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2017年12月

イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その15(タブリーズ アゼルバイジャン博物館)

マスジェデ・キャブード からアゼルバイジャン博物館へ。
入口の両側に羊の石像がある。どーでもいいけど。Dsc01515aアゼルバイジャンの民俗学、考古学に関する展示がある3フロアの小さな博物館。
アゼルバイジャン博物館は1958年に創設され、1962年にオープンしました。ブルーモスクの隣にあるイマーム・ホメイニ通りにあります。フランスの考古学者、アンドレ・ゴダールとイスマイル・ディバジによって設計されました。3つのギャラリーを持つこの博物館はこの国の最も重要な博物館の一つです。
最初のギャラリー、地上階には、紀元前5000年からサーサーン朝(212~656年)までの最古の遺物が残っています。博物館のこの部分の文化財は、女神、リュトーン、2人のスケルトン(女性と男性)とアッラーの石として知られている大理石の彫刻などです。
2番目のギャラリーは2つの部分から成っています。イスラム化以降の時代の展示と、コインとシールの展示です。イスラム時代の展示には、10世紀から19世紀までの遺物が含まれており、陶器、燭台、絨毯、陶磁器、錠前などがあります。このギャラリーのコインはアケメネス朝に始まり、ガージャール朝(19世紀)までです。展示されたシールと切手は、紀元前3000年、アケメネス朝、サーサーン朝、イスラム時代のものです。
3番目のギャラリーには、アハット・ホセイン氏によって作られた彫刻が展示されています。それらは石膏で作られ、20世紀の人間の運命に対する彫刻家自身の意思を表しています。博物館の隣にある庭には、いくつかの石像、碑文などがあります。
目についたものを撮影したのでアップします。
個人的にはお皿が綺麗なものが多く気に入りました。Dsc01487aDsc01488aDsc01489aDsc01490aDsc01491aDsc01492aDsc01493aDsc01494a_2
錠前Dsc01495aDsc01496aDsc01497aDsc01498aDsc01499aDsc01501aタブリーズ生まれのアハット・ホセイン氏の彫像群。
原始人の骨が爆弾?ミサイル?に変化しています。「2001年宇宙の旅」の1シーンを連想させます。Dsc01509aDsc01510a人口爆発を表している?Dsc01511a「死の5つの怪物」という作品。人間を襲う5つの首はそれぞれなにかを暗喩していそうです。Dsc01512aDsc01513a生誕から死までを表した「ライフ」という作品。Dsc01514a次は
タブリーズのバザールへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その14(タブリーズ マスジェデ・キャブード(ブルーモスク))

アルゲ・タブリーズ からマスジェデ・キャブードへ向かいます。carDsc01445a途中に修復中の建物があり、このような掲示がされていました。イラン・イラク戦争の際にイラク軍によって破壊された由緒ある建物の様でした。
「神の名において。
国家登録番号7498のsadaghianiの歴史的な家は、学校として使用されている間に、サダムの‎イラク・バアス党政権の航空機によって1985年6月4日に攻撃され、部分的に破壊されました。2013年には東アゼルバイジャンの文化遺産組織と協力してタブリズイスラム美術大学によって修復されました。
イスラム教の殉教者に平和がありますように。」Dsc01447aDsc01446a街中を車で移動。carDsc01449aDsc01450aDsc01451a9:30、
マスジェデ・キャブードに着きました。
1465年、カラコユンル朝のジャハーン・シャーによって建てられた15世紀を代表する美しいタイル装飾のモスク。しかし地震で壊れ、その面影は僅かしかない。現在修復中である。
ジャハーン・シャーは、主人であるティムール朝の衰退に乗じて勢力を拡大したが、配下のアクコユンル朝との戦いで戦死し、カラコユンル朝の衰退を招いてしまった人。
マスジェデ・キャブードは、カラコユンル朝の王族の為のモスクで、青いタイルで覆われていたことからブルー・モスクともいわれる。
ファサード(建物の正面)の碑文によると、モザファリエの建物の名前で、1465年に完成しました。また、碑文では、書道家のネマトゥラ・アイ・モハメド・エルバヴァヴァードの名前と、恐らくモスクの装飾のデザイナーが記述されています。
モスクや霊廟には、広大なマドラサ(学校)、浴場、図書館などがありました。残念ながら何も残っていません。
このモスクの建築物は、その内側と外側を覆うモザイクタイル、タイルとレンガの複雑な装飾模様で有名です。その為、イスラムのターコイズ(トルコ石)と呼ばれます。
ジャハーン・シャーの名前が入口の上に刻まれています。
モスクには大小の聖域、2本の細く高いミナレットがありました。大きな聖域は、アラビア文字、アラベスクと呼ばれる幾何学模様、ロイヤルブルーのタイルで装飾され、天井には金色の絵が飾られて小さな宮殿のようでした。
地下室に、ジャハーン・シャーとその家族の墓がありました。
1779年の地震は、モスクと街のほとんどを破壊しました。地震ののち、モスクは約180年間放置された後、大部分の修復は1964年まで行われました。
モスクのドームは、1973年から1975年まで、レザ・メマランという建築家によって再建されました。
マスジェデ・キャブードの入口。Dsc01452a中に入ると、重厚な回廊が続きます。Dsc01453aDsc01454a回廊の装飾。そんなに古いものではないかも。Dsc01457aマスジェデ・キャブードです。Dsc01458aタイルが剥がれ落ちてしまった壁面。今ではわずかに残るだけです。Dsc01478aDsc01461aDsc01459aDsc01462aファザード(入口)には、ブルーモスクにふさわしいタイル装飾がかなり残っていました。Dsc01463a群青とトルコブルー、金と白の繊細な組み合わせが、品の在る美しさです。Dsc01464aDsc01466bDsc01466cDsc01467bモスクの中は、荘厳そのもの。まだまだ修復されていない箇所は多いですが、必見です。Dsc01469a重厚かつ品のあるタイル装飾。往時はこれが全面を覆いつくしていたかと思うと圧巻です。Dsc01470aDsc01471aDsc01472aDsc01473a地震で崩れ落ちてしまった建物の断片。Dsc01474a地下。Dsc01476a_2大理石に刻まれたクルアーンの装飾文字がめぐらされています。Dsc01477a観光に来た若者。Dsc01479a外に出ました。Dsc01481aかつてはこのドームも青いタイルで覆われていたのでしょう。いつの日か見たいものです。Dsc01480a外には、12世紀の詩人、ハーガーニーの像が建っています。
ハーガーニーについては、タブリーズで亡くなった事以外良く知りません。
イランでは詩人が尊敬されていて、詩人の廟が各地にあります。Dsc01484a中々男前です。Dsc01485a市民憩いの場の公園から見たマスジェデ・キャブード。Dsc01486a10:40、出発、すぐ隣の
アゼルバイジャン博物館へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その13(タブリーズ アルゲ・タブリーズ)

四日目

ホテル、タブリーズ・インターナショナルの朝。
6:00起床。昨日は
イールゴリー公園のみの観光でしたが、今日は本格的にタブリーズを観光します。
7:30、ホテルのレストランにて食事。restaurantDsc01431aレンズ豆のスープ。Dsc01432aトマトとキュウリの定番サラダに、目玉焼き、ピクルス、ソーセージ、レンズ豆のスープ、果実入りヨーグルトなど。パンとナンにはバターとキャロット・ジャムをたっぷりつけて。Dsc01430a8:00、ホテルを出発。
8:15、
アルゲ・タブリーズ(タブリーズ城塞)着。
タブリーズはイルハン朝時代(13~14世紀)の首都だった。その第8代君主のオルジェイトゥ・ハーンが1310年頃に造らせたもの。マルコ・ポーロ一行は中国に向かう際と、イタリアに帰還する際の2度、タブリーズを訪れているが、このような建造物が他にあったのかどうかはわからない。
オルジェイトゥ・ハーンの時代は、東で対立していた大元国のフビライ・ハーン、オゴタイハーン国のカイドゥ・ハーンが死去した頃であり、再び東西交易が活発になった時代であった。また、世界遺産になっているソルターニーイェを夏の都として造営したのもオルジェイトゥ・ハーン。
モンゴル帝国内の平和が訪れた時に造営された城塞。いったい何のための城塞か。エジプトのマムルーク朝への備え?Dsc01433a高さは50mもあり、その大きさに圧倒されます。Dsc01436a元々はモスクとして造られたため、ミフラーブ(メッカの方角を示す窪み)があります。という事はこのまっすぐ先にメッカがある。Dsc01437aレンガが交互に飛び出していて、ひさしのようになっているのが変わっていると思いました。Dsc01438a壁面の一部に金具で取り付けられた幾何学模様の板があります。これは何なんでしょうか。Dsc01444a城塞の真下には、照明と、何に使うのかわからない重りがたくさん転がっていました。Dsc01439a裏側にまわると、モスクの名残のアーチがよく見えました。Dsc01440a城塞の真ん中には、いかにも城塞らしい円柱形の太い柱があります。Dsc01442aすぐ近くにはモスクがあります。Dsc01434aとにかく威風堂々とした感じの、アルゲ・タブリーズでした。Dsc01443a9:17、出発。次は
マスジェデ・キャブードへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その12(タブリーズ・イールゴリー公園)

キャンドヴァーン村から戻って、タブリーズのイールゴリー公園へ向かう。
タクシーを使った。carアゼルバイジャンの音楽を聞きながら景色を眺める。
14:22、
クルミの林のそばを通る。イランは日本の一般的なクルミの原産地で、クーセルカンという産地が有名だそうだ。
14:27、タブリーズの特産品、
蜂蜜の養蜂場のそばを通る。
14:40、タブリーズの市街地が見えた。Dsc01400a_214:55、ガイドのAさんが銀行立ち寄り。bankDsc01401aこの辺はマンションが多く、土地の値段が高いそうだ。Dsc01406aDsc01404a15:26、
イールゴリー(エルゴリ)公園着。タブリーズで一番大きな公園。carouselpony
できたのはなんと、1379年(アクコユンル朝時代)という古い公園だ。Dsc01409aそれにしても人が多いですね。若い男性と家族連れがほとんど。Dsc01410a四角形をした
人工湖があります。湖にあるのは、アゼルバイジャンの伝統的な建築だそうです。神秘的な眺めです!Dsc01411a湖の周りには遊歩道や遊具があります。休憩所ではこのように人々がおしゃべりしています。Dsc01412aバレーボールなどボール遊びをしている人が多いです。Dsc01413a家族連れも多くて、家族だけでくつろぐ姿が見られます。子供がかわいい!Dsc01414a公園に遊びに来た兄弟。Dsc01415a卓球やってますねー。真剣勝負です。Dsc01417a遊具で遊ぶ女の子。お父さんがくるくる回しています。Dsc01419a子供連れの家族。子供を見るお母さんの優しい表情。Dsc01420a仲の良さそうな家族。女性は赤いコートが多いですね。今年(2014年冬)の流行りなんでしょうか。Dsc01421a_2皆さん、本当に楽しそうです。イランの人たちのありのままの姿を見られて本当によかったです。Dsc01422a16:38、出発。
17:06、ホテル、タブリーズ・インターナショナル着。
小一時間、休憩します。画像は部屋から見た街の風景。Dsc01423a18:00、ホテルを出てレストランに向かいます。ホテルの外観。Dsc01424a食事の前に、日本に忘れてきたデジカメの充電ケーブルを買いに行きます。電気屋flairですぐに見つかりました。
20:12、レストラン着。まずはサラダrestaurantDsc01425a麦のスープ。Dsc01426aごくごく普通のパン。Dsc01427aチキン・キャバブ。今回の旅はカロリー控えめなチキン中心です。Dsc01428aホテルに戻ると、早速充電してみる。問題ないのでひと安心。
窓から外を見ると、夜景は思っていたよりも綺麗だった。Dsc01429a明日は
タブリーズ市内の観光です。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その11(タブリーズ・インターナショナル~奇岩の村・キャンドヴァーン)

三日目

ホテル、タブリーズ・インターナショナル
の朝。
6:30起床。シャワーを浴びて7:00だったのでのんびりしていたらもう集合時刻の8:00になってしまった。ガイドのAさんに謝って8:30出発にしてもらい、レストランへrestaurant
サラダに目玉焼き、豆のスープ。Dsc01344aホテルの外観。Dsc01345a8:30に出発。天気曇。carDsc01346aキャンドヴァーン村までは約50キロの道のり。アゼルバイジャンの音楽を聞きながらドライブ。
アゼルバイジャン人は子供のころは髪の毛が茶色だが、大人になると黒くなるそうだ。
9:08、陽が出てきた。景色がきれいだなあ。Dsc01348a9:25、キャンドヴァーン村着。壮観ですねえ。岩がにょきにょきしていて。岩の中に家がある。トルコのカッパドキアと同じだ。早速近くに行ってみましょう。Dsc01348cDsc01348bまずはトイレ休憩の為、岩でできたホテルへ。Dsc01349aDsc01350aわくわくしますね。Dsc01351aDsc01352a岩の中だけど設備は普通のホテルと変わらない。Dsc01355aシャワールームも清潔ですね。Dsc01353aここは一泊2人部屋100ドル、4人部屋180~200ドルとの事(2014年当時のレートで)。Dsc01354a居心地良さそう!Dsc01356a村の中。もっと洞窟みたいなイメージだったのですが、ドアがはめ込んであって割と普通の家みたいです。Dsc01357a階段や歩道もちゃんと整備されています。Dsc01358aDsc01359a猫がうろついています。人が住んでいるって事ですね。Dsc01360aホテルのレストランの中です。Dsc01361aDsc01362aDsc01363a外見だけだとなんの部屋だかさっぱりですね。Dsc01364aありゃ、行き止まりになってしまった。Dsc01365aここからだと岩山だという事が良く分かりますね。荒涼たる風景です。Dsc01366a民芸品の店!随分商品がたくさんあります。どれもカラフルで楽しいですねえ。黒い円柱形の帽子、トルコ帽と言うんでしょうか、が気に入ったのですが、買うのはやめときました。日本で被るのは勇気がいると思って。Dsc01367aお菓子みたいのをもらったんですがおいしかったですよ。Dsc01368a別の店。普通の商店みたいですね。ガイドのAさんは何を見ているんだろう。Dsc01369a蜂蜜でした!コクがあっておいしいです。他にラオシャイ(あんず)やシレナアングル(ぶどう)もありました。どれもおいしい。Dsc01370a上の方に上がっていきます。壁は石を積み上げて造られています。Dsc01371aここも土産物屋かな?手作りの商品が置いてあります。Dsc01372aギリンという糸を紡いで作るもののようです。Dsc01373a蜂蜜です!たくさんありますねえ。蜂の巣も売り物なんでしょうか。おいしそうです。Dsc01374aここは家をつくろうとしているのかな?Dsc01375a昔(今も?)の生活を再現している人形です。小麦粉をこねてナンを作っていますね。Dsc01376aこちらは先程のギリンを織っているようです。Dsc01377a更に上に登っていきます。何があるのか楽しみ。Dsc01378a普通の住居の様です。洗濯物を干していますね。こうしてみると家が岩の間に隠れるようにあって、メルヘンの世界です。Dsc01379aここは岩を削って四角い家にしていますね。扉が少し斜めになっているのが面白い。Dsc01380a岩とか廃品を組み合わせて家を作っているようです。生活感があっていいですね。Dsc01381a岩のピンク色を生かして小綺麗に作ってあるのがいいです。Dsc01382a_2こちらの岩は納屋かな?Dsc01383aドラム缶に照明を突き刺していますね。色々工夫の跡が見られます。Dsc01384a犬の鳴き声がすると思ったらいた。犬小屋も洞穴。Dsc01385a細い道がうねうねと。ちゃんと電柱があるところがすばらしい。夜道は危険そうですからね。Dsc01386aベランダもありますね。住みやすいように工夫してるんですね。Dsc01387a観光客が徘徊しています。みんな興味しんしん。Dsc01388aお土産屋さんのじいさまを撮らせてもらいました。ありがとう。Dsc01389aそそり立つ岩肌。迫力ありますねー!Dsc01391a家畜も飼われています。単なる観光地じゃなくて、みんな普通に働いて生活しているんですね。Dsc01392aすばらしい岩の町を堪能しました。Dsc01393a12:13、お腹が空いたから最初に立ち寄ったレストランへ。
イランの国産車。サマン(茶色の馬)というそうだ。Dsc01394a12:25、レストラン着。restaurantサラド・シラーズィーはトマト、キュウリにレモン汁をふりかけたもの。トーシはブディキャラ(ブロッコリー)、キュウリ、人参の炒め物。あとヨーグルト。Dsc01396aアープ・グーシュトという料理。ちぎったナンの上に羊肉、豆、イモのスープをかけて、すり鉢と棒ですり潰して食べる。Dsc01397aDsc01398aDsc01399aイラン・イラク戦争の経験者の方(60歳)がいた。色々話を聞いた。
兵役は2年は義務。それ以上兵役に就くと子供の兵役義務期間が減免される。兵役に就いた為、当時24、5歳で結婚するところが34歳で結婚したそうだ。日本じゃ34歳の結婚は普通なんだけどなー。Dsc01395a14:09、出発。タブリーズのイールゴリー公園へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その10(アラムート~テヘランメヘラーバード空港~タブリーズ・インターナショナル)

アラムート城 を出発してレストランに向かう。
13:40、レストラン、ハットゥティに入る。restaurant

Dsc01333aナンとヨーグルトDsc01327aキャバクビデ(羊のひき肉)・キャバブとチキン・キャバブDsc01328a大盛バター・ライス。もうお腹いっぱい。Dsc01329aかぶりつくドライバーB氏Dsc01330aDsc01331a紅茶でくつろぎのひととき。Dsc01332a14:50、ガズウィーンに向け出発。car
15:59~16:05、水飲み場で休憩。
16:43、ガズウィーン市に戻る。そのままテヘランへ。
18:37、テヘラン着。
18:55、テヘランの
メヘラーバード空港着。Dsc01334aDsc01335a19:04、空港のレストランにて食事。restaurantサラダと、Dsc01336a煮込みチキンとサフランライスDsc01337a19:30、チェックイン~セキュリティチェック。
19:50、出発ロビーに入る。
20:10、タブリーズ行国内線に搭乗。窓際の席。
20:32、離陸。airplane
21:35、
タブリーズに着陸。Dsc01339a21:51、スーツケース回収。
21:57、空港を車で出発。car

タブリーズはイランの北西に位置する都市で人口約150万(イラン第4位)、東アゼルバイジャン州の州都で、ロシア、アルメニア、アゼルバイジャンと国境を接している。住民の大部分はアゼルバイジャン人。
主な産業は、石油化学工業、軽機械工業、鉄鋼業、皮革産業、ペルシャ絨毯の手工業。イランの5大経済都市の一つ。
月別の平均最高気温は33度、平均最低気温はマイナス7度。年間降水量は310ミリ(東京は1500ミリ)。
歴史は古く、多くの王朝の首都であった。歴史的事件の表舞台にもなった。
アケメネス朝帝国時代(紀元前6世紀~紀元前4世紀)には小さな町があった。
サーサーン朝時代(3世紀)に発展した。
アルメニア王国時代(3世紀)にタウリスと呼ばれた。
イル・ハン朝時代(13世紀)には首都になった。
カラ・コユンル朝(14世紀)の首都になった。
アク・コユンル朝(15世紀)の首都になった。
16世紀、サファヴィー朝が成立した場所で、首都になった。
何度かオスマン朝帝国に占領された。
半植民地状態の20世紀初頭に、イラン立憲革命が起ったが、ロシア軍がタブリーズの立憲派を壊滅させて失敗に終わった。
1920年、イランの自主独立を求めてアゼルバイジャン民主党のヒヤーバーニーがタブリーズで蜂起したが、失敗に終わった。
私がタブリーズを訪れた理由は、ここがマルコ・ポーロの通過したと思われる場所だからです。
東方見聞録に記述があります。
book
「トーリスはイラクと称する地方にある一大都市である。もちろん、このイラクには他にも多くの都市・町村があるが、トーリスの由緒ある立派さに及ぶものはない。以下この都市について述べてみよう。
トーリスの住民は商業・手工業を生業とし、高価な各種の絹布・金糸織を製造する。この
町は交通上の要衝を占めているので、インド、バウダック(バグダッド)、モスール、コルモス(ホルムズ)をはじめ、その他の各地から貨物が輻輳するし、またこれら諸外国から集まる商品を仕入れる為にラテン商人、とりわけジェノアの商人が多数ここにやってくる。またこの地には宝石類が豊富だから、すばらしいのを買い込むこともできる。とにかくトーリスの町は、遠距離貿易に従事する商人にとって、大きな儲けどころなのである。
住民はつまらぬ人間ばかりで、宗教もまちまちである。アルメニア派のキリスト教徒もいればネストール派・ヤコブ派・ジョルジア派のそれもおり、ペルシア教徒もイスラーム教徒も混住している。ただしイスラーム教徒はもっぱら都市の住民で、トリシンと呼ばれている。
この町の周囲には、見た目にも美しく快い果樹園が布置し、みごとな果実が枝もたわわに実っている。トーリス城内のイスラーム教徒というのは、とても人が悪くて信用できない。(注:しばらくイスラム教徒の悪口が続く)
トーリスの町からペルシア国までは十二日行程の距離が隔たっている。」

まさにこの記述の通り、タブリーズは交通の要衝にあり、古くから大規模なバザールが存在して各地から商人が集まる場所であった。

ホテル、
タブリーズ・インターナショナル着。Dsc01340a_3シックな雰囲気の部屋。宗教画が掛けられている。気に入った。Dsc01341aDsc01343aシャワールームも清潔だ。Dsc01342aおやすみなさい。明日は奇岩の村、キャンドヴァーンへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その9(アラムート城・その3)

念願のアラムートに来たわけですが、その理由と言うのもマルコ・ポーロの東方見聞録に3章もの紙面を割いてアラムートの話が記述されているからなのです。
では、
東方見聞録に書かれている事は真実なのでしょうか?ちなみに東方見聞録には「マルコ・ポーロ氏が多くの人々から語り伝えられたままに」と書かれており、マルコ・ポーロが現地に行っていないのは明らかである。
井筒俊彦氏は、講演記録「イスマイル派「暗殺団」-アラムート城砦のミュトスと思想」の中で、はっきり「嘘」と述べています。その理由は次の通りです。
まず、13世紀にアラムート城陥落後に現地を実地調査したイランの歴史家ジュヴァイニーの著書「成吉思汗(チンギス・ハーン)伝」を読めば明らか、と書いています。恐らく、東方見聞録の「両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り」の「庭園」などなかったのでしょうか?
また、東方見聞録の、暗殺者にするべく楽園に連れ込む際に若者に盛った薬はハシシュ(大麻)だとしていますが、それは洋の東西を問わずアラムートの物語の中心には必ずハシシュが出ている事、これらの物語から、暗殺者を表すアサッシン assassiniの語源は麻薬常用者ハシーシー hashishiのヨーロッパ語化された形である事が理由と述べています。その上で、綿密な計画に従い己を失うことなく最後まで暗殺という仕事をやり遂げる事が、麻薬常用者には無理である事、ハシーシーとは麻薬常用者という意味だけでなく、暗殺団の常軌を逸脱した行為に対するイスラム教徒の憎しみの表現であり、実際の意味は社会の嫌われ者、人非人であったという事です。つまり、暗殺者候補の若者に薬を飲ませた事実はなかった、という事らしいです。
また、彼ら暗殺者の、ニザール派教団内での呼び名はフィダーイーであり、その意味は己の生命を犠牲にして己の尊敬する人、ここではイマームや「山の老人」、に忠誠を尽くす人、という意味があるそうで、この事からも、暗殺は天国での快楽を求めて行ったわけではなく、イマームや「山の老人」への忠誠心から、という方が妥当である事らしいです。
このように、東方見聞録の記述は、当時の人々がベールに包まれたニザール派教団内部を空想して作り上げた物語と言う疑いが濃厚です。
では、
アラムート城砦にいた人々(ニザール派)は実際にはどのような人々だったのでしょうか?
それにはまず
ニザール派がどのようにして生まれたのか、と言う点を記述します。
イスラム教は7世紀初めころにムハンマドにより創始された。ベースはユダヤ教とアラビアの土着信仰。元来イスラム教は血統を否定し、神の前ではいかなる人も平等であり、信仰心と敬虔さ、慈愛を重んじる。取り決めは神の言葉であるクルアーンと共同体の合議で決定する。ムハンマド死去後は、共同体のリーダーとして、神の預言者ムハンマドの代理人たるカリフを選出した。
しかし、7世紀後半、4代目カリフのアリーに有力部族ウマイヤ家が反発した事でイスラム教はシーア派とスンニ派に分かれた。シーア派はアリーの子孫だけが神から聖別され、ムハンマドの持つ神の霊性を引き継ぐ神聖な存在、イマームであり、イマームがイスラム共同体の指導者であらねばならず、クルアーンの法的解釈を含めた大きな権限を持つと主張した。一方、スンニ派は保守派であり、ムハンマドとクルアーンだけが絶対的かつ神聖な存在であり、ムハンマドの後継者は今まで通りカリフ(単なるムハンマドの代理人)であるとした。
8世紀半ば、シーア派は7代目イマームの座をめぐり、十二イマーム派とイスマイル派に分かれた。十二イマーム派は穏健派でスンニ派寄り。シーア派の主流であり現代のイラン人の大部分が属する。イスマイル派は急進的な過激派であり、イマームをより神に近い存在として熱狂的に信仰し、神秘的秘教的な面を持つ。当初はメッカを襲撃するなど各地で略奪・殺戮を繰り返したが、行動自体は次第に穏健になり、勢力も拡大して10世紀、チュニジア、エジプトを中心とするファーティマ朝帝国を築いた。そこでは世界最古の大学による学問の研究が行われ、イスラム文化の興隆に寄与した。
11世紀末、イスマイル派はファーティマ朝の跡目争いからムスタアリー派とニザール派に分かれた。勝利したムスタアリー派はシリア以西、ニザール派はイランを中心に活動した。
敗北したニザール派はその後どうしたのか
イマーム・ニザールの側近でアラブ人のハサニ・サッバーフ(第1のハサン)は、ニザール派の中心地となる場所を求めて中東を旅した。そしてついに、イランの山中に理想の場所を見つけた。そこは峻険な地形に囲まれた巨岩からなる城砦であり、その地方の住人は好戦的で反体制的気質だった。その場所アラムート城に、ハサンはイマーム・ニザールの孫を新たにイマームとして迎えて独立政権を創った。
ニザール派においては、イマームは天上の神が顕現化した存在だった。太陽そのものではないが、太陽の光と同等の存在。イマームは限りなく神に近いがゆえに、神の言葉であるクルアーンや、神の啓示を受けた預言者とは言え一人の人間に過ぎないムハンマドを上回る存在。保守的なスンニ派や十二イマーム派から見れば完全な異端で、当然敵対関係になる。
では、多数派の彼らに対抗する
ニザール派の組織はどのようなものか
ニザール派の組織は階層構造になっている。神の前では皆平等という訳ではない。秘教なので、上に上がるに従い教団の奥義が段階的に伝授されていく。
まず頂点に立つのはイマームだが、彼が教団の実務を行っているわけではない。イマームは存在する事に意味があるので、何もする必要がないのだ。奥義を知る必要もないし姿を見せる必要すらない。
事実上の最高指導者は、最高伝教師。ハサニ・サッバーフがこの地位にあった。「山の老人」とは最高伝教師を指す。暗殺者の育成も行う。一時的に最高伝教師がイマームを僭称した時期もあった。
その下にいるのは、上級伝教師。各担当地域の布教活動を統括する。
その配下にいるのが多くの一般の伝教師。実際の布教活動を行う。
その下が一般信徒になるが、一番上がラフィーク(同輩)。奥義の一部を伝授されている。
その下がラーシク(付着者)。イマームに絶対的忠誠の誓いを立てて入信しているが、奥義はほとんど伝授されない。
最下位がフィダーイー(献身者)。奥義の知識は何もなく、ただ伝教師の指示に従い暗殺や攻撃を行う。
伝教師による一般庶民の教化が主活動だが、教化の邪魔になる人間はフィダーイーを使って暗殺する、というのが裏の活動なのだろう。また、要人暗殺は教団の存在感を高める為に行われたのかもしれない。

ニザール派の思想はどのようなものか
イマームが神に限りなく近く、クルアーンやムハンマドをも超える絶対的な存在だったのは前述の通り。イマームの教えなくして人々は真実を知ることができない。
また、イスラム法(シャリーア)に反する思想を持っていた。クルアーンやムハンマドの言行録に基づくイスラム法はイスラム教徒の行動の規範であり、なくてはならないもの。例えば、一日5回の礼拝は、イスラム教徒が神とともにいる時間であり、その為に必要な行為である。しかし、ニザール派では、信徒の霊的復活により、信徒は礼拝の儀式なしに常に神とともにいる事が可能になるとした。これは、神とともにいる為の取り決めであるイスラム法の全面否定、棄却を意味する。霊的復活とは、信徒が地上的存在ではなくなり、天上的存在として蘇る事を意味する。実際、12世紀半ばに、4代目の最高伝教師が復活の儀式を行い、イスラム法を棄却する事件が起きた。イスラム教徒にとって禁忌とされている事が全て可能になったのだった。それは、13世紀前半、6代目の最高伝教師がイスラム法を復権するまで続いた。
13世紀以降、ニザール派は次第に穏健化していく。それは多分に6代目の最高伝教師の反イスマイリズムの思想がきっかけだったが、イランに強力な政権を打ち立てたスンニ派のホラズム・シャー朝の圧力が大きく影響していたかもしれない。

アラムートの最後はどのようなものだったか
book
「頃はキリスト降誕暦1262年の前後であった。「老人」のこれまでの悪行一切を知った近東タルタール領主アラウは、どうあっても彼を平定しようと決意した。そこで彼は数ある重臣の一人を選び、これに大軍を授けて「老人」の城塞に向わしめた。この軍勢は城塞を攻囲する事三年あまりにしてようやくこれを占拠した。もし城塞内にもっと兵糧があったなら、これくらいの日数では陥落しなかったであろう。しかし攻囲三年にして城内の兵糧は蕩尽したので、城塞は陥り「山の老人」、すなわちアラオディンはその部下と共に挙げて誅滅されたのである。…それとともに、かつて「山の老人」によって実施せられた忌まわしい統治もここに終わりを告げたのである。」(東方見聞録)
モンゴル帝国のフラグ率いる中東方面軍は、1256年から侵攻を開始し、12月にはアラムート城は陥落した。主な城塞は全て陥落したが、ニザール派のイスラム共同体は広範囲に存在していたため、全滅は免れた。ニザール派は現在も存在しており、信徒数約数百万。もちろん昔日の暗殺テロ行為は行われておらず、ただ秘教システムのみが残っている。


参考・引用文献:


書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社


書名 :井筒俊彦全集 第9巻
著者名 :井筒俊彦/著
出版者 :慶應義塾大学出版会

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その8(アラムート城・その2)

ガズヴィーン郊外のアラムート城の登り口。
これからいよいよ登り始める。最初はなだらかな道。雪もない。のどかな気分で歩きはじめる。鼻歌でも歌いながら。Dsc01287aしかし、巨岩に近づくと道は急になっていきます。雪も出てきます。しかもシャーベット状(笑)。一抹の不安が。Dsc01288ajpgおっ!階段だ。助かったぞ!Dsc01289a_2いやあー!勘弁してー!凍った雪が階段にへばりついています!何とかスニーカーで踏みしめながら歩けるレベル。階段じゃなくて地面を歩いたほうがましだった。Dsc01290a巨岩がせせりだしています。それを巻くように道が付いています。平坦な道になったのでほっとしています。Dsc01291a巨岩に巻き付いた道がうねうねと続くのが見えます。こんな道では大軍でも攻めあぐねたでしょう。難攻不落なわけです。道は思ったよりも雪が(氷が)少ない。やった!Dsc01292aしかし結局こうなるんだよなあ!この急角度。上まで行けるのか心配になってきた。無雪期だったらなんてことはない道なんですが。Dsc01293aアラムート城の巨岩。上から狙い撃ちですわ。Dsc01294a何か建物が見えてきたが、この道。完全に凍ってる。これ軽アイゼンがないと無理ですわ。ここから滑り落ちたら谷底へ転がっていく。Dsc01295aこれでもかと試練が続く。ガイドのAさんに支えてもらいながら、頼りない柵のようなものを掴みながら、なんとか少しずつ登っていく。Dsc01296a途中途中にこのような修復中?の遺構があります。この壁で敵を防いだんだろうなあ。Dsc01297a道は更に続きます。ただ雪の深さが増したおかげで歩きやすくはなりました。Dsc01298a巨大な城郭。こんな絶壁の上によくぞ建てたものだと感心する。asbi khane(通称:馬小屋)と呼ばれる岩を穿った長さ12.5m、高さ3.1mのトンネルがある。南側ではガザルダシュ(地名?)を見下ろせる。Dsc01299a途中、工事現場の番小屋らしきものがあった。Dsc01300a別角度から城郭を見る。ベースは本当に一枚岩だ。これでは崩すこともできないよ。Dsc01302aモスクの北門がある。5.8mの幅を持つモスクの中央部の入り口。様々なレンガの装飾を施した2つの側壁がある。この入口には壊れた断片が残っている。ベースの壁はセルジューク朝期(10世紀~12世紀)でその上にサファヴィー朝期(16世紀~18世紀)の遺構あり。もしかしたらここにイマームや「山の老人」の居室があったのだろうか?Dsc01303a見ての通り、2層になっている場所もある。岩の形に合わせて城郭を構築したのだろう。城郭の内部も移動しやすいようになっている。Dsc01305a城郭の間の通路。上に上がっていきます。Dsc01306a城の北端に出た。この部分は水槽、塔、壁、避難所、防護室が穿たれた階段でつながっている。防御壁と戦闘室があります。遠くにイランの国旗がはためいている。Dsc01308a恐らくこれが水槽だろうか?長さ13メートル、幅3メートル、奥行き4メートル。Dsc01307a他にも岩に穿たれた巨大な穴がある。イマームは天上の神に近い場所にいたのかもしれないから、居室もあったのかもしれない。想像が膨らむ。Dsc01309aDsc01310aこの丸い穴も良く分からないなあ。最近の物?Dsc01315a防御のための壁が連なっています。それにしても周りの景色も絶景!Dsc01313a当時はもっと立派な壁や塔が立ち並んでいたんだろう。Dsc01314aドライバーのBさんにおだてられ、一番高そうな場所に立ってみました。こ、怖い。と言うか、こんな細長くて高い場所、誰が攻めるのー!Dsc01320a両サイドは絶壁だしー!Dsc01318aひいい!怖い!落ちたら死ぬ。結構高度感ありますよー!Dsc01322aそれにしても雪に覆われたアルボルズ山脈の綺麗な事。ほんと絶景だわー!Dsc01317a麓の集落はガザルハン。マルコ・ポーロが東方見聞録で言っていた、「両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り、…彼がこの宮苑に現出せしめたかかる光景こそは、マホメットがその教徒に説いた天国の境地、すなわち天国に生まれたるものは葡萄酒・牛乳・蜂蜜・淡水の流れを眺め、思いのままに美女を手に入れ心行くばかりの快楽に耽ることができるという、まさにその通りのありさま」の庭園というのは、この峡谷のどこにあったんだろうか?Dsc01311aこの道を登ってきたんだな。まあクルマだけど。下から見るよりは高さを感じます。Dsc01312a城上部の主門の遺構。セルジューク朝期(10世紀~12世紀)のベースの上に、サファヴィー朝期(16世紀~18世紀)のレンガで作られた石段と6つのアーチがあります。入口と石のアーチの両側に2つの八角形の石柱がありセルジューク朝期のものです。Dsc01323a当時の主門はこんなイメージ。モンゴル軍、アラムートを攻めるの図。Dsc01324a城塞の上にいるときは考えてもいなかったが、凍結した斜面って登るときよりも降るときの方が怖いんだよねー!もういやだー!Dsc01326a無事車までたどり着きました。13:05出発。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その7(アラムート城・その1)

ガズヴィーン からアラムート城の登り口までやってきた。
11:03、車はここまでしか入れない。車を降りる。
Dsc01285aここは案内所か何かだろうか?冬は閉鎖しているみたいだ…。Dsc01286aここで、アラムートが東方見聞録にどのように記述されているのか、見てみよう。
book「ムヘレットはその昔、「山の老人」の住んでいた国である。…以下マルコ・ポーロ氏が多くの人々から語り伝えられたままに、この老人の話を残らず述べる事にする。
…両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り、…彼がこの宮苑に現出せしめたかかる光景こそは、マホメットがその教徒に説いた天国の境地、すなわち天国に生まれたるものは葡萄酒・牛乳・蜂蜜・淡水の流れを眺め、思いのままに美女を手に入れ心行くばかりの快楽に耽ることができるという、まさにその通りのありさまだったからである。…
ところでこの宮苑に入る事を許される者は誰かと言えば、それはただこの老人が見込んでそれを刺客に仕立てようとする若者だけに限られていた。
…老人は昏睡する若者たちをくだんの宮苑内に移し入れ、しかる後目覚めるのを待つのである。
若者たちは眠りから覚めると、…さてこそ自分たちはまさしく天国に来たのだと信じ込む。美女たちはかたわらに侍って音楽を奏し歌を歌い、珍味佳肴の饗宴に給仕する。若者たちはこれら美女を相手に存分の快楽を享受する。…この宮苑を去りたいなどとはつゆほども望まないのである。…
老人が部下をどこかに派遣して誰かを暗殺せしめようとする場合、…薬を盛られた若者が昏睡状態に陥るのを待って、彼らをその宮廷の中に運ばしめる。
若者たちは眠りから覚めると、…大いに驚き、必ずがっかりする。
…「山の老人」は…刺客達に向ってこう諭告する。「もう一度お前たちをあの天国にやってやりたいと思うから、特にお前たちを選んでこの使命を託するのだ。さあ行け。ただ某々を殺しさえすればよいのだ。万一お前たちが失敗して死ぬような事があっても、そのまままっすぐ天国に行ける事は疑いない」
…刺客達は、…何事であれ老人の命ずるままにそれを遂行する。
かくして老人に狙われたが最後、だれであれその死を逃れる事はできなかった。数多くの国王・領主たちが老人に殺されはしまいかと恐れるのあまり、彼に貢物を納めて友好関係の維持に汲汲としていたのは紛れもない事実だったのである。」

ムヘレット国とは11~13世紀、アラムートを根拠地とし北イランを領域としたムラーヒッド朝というイスラム国家を指す。多くの刺客を抱えていたのも事実で、数多くの国王、領主がその毒牙にかかった。主要な国王・宰相だけでも120年のうちに14名。中にはセルジューク朝の大宰相、ニザーム・アル・ムルクや、十字軍のトリポリ伯レイモンド、エルサレム王コンラッド・ドゥ・モンフェラという大物もいる。
ではなぜ刺客をもって次々と各国の元首を狙ったのか。
それはムラーヒッド朝の根幹となる宗教と関係がある。ムラーヒッド朝は最高指導者が教主である宗教国家だが、その宗教はニザール派といい、イスラム教シーア派の一派、イスマイール派のうちシリア・イランに勢力を伸ばした宗派であった。イスラム教とはいえ、多数勢力であるスンニ派から見ればシーア派というだけで眉をひそめるのに、シーア派の中でも過激な思想を信奉しており、スンニ派やシーア派穏健派から見れば異端としか言いようのない宗派だった。
何が異端とされたのかというと、詳しくは後述するが、イマーム(シーア派から見たイスラム教最高指導者)と呼ばれる教主を天上の神が地上に顕現されたものとして扱い、それゆえ神の預言者、つまりは単なる人間にしか過ぎないイスラム教の創始者ムハンマドより上に置いた事による。預言者ムハンマドと神の言葉であるクルアーンを唯一絶対的なものと信じるスンニ派には受け入れがたい事だった。シーア派穏健派から見れば、イマームの存在は認めるものの、イマームがほとんど神と同じ存在という所には抵抗がある。イマームはムハンマドの血脈としてその霊性を受け継ぐ者であり、神ではないのだ。
そんな異端の彼らが生き残り、派閥を拡大していくには、堅固な要塞に立て籠もり、その教えは秘教として隠匿する必要があった。そして彼ら以外の宗派、キリスト教は言うに及ばずスンニ派もシーア派穏健派も、聖なる彼らにとっては聖に反するものであり、敵であった。
そのような状況で布教するには、敵の宗教の庇護者を暗殺し、他宗派の民衆に畏怖を与える事が必要だった。従って暗殺の目標の多くも、キリスト教徒というよりはスンニ派やシーア派穏健派の中心人物になった。聖地奪還に燃えるキリスト教徒は改宗せず、当然のことながら同じイスラム教徒の方が改宗させやすかったからである。このようにして他宗派の民衆を取り込んでいったのである。その為、ムラーヒッド朝は暗殺を目的としたのではなく、より多くの民衆を教化し、勢力を拡大する手段として暗殺を行ったのである。
また、東方見聞録に、刺客となる若者を昏睡させる薬が出てくるが、これはハシシュという大麻だと言われている。一方暗殺者の事をアサッシンassassinと言うが、これはハシシュhashishが語源になっているとされている。東方見聞録に出てくる話は、当時から西洋で広く流布されており、この話からアサッシンという言葉が生まれた。
彼ら暗殺者は、目標となる人物が住む地域の言葉、習俗、宗教を教え込まれ、時には召使として、時には修道士になりすまし時機が到来するまでじっと待ち続けるのである。その間、周りの誰も暗殺者だとは気付かない。そして緻密な計画のもとに確実に目標を暗殺する。
「山の老人」はアラムート城から一歩も外に出なかったとされる。その素性が全くわからない「山の老人」。そしてその配下で動く無数の暗殺者たち。「山の老人」が、諸国の王から恐れられたとしても不思議ではないし、実際東方見聞録に記載されているような話が西洋で広く知られていた事からも、相当不気味な存在としてとらえられていたのは確かである。
その「山の老人」が、イスラム諸国を巡り歩いてこここそニザール派の本拠地にふさわしいと居を構えたのがアラムート城なのだ。一枚岩の巨岩からなり、周りには深い谷、守るのにここ程適した場所はなかった。そしてここがニザール派にとっての世界の中心、周りの勢力にとっては恐怖の中心になったのだ。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

書名 :井筒俊彦全集 第9巻
著者名 :井筒俊彦/著
出版者 :慶應義塾大学出版会

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その6(ガズヴィーン~アラムート城)

二日目

ガズヴィーンのホテル、アルボルズの朝。
:30に起きてしまった。
今日は近郊の
アラムート城に行き、そのままテヘランに戻ってそこから国内線でタブリーズに行く。
6:30までには荷造りを終えた。我ながら迅速な行動。
7:00、ホテルのレストランにて朝食。restaurantホテルのレストランはこじんまりとしているが居心地が良い。Dsc01256a朝食はお決まりのものだ。クレープのように薄いナン、ラヴァーシュ(これが大好き)、トマト、キュウリのサラダ、ハム。飲み物はコーヒー、紅茶。Dsc01255a8:00、ホテルを出発。天気はすこぶる良い。sun幸先がいいぞ。車は北東のアルボルズ山中を目指していきます。今日行くのは、アラムート城の7つの城塞のうち、ガザルハンという最も一般的な場所です。Dsc01257aところで、今回なぜ私がアラムート城を目指すのか、その理由なのですが、それはマルコ・ポーロの東方見聞録に、アラムート城とそこの支配者であったイスラム教イスマーイール派の一支派、アサシン(暗殺)教団で知られるニザール派の指導者と、世にもおぞましいその行いが書かれているからです。
マルコ・ポーロは一般的にはアラムート城に立ち寄っていないと言われていますが、どこかでその話を伝え聞いたのでしょう。それはガズヴィーンのあたりを通過した際か、もっと東のホラーサーン地方を北上中に通過したニザール派の拠点でなのか。とにかく彼は、東方見聞録に3章を割いて、詳細に書いているのです。これは無視する訳にはいきません。東方見聞録を片手に立ち寄るべきです。book
8:35、車は早くも山道に入っていく。穏やかな冬の朝。Dsc01258a8:42、所々雪が出てきた。予想外だ。トルコ旅行の時みたいにひやひやしながらドライブか?Dsc01259a9:00、寒くなってきたので、下着を保温用下着に着替えた。Dsc01260a_2Dsc01262a周りはリンゴやクルミの果実畑だ。車の中では、宗教革命前に映画の音楽を歌っていたブフシーという歌手の歌が流れている。結局イラン政府の意に沿わず、アメリカに亡命したそうだが。
それにしても雄大な景色。純白のアルボルズ山脈の高山帯を背景に、枯れた山々がなだらかに広がる。
これぞ絶景!shineDsc01261aDsc01264aDsc01265a9:20、ぽつねんと集落が見えた。Dsc01266a_29:28、ラジャイダイシを通過。Dsc01267aDsc01268aまたもや雄大な景色の連続!刈り入れを済ませた畑だろうか、真っ白の山を背景に丘の上は切り貼りしたかのような模様。冬のイランもいいものだ。Dsc01269aDsc01270aDsc01271aDsc01272aDsc01273a10:00、農民に道を聞く。この時期暇なのだろうか。怪訝そうにこちらを見る。Dsc01275aアメリカへ行ったハイデという女性歌手、アフマディネジャド前大統領のお気に入りだったサハラルリという男性歌手の曲が流れる。快適なドライブだ。car雄大な景色は尚も続き、アラムート城への期待が高まる。Dsc01276aDsc01277a10:09、再び村の老人に道を聞く。
10:20、アラム村の集落に着いた。結構大きいぞ。Dsc01278aDsc01279aDsc01280a10:36、老人に道を聞く。
10:40、再び老人に道を聞く。大丈夫か?本当に着くのか?Dsc01281a11:00、ガザルハンの集落に着いた。女性の服装もペルシャ湾岸とは違うね。まあ気温が全然違うからね。Dsc01283a
ついにアラムート城が見えました。あの大きな岩山を登っていくのか…。でも雪はないみたいだし大丈夫か。
驚くべき事に、この山は一つの岩からなっている。
そして各国の要人暗殺と民衆教化によって世界を支配しようとした教団にとって、この山は宇宙の中心であり、あらゆるものがこの山から創造される。この山の頂には神がこの世に顕現した姿であるイマームがおり、天上の神と接触しているからだ。これから登ろうとしている山は、まさに聖なる山。
Dsc01284a

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2001年宇宙の旅:メビウスモデル 1/144ディスカバリー号 発売

メビウスモデルの1/144スケール宇宙船ディスカバリー号が届きましたlovely
ディスカバリー号のプラモデルキット化は初めてではないでしょうか?
パッケージの絵も個人的に好みで、わくわくします。
2001年宇宙の旅Dsc03120aキットのパーツ数はかなり多い印象です。居住部と推進部をつなぐ背骨のパーツ数が多いのです。
居住部の内部はキットには含まれていませんが、コントロールセンターの窓とポッド格納庫のドア部分に穴が開いているので、根性があれば内部の作りこみも可能です!
金属製シャフトも付いていて、背骨が中折れしません。
Dsc03121a参考までに、説明書の画像です。アンテナ部分も満足のいく精度です。Dsc03122aDsc03124aあとはいつ制作着手できるかです…coldsweats01

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その5(ガズヴィーンのバザールとマスジェド・オン・ナビー、サアドッサルタネの複合施設~ホテル・アルボルズ)

マスジェデ・ジャーメからガズヴィーンのバザールへ向かいます。
途中迷路のような路地に入りながら。おいおい大丈夫か。Dsc01217a16:35、
ガズヴィーンのバザールの入口に着きました。
なぜか日時計の在る立派な入口。ただバザールの規模はそれほどでもありません。Dsc01218aこのドームはマスジェデ・ジャーメのドームなのだろうか?Dsc01219aイラン版招き猫?猫に見えませんね。でもこのヘンテコな雰囲気がいい。Dsc01220a彩り豊かな果物市場banana。山積みの光景がバザールらしいです。わくわくする光景です。Dsc01221a魚と卵。卵は日本では珍しい15個入りケースです。魚は良くケバブにされるやつかな。Dsc01222a野菜市場。とにかく野菜の数が半端ないです。キュウリは置ききれないのか、目立たせたいのか、道の真ん中にも置いてあります。邪魔だー。Dsc01223aバザールを外から見ると、いくつかのドームがあります。Dsc01224a衣料品市場。店の前はきれいにしないとね。掃除掃除。Dsc01225a明かり採りのドームを見上げた所。イスラムは幾何学模様が好きですね。美しいです。Dsc01226aドームの真下。ドームの薄明かりが広がっているのがわかります。まあ、電球にはかないませんが。Dsc01227a_2こちらはドームじゃない、無理矢理明けたような穴になっています。おい、あんまりジロジロ見るなよ。Dsc01228a彷徨い歩くうち、廃屋のような場所に出ました。中庭を中心にした隊商宿のようにも見えます。違うかな?Dsc01229a年代物の部屋ですね。入り口にプレートと番号が張り付けられているのは何なんだろう?宿の部屋番号か?Dsc01230aここは修復中なのかもしれません。Dsc01231a人が住んでいるようにも見えます。扉だけが真新しい。ところでバザールはどうなったの?Dsc01232a再び衣料品市場。迷路の様でどこがどこにつながっているのやら。Dsc01233aイスラム寺院、
マスジェド・オン・ナビーに来ました。バザールのすぐそばにあります。買い物とお祈りを一緒に済ませるのでしょう。イスラムのバザールは日本の門前町みたいですね。Dsc01236aなかなか美しいドームと装飾です。Dsc01235aバザールの外に出ました。まるでNHKの世界ふれあい街歩きですね。Dsc01234aと思ったら、再び小路に入っていきます。奥に何か見えます。Dsc01237aサアドッサルタネの複合施設です。元々19世紀のガージャール朝時代にできた隊商宿を修復してできた、とても広大な商店街です。修復されたばかりで実際に店が入っているテナントは少ないです。Dsc01238a修復前のこんなボロボロの扉がありました。木製の扉に立派な扉の壁紙を貼っています。詐欺だなあ。Dsc01239a陶器の店です。モスクを小さくしたような幾何学模様が綺麗です。Dsc01240a外に出ました。まだ真新しく店が入っていません。Dsc01241aこの修復箇所はとても綺麗です。手が込んでいます。Dsc01242aこれも修復された隊商宿で、店が入る予定なのでしょう。こんなにたくさん店が入るのだろうか?作りすぎてない?またこの施設はいったいどこまで広がっているのか?広すぎます。Dsc01243aDsc01244a再び商店街です。開いている店は少ないけれど、訪れる客はちらほらいるようです。Dsc01245a_2延々と商店街が続きます。大昔にプレイしたファミコンの女神転生の街に迷い込んだかのようです。ここまでくるとまるで小宇宙。Dsc01246a修復された施設の一室。これも店かな?Dsc01247aバザールの金銀の装飾品市場に来ましたshine。イランの人はこの手の装飾品が好きですね。Dsc01248aDsc01249a17:40、出発。ちょっとした探検旅行でした。面白かった。
18:00、ホテル、アルボルズに戻った。部屋で少し休憩。Dsc01250aDsc01251a19:05、ホテルのレストランで夕食restaurant
マッシュルームのサラダと、Dsc01252a魚のキャバーブ。恐らくカスピ海の魚だろう。胃の負担を考えるとやはり魚は無難。Dsc01253a20:50、レストランを出る。モーニングコールを6:30にしてもらった。
部屋に戻った。洗濯はできなかった。デジカメの充電ケーブルを忘れたことに気付きがっかり。コンセントのプラグと変圧器はちゃんと持ってきたのに…。cryingDsc01254a23:00頃には寝た。明日はいよいよ
アラムート城へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その4(ガズヴィーンのマスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク))

エマームザーディエ・ホセイン(ホセインの聖廟) からマスジェデ・ジャーメへ向かいました。
15:42、
マスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク)に着きました。
名前の通り、ガズヴィーンの中心的なモスクです。
元々建てられたのは9世紀らしいが、重要な建物という事もありチンギス・ハーンによって破壊された(情け容赦ないな)。今の建物は13世紀以降に建てられた事になるが、それなりに古めかしいたたずまいだ。しかしその後の時代、特に16世紀のサファヴィー朝のアッバース1世の時代に大増築が行われ、建物自体にも修築が施されているようだ。
エイヴァーン(門)は4面あり、それぞれ修築の度合いが異なっていた。Dsc01212aDsc01213aDsc01214a中に入った。2本のミナレットとドームを持つモスクで、壁面は色タイルで飾られている。ドームは見えない。Dsc01215a壁面を見ると、日干し煉瓦の上に5本の装飾された線が見える。このうち真ん中が19世紀のガージャール朝時代のもの。その左右は最近修築されたもの。19世紀のものでもこんなに劣化しちゃうんだね。Dsc01211a寄木細工のような瀟洒な扉。イスラム建築はタイルとかの幾何学的な組み合わせが実に巧みだ。Dsc01216a16:15、出発。次は、
ガズヴィーンのバザールへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その3(ガズヴィーン・テヘラーネ・ガディーム門とエマームザーディエ・ホセイン)

ガズヴィーンの宿泊先からテヘラーネ・ガディーム門へ。
14:39、
テヘラーネ・ガディーム門(テヘランの門)に着いた。ガズヴィーンの防衛のために造られたガージャール朝時代の門。かつてはここで徴税もしていた。高さ約10メートル。8本のミナレットが建ち、壁面は幾何学模様のタイルで飾られている。
今は城壁もなく、門だけポツンとしている。Dsc01197aDsc01198a14:46、
エマームザーディエ・ホセイン(ホセインの聖廟)に到着。
9世紀、アラブ=イスラム帝国のアッバース朝の後継カリフ(イスラム教の最高権力者)を誰にするかを巡って第6代カリフのアミーンと兄のマームーンの間で内戦となり、マームーンが勝利して第7代カリフになった。
マームーンはシーア派信徒の支持を得るため、シーア派十二エマーム派の第8代エマーム(シーア派最高指導者)であるレザーを自分の後継カリフにすることを宣言したが、アッバース朝はスンニ派であるためスンニ派信徒の離反を招いた。
しかしレザーはマームーンとともにホラーサーンに赴いたときに急死する。シーア派十二エマーム派ではレザーはマームーンに毒殺されたと見ており、彼は殉教者としてマシュハドに聖廟が建てられ、シーア派十二エマーム派最大の聖地になっている。エマームザーディエ・ホセインに祀られているホセインは、このレザーの息子であり、奇跡を起こした事で知られる。どんな奇跡だったのかは、確認しませんでした!聞けばよかった…。
ここは聖廟であってモスクではないが、奇跡にあやかろうというのであろうか、幸せを願う人々が集っている。
入口は6本の小さなミナレットを持つ、美しいタイル張りになっている。Dsc01209a特に美しい柱部分。ちょっと欠けているけれど。Dsc01206aいつも明るいドライバーのBさんと。この人は本当に明るい。Dsc01208aa中に入ると広場になっていて、小さなあずまやとプールがある。体を清める場所だ。特に足を洗う。洗うにも作法がある。Dsc01203aDsc01204a地面には、イラン・イラク戦争の戦没者だろうか、顔写真と名前が刻まれている。Dsc01202aこれが聖廟。冬の穏やかな日の光に照らされた幾何学模様が美しい。Dsc01199aDsc01201a今日も大勢の人たちが訪れている。信仰心が篤いというか、みんな幸せになりたいんだねー。世界中どこも一緒。Dsc01200a聖廟の男子トイレtoilet。小便器はないのです。理由はとびはねが足を汚すため。足が汚れているのは不敬なのだと思います。Dsc01205a15:37、出発。
次は
マスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク)へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その2(テヘラン~ガズヴィーン・エゲヘボリで昼食)

テヘランのイマーム・ホメイニー国際空港。着陸後すぐにトイレに立ち寄るtoilet
普通の便器だった。ホースで洗い流す方式。紙はやはりというか、ない。Dsc01184a_210:03、入国審査。
10:17、スーツケース受取、検査、全て完了。
10:25、現地ガイドのAさんと会う。少し強面に見えたけど、大丈夫だろう。
10:30、空港を出発、今日の観光及び宿泊地、ガズヴィーンに向かう。car
途中、ガソリンスタンドに立ち寄る。gasstationDsc01187aオイル交換、トイレ休憩、水を買う。Dsc01185aここの息子だろうか、写真を撮ってほしいと言う。かわいいので撮影。腕が悪くてごめん。Dsc01186a
11:45発。
11:55、キャラジ市(karaj)に入る。Dsc01188a音楽を聴きながら気楽にドライブ。曲名はクーエスタン(山)。
13:07、古都
ガズヴィーン着。Dsc01189aガズヴィーンの概要です。
人口は35万でガズヴィーン州の州都。
3世紀、サーサーン朝のシャープール2世によって造られた。
長くシルクロードの要衝だった。
13世紀前半、チンギス・ハーンのモンゴル軍に破壊された。このことから、ポーロ一行が訪れたとしても復興中だったと考えられる。
16世紀、サファヴィー朝のタフマースブ1世がここに遷都した。西のタブリーズが首都だったがオスマン朝の脅威を受けやすかった為。
13:25、レストラン、エゲヘボリ(e ghbali)で昼食restaurantDsc01194aノンアルコールビール。Dsc01190aガズヴィーンで良く食べられているケーメ・ネサールという料理。
トマトペーストで煮込んだ羊肉。それと、Dsc01191a_3長粒米、ピスタチオ、ニンジン、クコの実を混ぜたものと一緒に食べる。美味です。Dsc01192aこれは、ミゼロホスミかキャスクバネンジャーと言って、茄子を意味する。何に使うのかわからない。でも形が面白かったので。Dsc01193a街中を走ってまずはホテルへ。carDsc01195a_214:30、ホテル、アルボルズにチェックインhotel。スーツケースを置いて観光へ。Dsc01196a次は、
テヘラーネ・ガディーム門とエマームザーディエ・ホセインへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その1(羽田~ドーハ~テヘラン)

2014年12月、イラン・イスラム共和国の北西部のガズヴィーン、アラムート、タブリーズ、キャンドヴァーンに行ってきました。

1日目:羽田→ドーハ→テヘラン→ガズヴィーン(マスジェデ・ジャーメ、エマームザーデイェ・ホセイン、バザール)
2日目:ガズヴィーン→アラムート(ガザルハン城塞跡)→タブリーズ
3日目:タブリーズ→キャンドヴァーン(奇岩の村)→タブリーズ(イールゴリー公園)
4日目:タブリーズ(バザール、マスジェデ・キャブード、アルゲ・タブリーズ、アゼルバイジャン博物館、ラベ・ラシーディー)→テヘラン
5日目:テヘラン(トーチャールのテレキャビン)→ダマーヴァンド山周辺→テヘラン
6日目:テヘラン→ドーハ→羽田


今回もマルコ・ポーロの追っかけの旅です。
1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、パレスチナでエルサレム聖墳墓教会の聖油とローマ教皇からモンゴル皇帝フビライ・ハーンへの親書を得て1271年末に出発しました。その後トルコ東部のアララト山麓を経てイランに入り、タブリーズに達しました。
今回訪問したタブリーズやアラムートはマルコ・ポーロの東方見聞録に記述があります。ガズヴィーンはアラムートに行く起点になる街で、シルクロードの要衝である事からポーロ一行が通過した可能性があります。キャンドヴァーンはタブリーズから近く、トルコの世界遺産カッパドキアに似た景観が見られることから観光に加えました。


前夜

21:15、羽田空港着。円をドルに両替。
23:30、カタール航空機への搭乗開始。Dsc01175a

1日目

0:30、離陸。
1:10、夜食。サーモントオルゾーパスタのサラダ、魚の昆布巻き、鶏の煮込みと甘醤油ソース、ブロッコリー人参、フルーツ餡密。Dsc01176a食事後、寝ようと試みるがほとんど眠れず。Dsc01177a9:17、起床。朝食。旬のフルーツ、あさつき入りのスクランブルエッグ、フライドポテト、チキンソーセージ、チェリートマト、マッシュルーム、クロワッサン。Dsc01178a12:10、ドーハ着。Dsc01180aDsc01181a_212:45、テヘラン行きの搭乗口着。搭乗口まで遠くてぎりぎりバスに間に合う。
12:55、搭乗開始。窓際の席。私の並びの席の東洋人のおっさんが、他の席が空いているからそっちに座れと言ってきたが無視。搭乗券の座席№を見せると、それはここではない。もっと前だ、と無茶苦茶を言う。
13:21、離陸。
14:00、食事。甘そうで胸やけしそうだったが完食。Dsc01182a天気は快晴。Dsc01183a15:08(イラン時間9:38)、テヘランのイマーム・ホメイニー国際空港着。

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イラン北東部旅行(ネイシャーブール・シャーデ・ヤッハ遺跡)

14:38、当初の目的であるシャーデ・ヤッハ遺跡に向かう。キャラバンサライの脇の道をしばらく南に向かい、途中で北西に向かう。
14:47、到着した。モンゴル軍によって壊滅した後、生き残った住民が戻って再建したものの地震にあって廃墟になった
ニーシャープールの遺跡との事。Dscn5381a

資料館が併設されていて、この遺跡で出土したセルジューク朝時代の皿、壁画の一部、土器、水差し、オイルランプ、人間の頭の像、遺跡の壁の一部と思われるものがある。撮影は禁止。画像上はこの遺跡から発掘された人骨、画像下は近くの村で発掘された5500年前の埋葬遺体。生まれたときと同じ胎児の姿で埋葬されている。上は写真、下は実物を書き写した。Dscn5444a

遺跡はまだ全体のごく一部しか発掘されていない。このように屋根で覆われている。内部の撮影は禁止。Dscn5380a

内部を書き写した。下手な絵で分かりづらいが、部屋や路地が入り組んでいる。ガラス工房やガラスを製作した釜の跡が見られる。牢獄もあるそうだ。Dscn5443a遺跡内部の遺体だけ撮影許可が下りた。これは13歳男子。Dscn5377a35歳男性。普通の死に方ではない。いかにも地震で押しつぶされたかのようだ。112642a_245歳男性と35歳女性。112641aもしマルコ・ポーロ一行がニーシャープールを通過したとしても、見たのは廃墟のみだったかもしれない。彼らはこの惨状を見ただろうか?

 

15:30、マシュハドに向け出発。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その21(テヘラン・イビスホテル~成田)

トーチャールのテレキャビンからイマーム・ホメイニー国際空港前のイビスホテルにやってきた。
17:00着。ここで夕食を食べるrestaurantDsc03079aDsc03084aメニューを見ると、
スープが600円
サラダが1000円
肉料理が1500~2500円Dsc03080aハンバーガー、スパゲッティ、ピザが1100円位。
どれも一般的な値段の倍くらいだそうだ。まあこんなに空港に近いホテルだから仕方ないか。Dsc03082a注文しようとしたら、メニューに書いてあるのはまだ時間が早いのでやっていないとの事。最初から言って!それでビュッフェスタイルで食事する事になった。
値段が高いだけあって凝った料理が多いのは納得。食材も豆腐とか使ったりして。Dsc03083aたまらなくそそられるイランのケーキ。ナッツたっぷりcake。でもここは我慢だ!Dsc03086a食事する。おいしい。特にエビが。今回の旅行はエビづくしになってしまったなー。Dsc03085aDsc03087a18:07、ホテルを出る。
18:12、空港着。早速荷物検査。無事終了してガイドのAさんと別れた。最後の最後まで面倒を見てくれた。というか迷惑をかけた。本当に感謝weep
18:40、チェックイン完了し、出国審査。
空港内の土産物屋を見て回る。イラン名産の銅細工と陶器。Dsc03088a絨毯、更紗、細密画、象嵌細工、アザーディー・タワーやミラドタワーのミニチュアも。Dsc03089aDsc03090aヒジャーブファッション。ムスリムの人が買うのかな?Dsc03091a銅や真鍮などの金属細工。Dsc03092aこれはナッツ類。たくさんあるねー。Dsc03093aイランの代表的なお菓子、
ギャズはさすがに多い。あちこちの棚に置いてある。Dsc03094aDsc03095aDsc03096aこれはカップの中の紅茶をかき混ぜる棒。砂糖がついているのでわざわざ砂糖を入れる必要がない。甘い紅茶好きのイラン人ならではか。Dsc03097aカスピ海のキャビア。絨毯ほどではないが、値段がとっても高いので買ったことはないが、イランのキャビアは世界一と言われるので一度は買ってみようかと思う。今回は買わんけど。Dsc03098a空港内の土産物店は以前に比べかなり充実していた。もっともっと充実してほしい。民芸品なんかも置いてくれるとGOOD!
19:06、手荷物検査終了。厳しすぎるという事はなかった。
19:08、搭乗口着。Dsc03099a20:38、搭乗開始。予定より23分遅れ。
21:18、離陸airplane
機内食restaurant。イランらしいナッツのかかったケーキ、長粒米の混ぜご飯、豆料理。もうお別れだねー。Dsc03100a22:30(ドバイ時間)、
ドバイに着陸。
22:55、手荷物検査終了。
ターミナル間トレインで移動。Dsc03101a23:17、搭乗口着。Dsc03102a1:55、搭乗。最前列は初めてなので驚いた。テーブルやモニターの取り出し方がわからず、教えてもらったが恥ずかしかった…。coldsweats01でも乗務員の行動をずっと間近で見られたので面白かった。
2:40、離陸airplane
4:20、機内食restaurant。そうめん、パーチから揚げ甘酢餡かけご飯、チョコレートとマンゴーのファッジケーキ。もう帰るだけなのでビール飲みました。もう心は日本だね。Dsc03103aお隣さんはアルコールを6回もお代わりして、泥酔して不愉快な目に遭ったらどうしようかと戦々恐々でした。まあ何も起こらなかったけれど。
行きは全然見なかった映画、帰りは見逃していた映画を全部見ました。ハクソー・リッジとかゴースト・イン・ザ・シェルとか。
9:30、機内食restaurant。季節の果物、ヨーグルト、鮭の照り焼きご飯、クロワッサン。Dsc03104a17:24(日本時間)、成田に着陸。

今回もイランを思い切り楽しむことができました。これも現地ガイドさん、運転手さん、イランの方たち、旅行会社の担当者さんのおかげです。ありがとうございました。
イラン再訪したいです。ケルマーン州に対する外務省の見解が良好になる事を願ってやみません。

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