浴場前のこの交差点からは南側に何本か道が伸びている。
アッピア街道に繋がるサン・セバスティアーノ通りは画像正面の細い道。
車が多くて通りを渡るのが面倒だ。




サン・セバスティアーノ通りに入ると、市内中心部とは違った鄙びた雰囲気。
Fi1957247_1e
木々が生い茂る石畳の道は情緒満点。昔の旅行者気分でうきうきしながら歩く。

左側の石積みの壁は昔のものだろうか?古代ローマの名門貴族スキピオ家の墓もこの辺りだろうか?
Fi1957247_2e
この通りは結構車が多い。石畳なので通過音がダダダッーと、とにかくうるさい。




Fi1957247_3e サン・セバスティアーノ門(アッピア門)に着きました 41 52' 24.68"N 12 30' 05.41"E 。
アウレリアヌスの城壁にある最大の門で、5世紀に再建された物。
手前にあるもう一つの門のようなものは、カラカラ浴場に水を供給する水道橋の遺構ドゥルーゾの門らしい。
サン・セバスティアーノ門の右側には小さな入口があり、城壁博物館の入口らしい。城壁の上に登れるそうだ。




Fi1957247_4e 門の外に出た。一応ここからがアッピア街道だと思います。

アッピア街道は紀元前4世紀にアッピウス・クラウディウスが建設した街道で、イタリア半島東端のブルンディシウムまで続いていた。
馬車が快適に通れるように道幅を広く、道は直線に、砂利を使って舗装されている。半島南部の統治や軍隊の移動に役立った。
建設当時はイタリア半島を二分するサムニテス戦争(山岳民族サムニテス族との数十年に渡る戦い)の真っ最中で、戦時中にもかかわらずこのような長期的な建設作業が行なわれていた。

映画「スパルタカス」のラスト、磔にされた無数の反乱奴隷がこのアッピア街道沿いに街路樹のように彼方まで続いているシーンを思い出した。

街道は相変わらず車が多く、沿道にはレストランなどが軒を連ねていて期待した田園風景は見えない。
鉄道高架の下に何か遺跡のようなものがあったが何だろうか?第1マイル標石ではないようですが。
観光の時間も残り少なくなってきたが、もう少し先に行ってみる事にする。

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イタリア旅行・ローマ~その12

【コロッセオからアッピア街道への旅⑥】
Fi1957212_0e チルコ・マッシモを出て広い通りを南東に歩いて行くと、右手に壮大な遺跡が見えてくる。

カラカラ浴場。
3世紀に造られた古代の健康ランド。
無愛想なおねえさんに6ユーロ払って中に入ると、庭園が広がっていた。
全体の敷地は約10万平方メートル。大きな浴場の建物以外に談話室 41 52' 47.59"N 12 29' 27.01"E 、図書館 41 52' 44.39"N 12 29' 25.31"E 、競技場 41 52' 41.48"N 12 29' 29.86"E 、貯水槽 41 52' 40.86"N 12 29' 28.96"E がある。

造ったのはカラカラ帝で、前述のセヴェルス帝の子。共同皇帝である弟のゲタ帝を殺し、それを批判したアレキサンドリア市民二万人を殺害した事で暴君と言われる。
当時外敵から帝国を守る為重要性が増していた属州軍隊の圧力?によりローマ帝国内の全ての自由民にローマ市民権を与えた。既に属州に対して経済的な優位を保てなくなっていたイタリア半島の特権を放棄し、事実上イタリアは単なる属州のひとつに過ぎなくなった。しかしこれにより相続税収入が増えて国庫は潤った。
最後は戦役中に近衛軍団長官に殺された。

画像の手前の部屋は発汗室 41 52' 46.41"N 12 29' 31.58"E らしい。奥のひときわ高い壁は高温浴室のドーム 41 52' 44.59"N 12 29' 33.71"E 。浴室は3通りあって、温度の高い高温浴室、ぬるめの微温浴室、冷たい冷温浴室。まるで日本の温泉といっしょだ。
湯を沸かす炉は地下にあった。発生する熱風を壁と壁の間を循環させる、一種の床暖房も備えていた。
室温が暑くなり過ぎると、天井の換気窓を開けて調節した。




Fi1957212_1e ドーム状の体育室 41 52' 47.67"N 12 29' 32.94"E から、微温浴室を備える中央ホール方向を見る。
当時はこのドームの壁にも華麗な壁画が描かれていたのだろう。今では想像するのも難しい。




Fi1957212_2e 反対側のドーム状体育室 41 52' 43.72"N 12 29' 38.40"E に展示されているモザイク壁画。




体育室か運動場の床のモザイク。
未だに色鮮やかなモザイクが残っている事に感動した。一瞬、このモザイクの上を歩く二千年前の市民達の情景が浮かんだ。
Fi1957212_3e
更衣室または運動室。
Fi1957212_4e
市民はタダ同然で入場でき、体育室で汗を流した後思い思いに入浴し、入浴後は庭園で涼んだり、図書室や競技場で時間を過ごした。古代ローマ人が現代人と同じ欲望を持っていた事を実感できる遺跡だ。
浴場の大きさで言えば、テルミニ駅近くのディオクレティアヌス浴場の方が圧倒的に大きいが、やはり名前のインパクトから言ってカラカラ浴場が浴場遺跡の代表格だろう。
なお、庭園は日よけがないので夏は帽子必携です。

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イタリア旅行・ローマ~その11

【コロッセオからアッピア街道への旅⑤】
Fi1939773_0e 画像は、パラティーノの丘のドムス・アウグスターナの低い方の敷地にある巨大な噴水 41 53' 15.77"N 12 29' 11.47"E 。
アマゾン族の半月形の盾を模したデザインだそうだ。
ここは割と遺跡が残っていて見ごたえがあった。噴水にはどうやって降りるんだろう?




迷路のような遺跡を南に歩くと、パラティーノの丘の南の絶壁に面したテラスに出る。
当時の皇帝や貴族は酒を酌み交わしながら、眼前に広がるチルコ・マッシモ(戦車競技場)の競技を眺めたに違いない。想像すると楽しくなる。
Fi1939773_1e
チルコ・マッシモ。
620×120mの楕円形のローマ最大の競技場。
創建は予想外に古く紀元前7世紀だと言う。4世紀には30万人を収容したそうだ。
当時の様子は映画「ベン・ハー」のクライマックス・シーンで見るしかない。復元模型の写真を見ると、周囲をかなりの高さの観覧席が取り巻いている。この画像の手前まで観覧席が迫っていたようである。

時間にせかされて、パラティーノの丘を降りてチルコ・マッシモに向う。
丘の南側は絶壁で降りられない。
東側の静かな林の斜面を降りて、サン・グレゴリオ通りを南に歩く。




Fi1939773_2e チルコ・マッシモの中に入った 41 53' 05.66"N 12 29' 14.09"E 。
パラティーノの丘で想像したよりも狭く感じる。
戦車競技の馬になったつもりで、4分の1周ほど走ってみた。
馬の気持が少しわかった。
パラティーノの丘を見ると、丘の斜面を覆っている壮大なセヴェルス帝の宮殿跡が大迫力だった。
ちなみに画像の奥は、「真実の口」があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。

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イタリア旅行・ローマ~その10

【コロッセオからアッピア街道への旅④】
フォロ・ロマーノの東端にある、ティトゥス帝の凱旋門 41 53' 26.45"N 12 29' 18.91"E 。
Fi1939768_0e
1世紀にネロ帝(キリスト教徒の大迫害を行なった)の命令で、ユダヤ戦争を鎮圧したウェスパシアヌス帝と息子ティトゥスを記念して、ティトゥスの弟、ドミティアヌス帝が1世紀に建てた。

画像の凱旋門の内側左に、4頭の馬に曳かれた戦車に乗っているティトゥスが見られる。

ユダヤ戦争は、多神教のローマに支配される一神教のユダヤという背景のもと、ユダヤ総督がユダヤ神殿を略奪した事に端を発した。シリア総督の敗北後にネロ帝がウェスパシアヌスを反乱鎮圧に向わせた。
その後帝国内の反乱でネロ帝が自殺しローマが混乱状態に陥ると、ウェスパシアヌスはローマに取って返し皇位に就いた。そして息子ティトゥスに命じてエルサレムを陥落させた。凱旋門はエルサレム陥落を記念した物。その後マサダ砦の陥落でユダヤ戦争は終結した。

ウェスパシアヌス帝は元老院の皇帝弾劾権を拒絶して皇帝の権力を強め、有料の公衆便所を作ったそうである。

ティトゥス帝の時代には、ベスビオ火山の噴火が起こった。
門の向こう側にコロッセオが見えるが、ティトゥス帝の時代に盛大な落成式が行なわれた。

凱旋門の右側、南の方角にパラティーノの丘がある。
牧畜の神パレスに由来するそうであるが、共和制ローマ時代以降の特権階級が住む高級住宅(宮殿)街だった。英語のパレスの語源だそうだ。
紀元前8世紀には人が住み、ローマの建国者、ロムルスの家らしき物が西端にある。

涼やかな室内噴水のある邸宅前でコロッセオのチケットを見せて入場。
階段を上ると世界最初の植物園、ファルネジアーニ庭園 41 53' 24.16"N 12 29' 09.29"E があるが、ティベリウス帝の屋上庭園跡の上に16世紀に作られた物。

画像は、庭園南端の高台から南東を望んだ所。
Fi1939768_1e
眼前に広がっているのは、ドムス・フラウィア。
1世紀にフラウィウス朝のドミティアヌス帝が造った公務用の建物。
八角形の池がある中庭(画像中央付近 41 53' 19.42"N 12 29' 11.64"E )を中心に、建物が取り囲んでいた。占星術で死を予告された為、暗殺を警戒して鏡のように磨き上げた大理石を壁に据え、自分の背後の人々を監視したという。

画像左端は謁見や閣議が行なわれた建物。中央やや左のトンネルはネロ帝の地下通路と思われる。白い建物は考古学博物館。画像右端の木の陰にちょっと見えるのは、紀元前1世紀にアウグストゥスが自宅の側に建てたアポロ神殿の基礎と思われる。
元の姿をイメージするには、かなりの想像力を要求される。書籍で復元模型の写真を見たが、当時のパラティーノの丘は建物で覆い尽くされていて、丘全体がお城のようであった。

ドミティアヌス帝は、兄ティトゥスの跡を次いで皇位に就いたが、政治的、軍事的に無能で、仕舞いには元老院を無視し議員を死刑にした。結局元老院議員らの計画で暗殺された。
芸術や競技に熱中し、コロッセオで大競技大会を行なった。




Fi1939768_2e スタディオ 41 53' 15.41"N 12 29' 15.10"E 。
これも皇帝宮殿の一部で、競技用か馬場として造られたらしい。画像左側の壁には皇帝観覧席がある。
3世紀に親衛隊将校だったセバスティアヌスという人が、キリスト教棄教を迫られて無数の矢で射抜かれたのがこの場所との事。のちに聖人になった。
また画像中央やや上にある円は、東ゴート族の王テオドリックが作ったそうだが、何の為に造ったのだろうか?
テオドリックは5世紀に東ローマ皇帝にそそのかされてイタリアに侵入。オドアケルの国を滅ぼした後、ローマ人との融和政策により30年の平和をもたらした。




Fi1939768_3e ドムス・アウグスターナ 41 53' 17.63"N 12 29' 13.84"E 。
ドミティアヌス帝がドムス・フラウィアの後に造った私邸。
敷地が高低2箇所にまたがっており、画像は高いほうの敷地。この画像の木の生えている辺りに、中心に四角い神殿のある大きな池があったそうだ。
ドミティアヌス帝の宮殿は、公邸、私邸を合わせるとパラティーノの丘の大部分を占める。いかに皇帝とは言え、かなりのひんしゅくだったらしい。




Fi1939768_4e リヴィアの家 41 53' 21.06"N 12 29' 09.07"E 。
リヴィアは初代皇帝アウグストゥスの后。画像は中庭で、正面は接客室。前述のドミティアヌス帝の宮殿に比べてかなり慎ましい。

リヴィアは名門貴族クラディウス家のティベリウス・ネロと結婚していたが、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)が結婚を望んだために離婚した。リヴィアとティベリウス・ネロには子供がいたが、それが前述のティベリウス宮殿を造営した後の第2代皇帝ティベリウス。

ティベリウスはアウグストゥスの家臣として各地を転戦し有能さを示した。アウグストゥスは最終的にティベリウスを後継ぎにする事に決め、他の候補者が死亡等で消え去った事もあって皇帝になった。
行政・軍事面で有能な名君だったが、財政引締めにより元老院と市民の人気はなかった。後にカプリ島に隠棲し、親衛隊長を通して統治した事で親衛隊の権力を増大させた。また隠棲時には性的倒錯にふけったという。

その跡を継いだカリギュラ帝は、ティベリウス帝の遺言で若くして帝位に就いた。父はティベリウスの甥で養子となった対ゲルマニア司令官ゲルマニクス。
ティベリウス帝の晩年の恐怖政治から、最初ローマ市民は快く迎えたが、市民に迎合的な政策で経済が破綻し、人気がなくなった。精神異常者とも言われる。最後は親衛隊長の1人に殺された。殺された場所は、このリヴィアの家とティベリウス宮殿を結ぶ地下通路だったと言われる。

カリギュラは昔ペントハウス紙が製作したポルノ大作の題材にもなってました。カリギュラ役:マルコム・マクダウェル、ティベリウス役:ピーター・オトゥールという信じられない顔ぶれ。

リヴィアの家の西には大地母神キュベレー神殿跡があったが、どこがどう遺跡なのか良くわからなかった。説明板がある訳ではないので、しっかり確認したい場合は詳細な図入り専門書が必要かもしれない。

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