007カイザリヤ(イスラエル)

イスラエル旅行・カイザリヤ~その4

カイザリヤ観光の続きです。

これはどう見ても荒れ野原にしか見えませんが、画像中央奥の白い標柱が立っている辺りにローマン・ヒッポドロームと言われる戦車競技場があります。
周りをバナナ畑が囲んでいます。
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時間がなくて側まで行けませんでした。半円劇場のチケット売り場前から撮った物です。
カイザリヤに入るときに、道路の左側を見ていると比較的間近に見ることができます。

ローマン・ヒッポドロームの近くにはビザンツ時代の道路と広場跡もあります。

大理石で舗装された広場の両側には、白い大理石と黒い斑岩で作られた2体の彫像がある。
斑岩の像はハドリアヌス帝ではないかと言われ、ビザンツ時代にここに移設されたものらしい。

ここも時間がなく観光できませんでしたが、競技場と同様道の左側を見ていると見ることができます。

ここでカイザリヤの城壁を出て、北側にある導水橋に行きます。

南北に伸びる、ヘロデ時代の導水橋 32 30' 50.19"N 34 53' 49.74"E です。
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カイザリヤに飲料水を供給する為に造られました。

北方の都市ハイファ近くのカルメル山( 32 44' 05.55"N 35 02' 15.73"E )の南斜面の泉が水源で、最初は岩壁の水路を伝います。
途中シャニの泉の水を加えた土管を流れ、ゼルカ川を越えたカバラ沼沢地で2本に分離した導水橋となる。
一方は海岸に並行して砂岩の尾根に貫通した人工トンネルを流れ、尾根を抜けると再び導水橋になる。
そして海岸伝いにカイザリヤの北端に達する。

全長9キロあります。
画像は内陸側から見た所。

この画像は波打ち際から見た所です。
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遺跡のある砂浜、素晴らしいです。

導水橋の断面
です。
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導水橋の上には直系17cmの3本の土管が置かれていました
第一次ユダヤ反乱の際には、鎮圧軍の第2、10軍団の工兵が改修しています。

この水路とは別に、農業用水を供給する地表面の水路がありました。

さて、これでカイザリヤ近辺の観光が終ったので、更に北にある世界遺産の町アッコーに向います。


ここでヘレニズム時代のユダヤ人の歴史についてまとめます。

ヘレニズム時代は、政治的にはアレキサンダーの征服からその後継者であるセレウコス朝、プトレマイオス朝の滅亡までを指す。
しかし文化的にはローマ時代、ビザンツ時代まで続いた。

ヘレニズム文化とはギリシャ文化と東方文化の融合文化で、ローマ文化はヘレニズム文化の模倣に過ぎなかった。
またヘレニズム精神とは、個人主義と世界市民主義(全人類を同胞とみなし、民族や宗教に囚われずに自由に生きる考え方)に代表される。

1. プトレマイオス朝エジプトの支配時代(312BC~)
アレキサンダーが急死すると、配下の将軍達の間で戦争が起きた。
戦後の取り決めではパレスチナはセレウコス朝シリアに与えられるはずだったが、実際にはプトレマイオス朝エジプトが居座った。
その為両者の間で五度に渡る戦いが起こった。

この時代のユダヤ州は半自治状態で、大祭司がユダヤの最高議会に相談しつつ総督の代わりに行政を執行していたようである。

紀元前198年、プトレマイオス朝はバニアス(後述)でセレウコス朝シリアに敗れ、パレスチナの支配権を引き渡した。
この時プトレマイオス朝を支持するユダヤ人の集団がエジプトに移住し、共同体を作った。

この頃のエジプトでのユダヤ人社会で、注目すべき点がいくつかあった。

一つは、律法(トーラー)をギリシャ語訳した事で、ヘブライ語の知識が乏しくなった為に行なわれた。
これは後にキリスト教のテキストとして西洋において注目され、西洋文化の基礎を築く上で影響のある文書の一つになった。

また、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)があった事が伝えられている。
神への犠牲を行なうのではなく、ただ祈りと信仰告白と聖書朗読のみの場所は、今までの宗教では例が無かった。
後のキリスト教、イスラム教の礼拝にも影響を与えたと考えられる。

2. セレウコス朝シリアの支配時代(198BC~)
セレウコス朝は連邦主義的な統治を行なっていた為、ユダヤ人に対してもこれまで以上に政治的経済的自由を約束した。

しかし、ローマに大敗して朝貢を強いられた時から状況は変わり始めた。
国家財政を立て直すために各民族の神殿を略奪しようとした。

この動きに乗じて、より多くの年貢を支払う代わりにエルサレム神殿の大祭司の位を得ようとする者が現れた。
更に大祭司の位を巡る争いがエスカレートし、大祭司の位を追われた者がエルサレムを攻撃する事態になった。

セレウコス朝は、この反乱の原因はユダヤ教の特殊性にあると考え、エルサレム神殿をゼウスの神殿に変え一切のユダヤの習慣を禁止し、ユダヤ教を弾圧した。

これらの迫害に対して、祭司マカバイ家の集団を中心にした抵抗が起こった。
シリア軍を打ち破るまでになり、ユダヤの律法と習慣を尊重するよう法律を変えさせる事に成功した。

しかしマカバイ家は政治的宗教的独立を目指すようになり、セレウコス朝内部の王位争いに乗じて巧みに力を伸ばし、遂に支援したセレウコス朝の王から完全独立の約束を取り付けた。

3. ハスモン朝時代(141BC~)
マカバイ家のシモンはユダヤの民衆に認められて王位に就き、ハスモン朝(マカバイ朝)を開いた。
ハスモン朝はサマリアの他、東ヨルダン、ガリラヤ、イドマヤの一部を征服して領土を広げた。

しかし、相変わらずセレウコス朝の攻撃を受けた他、ユダヤ教の宗派であるサドカイ派とファリサイ派の勢力争いが続き、最後は王位を巡るヒルカノスとアリストブロスの兄弟の争いに介入したローマのポンペイウスに占領され、ローマの保護国にされた(同じ頃セレウコス朝もローマによって解体された)。

その後も王位を巡る争いは収まらず、ペルシャの強国パルティアの支援を受けたアリストブロスの子アンティゴノスがハスモン朝を再興した。
ヒルカノスの武将でイドマヤ人のヘロデはローマに救援を求め、再介入したローマ軍によってハスモン朝は滅亡した。

この時代には、ユダヤ教の宗派が色々と現れた。

この世の終末の後の神の救済を待ち、それまで神に忠実であるよう訴えたハシダイ
エルサレム神殿から離反し、民衆から離れて宗教的清浄さを徹底したエッセネ派
律法を重視し、それに忠実でありながら、実際の生活で実施できるよう律法を妥協的に解釈したファリサイ派
上層階級の利益集団であり、律法に確言されていない事は自由に行なってよい(それゆえヘレニズムの思想も受け入れた)という考え方で、神殿祭儀を重視したサドカイ派
前述の、エルサレムの祭儀から独立したサマリア人の集団があった。

4. ヘロデとその後継者の支配時代(30BC~)
父の代からローマに忠実だったヘロデは、ローマ皇帝アウグストゥスから同盟国として認められ、ダビデ王時代に匹敵する程の領土を任された。

彼は建築事業に没頭し、特にエルサレム神殿の増築は一部のユダヤ人に感謝された。
相次ぐ建築事業は雇用を生み、農地の拡大政策によって経済状況は良くなった。
一方でこれらの事業の為に重税を課し、権力維持の為には手段を選ばなかった。

ヘロデの死後、三人の息子(アルケラオス、ヘロデ・アンティパス、フィリポス)が分割統治した。
アルケラオスは恐怖政治を行なって追放され、その領地(ユダヤ州)がローマの知事の管轄になった時、税の引き上げに反発した熱心党(ユダヤを神の直接支配に置き、外国勢力を除外する事を目標にした集団)による反乱が起きた。

その後、皇帝崇拝を強いるなどのローマ側の挑発により、ユダヤ州では緊張状態が続いたが、カリギュラ帝の遊び仲間として台頭したヘロデの孫アグリッパ1世は、クラディウス帝の帝位継承を支援して感謝され、ヘロデ時代の領土を任された。
これによりパレスチナは安定した。

しかしアグリッパの死後は、再びローマの支配に戻った。

この時代、独自の律法解釈による宣教活動を行なったイエスが現れ、その死後もエルサレムで弟子による宣教が続いた。
既存のユダヤ教宗派を批判してエルサレムを追放されるとシリアで活動し、ユダヤ人以外への宣教が始まった。

5. ローマの支配とユダヤ人社会の壊滅(44~)
ローマとユダヤの緊張状態が続く中、ユダヤ総督がエルサレム神殿を略奪し暴動が起きた。
過激派の熱心党はマサダ要塞を占領しエルサレムに入城、ユダヤ総督とシリア総督のローマ軍を撃退した。
しかし反乱軍は穏健派と過激派の内戦で衰退、ウェスパシアヌスとその子ティトゥスのローマ軍がエルサレムを鎮圧し、数年後にマサダ要塞も落ちた(第一次ユダヤ反乱)。
エルサレム陥落を記念した凱旋門が、ローマにあります。)

この反乱でパレスチナのユダヤ人の3分の1が犠牲になり、廃墟になったエルサレムにはローマ軍第10軍団が置かれた。
ユダヤ教は、神殿を失った事で神殿祭儀重視のサドカイ派は衰退し、律法重視のファリサイ派の主導で、シナゴーグでの礼拝生活と聖書を学ぶ教学院での律法解釈の活動にまとめられた。
ここから現在のラビ的ユダヤ教に発展していく。

キリスト者はこの反乱の最中にエルサレムから退去し、エルサレムを中心としたユダヤ人に対する伝道は衰え、異邦人に対する伝道が中心になった。
それがユダヤ教の一分派から宗教としてのキリスト教に発展する糸口になった。
しかし次第にローマによる迫害も過熱していく。

132年、パレスチナのユダヤ人は再び反乱を起こした。当時の資料が乏しい為その社会的背景はわからない。
表面的な原因は、旅行好きな五賢帝ハドリアヌスが、廃墟のエルサレムを訪れた際にユダヤ神殿跡地にユピテル神殿を造った事で、その結果ユダヤ人の民族感情が爆発したようである。

ラビ・アキバに説得されたユダヤの最高法院は反乱に踏み切り、カリスマ的指導者で救世主と目されたバル・コクバのもと、祭司から貧しい農民までが反乱に参加した。
反乱軍はエルサレムとユダヤ州の大部分を占領したが、ローマ軍の精鋭によって鎮圧された(第二次ユダヤ反乱)。

エルサレムはアエリア・カピトリーナというローマ風の町に作り変えられ、ユダヤ人の立入りが禁じられた。
ユダヤ州は古代イスラエル人の強敵ペリシテ人にちなんでシリア・パレスチナ州に改名された。
ユダヤの宗教と習慣は徹底的に弾圧され、ユダヤ社会はパルティア王国その他の地域に四散した。

その後、パレスチナに残ったユダヤ教は活動の場をガリラヤ、そしてベト・シェアリームに移し、そこで神の掟に関する数々の口伝の記録を始めた。
これが現在律法と並んでユダヤ教の信仰の基礎になっているタルムードの土台になった。

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イスラエル旅行・カイザリヤ~その3

カイザリヤ観光の続きです。

これは戦車競技場の西側を北に向って歩いている所です。
通常のサイズに伸ばして見てください。
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画像左端に伸びている半島は、カイザリヤの港(セバストスの港と言われた)の南防波堤 32 30' 06.11"N 34 53' 22.54"E です。

かつては南東から北西に大きく弧を描いた長さ600m、幅70mの堤でした。
ここからは見えませんが、これの北側にも防波堤があり、長さ250mでした 32 30' 13.50"N 34 53' 27.60"E 。

当時ここは激しい潮流と沈泥のある難所で、防波堤の建設は最新技術を使って成し遂げられました。
その1つがローマ人の発明である水硬コンクリートです。

建設手順は、
① 陸上である程度コンクリートを流し込んだ木枠を作る。
② 海上の防波堤建設予定地に曳航する。
③ 更にコンクリートを流し込んで沈める。
④ その上に建築物を組み立てる。

重い石材を現場に運ぶのが困難なので、水中で固まるコンクリートという方法を採ったのです。

ヘロデの死後、地盤沈下が始まって、防波堤のほとんどは水没しています。
現在では水中考古学という新しい学問によって調査が進められている。

完成した港は、エジプトのアレキサンドリアに比肩する程の規模になりました。

ここで面白い事に気付きました。
実はカイザリヤの少し南に、たぶん火力発電所の港と思しきものがあるのですが( 32 28' 11.76"N 34 52' 59.59"E )、この港の防波堤の形が、参考文献で見た当時のカイザリヤの防波堤の形にそっくりなのです。
と言う事は、潮流などを計算した当時の設計技術が、現代の設計技術に照らしても間違っていなかったという事ではないでしょうか?
あくまで私の推測ですが。

「(防波堤)の部分は巨大な塔によって仕切られていたが、
その中でも特別に高くそびえ立ち特に美しい塔はカエサルの継息子の名にちなんでドゥルシオンと呼ばれた。
入港した船が停泊する為の数多くのアーチ型の屋根が並んでおり、
その前の円形の石壁全体が上陸する者たちのための広い散歩道となっていた。(ヨセフス「ユダヤ戦記」)」

防波堤の上に立っている建物は、十字軍時代の見張り塔。
画像中央奥に連なっているのが、十字軍の街。
画像右半分は戦車競技場です。

画像は十字軍の街の南城壁です 32 30' 01.03"N 34 53' 30.56"E 。
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十字軍の街は周囲を城壁と堀に囲まれていて、東側は650m、南北は275mでした。
カイザリヤ全体の1/6または1/10の規模でした。

中には十字軍時代の教会と市街、アウグストゥス帝記念神殿、ビザンツ時代の教会があります。

堀は底面幅が7m、石垣の斜堤は角度60度、高さ8mです。
画像右側の斜堤の上にちょっと見えるのが城壁でしょうか?城壁は今では僅かしか残っていないようです。

これらの防御設備は十字軍の時代の中でも一番遅いルイ9世の時代に造られたようです(1251年?)。
堅固な要塞を造ったものの、もはやイスラム勢力の侵攻は防げず、1265年に陥落しました。

斜堤の上に立っている建物(画像左半分)は何なのかよくわかりません。未完成に終った教会堂でしょうか?
これは十字軍の街の南城壁の南側にあった遺構です。
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正直言って何の遺構なのかわかりません。
参考文献によると、城壁の南側にビザンツ時代(3世紀)に建てられた初期キリスト教最大の神学者オリゲネスによる蔵書3万冊を誇る図書館と初期キリスト教の教理学校が発掘されたそうです。

ここがその一部だろうか?

遺構の前には、色鮮やかな様々な動物の絵が描かれた床がありました。
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戦車競技場の東側部分
を北から眺めた所です。
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ビザンツ時代の街並みでしょうか?
詳しい資料がないのが残念です。
発掘作業は今も進められています。

「港に隣接して同様に白い石でできた家並みがあり、町の通りが港へ向かって等間隔で走っていた。
また港の入口の反対側には小高い丘の上にカエサルの神殿がひときわ美しくそびえたっていた(ヨセフス「ユダヤ戦記」)。」

遠くに見える煙突は火力発電所。
アラブ産油国と仲が悪い為、燃料は石炭だそうです。


ここでカイザリヤの歴史をまとめます。

① 古代オリエント時代末期、シドン人の王アブダシュタルトがストラトンの塔近くに集落を作る。

② 紀元前2世紀、ドルの支配者ゾイルスが領有。

③ ハスモン朝のアレクサンドロス・ヤンナイオスが領有。ユダヤ人が入植。

④ 紀元前1世紀、ローマのシリア属州になる。

⑤ アントニウスがこの町をクレオパトラ7世に贈る。

⑥ アウグストゥス帝がヘロデ王に返す。

⑦ 紀元前22年、ヘロデ王が新しい町を作る。

⑧ 1世紀、アルケラオス(ヘロデの子)が廃位され、ローマのユダヤ属州州都になる。

⑨ アグリッパ1世(ヘロデの孫)が領有する。

⑩ ペテロがコルネリウスにキリスト教を宣教する。

⑪ ユダヤ総督フェリックスの時代、ユダヤ人と非ユダヤ人の間の緊張関係が流血事件に発展する。

⑫ パウロが2年間投獄されここからローマに護送された。

⑬ ユダヤ総督フロルスの時代、第一次ユダヤ反乱の火種となる騒動が起こる。

⑭ ネロ帝自殺後、反乱鎮圧中のヴェスパシアヌスがこの町に滞在中、旗下の軍団により皇帝に推戴される。ローマ植民市になる。

⑮ セヴェルス帝がメトロポリスの称号を与える。

⑯ 2世紀、キリスト教の司教座になる。

⑰ ビザンツ時代の3世紀、キリスト教教理学校と図書館ができる。

⑱ 4世紀、キリスト教会の大司教座であった。

⑲ 5世紀、エルサレムが大司教座になり優位性を奪われた。

⑳ 6世紀、サマリア人住民がユダヤ人住民と共謀してビザンツ帝国に反乱を起こす。

21 7世紀、イスラム帝国のカリフ、オマールが占領する。

22 11世紀末、第一回十字軍の際、ゴドフロワに貢納して攻撃を免れる。

23 12世紀初、十字軍のボードワン1世が占領、イスラム住民を虐殺・略奪して町が衰退し始める。

24 1251年、フランスのルイ9世が要塞を作る。

25 1265年、マムルーク朝のスルタン・バイバルス(後述)が占領する。

26 1291年、マムルーク朝が破壊する。

27 1873年、最初の発掘調査が行なわれる。

28 ボスニアからのイスラム教徒の集落ができ、20世紀半ばまで存続。

29 近郊にユダヤ人が入植する。

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イスラエル旅行・カイザリヤ~その2

カイザリヤの半円劇場の続きです。
これは観客席の上から見た、劇場の裏手です。
何かの遺構がありました。
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これは貴賓席に続く通路です。
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ローマ時代の観客はここから入場したんだろうなあ。

劇場の西側、海沿いにあるヘロデの宮殿跡です 32 29' 48.88"N 34 53' 21.03"E 。
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この壮麗な邸宅は、三方を海に囲まれていて、専用の船着場があり、中央には列柱付きのプール(長さ35m、幅18m、深さ2.5m)や、オプス・セクティレと呼ばれる色大理石のはめ込みモザイクの床があったそうだ。
兵隊さんがいてちょっと近寄り難かった。

劇場の北側には戦車競技場があります。
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ガイドブックには全く載っていなかったので、最近発掘されたものでしょう。
思いがけない物があって嬉しかったです。

ローマ市にあるチルコ・マッシモよりは小さいですが、あちらは単なる原っぱになっているのに対して、こちらはオベリスクなんかが立っていたんじゃないかと思われる中央部分の遺構や、周囲を取り囲む壁の遺構が残っています。
当時の様子をかなりイメージできる感じです。

「彼(ヘロデ)は更に五年目毎に開催する競技大会を開設し、これも同様にカエサルの名にちなんで名づけ、その第一回大会を第192オリュムピアスに盛大に開いた。この競技会では優勝者のみでなく、二位と三位の者たちも王の富からほうびにあずかった(ヨセフス「ユダヤ戦記」)。」

競技場への出入り口
です。隣の子供と比べるとわかりますが、結構狭いようです。
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ここでカイザリヤや、この後観光するマサダ要塞を造ったヘロデ王の生涯をまとめます。

新約聖書では、ヘロデは東方の三博士からベツレヘムでメシア(つまりイエス)が生まれた事を知らされ、ベツレヘムの2歳以下の幼児を全て殺したと伝えられています。

ユダヤ人におけるメシアは、ユダヤ人の独立を達成してユダヤの神の支配を実現する人を意味したので、イドマヤ人のヘロデは気が気でなかったと思われます。

しかし本当にこんなに残酷な人だったのでしょうか?

① 誕生前のヘロデ家
ヘロデ家は、ヘロデの祖父アンティパテル1世の時、ハスモン朝(後述)の王アレキサンドロス・ヤンナイオスによりイドマヤ地方の将軍に登用されたイドマヤ人の一族。
イドマヤ人はエドム人の事で、旧約聖書ではユダヤ人の祖ヤコブの兄のエサウの子孫に当る。

ユダヤ人から見ると、エルサレムを攻囲した新バビロニアに荷担した人種なので恨みに思っており、またユダヤ教を信仰するものの宗教行為の違いから半ユダヤ人とみなしていた。

ヤンナイオス王が死んでその子ヒルカノス2世アリストブロスの間で王位争いが起きると、ヘロデの父アンティパテル2世はヒルカノス2世を擁立する為に奔走、ローマ共和国のポンペイウスに取り入ってその支援でヒルカノス2世を即位させた。

カエサルがローマの実権を握るとアンティパテル2世は直ちに忠誠を誓ったので、カエサルはヒルカノス2世の地位を保証する一方、アンティパテル2世を徴税官にして実質的に権力を与えた。

② 青年時代
ヘロデはアンティパテル2世の第2子として紀元前73年に生まれた。武芸に優れてヒルカノス2世に愛されていたという。
その兄弟ファサエルと共に、父アンティパテル2世の力により要職に就いていた。

ガリラヤ知事になった時、山賊エゼキアスの乱を鎮圧して信望を得た。ただしこの時ユダヤの最高法院の承諾を得ずにエゼキアスの処刑を強行したため問題になった。

カエサル暗殺の首謀者でシリアに逃れたカッシウスは、カエサルの養子オクタヴィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)との対決を控えシリアに酷税を課したが、ヘロデは忠実な徴税官として時に町を焼き払ったりした。

カッシウスがオクタヴィアヌスとアントニウスの連合軍に敗れると、アントニウスに賄賂を贈ってガリラヤ領主になった。

アリストブロスの子アンティゴノスがパルティア王国の支援でヒルカノス2世に対して反乱を起こすと、ヘロデはローマに支援を求め、オクタヴィアヌスとアントニウスはパルティアに対抗する為ヘロデを名目上のユダヤ王にした。
ヘロデはアンティゴノスを倒してアントニウスに賄賂を贈って処刑させ、ハスモン朝を滅ぼした。

ヒルカノス2世の孫マリアンメと結婚して名目上はハスモン家の後継者を名乗った。

③ 王国の確立期
まずヘロデはユダヤ人の信用を得るために、バビロンに亡命していたヒルカノス2世を帰国させて父と呼んで敬った。
高齢のヒルカノス2世はヘロデにとって脅威ではなかった。

しかし義母アレクサンドラの子アリストブロス3世はハスモン家の直系で、王かつユダヤの大祭司になればユダヤ人の支持を得る事ができる危険人物だった。
そこでヘロデは若年を理由にアリストブロス3世を大祭司に任じなかったが、怒ったアレクサンドラはエジプトの女王クレオパトラ7世の支援で息子を大祭司にしてしまう。

しかし間もなくアリストブロス3世は謎の水死を遂げ、これをヘロデの暗殺だとしてアレクサンドラはクレオパトラに訴えた。クレオパトラの愛人アントニウスはヘロデを召喚するが、その利用価値を認めて罪に問わずに帰した。

その後もクレオパトラとヘロデの確執は続き、ヘロデはヤッフォとガザをエジプトに渡さなければならなかった。

しかしアントニウスがオクタヴィアヌスに敗れクレオパトラが自殺すると、アントニウスの支持者だったヘロデはクレオパトラとの不和を強調してオクタヴィアヌスに釈明、地位の保全に成功する。更にヤッフォとガザを返してもらった。

帰還したヘロデはアレクサンドラを殺した。また嫉妬心と猜疑心から妻マリアンメを殺した。

④ 王国の最盛期
今やローマ皇帝となったアウグストゥスの下、ヘロデはかつてのダビデ・ソロモン王国に匹敵する程の領土を任された。ヘロデは内政に関してはローマの干渉を受けなかったが、外交は認められなかった。

ヘロデはユダヤの最高議会と大祭司を宗教的な機関にしてその政治的権力を奪った。
また土地税、人頭税、橋梁使用税、港湾使用税など、税金を掛けられる物は全て課税して国家財政を潤した。
軍隊はユダヤ人でなく外国人傭兵を使い、スパイ警察を設立して反対勢力を弾圧した。

特筆すべきは建設事業で、カイザリヤサマリヤの壮大な都市建設、マサダエリコでの城塞・宮殿建設など、国内の施設は充実した。また多くの人を雇用する事にもなり、経済状況はより良くなった。

また大規模なエルサレム神殿の再建は、ユダヤ人の支持を得るためだった。
ヘロデはユダヤ領内においてはユダヤの慣習に従うなどユダヤ人には気を配っていたが、ヘレニズム文化とその異教の神の流入はユダヤ人の反感をかった。

もともとユダヤ王朝(ハスモン朝)を滅ぼし、ユダヤ議会や祭司を有名無実にしたヘロデへの反感は強く、反対派はファリサイ派(後述)やエッセネ派(後述)に集結した。

⑤ 晩年
ヘロデは10人の妻との間に15人の子をもうけたと言われる。その為、晩年は高齢の上病の身で後継者争いに悩まされる事になった。

最初の妻との間にアンティパテルという子がいたが、マリアンメと結婚すると遠ざけられた。これが後の後継者争いの火種になった。

マリアンメを真剣に愛していたヘロデは、その間に出来たアレキサンドロスアリストブロスを後継者として育てた。そして妹サロメの娘をアリストブロスの妻にした。

しかしハスモン家の血を引く彼らは気位が高くヘロデ家を見下し、アリストブロスは妻に辛く当った為、サロメは二人を陥れようとヘロデに讒言した。そこでヘロデは遠ざけていたアンティパテルを王位継承者にして様子を見ることにした。

長年疎んじられていたアンティパテルは二人への対抗心を露にし、二人も父の翻意に対する不信感を露にしたので、結局二人は投獄された後処刑された。
邪魔者がいなくなったアンティパテルは更に権力を握ろうと工作し、ヘロデに毒を盛ろうとした。これが発覚してアンティパテルも処刑された。

その5日後にヘロデは死んだ。
王国は遺言により、アルケラオス、アンティパス、フィリポスの3人の子に分割された。


ヘロデは政治的経済的に有能な君主だったと思います。またローマ共和国内乱という動乱期に次々と主人を変え、権力を維持し続けた才覚も大した物です。
各地に残る壮大な建築物は、彼が精力的な人物であった事を物語っています。

しかし彼は猜疑心・不信感に苛まされて最愛の妻を殺した他、権力維持の為には手段を選ばずという面があり、数々の残虐行為も行なったようです。それが新約聖書のエピソードに反映されているのだと思います。

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イスラエル旅行・カイザリヤ~その1

カイザリヤに着きました。

カイザリヤ(カエサレア)は、かつて古代オリエント時代の終わり、アケメネス朝時代に作られたストラトンの塔と呼ばれるフェニキア人の集落と小さな港でした。

ヘレニズム時代、ヘロデ王は戦略的要所であるにもかかわらず防波堤付きの港がないこの地方に目をつけ、交易目的で港と町を作りました。
時のローマ皇帝カイザル・アウグストゥスに対する賛辞として、カイザリヤと付けた。

現在この辺りは別荘地帯になっており、またイスラエル唯一のゴルフ場がある。
カイザリヤの中心部分は遺跡のテーマパークのようになっていて、観光客で賑わっています。

さて、遺跡としてのカイザリヤは、十字軍の街と港を中心に半径1.2キロ位の南北に長い楕円形をしているのですが、楕円の西半分は海になっているので東側の半円部分が該当します。
円周部分にヘロデまたはビザンツ時代の城壁があり、その内側に遺跡が散らばっています。

北側には、ストラトンの塔の遺跡丘とユダヤ人居留区跡、第一次ユダヤ反乱の火付け役になったシナゴーグ(教会堂)らしきものがある。

中央には、前述した十字軍の街と教会、港の見張り塔などがある。
東側には、ビザンツ時代の街、広場、戦車競技場がある。

今回観光した南側には、半円劇場、ヘロデの宮殿、戦車競技場がある。
全部回るのは時間的に不可能なので、今回は南側だけです。

画像はカイザリヤを囲む城壁跡と思われます。
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まずは半円劇場です 32 29' 45.57"N 34 53' 28.79"E 。
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チケット売り場を抜けると目の前に劇場の裏手が見えます(画像)。
ここにはカイザリヤの模型が置いてあって全体を把握するのに役立ちます。

劇場では、演劇や剣闘士と猛獣の戦いなどが行なわれていました。
約500年に渡って使用され、その間多くの改修が施されています。
1960年代前半に発掘調査が行なわれました。
現在では夏になるとコンサートが開かれるそうです。

今日は、イスラエルの若い兵隊が大勢見学に来ていてちょっと緊張しました。

劇場の前には、劇場から発掘された物品が並べられています。
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ここからはエフェソスのディアナ像、婦人像、仮面風女性頭部、土製ランプ、土器、彫刻、碑文が発掘されています。

劇場の中に入りました。
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座席は縦に6つに区分けされていて、それぞれ13段の石段があります。
各区分けの座席の上方には、それぞれ出入り口があります。
中央に四角い部分がありますが、属州の総督が座りました。

石段の中には、「ポンティウス・ピラトゥス、ユダヤの代官」「ティベリウス帝記念神殿」と記された奉納碑石が再使用されていた。
ポンティウス・ピラトゥスはイエスに死刑判決を下したローマのユダヤ州総督で、彼がここに住んでいた事がわかる。

座席の最上段から舞台を見下ろした所です。
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人が立っている場所が舞台で、両脇に美しい漆喰装飾を施された壁龕(聖像を祀る壁のくぼみ)があった。
舞台下段正面は2世紀に改修されて、画像のように方形と半円形が交差する大理石で覆われた壁龕が付けられた。

観客席の下、直径30mの半円形の部分は貴賓席で、周囲には排出用水路がある。
床は花柄、幾何学模様、うろこ模様などが彩色漆喰で描かれていたが、2世紀の改修で大理石の敷石になった。
貴賓席の座席は小石を塗り固めた物だったが、後に石板で作られた。
ローマ時代後期には貴賓席の部分に水が溜められて、模擬海戦が行なわれた。

舞台の裏手に広がる半円形の台状部分は3世紀に付け加えられた。

画像右上方に連なる城壁は、ビザンツあるいは十字軍時代のものらしい。

舞台の配置は、海からの風を計算に入れて観客席に音が良く届くように設計されているそうだ。
気のせいか下からの呼び声は良く聞こえた。

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