014ベツレヘム(イスラエル)

イスラエル旅行・ベツレヘム~その4(ヒエロニムス像と羊飼いの野)

ベツレヘムの聖誕教会観光の続きです。

聖カテリーナ教会の中庭にある、ヒエロニムス像です。
(中庭 31 42' 16.35"N 35 12' 25.83"E )
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エウセビウス・ヒエロニムスは、4世紀の聖書学者で、カトリック教会の標準ラテン語訳聖書となった“ヴルガタ訳聖書”を作った人です。

現在のクロアチアに生まれ、最初法律で身を立てようとしたが、後に聖書研究とキリスト教の禁欲生活を追及するようになった。
教皇ダマスス1世の秘書になり、まちまちで不正確だった新約聖書のラテン語訳を、最良のギリシャ語訳写本に基づき、全面改訂する作業を行った。
ダマスス1世の死後、ベツレヘムに渡り、ローマ貴族の未亡人パウラが寄贈した修道院の院長になった。ここで死ぬまで、旧約聖書をヘブライ語の原典からラテン語訳する作業を行ない続けた。
しかしこの行為は、ギリシャ語訳聖書をラテン語訳聖書の基礎にすべきだと主張した人々の、猛烈な批判を浴びた。彼はこの事で、旧友や恩師をも批判せねばならなくなった。
この時、彼を励まし続けたのがパウラだった。彼はパウラが死んだ後も、その頭蓋骨を眺めながら翻訳作業を続けたと言う。

像の足元にある頭蓋骨が、パウラです。画像には写っていませんが、像の後方にパウラの立像があります。

Fi2529639_1e これは聖カテリーナ教会の礼拝堂にある階段を降った、ギリシャ正教会の地下です。
恐らくヒエロニムスの書斎の洞穴、または埋葬の洞穴と思われます。

Fi2529639_2e 聖誕教会を出て、再びメンジャー通り。
街並みの屋根の上に、教会の尖塔が見えます。左が聖マリア教会。右の円錐形の屋根がルター派クリスマス教会。

ベツレヘムにはその他、イエスの家族がエジプト脱出前に住んでいた聖ヨセフの家、聖母マリアの母乳で地面が白くなったというミルク・グロットなどがあります。

バスに少し乗って、パレスチナの観光大臣がオーナーだという土産物屋へ。
ベツレヘム観光にからんだ裏事情がありそうだ。
ここは広くて品数も豊富だったが、値段が結構高め。小さなアクセサリーでも数百円した。
特に目立ったのが大小様々の木工品。最後の晩餐やイエス生誕のシーンを木彫りの人形や調度品で再現していて迫力あります。イエスと思われる赤ちゃんの人形もありましたが、木目が黒々としていてちょっとグロテスクでした。

Fi2529639_3e 画像の右上の緑が広がる場所は、羊飼いの野と呼ばれている場所です 31 42' 19.92"N 35 13' 22.48"E 。

イエス生誕の夜、羊飼いたちが神の使いから、イエス生誕を告げられた場所です。


その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
(ルカによる福音書 2章8~20節 新共同訳より引用)


この後バスに乗り、国境のチェックポイントへ。
イスラエルに入国する時はチェックが厳しい。X線による手荷物検査、一人ずつ兵士にパスポートを見せて通る。
頭上には自動小銃を構えた兵士が周囲を見張っていた。

Fi2529639_4e ベツレヘムからエルサレムへの途上にある、マール・エリヤス修道院です。
 31 44' 05.03"N 35 12' 39.22"E ?

14世紀のエルサレム司教、エリヤスが葬られた場所に、17世紀に建てられたギリシャ正教会。
もともと6世紀に教会があり、11世紀には十字軍も改築したそうだ。
また、古代オリエント時代、カルメル山でフェニキアのバアル神の祭司に勝った預言者エリヤが、北イスラエル王国のアハブ王の妃で、フェニキア王の娘イゼベルに追われて逃げる途中に休息した場所と言われる。


※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・ベツレヘム~その3(イエス聖誕の場所と聖カテリーナ教会)

ベツレヘムの聖誕教会観光の続きです。

いよいよ祭壇の地下にある、イエス生誕の洞穴に入ります。
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この洞穴は、イエスの時代に馬小屋として使われる前にも、紀元前10世紀には人が住んでいた事が証明されているそうです。
現在ここに降りる階段は、南北2箇所ありますが、ユスティニアヌス帝時代のものです。
入口は綺麗な色大理石、上には聖母子像。

洞穴の中です 31 42' 15.40"N 35 12' 26.52"E 。

これはイエスを寝かせた場所だろうか?
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これを見て、嬉しそうに顔を見合わせた白人夫婦の姿が印象的でした。

ここがイエスが生まれた場所、飼い葉桶の岩の跡です。

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銀の星の中央から、岩に触れる事ができます。
星は、東方の三博士(学者)が星に導かれた伝承に由来しています。

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
(ルカによる福音書 2章1~7節 新共同訳から引用)

イエスは恐らく紀元前5年の12月に生まれた。
ちなみにキリニウスの住民登録は紀元後6年に実施された。
文献によると、ヨセフとマリアは多くの宿泊客がいる母屋より、誰もいない馬小屋の洞穴を出産の場所として選んだのでは?との事です。
しかし、馬小屋が洞穴だとは知りませんでした。

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。

彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
(マタイによる福音書 2章1~12節 新共同訳より引用)

この後、ヘロデ王は未来の「ユダヤ人の王」を殺す為、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男子を皆殺しにしました。
ヨセフとマリア、イエスは、お告げによって事前にエジプトに逃亡、紀元前4年春にヘロデ王が死ぬと、ナザレに戻りました。
イエスはナザレで育ちました。

これは、ギリシャ正教の教会の北隣にある、カトリック、フランシスコ会の聖カテリーナ教会です 31 42' 16.28"N 35 12' 26.91"E 。
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祭壇には、洞穴の中にもあった赤ちゃんの人形。土産店で売られていました。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・ベツレヘム~その2(聖誕教会の礼拝堂)

ベツレヘム観光の続きです。

聖誕教会の小さな入口です 31 42' 15.62"N 35 12' 25.06"E 。
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壁にアーチの跡があります。ユスティニアヌス帝の時代には大きな入口だったが、だんだん狭められたそうです。

ギリシャ正教の礼拝堂です 31 42' 15.46"N 35 12' 25.75"E 。
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これはコンスタンティヌス帝の教会の上に、ユスティニアヌス帝が造った建物です。

26.5m×33mの長方形で、11本からなる柱列が4列あります。
コンスタンティヌス帝の教会より拡張され、柱は新たに10本追加されましたが、コンスタンティヌス帝時代の柱を模倣した為、考古学者はこれらの柱が全てコンスタンティヌス帝時代のものだと勘違いしたそうです。
よく見ませんでしたが、柱には聖者やマリアの全身像が描かれているようです。

また修復中らしい壁面(画像列柱の上)には、所々モザイク画があり、イエスのエルサレム入城などが描かれているようです。

画像の奥、東端には祭壇があります。

礼拝堂の右側隅にあった洗礼盤です。
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いつ頃の時代のものだろうか?

これは、礼拝堂の中央にある、コンスタンティヌス帝の教会の床に施されたモザイクです。

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製作は、コンスタンティヌス帝とユスティニアヌス帝の時代の間、5世紀とされています。


コンスタンティヌス帝の教会は、一辺26.5mの方形のバシリカと、東側に八角堂がありました。バシリカの中央には、2枚のモザイクのカーペットがありました。
画像上半分(東側)が長さ9.2mのもの、下半分(西側)が5.8mの正方形のものです。
このカーペットは、現在の教会の床下60cmにあります。
デザイン的には、ガリラヤ湖畔のパンと魚の増加の教会のものより劣るそうです。

教会の奥にある祭壇付近です。

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コンスタンティヌス帝の時代には、一辺7.9mの八角堂がありました。
ユスティニアヌス帝は再建にあたり、建築家を派遣しました。恐らく、建築家は直径33.6mのドーム付き円形建物を提案しましたが、ドームを載せるのは難しかったせいか、皇帝に拒否され、首をはねられたそうです。

結局今のような、東南北の3方に半円形のアプスがある建物になりました。画像上方に、東側のアプスが見えます。

沢山の燭台がぶら下がっていて、クリスマスの飾り付けのようです。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・ベツレヘム~その1(ヘロディウムと分離壁)

ここでエルサレムを出て、パレスチナ自治政府の領域であるベツレヘムに向います。

Fi2512521_0e 画像は向う途中の光景。画像中央に小さく、富士山に似た端正な丘が見えますが、これはヘロディウム 31 39' 57.25"N 35 14' 29.52"E 。

ヘレニズム時代ヘロデ王が造った宮殿・城砦。ベツレヘムの南東5キロにあり、周囲の平地からの高さは60m。
頂上部を外径64m、内径45mの城壁で囲み、東西南北に円形、半円形の塔を建てた。城壁の中に、大浴場、居間、食堂、中庭、シナゴーグがある。

緊急事態をいち早く知らせる火の信号を出す場所でもあったらしい。
丘の周囲には、宮殿、大プール付き遊園地、馬場の遺構がある。またこれらに水を供給する長さ6キロの水道も作られた。
また、ここにヘロデ王の遺体が埋葬されたそうだが、発見されていない。
第二次ユダヤ反乱の時、ここは反乱軍の拠点になった。

Fi2512521_1e パレスチナ自治政府との境界に着きました。画像は分離壁です。

分離壁は2002年以降にイスラエルが建設を始めたもので、パレスチナ自治政府の領域を囲むように作られている高さ9m、コンクリート製の壁。
完成すれば総延長は700キロ以上に及ぶ。

実際はパレスチナ領域内のユダヤ人大規模入植地をイスラエル側に取り込んでいるため、パレスチナ領域内を侵食している。イスラエルが勝手に自国に都合の良い国境線を引こうとしているわけで、国際司法裁判所は違法との判決を下している。

もともとイスラエルが作った理由は、パレスチナ側からのテロを防ぐ為で、実際効果はあるらしい。しかし真意は別の所にあるらしい。

パレスチナ人は出生率が高く、もしこのままパレスチナ人の領域を占領したままだと、50年後にはイスラエルにおけるパレスチナ人の人口がユダヤ人の倍になってしまい、ユダヤ人国家ではなくなってしまう。その為、イスラエルの強硬派やパレスチナ人の反対を押し切って建設を急いでいる。

イスラエルの国民も概ね支持しているようで、今までの平和への取り組みの度重なる失敗、相次ぐテロにより、一方的にパレスチナを切り離して、ユダヤ人の領域で自分達の生活を守る、という意識が強いという。

一方、パレスチナ人は経済的にイスラエルに依存しており、分離壁によって、イスラエルに職を持っていたパレスチナ人の多くは失職する。その為行き場を失ったパレスチナ人がテロに参加したり、国境付近で仲良くやってきたイスラエル人とパレスチナ人居住者の関係悪化が懸念されている。
パレスチナ問題の経緯はこちら

画像の壁には絵が描かれている。この絵は違うと思うが、2005年末からバンクシーというイギリスの美術家が、ゲリラ的に落書きしているそうだ。
その内容は、平和への願いを込めたものだそうだ。(以上、朝日新聞の記事から)

ここにはイスラエルの厳重なチェックポイントがある 31 43' 06.40"N 35 12' 08.22"E 。パレスチナの領域に入る時は、比較的軽いチェックだった。

ここで今までのバスから降りて、パレスチナのバスに乗り換える。

尚この辺には、旧約聖書にあるイスラエル人の祖ヤコブの妻ラケルの墓があるはずだが、場所が良くわかりませんでした。

Fi2512521_2e ベツレヘムの市街、メンジャー通りです 31 42' 21.56"N 35 12' 16.02"E 。
やはりイスラエルの町とは雰囲気が違います。
バス終着駅 31 42' 22.39"N 35 12' 17.56"E を降りて、聖誕教会に向う所。

ベツレヘムはエルサレムの南7キロ、ヘブロン街道上にあり、町中には泉が無い為、貯水池が使われ始めた青銅器時代に集落ができたそうです。

イスラエルの祭司部族、レビ族の出身地、ダビデの出身地でした。
ヘロデ王マサダ砦やヘロディウムを造った時、これらの場所に行く途上にあった事から重要な場所でした。
また、イエスが生まれた地とされています。

第二次ユダヤ反乱の後、ここはアエリア・カピトリーナの領域だった為、ユダヤ人が追放されました。
また反キリストのローマ皇帝ハドリアヌスにより、イエスが生まれたとされる洞穴の上に、ウェヌスとアドニスを祀る神殿が建てられました。

2世紀の終わりにはユダヤ人は存在していませんでしたが、4世紀の終わりに再び住み始めたようです。

4世紀には、コンスタンティヌス1世の母ヘレナが、イエス生誕の洞穴に大規模な教会を建てました。
7世紀にはアラブ人に占領され、11~12世紀は十字軍が支配していました。

Fi2512521_3e 聖誕教会の前にあるメンジャー広場です 31 42' 15.97"N 35 12' 23.20"E 。

拡声器からコーランが聞こえてきました。そして辺りを包む喧騒。
ヨーロッパ的なイスラエルから離れ、アラブ情緒に浸れて、新鮮な気分を味わう事が出来ました。

Fi2512521_4e 聖誕教会の外景。

聖誕教会は、4世紀にコンスタンティヌス1世の母ヘレナが建てた教会で、コンスタンティヌス帝がパレスチナに建てた3つの教会の1つです。

6世紀、サマリア人の反乱で破壊されましたが、ビザンツ皇帝ユスティニアヌスにより再建されました。現在残っているのは、この建物です。
サマリア人の時のような攻撃に備える為、壁は厚くなりました。

7世紀にはペルシャ人が占領しましたが、壁にイエス生誕に立ち会ったとされる東方の三博士のモザイクがあり、それがペルシャの服を着ていた為に破壊を免れたという伝承があります。

イスラムの征服後、エルサレムの岩のドーム建設の為に、ここの大理石の大半が持ち去られました。

十字軍の歴代王は、ここで戴冠式を行ないました。

16世紀以降、略奪により荒廃したとの事です。

現在、ここにはカトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教の教会があります。

画像左奥に、小さな入口があります。
教会の前には、土産物売りが大勢いて、「ワンダラー、ワンダラー」としつこく声をかけてきます。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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