013エルサレム(イスラエル)

イスラエル旅行・帰国と感想

イスラエル旅行の続きです。

帰りも行きとほぼ同じルートで帰る。ウズベキスタンのタシケントまでは夜なので景色は見えず。

乗り継ぎのため、旅行初日に来たタシケント空港のロビーに入った。初日の記憶が随分と昔の事のように感じられて、ぐっと懐かしさがこみ上げてきた。

Fi2586156_0e タシケントからは中国の北辺を東に向った。画像はその眺め。

Fi2586156_1e 画像中央にひときわ高い山が見える。結局名前はわからなかった。

Fi2586156_2e 再び夜になった。画像は三浦半島付近。

19:55、成田に到着。皆さんにあいさつした後、成田エクスプレスで自宅までの長丁場を過ごす。


今回の旅の感想です。

マルコポーロゆかりの地を訪ねる一連の旅行計画(北京~ヴェネツィア)のうち、イスラエルは最も実現困難と思われていた場所でした。
今思えばあっけなく旅は終ってしまいましたが、とにかく計画の山場を越えてだいぶ肩の荷が降りた感じです。何故か達成感よりも脱力感を感じています。

全体的には、地味な場所だという印象です。
これは、世界史的に政治・文化の中心地になった事がない場所だからかもしれませんし、国防・治安に予算を割かねばならない事情もあるかもしれません。

また、観光場所に教会など宗教関係の場所が多かったので、無宗教の私にとって結構堅苦しかったです。やはり気を使う場所なので。
普段慣れていない宗教的なものに接する事に、抵抗感もありました。

それから、治安が良くなったとは言っても、頭の片隅には自爆テロや外国人誘拐への警戒心があり、慎重に行動せねば、という事で開放感はあまり感じられなかったです。

旧約聖書、新約聖書に関心がある人にとっては、これ以上の場所はないと思います。
全土に数多く散らばる遺跡は、聖書に記述されているものばかりです。
私自身は、映画、演劇、小説、絵画など様々な作品の題材が、いかに聖書から数多く用いられているか、ということを思い知らされました。

また、治安上の理由で中々行けない希少性のある場所に行けた、キリスト教、ユダヤ教最高の聖地を見ることができた、という満足感は大いにありました。
ゲッセマネやゴルゴタでは、今まさにあの現場にいるんだ!という感動に満たされました。



以下は雑感です。

死海沿岸は明るい雰囲気で良かったです。
死海の浮遊体験は開放的な気分に浸れたし、マサダ砦は荒涼としたユダの荒れ野の眺望が実に素晴らしく、世界遺産の名前にふさわしい場所だった。

ホテルや道路網はよく整備されていて、実に快適だった。何度も戦争を行った場所とは思えなかった。

日本のニュースでは、イスラエルというとパレスチナ人のテロとイスラエル軍の報復、ユダヤ人入植者の立ち退きへの抵抗ばかり見ていたが、現地ではそのような不穏な空気は感じられなかった(そのような場所に行かなかっただけですが)。
周りを反目するアラブ諸国に囲まれ、国内ではテロ活動が頻発している国なので、重苦しい雰囲気ではないかと思っていたら、市民は普通に生活していて暗さは感じられなかった。接した人々は皆愛想が良いように感じられた。

しかし入出国時はチェックが厳しく、さすがに勝手が違うと思った。

行く先々で兵士が多いのに驚いた。
軍務ではなく観光地の見学をしているようだった。でも彼らの銃が暴発したらどうしようなどと、私は勝手にひやひやしていた。
このような兵士たちは愛想が良くて屈託がなく一緒に記念撮影したが、検問所で銃を構えて警戒する彼らはやはり怖かった。

ユダヤ人の街とアラブ人の街の雰囲気が全く違うのに驚いた。
ユダヤ人の街は日本と変わらず清潔で静か、アラブ人の街は埃っぽくてどこかさわがしく、中国の街を思い出した。たぶん、貧富の差なのだと思う。


世界史的には中国やイタリアとは別の意味で興味深い場所だった。
パレスチナは今まで政治・文化の中心であった事はないが、たびたび大勢力の衝突の場所になった。その意味では世界史上重要な場所だった。

古代オリエント時代には、エジプト文明とメソポタミア文明の中間地点で両者が争い、古代イスラエル人は翻弄されて離散の憂き目に遭った。たぶん日本は世界の果てにあるお陰で、このような目に遭わずに済んだ。

中世には、キリスト教とイスラム教の聖地だったが故に西欧諸国(十字軍)とイスラム諸国の衝突の場所になった。戦争や離散からの救いを求める気持が、ユダヤ教という強固な宗教を生んだのに、ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教が新たに戦争と離散を生み出すというどうしようもなさ。

また現代では、ユダヤ人とアラブ人の争いの場になり、冷戦時代には米ソの代理戦争の場になった。


ガリラヤ湖畔のキブツ・ゲノサレのレストランで朝食を摂った時の事。
なぜか宿泊客のほとんどが穏やかな満ち足りた顔をしていて、親切だったという印象を持った。
理由はわからないが、ここがイエスの布教活動の場だったことと関係があるように思えた。
パレスチナを訪れた人の中には、宗教心を呼び覚まされて(あるいはそのパワーに圧倒されて)、何らかの宗教に入信する人もいるのではないか。
少なくとも宗教について考えさせられる場所だ。


聖地であると同時にテロが続くこの場所から帰って来て、共感した言葉のひとつ。

「現代のテロリズムの教訓は、神が存在すれば、神の代理として直接行動を主張する者には、何千もの罪なき部外者を爆破することも含めすべてが許される、ということだ。なぜなら神と直接結合することで、人間ごときの抑制や考察を踏みにじることが正当化されるのだ。」(朝日新聞の記事よりスラヴォイ・ジジェクという哲学者の言葉)。

神(宗教)は世俗の権力や科学などあらゆるものを超越しているが故に、人間に大きな救いをもたらすが、見境のない破壊ももたらす。
宗教が、不満の捌け口としてのテロを正当化する手段として使われているのだろう。
ではその不満とは何だろう?

最近の朝日新聞に以下のようなコラム記事があった。
イスラム教の開祖ムハンマドの風刺画や「悪魔の詩」作者に激怒する中東の人々と、それを違和感をもって眺める欧米の人々。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」をボイコットするアジアのキリスト教徒と、一方で冷静な反応を示す欧米のキリスト教徒。
この違いは、貧富の差だという。

社会の不条理に悩み貧しさから脱出できず将来に希望を持てない人々は、宗教への依存度が大きい。
宗教を冒涜する一連の出来事に怒る気持はわかる。
「豊かな欧米(=キリスト教)と貧しい中東(=イスラム教)」が、様々な問題を引き起こしている?
記事を読んでいるうち、ユダヤ人の街とアラブ人の街の歴然とした違いを思い出した。

最期に、旅行中お世話になった添乗員さん、ガイドさん、ツアー客の方々、現地の方々、このブログを見て下さった方々に、深く感謝いたします。


参考資料(文中に明記した物は除く):

書名 :世界の聖域 4 エルサレム
著者名 :講談社出版研究所/編
出版者 :講談社
書名 :聖書の時代
副書名 :ドラマティックな聖書世界へのヴィジュアル・ガイド
著者名 :ブルース・メッツガー/〔ほか〕編 , 斎藤和明/訳
出版者 :河出書房新社
書名 :聖書物語
副書名 :ビジュアル版
著者名 :木崎さと子/著
出版者 :講談社
書名 :聖書考古学大事典
著者名 :M.アヴィ・ヨナ/〔ほか〕編 , 小川英雄/〔ほか〕訳
出版者 :講談社
書名 :新聖書大辞典
出版者 :キリスト新聞社
書名 :キリスト教大事典
著者名 :日本基督教協議会文書事業部キリスト教大事典編集委員会/編
出版者 :教文館
書名 :世界伝記大事典 世界編 4 クルーシエ
出版者 :ほるぷ出版
書名 :世界伝記大事典 世界編 8 ハルーフユ
出版者 :ほるぷ出版
書名 :世界伝記大事典 世界編 7 トムーハリ
出版者 :ほるぷ出版
書名 :図解中東戦争
副書名 :イスラエル建国からレバノン進攻まで
著者名 :ハイム・ヘルツォーグ/著 , 滝川義人/訳
出版者 :原書房
書名 :イスラエル地上軍
副書名 :機甲部隊戦闘史
著者名 :ダビッド・エシェル/著 , ブライアン・ワトキンス/編 , 林憲三/訳
出版者 :原書房
書名 :ヨセフス全集 2 ユダヤ戦記
著者名 :土岐健治/訳
出版者 :日本基督教団出版局
書名 :図説 地図とあらすじで読む聖地エルサレム
著者名 :月本昭男/監修
出版者 :青春出版社
書名 :これならわかる パレスチナとイスラエルの歴史Q&A
著者名 :野口宏/著
出版者 :大月書店
書名 :新約聖書物語
著者名 :谷口江里也/訳・構成 , ギュスターヴ・ドレ/挿画
出版者 :アルケミア
書名 :死海文書
副書名 :その真実と悲惨
著者名 :オットー・ベッツ/[共]著 , ライナー・リースナー/[共]著 , 清水宏訳
出版者 :リトン
書名 :死海文書のすべて
著者名 :ジェームス・C.ヴァンダーカム/著 , 秦剛平/訳
出版者 :青土社
書名 :図説 聖書の大地
著者名 :ロバータ・L.ハリス/著 , 大坪孝子/訳
出版者 :東京書籍
書名 :聖書大事典
副書名 :カラー版
著者名 :荒井章三/編者代表
出版者 :新教出版社
書名 :世界キリスト教百科事典
著者名 :David B. Barrett/編
出版者 :教文館
書名 :聖書歴史地図
副書名 :マクミラン
著者名 :Y.アハロニ,M.アヴィ=ヨナ/著 , 池田裕/訳
出版者 :原書房
書名 :世界の大遺跡 3 地中海アジアの古都
出版者 :講談社
書名 :イスラエル・パレスチナ聖地紀行
副書名 :車で巡る歴史の宝庫
著者名 :小川秀樹/著
出版者 :連合出版
書名 :よくわかるイスラエル史
副書名 :アブラハムからバル・コクバまで
著者名 :S・ヘルマン/著,W・クライバー/著,樋口 進/訳
出版者 :教文館
書名 :ヴェネツィアの冒険家
副書名 :マルコ・ポーロ伝
著者名 :ヘンリー・H.ハート/著 , 幸田礼雅/訳
出版者 :新評論
書名 :聖地の道しるべ
副書名 :歴史と聖書から見たイスラエル・ガイド
著者名 :テマサ出版部/編
出版者 :テマサ出版部
書名 :イスラエル・ガイド
副書名 :4000年の歴史と聖書の国
著者名 :ミルトス編集部/著
出版者 :ミルトス
書名 :地球の歩き方 83(2002~2003年版) イスラエル
著者名 :地球の歩き方編集室/編
出版者 :ダイヤモンド・ビッグ社
書名 :西アジア史 1(アラブ)
シリーズ :新版世界各国史 8
著者名 :佐藤次高/編
出版者 :山川出版社
書名 :物語中東の歴史
副書名 :オリエント五〇〇〇年の光芒
シリーズ :中公新書 1594
著者名 :牟田口義郎/著
出版者 :中央公論新社
書名 :図説 聖地イェルサレム
シリーズ :ふくろうの本
著者名 :高橋正男/文 , 石黒健治/写真
出版者 :河出書房新社
書名 :図説イェルサレムの歴史
著者名 :ダン・バハト/著 , 高橋正男/訳
出版者 :東京書籍
書名 :偽史冒険世界
副書名 :カルト本の百年
著者名 :長山靖生/著
出版者 :筑摩書房
書名 :ユダヤブック
副書名 :「ユダヤが世界を支配している」は本当か
著者名 :ぐるーぷ・21世紀原初の会/編著
出版者 :徳間書店
書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社
書名 :エルサレムの旧市街とその城壁
シリーズ :週間世界遺産№23
著者名 :講談社総合編纂局/編
出版者 :講談社
書名 :マルコ・ポーロ
シリーズ :週間100人№30
出版者 :デアゴスティーニ・ジャパン

http://www.ourfatherlutheran.net/biblehomelands/galilee/sepphoris/sepptext.htm
http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Archaeology/zippori.html
http://archaeology.huji.ac.il/zippori/mosaic.htm
http://www.parks.org.il/ParksENG/company_card.php3?CNumber=337736
http://www.padfield.com/1996/caesphil.html
http://www.mfa.gov.il/mfa/history/early+history+-+archaeology/archaeological+sites+in+israel+-+zippori.htm
http://www.gemsinisrael.com/e_article000005116.htm
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http://www.bibleplaces.com/banias.htm
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http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1.shtml
http://mosaic.lk.net/g-banyas.html
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http://wrmea.com/archives/Sept_Oct_2005/0509024.html
http://puparium.jugem.cc/?cid=1
http://www.akko.org.il/English/Map/default.akko

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イスラエル旅行・テルアビブ~ベングリオン空港から出国

Fi2579976_0e 20:00。エルサレムを出発して、再びテルアビブのベングリオン空港にやってきました。

イスラエルの出国チェックは厳しい事で知られています。
早速、荷物のX線検査の列に並びます。ここで空港係員から一人一人口頭で質問を受けます。

ガイドブックなどによると、複数の係員が同じ質問を繰り返し行って、矛盾がないかどうかチェックし、怪しい人物を洗い出すとか。

ドキドキして並んでいたら、係員が添乗員さんに色々質問をしはじめた。その結果我々は、パスポートのチェックと名前の確認だけで済むことになりました。よかった~♪

画像の、白いシャツに黒い上着の人たちが係員です。沢山いるので驚きます。
スーツケースのX線検査を受けて、何か問題があると、スーツケース調査所に行かされます。

Fi2579976_1e スーツケース調査所です。
台の上にスーツケースを置いて中味を係員が調べます。私はひっかかりませんでしたが、他のツアー客は何故かひっかかる人続出。

「ソドムの岩塩と死海の石鹸が原因じゃないか」と言う人がいましたが、そんなはずはありません。両方とも私も持っていましたから。

私が思うに、電気製品などの金属部品があるものが標的にされるんじゃないだろうか?
私の持ち物で、今まで一番念入りに調べられたのはカメラだったので。

Fi2579976_2e 出国審査、搭乗手続きが無事終わり、楽しいお土産タイムだ。

円形のフロアに、店が建ち並ぶ。まずは食料品売り場へ。
チョコレートが沢山あるが、ベルギーやスイスなど外国製ばかり。これじゃ土産にならない。

イスラエルのチョコレートはELITEというメーカーのものがあった。24枚入り7.9ドルのものを買った。あとはSweet taste of israelという商品名の、各観光地の写真付きの箱に小分けされたものがあった。24枚入り12.9ドル。

地中海沿岸だけに、ドライフルーツやオリーブ油などがあった。箱に家族のモノクロ写真と「忘れるな」と書かれたクッキー、ホロコーストに関する商品なのかな。

メノラーなどの宗教グッズが置かれている店に入った。動物を象った土器にそそられたが、安くても四千円以上で、そこまでの価値はないな、と思って買わなかった。
また、死海文書のコピーが入った素焼きの壷を売っていたが、コピーがあまりにもチャチで、買う気が失せた。壷自体はまあまあだったのだが。

Fi2579976_3e そうこうしているうちに搭乗時間となった。22:35、塔乗。そして離陸。さらばパレスチナ。

ここで、日本人とユダヤ人の類似点をまとめてみます。

真贋はわかりませんが、日本人とユダヤ人には下記のような類似点があると言われます。


・ 浴槽に入る前に体を洗う。
・ 家に入る前に足を洗う(昔の日本人もそうだった)。靴を脱いで家に上がる。
・ 十戒が納められた箱は日本のお神輿に似ている。
・ 山伏が頭に付ける兜巾と、ユダヤ教徒が頭に付けるヒクラティーが似ている。
・ ミカド(天皇)という言葉は、ヘブライ語のミ・ガド(ガドはイスラエル12支族の1つで、紀元前8世紀に離散した10支族の1つ。ミはFROMの意。)に似ている。

・ 伊勢神宮の石灯籠にあるカゴメ紋は、ダビデの星に似ている。
・ 神社の構造は、ユダヤ神殿の構造と似ている。鳥居はヘブライ語で門を意味する。ユダヤ神殿の入口には菊の紋がある。双方の祭礼行列が似ている。
・ 日本人もユダヤ人も、生後30日目に初詣に行く。
・ 日本の正月の餅、七草粥、締縄は、ユダヤ教の過越祭の種入れぬパン、苦菜、ときわ木に似ている。両方とも七日間祝う。
・ 平安京をヘブライ語で言うとエルサレムになる。また、平安京造営に尽力した渡来人、秦氏はユダヤ人だったという説がある。

・ 日本人と東洋系ユダヤ人のY染色体の大きさが同じ。
・ 京都にある秦氏の氏神、大酒神社はもと大辟神社と言ったが、ダビデの事を中国語で大闢と書く事から、ダビデを祀っているという説がある。またこの神社には伊佐良井の井戸という物があるが、読みがイスラエルに似ている。
・ 穢れを入浴や塩で清める。
・ 新婦が頭に絹を巻く風習(日本では角隠し)。
・ 古代に相撲が行われていた。

・ 十和田地方の習俗とユダヤの習俗に似ているものがある。
・ 岩手県の意味不明の民謡が、ヘブライ語で解釈できるという説がある。
・ 日本語の中には、ヘブライ語を語根とするものが千個以上ある、という説がある。例えば井戸=イドー=水を射出す、泉=イツ・モイ=水を湧出する、腰=コシリなど。
・ 三種の神器の一つ、八尺鏡の裏には、旧約聖書の語句がヘブライ語で刻まれているという説がある。
・ 京都の祇園祭は、ノアの洪水が終った7月17日に始まる。祇園はシオンに似ている。
・ イスラエルを表す“シオン”は日の照る場所という意味だが、“日本”という言葉の意味と似ている。

他にも色々ありますが、これらの説には勘違いや単なる噂も含まれているようで、もちろん反対意見も数多くあります。しかしこれだけあると、もしかしたら・・・と思うのも事実。古代ミステリーの1つとしては楽しいと思います。

これらの類似点を挙げた人々の中には、日本人の祖先はユダヤ人(古代イスラエル人)であるという日ユ同祖論を唱えている人もいます。
もともと明治8年に、ユダヤ系スコットランド人のN・マクレオドという人が著した本が発端のようです。以降日本人の学者や軍人が展開し、広まったようです。

これらの背景には、日本人が中国人と団結して西欧と対決するという黄禍論の影響、ユダヤ人の資本や資金を日本にもたらす為の方便、神国日本という自負の一方で西欧に憧れ同化したいという屈折した感情(キリストを生んだユダヤ教は西欧文明の根源の1つ)、等々があるようです。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その8(グレート・シナゴーグとエルサレムの夕景)

エルサレム新市街観光の続きです。

キング・ジョージ通りを南東に歩きます。
自由時間ももう残り少なくなってきました。
かなり歩いた頃、右手に大きな建物が見えてきました。
ルサレムにあるシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の総本山、グレート・シナゴーグです。
(このあたり 31 46' 34.00"N 35 12' 59.64"E )
Fi2574776_0e

そのすぐ隣にも大きな建物がある。
Fi2574776_1e_2
こちらはウルフソン博物館で、ユダヤ教に関する資料を展示しているそうだ。

時間があったら見学したかったが・・・。

ついにここで時間切れ。急いで集合場所の、ベン・イェフダ通りとヤッフォ通りの交差点に戻った。
1時間の間、ずっと歩き詰め。ほんとに疲れました。でも色々好きな場所を見れてよかったです。
バスに乗り込むと一抹の寂しさが襲う。もうこれで全ての観光が終ってしまった!

ホテルに戻った。18:00から夕食、その後空港に向う。
それまで時間があるのでシャワーを浴びて、一休みする。

夕食の30分前、エルサレムが名残惜しくて、ホテルのテラスからエルサレム市街の眺めをずっと見ていた。
西側の新市街に日が沈む。
Fi2574776_2e
こうして見ると日本の都市の眺めと変わらない。

日が沈むと冷え込んできた。辺りの街灯に灯が点る。
Fi2574776_3e
旧市街の方を眺めた。回りを囲む城壁もよく解らず、旧市街だとわかるのは黄金に輝く岩のドームによってのみ。
17:50、拡声器からコーランが流れ始めた。この眺めともついにお別れ。食堂に向った。

食堂で添乗員さんが、「これが最後の晩餐ですね」とあいさつ。
そういえば、これからテルアビブ空港で尋問(出国チェック)、その後十字架形の飛行機に12時間も縛り付けられる事を思うと、冗談ではないような気がする。

18:45、バスでホテルを出発。入れ替わりに、シナイ山観光を含む10日間のツアー客がホテルに到着した。彼らの旅はまだまだ続く。うらやましい!!

真っ暗闇の中、バスはテルアビブに向う。沿道にはアブ・ゴーシュ、谷の門、エマオ、ラトゥルン、アヤロンの谷、テル・ゲゼルがあるが、当然見えない。
(次はここ

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その7(マハネー・イェフダ市場~キングジョージ通り)

エルサレム新市街観光の続きです。

メア・シェアリーム地区から南に戻り、ヤッフォ通りを北西に歩きます。
Fi2569622_0e ・ネヴィーム通りとの三叉路を過ぎて更に歩くと、左手にマハネー・イェフダ・スーク(市場)があります。
( 31 47' 08.01"N 35 12' 44.37"E )

時間がないので入りませんでしたが、画像のように店が建ち並んで賑やかな場所です。入口では手荷物検査を行っていました。
画像手前のおじさんは物乞いのようでしたが。

Fi2569622_1e マハネー・イェフダ・スークから東に少し戻ったところに、ちょっと古めかしい大きな建物がありました。
門が固く閉ざされていて、中はわかりませんでしたが、エツ・ハイム教学院というユダヤ教の神学校のようです。 31 47' 07.10"N 35 12' 46.84"E 

Fi2569622_2e ヤッフォ通りを更に東に戻ると、キング・ジョージ通り 31 46' 58.02"N 35 13' 02.43"E が交差している。
この通りに入って南に進みます。

キング・ジョージ通りは、バルフォア宣言(1917年、イギリスの外相がユダヤ人のロスチャイルドに、パレスチナでのユダヤ人国家樹立を認めた書簡)を記念し、当時の英国王ジョージ5世の名前をつけた通りです。両側に街路樹が続く綺麗な通りでした。
時間があれば、店の中も覗いてみたかった。

Fi2569622_3e ベン・イェフダ通りとの交差点を過ぎると、左手に公園が見えてくる。
これは1948年のイスラエル独立を記念して造られた独立公園。
( 31 46' 42.51"N 35 12' 58.96"E )

東端が前述のマミラの池と接している。オブジェがいくつかありました。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その6(メア・シェアリームとヤッフォ通り)

エルサレム新市街観光の続きです。

昼食後、西エルサレムの東側に移動。
嬉しい事に、ヤッフォ通りとベン・イェフダ通りの交差点で解散、1時間の自由散策になりました。
この機会を最大限に生かして、周辺を歩き回ってみようと思います。

Fi2561176_0e 画像は出発地点のベン・イェフダ通り。
(撮影地点 31 46' 54.69"N 35 13' 08.99"E )
様々な飲食店、喫茶店、土産物店が軒を並べて、かなりにぎやかな通りです。石畳のせいか雰囲気が良いです。
この辺りが新市街で最もにぎやかな場所です。

まずは北に向います。

Fi2561176_1e すぐのところにヤッフォ通りがあります。 31 46' 56.15"N 35 13' 08.81"E 

ヤッフォ通りはテルアビブの南のヤッフォとエルサレム旧市街のヤッフォ門を東西に結んでいます。
ここも人通りが多くて、そのせいか安心して歩けます。

Fi2561176_2e ヤッフォ通りを渡って少し北に行き、小さな路地に入ると、ティホ・ハウスがあります。
(このあたり 31 46' 58.70"N 35 13' 09.19"E )
少しわかりずらいですが、付近に観光用の標識があるので、これを頼りにすればよいと思います。

ここはユダヤ人が旧市街の外で暮らし始めた最初の場所のひとつで、眼科医のアブラハム・ティホ博士と、その妻アンナが住んだ家です。
ティホ博士は貧富の区別なく診察し、アンナはそれを助けていました。また、アンナはエルサレムの風景や人々を描き続け、現在この家はギャラリーになっています。

更に北に向って、メア・シェアリームという、ユダヤ教正統派の人々が住む地区に近づいていきます。
ハ・ネヴィーム通りというやや大きな通りを渡ります。この辺りに来ると、黒ずくめの服装をした正統派の人々が数多く見られます。

Fi2561176_3e 小さな通りを北に歩くと、右手にエチオピア(アビシニア)正教会の教会堂があります 31 47' 05.84"N 35 13' 15.24"E 。1896~1904年に建てられた、ドーム型の教会です。中庭を重厚な赤っぽい服を着た修道士が歩いていました。

エチオピアにキリスト教が伝わったのは4世紀と言われ、5,6世紀に強化された。しかしイスラム教が入ってきて以降、衰退した。
教理的にはキリスト単性論をとっている。
1980年のデータによると、イスラエル国内にはここ西エルサレムに教会がひとつあり、教会員は50名程だという。

道を挟んだ場所には、ヘブライ語を現代に復活させた言語学者、エリエゼル・ベン・イェフダーの家があるらしいが、この時は気が付かなかった。

Fi2561176_4e ア・シェアリーム地区です。
(このあたり 31 47' 08.02"N 35 13' 13.83"E )
1874年、ユダヤ人が旧市街の外に定住した2番目の場所として造られた。“メア・シェアリーム”とは、旧約聖書に出てくる“百倍の収穫”という意味。


アブラハムの子、イサクが飢饉から逃れてゲラルという土地に滞在した時、神のお告げに従ってここに住んだ。
「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。」
(旧約聖書 創世記・26章12節 新共同訳から引用)


ここには、厳格な規律を守るユダヤ教正統派の人達が多く住んでいます。
その為、この界隈を歩くときは素肌を大きく見せるような服装は避けた方が良いようです。また、カメラを向けるのはいやがられるようです。

現在のユダヤ教は、大きく正統派、保守派、改革派の3つに分けられるそうです。
正統派は、3千年の間その教義に修正・変更を加えず、厳格に守り通してきた。例えば安息日には一切の労働、旅行、商用を禁じ、食事は律法に定められた方法で調理したものしか摂らない。
保守派は、律法の精神を失わない限りは、時代に即してある程度の修正を認めている。例えばアメリカでは英語の祈祷文を用いている。
改革派は、理性と科学に耐えうる合理性を信仰に要求し、祈祷において男女の席を分けず、ラビは律法を現代的に解釈し自由に修正する権限を持つ。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その5(ヤド・ヴァシェム:ホロコースト記念館)

エルサレム新市街観光の続きです。

Fi2555575_0e タイム・エレベーターから、再びエルサレム市の西端に向って、ヤド・ヴァシェムに着きました。
(画像の建物 31 46' 27.14"N 35 10' 34.81"E その他 31 47' 24.95"N 35 10' 28.18"E 周辺)

ここはナチス・ドイツのホロコーストによって虐殺された、600万のユダヤ人を慰霊する博物館です。ヤド・ヴァシェムとは、(消し去る事の出来ない)記念と記憶、という意味です。

画像にも見えますが、大勢のイスラエル軍兵士が見学?に来ていました。
館内はかなり混んでいました。
尚、日本語ガイドはないようです。

まず歴史博物館に入る。
入口付近には、パレスチナ?に帰還して喜び踊る人々の映像。
以下順路に従い・・・、

ユダヤ人の焚書について。
ナチスの台頭。
昔のユダヤ人に対する迫害。
以降、第二次大戦時の迫害状況の展示になり、
「ユダヤ人はいてはいけない」という看板。
ユダヤ人迫害を決定したミュンヘン会議の映像。
引きちぎられた旧約聖書。
当時のユダヤの著名人。
黄色い星(ダビデの星)の着用義務。
没収品(メノラー等)。
北アフリカでの迫害状況。
ワルシャワ・ゲットーでの迫害状況。
ソ連での迫害状況。
「最終的解決」の状況。
トレブリンカ収容所の模型と、ユダヤ人の靴の山。
アウシュビッツ収容所の生存者の体験談映像。
ユダヤ人を救った人々。
アウシュビッツ収容所の「労働は自由をもたらす」の看板、衣服、食器。
ユダヤ人の解放。
パレスチナに向うユダヤ人。

画像は名前のホール。ドームの壁面に納められたホロコーストで亡くなった人々の記録がある。
Fi2555575_1e
館内は撮影禁止のため、パンフレットの写真です。
壁面一杯に、亡くなった人々の名前が書き込まれたバインダーが納められている。これから判明する人もいるため、空のバインダーも。また一部の人々の顔写真が展示されている。

その他、記憶のホールに入った。暗闇の中、中央で火が燃えている。死者を悼む祈りの場所です。

ホロコーストは過去のものではないという事実に戦慄させられます。
ルワンダでのツチ族によるフツ族の大量虐殺、旧ユーゴスラビア内戦での民族浄化・・・。
差し迫った憎しみと恐怖を目の前にすると、過去の教訓も消し飛んでしまうのだろうか?
日本人だって他人事ではないかも。

Fi2555575_2e ヤド・ヴァシェムから見えた、エンカレム方面の景色。
(このあたり 31 46' 04.89"N 35 09' 44.05"E )

目が覚めるような美しい谷でした。
バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の生まれ故郷と言われます。

Fi2555575_3e アレンビー記念公園の南にある、21階建てのクラウンプラザ・ホテル 31 47' 05.64"N 35 12' 09.53"E 、1階のインド料理店コヒナルで昼食。
バイキングなので色んなカレーが選べて良かった。味も良かった。
デザートにかけるクリームみたいなものをカレーと間違えてライスにかけてしまった。不思議な味がした。

画像はホテル周辺の景色。

ちょっと殺伐としているが、この辺にはコンベンション・センターなどがあるようだ。


ここで、かつてのユダヤ人に対する迫害理由をまとめます。

・ イエスを殺したのはユダヤ教徒だった。
・ キリスト教中心のヨーロッパ世界において、イエスをメシアだと認めないユダヤ教は異端だった。
・ キリスト教が卑しい職業としていた高利貸しをユダヤ教は認めていたため、多くのユダヤ教徒が高利貸しになって儲ける事ができた。キリスト教徒から“金の亡者”と非難を浴びた。
マイケル・ラドフォード監督の「ヴェニスの商人」の冒頭で、この迫害の様子が描かれています。
・ 自国民の不満をそらすために、国家や権力者が少数派であるユダヤ人への憎悪を煽る例もあった(帝政ロシアで起こったポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺など、枚挙にいとまがないと思われます)。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その4(十字架の谷とタイム・エレベーター)

エルサレム新市街観光の続きです。

西エルサレムの東にある、タイム・エレベーターというアトラクションに行きます。
ハラブ・ヘアツォク通り~ガザ通りを辿って西から東へ。

Fi2549744_0e 画像は、途中側を通った十字架の谷。
処刑の十字架用のオリーブの木を切り出した谷と言われる。

丘の上に建っている建物はクネセット。
( 31 46' 35.39"N 35 12' 18.91"E )
1966年に建てられたイスラエルの国会議事堂。
近くには大統領府を始め、省庁の建物があり、イスラエルの政治の中心になっている。

Fi2549744_1e の画像では手前の木に隠れてしまっていますが、十字架の谷には十字架の修道院がある。 31 46' 19.48"N 35 12' 29.01"E 

撮影が下手糞で、この画像ではまるで存在感がない建物になってますが、実物は分厚い城壁に囲まれた、要塞のような建物です。
祭壇には、アダムが生命の木を咥えたまま埋葬された場所があり、その木が成長して、イエスの処刑用に使われたと言う。

Fi2549744_2e 旧市街のすぐ西側にある、タイム・エレベーターに着きました。
( 31 46' 47.44"N 35 13' 14.85"E )

ここは、エルサレムの歴史を30分の映像で見せるアトラクションです。
建物の入口は、意外とあっさりしていました。

ロビーで待つ間、このアトラクションの紹介映像が流れていました。
日本語ではないので全くわかりませんでしたが、タイム・エレベーターという乗り物で地下に潜ると、過去にタイムスリップできるという趣向のようです。神殿の丘西壁のトンネルウォークを髣髴とさせる乗り物です。

ロビーには、地元の子供が描いたのだろうか?エルサレムの絵がたくさん貼られていました。岩のドームや、エルサレム・ストーンを思わせる白い建物の絵が多かったです。

平日だし、そんなに客もいないだろー、と思っていたら、観光客がやって来て、そこそこ座席も埋まっていました。

Fi2549744_3e アトラクションの中です。座席が映像に連動して動きます。
こういうのが苦手な人用に、動かない座席もありました。

音声が英語なので一言一句までわかりませんでしたが、勝手に想像して楽しみました。地下のトンネルをあっち行ったりこっち行ったりで、かなり揺れます。

タイムスリップする時代で確認できたのは、ソロモン王の裁判、ネブカトネツァルによるエルサレム陥落、ローマ軍によるエルサレム陥落、ヘレナのエルサレム訪問、第三次中東戦争。十字軍とイスラム時代はほとんど端折られていました。その他は何だったか良くわかりませんでした。
歴史が好きな私は、結構楽しめました。

Fi2549744_4e タイム・エレベーターの建物の前には公園があります。
地図を見ると、マミラの池があるようです。

( 31 46' 40.82"N 35 13' 13.89"E )

この辺りは、十字軍の時代に墓地ができ、マムルーク朝時代にはエルサレムの主要共同墓地のひとつになった。画像に見えるのも、お墓だろうか?

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その3(第二神殿時代のエルサレム模型)

エルサレム新市街観光の続きです。

エルサレム市の南西にある、ホーリーランド・ホテルの第二神殿時代のエルサレム模型に着きました。
(このあたり 31 45' 21.19"N 35 11' 21.75"E )

ホーリーランド・ホテルが客寄せに造った物で、ヘレニズム時代のパレスチナ史が専門のアヴィ・ヨナ教授が、ヨセフスのユダヤ戦記をもとに第一次ユダヤ反乱勃発時の紀元66年当時のエルサレムを復元した。
50分の1の縮尺で、実際の建物と同じエルサレム・ストーンで作られている。実際、その精巧さは驚くばかりだ。

現在ホーリーランド・ホテルは経営難で、この模型もヘブライ大学に移設されるそうである。現在その作業中のため、“上の町”と“第3城壁内”部分をはじめ大部分が剥がされている。

画像は、当時のエルサレムを西側から見た所。
Fi2546511_0e
左上はローマ軍が神殿監視のため駐留したアントニア要塞、上半分は神殿の丘で、中央には第二神殿が建つ。
画像左端中央には、ウィルソン・アーチとハスモン家の宮殿。

こちらは北西からみたところ。
Fi2546511_1e
手前の門は、ダマスカス門。奥に4つの塔を持つアントニア要塞
立っている人と比べると、模型の大きさがわかると思います。

こちらは南側から見たところ。
Fi2546511_2e
ほとんど壊されていますが、城壁に囲まれたダビデの町です。
町の中央、奥へ建ち並んでいるのは、メソポタミアの隊商都市アディアベネのヘレナ女王の宮殿。
奥には神殿の丘の南壁が見える。

エルサレムを攻撃したローマ軍の投石器。奥に見えるのはホーリーランド・ホテル。
Fi2546511_3e

これが移設作業前の模型の全体像です(パンフレットから)。

Fi2546511_4e
上が西、右が北です。
これを使って、第一次ユダヤ反乱時のエルサレム陥落の様子と、イエスのエルサレム滞在の足取りを辿ってみます。


第一次ユダヤ反乱時のエルサレム陥落の様子:

皇帝の座に着いたヴェスパシアヌスは、皇帝の名にかけてエルサレムを陥落せねばなりませんでした。
70年、長男ティトゥスは、丁度行われていた過越し祭の巡礼者が城内に入るのを待って包囲した。城内の人口を増やして、食料難に陥らせる為だった。

戦闘を開始したが、反乱軍は決死の覚悟で反撃し、ローマ軍を打ち破った。ティトゥス自身も偵察中に命を落としかけたと言う。
しかし、やがてローマ軍は包囲網を完成した。東には第10軍団(フレテンシャス)、北には第15軍団(アポリナリス)と第12軍団(フルミナタ)、西には第5軍団(マケドニカ)が布陣しました。

包囲を開始して15日目、ローマ軍は攻城車と破城槌を使って、北側の第3城壁(番号33の壁)の北東を破った。

5日後、第2城壁(番号30の壁)を打ち破り、町の残りの部分を壁で囲んだ。逃走する反乱軍は捕らえられて、町から見える場所で十字架刑に処された。毎日500人もいたという。包囲網の中は飢餓状態になり、人肉を食べて飢えをしのいだという。
ここでフラウィウス・ヨセフスがローマ軍の軍使として、反乱軍に降伏を促した。涙を流しながら、イスラエルの美しい国土と神殿を破壊する愚を訴えたが、反乱軍は応じなかった。

6月末、ローマ軍は総攻撃を開始し、アントニア要塞(番号39)を攻撃した。
4本の攻城用斜路を17日間で完成させたが、反乱軍の攻撃で破壊された。
次に包囲用の塁壁と2本の攻城用斜路を造ったが、これも破壊された。
こうした激戦の後、ローマ軍は要塞をようやく占領した。

反乱軍は第2神殿(番号36)に退却し、西側の回廊に火をつけた。
ティトゥスは、反乱軍が神殿を破壊しようとしていると勘違いし、神殿への総攻撃を命じた。

8月、ローマ軍は神殿の防御を破って構内になだれ込んだ。
1人の兵士が禁じられていた火を使用して、神殿の窓から火のついた材木を投げ入れ、燃え広がった。両軍は大混乱に陥り、命令に反して神殿は破壊され、略奪された。
神殿の陥落で反乱軍の戦意は衰えた。その後、ローマ軍は”上の町”(黄色い番号)に攻め上がり、殺戮と暴行を繰り返した。
捕虜になったユダヤ人は9万7千、犠牲者は110万に上ったという。


イエスのエルサレム滞在の様子:

エルサレムの東のベタニヤ村を出発したイエスとその支持者は、シロアの池(番号5)近くの門からエルサレムに入った
神殿の丘南壁のフルダ門(番号41)から神殿の丘に上がり、「神殿の清め」を行った。

過越し祭の夜、密かに城内の”上の町”に行き、番号26で最後の晩餐を行った。

ベタニヤ村に戻る途中のゲッセマネで大祭司の手勢に捕まり、大祭司カイアファの屋敷(番号25)に連行された。

ローマの総督、ポントゥス・ピラトゥスのいるアントニア要塞(番号39)に連行され、ヘロデ・アンティパスのいるハスモン家の宮殿(番号21)に移された後、再びアントニア要塞に戻り、ここで死刑判決を受けた。

アントニア要塞から十字架を背負ってゴルゴタの丘(番号27)に行き、ここで処刑された。

ポントゥス・ピラトゥスがいた場所は、ハスモン家の宮殿(番号21)ともヘロデ王の宮殿(番号18)とも言われ、そうなると現在のヴィア・ドロローサの道のりが変わってくる。

ゲッセマネでの捕縛からゴルゴタでの処刑までの経緯は、メル・ギブソン監督の映画「パッション」が詳しいが、残酷なシーンが目立ち過ぎてとてもお勧めできません。
イエスの生涯については、ニコラス・レイ監督の「キング・オブ・キングス」があります。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その2(ホテルからの眺め~ヘルツェルの丘)

1月3日の朝。
とうとうイスラエル観光の最終日、日本に帰る日になってしまいました。
最後の一日を、思う存分楽しもう!

私の泊まっているホテルはハイヤット・リージェンシーといい、エルサレム旧市街の北1.5キロ程の場所にあります。

画像はこのホテルのテラスから、南東を眺めた所です。
(通常のサイズに伸ばして見て下さい。撮影地点 31 47' 52.06"N 35 14' 08.15"E )
Fi2541686_0e_2 
画像の下半分の建物はこのホテルのテラスで、階段状になっており、遠くから見るとメソポタミアのジグラッド神殿、あるいはメキシコのピラミッドのようです(ちょっと違うかな?)。

画像左側に広がる丘は、スコーパス山。
第一次ユダヤ反乱の時、ローマの将軍ティトゥスはここに陣を張り、エルサレム攻略計画を練りました。
エルサレム旧市街は、東をキドロン峡谷、南と西をヒンノム峡谷に囲まれていますが、北は地形障害がありません。そこでエルサレムへの攻撃の多くは、北側から行われたそうです。
現在ここには、ヘブライ大学スコーパス校が建っている。

スコーパス山の右にあるのはオリーブ山で、頂上には昇天教会の大きな尖塔が聳えています。

画像の右端には、神殿の丘の岩のドームが見えます。

こちらは南西側。
(通常のサイズに伸ばして見て下さい)
Fi2541686_1e
建物は皆白いですが、エルサレム・ストーンという石灰岩を壁面に貼り付けています。

画像左の建物が密集している辺りが旧市街。
画像右には、所々高層ビルが建つ新市街が広がります。
今日はこの新市街を観光します。

ところで、ホテルには何故か通学している児童が大勢いました。
ガイドさんの話によると、ガザから撤退してきた入植者のようです。
住む場所がないので、政府の補助で一次的にホテル住まいをしているようです。

Fi2541686_2e 西側の眺めです。

緑に覆われた丘は、弾薬の丘。第三次中東戦争時の激戦地で記念館がある。( 31 47' 56.18"N 35 13' 44.37"E )

第三次中東戦争(1967年)の直前、イスラエル領の西エルサレムは、東側に突出した形をしており、三方からヨルダン領が囲んでいた。
特にヘブライ大学とハダッサ大学病院があるスコーパス山は、飛び地になっていて悩みの種だった。

スコーパス山と西エルサレムの間でエルサレム旧市街の北の地域、ベイトジヤラは、アラブ軍団が強固な防御陣地を築城していた。ビルを鉄筋コンクリートで補強した防御拠点にし、それらを交通壕で網の目のように結んで、周りを鉄条網と地雷原で囲んでいた。

6月5日午前11時、ヨルダン軍はエルサレムへの攻撃を開始した。
シナイ半島に降下予定だったイスラエル第55空挺旅団は、急遽ベイトジヤラへの攻撃に任務を変更された。

午後11時、イスラエル軍は西エルサレムとスコーパス山からのサーチライトで照らし出されたヨルダン軍陣地を砲撃し、粉砕した。

6日午前2時、第55空挺旅団はベイトジヤラに侵入し、警察学校と弾薬の丘で激戦が開始された。ヨルダン軍は一歩も引かず、塹壕の中で白兵戦が展開した。
塹壕の背後の要塞化したビルの中でも、一部屋一部屋を巡って4時間に渡る死闘が続いた。

夜明け近く、勝利した第55空挺旅団はスコーパス山と旧市街を目指して進撃し、スコーパス山と西エルサレムの間の地域を制圧した。

今日の観光開始。
まずエルサレム市の南西にある、ホーリーランド・ホテルの第二神殿時代のエルサレム模型を見に行きます。

レヴィ・エシコル通り~ヘルツェル通りを経て、一挙に西エルサレムの西端へ。

Fi2541686_3e これはヘルツェルの丘の入り口です 31 46' 20.65"N 35 10' 53.08"E 。
ここはイスラエル建国の父であるテオドール・ヘルツェルが埋葬された場所で、彼の記念館があります。


テオドール・ヘルツェルは1860年生まれ、ユダヤ人差別の象徴的事件であるドレフュス事件に衝撃を受け、迫害を終らせる為にユダヤ人による独自国家建設を提唱した(シオニズム運動)。
最初アフリカのウガンダへの移住を考えたが、他のシオニストの批判によりパレスチナに変更した。

1897年にスイスのバーゼルで第一回シオニスト会議を開き、世界シオニスト機構を設立して、シオニズム運動の第一歩を踏み出した。
パレスチナ問題を抱えながら1948年にイスラエルは独立宣言し、ヘルツェルは建国の父、現代の預言者と呼ばれている。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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イスラエル旅行・エルサレム新市街~その1(自由の鐘公園~市役所)

ベツレヘムからエルサレムに戻ってきました。
これから旧市街の西側を北上してホテルに帰ります。

ここからエルサレム新市街の紹介になります。
(撮影時間は必ずしも時系列ではありません)

エルサレム新市街は西エルサレムとも呼ばれ、旧市街の西側に広がる欧米風の街並みで、設備も整っています。
Fi2535430_0e ここはレパイムの谷にある、自由の鐘公園だと思います。

(このあたり 31 46' 05.60"N 35 13' 19.46"E )
エルサレム最初の公園だそうで、フィラデルフィアにある自由の鐘の模型があるそうです。
ここから南側は住宅街になっています。
レパイムの谷は、ダビデ王がペリシテ軍を二度に渡って破った場所でもあります。

Fi2535430_1e 画像の右上に風車が建っています。これはモンテフィオールの風車です。
(このあたり 31 46' 17.44"N 35 13' 26.77"E )

19世紀のイギリスのユダヤ人、モーセ・モンテフィオールがここに粉挽き用の風車を作った。
旧市街に住むユダヤ人をここに移住させて、仕事を与えるためだった。
しかし風当たりが悪くて風車は動かなかったそうだ。
現在この辺りは芸術家の街になっているそうだ。

Fi2535430_2e_2 画像中央、丘の上に建っている四角い建物は、キング・デービッド・ホテル。
( 31 46' 27.89"N 35 13' 20.49"E )

1930年に建てられた、エルサレムで最も有名な最高級ホテル。
宿泊料もかなり高い。
今まで、各国の要人が多数泊まっている。

1946年には、国連委任統治していたイギリスの軍司令部が置かれていた。
当時、第二次世界大戦の終わりと共に、シオニストはユダヤ人の独立をイギリスに要求した。しかしイギリスはこれを拒絶し、シオニストは武装闘争を開始した。
武装組織イルグンは、キング・デービッド・ホテルを爆破し、テロ活動によってパレスチナは内戦状態になった。翌年、音を上げたイギリスは国連に介入を要請した。

Fi2535430_3e キング・デービッド・ホテルの隣にある建物群は、ヘブライ・ユニオン大学エルサレム校だと思います。

ウィキペディアによると、「アメリカ合衆国のラビ、カントル、またコミュニティーにおける職業者を養成するユダヤ教改革派のセミナリー。」だそうです。
詳細はこちら

Fi2535430_4e ここはエルサレム市役所です。
(たぶん 31 46' 51.23"N 35 13' 21.97"E )

この後宿泊先のホテル、リージェンシーへ。

休憩した後、ホテルの土産物屋に立ち寄る。
店は狭いがとにかく色々な物が所狭しと並べてある。
歴史好きな私は、土器と刀剣にそそられるが、品物の割に値段が高くてやめた。
閉店時間は店主次第だそうだ。

その後、市中のマンダリンという中華料理店で夕食。
陽気で面白い店員さんがいる。
ボリュームたっぷりの食事に満足。
今日は念願の旧市街に行けてよかった。
でも、もっとじっくり見て回りたかったなあ。

※参考資料は、旅行日記の最後にまとめて挙げます。

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