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2017年11月

イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その20(テヘラン・トーチャールのテレキャビン)

テヘランの菓子専門店、アルマからトーチャールのテレキャビンへ向かう。
車はテヘランの北側の山麓に向かう。街角の光景。もめてんのか?

Dsc03020aDsc03021aDsc03022a10:50、元別荘地のマンション街に入る。山に近く涼しいのでこの辺のマンション価格は高い。
駐車場着。車はここまでしか入れない。ここからはテレキャビンの乗り場まで歩いて登るか、無料の電気バスに乗るかである。Dsc03024a
トーチャールのテレキャビンとは、テヘランの北にあるアルボルズ山脈の山にかけられた、全長3200メートルのロープウェイの事だ。これで標高2900メートルまで上がり、更にゴンドラで標高3400メートルまで上がる。
何がすごいと言って、人口1200万の大都市から日帰りで標高3000メートルの世界をたっぷり堪能できる事だ。東京都心から日帰りで富士山の9合目でたっぷり遊んでくるようなものなんだ。往復だけなら朝家を出て午前中に帰って来れる近さ。山好きの私にとってはとてもとてもうらやますぃー環境!
駐車場からの眺めも良い。見えるのは富裕層向けマンション街だ。Dsc03023aDsc03026aDsc03027aここまで来ると山が迫って見える。Dsc03025a
電気バスで乗り場まで行く。Dsc03028a歩いて登る人を横に見つつ。ちょっと優越感。Dsc03029a電気バスの終点停留所に着いた。Dsc03030aチケット売り場への入口。テレキャビンが展示されている。Dsc03031a11:20、チケット売り場着。少し並ぶ。学校が休みのせいか若者が多い。とってもはしゃいでいてかわいらしい。Dsc03032aテレキャビン乗り場への入口。前回来たときは強風のためテレキャビンが動かず、乗り場でテレキャビンの係員と記念撮影して帰った…。ようやく雪辱を果たした。この乗り場は標高1700メートル。Dsc03033a乗車にはそれ程待たず、乗ることができた。
乗車後。出発直前。いよいよ山腹を上がって行く。Dsc03034aDsc03035a下りのテレキャビンとすれ違う。Dsc03036aもうすぐ到着だ。Dsc03037a_2到着。Dsc03038aと思ったら単なる中間駅で、テレキャビンは止まらずに尾根を越えて更に上がるDsc03039aDsc03040aDsc03041aDsc03042aDsc03043aDsc03044aようやくテレキャビンの
山頂駅が見えてきた。Dsc03045aあと少しで到着。ここで標高2900メートル。Dsc03046aテレキャビンを降りる。寒い。今度はスキー用のゴンドラに乗る。Dsc03047a着いた場所は完全に高山の世界空気が薄く感じる。ここで標高3400メートル。さすがに寒い気温31度のテヘランとは別世界。信じられな~い!Dsc03050aこの奥にカスピ海がある。見えないけど。Dsc03053a上がってきた観光客。Dsc03056a目の前にスキー学校の石室がある。まるで避難小屋にしか見えないが。Dsc03057aその上はスキーリフト乗り場。これがどこに向かっているかと言うと…。Dsc03051a眼下にはすり鉢状の盆地がある。そこの中心に向かっている。Dsc03054aDsc03048aすり鉢の中心には山荘みたいなホテルがあり、何本かのスキーリフトが周りの山に向かって伸びている。Dsc03049a要するにここはスキー場だ。
我々もリフトで降りて行く事にした。Dsc03058aゆっくりとしたゆれが心地よく、
平和な気分にさせてくれる。しかしガイドのAさんは半袖なので寒さでかなりつらそう。夏だと思って油断したな。真夏でもウインドブレーカーなど羽織るものは必要。Dsc03059aようやく到着。ゆっくりなので時間がかかった。途中止まったし。Dsc03060a目の前にはホテル。ここは日が照っていてかみがある。Dsc03061aAさんがつらそうなので、ホテルの中でティータイムに
2階のソファに座ってホットコーヒーとホットティーを飲む。
体が温まった~。
Aさんはしきりに家族を連れてここに泊まってみたいと言っている。
界のテヘランの夜景写真があったが、本当にきれい。Dsc03062a外に出て周りの景色を撮る。日帰りでこんな場所に来られるテヘラン市民がうらやましい。Dsc03063a高山植物はあるが不毛の地Dsc03064a他の山に登るリフト。Dsc03065a観光客たち。下界では彼女たちのヒジャーブ姿が暑苦しいのではないかと思っていたが、ここではちょうど良さそうだ。Dsc03066a13:35、そろそろゴンドラで下に降りることにした。Dsc03067a山々の景色を眺めつつ。Dsc03068aゴンドラは下へ降りて行く。Dsc03069aDsc03070a14:00、ゴンドラを降りたところで、ディバッグを持っていない事に気付いた!どうやら山荘ホテルの2階に置き忘れてきたらしい。カメラ2台が入っている。なんたる間抜けか!
とりあえずAさんがゴンドラの係員に探してくれるよう頼んでくれた。後は待つしかない。
探すのに時間がかかるので、レストランに入ることにした。Dsc03072a
レストランで再びホットコーヒーとホットティーを飲み、ナツメヤシの実のココナッツがけを食べた。こんな状況でもうまいものはうまい!Dsc03076aDsc03077a14:30、ディバッグが無事発見されたとの知らせが入った。よかった~見つけてくれたイランの方々に感謝
レストランを訪れた観光客。やっぱり若者が多いね。Dsc03072bここの周りも
荒涼とした景色だ。Dsc03074a山に登る人だろうか?テヘランに住んでいたら登ってみたい山ではある。ハゲ山だから見晴らしいいし。Dsc03073a登山道が見える。ここから見るテヘランの市街地は、まるでシールドのような霞がかかっている。光化学スモッグだろうか?シールドはすぐそこまで。SF映画みたいだぞ。Dsc03071aここからも世界で6番目に高い、ミラドタワーが見えた。次回はぜひ展望台に行ってみたい。Dsc03078a仲の良いカップル。微笑ましいDsc03075a14:54、係員からディバッグを受け取る。中身を見たが、無くなったものはなかった。イランの方々の民度の高さに感謝
さて、早速テレキャビンで下に降りた。
15:24、テレキャビンから降りる。その後電気バスで駐車場へ。
いやー、3400メートルの世界を満喫できて大大満足でした!
15:40、車でイマーム・ホメイニー国際空港前の
イビスホテルに向かう。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その19(テヘラン・フェルドゥースィー・インターナショナル・グランドの朝食と、お菓子専門店アルマ)

テヘランのホテル、フェルドゥースィー・インターナショナル・グランドDsc03014a_26:30、昨晩頼んでいなかったが、Aさんが頼んでおいたのだろうか?モーニングコールが鳴って起きた。しかしまた寝てしまった。
8:00、起きてシャワーを浴びる。
今日は、お土産を買うために市内の菓子専門店に行き、その後郊外のトーチャールのテレキャビンに行く。そしてテヘランから帰途に着く。
8:50、1階のレストランに朝食に行く朝食はビュッフェスタイルだが、種類がとても多い。これだけでこのホテルが好きになった。やっぱり食いもんにはかなわねえ。ケーキだけで6種類。他にも色々面白そうな食べ物があったが、食べ過ぎは避けたいので我慢した。Dsc03012a食べたのはサラダ数種。Dsc03009aメイン数種。Dsc03010aパンとケーキ数種。無理せずこれだけにしておいた。無理したかったけど!Dsc03011a9:20、部屋に戻って荷物をまとめる。
9:50、1階ロビーでAさんと会う。ロビーも豪華な雰囲気だね。Dsc03013a9:58、ホテル発。Dsc03015a10:15、市内の菓子専門店、アルマでお土産を買う。Dsc03019a主にドライフルーツ、ナッツ、菓子を売っている。店の中はきれいだし、商品の種類も豊富だ。テヘランに行く際には立ち寄ることをお勧めしたい。Dsc03018aイランの特産品、ピスタチオは、その質によって値段が違う。良質のものは1キロ10~15ドル位。小粒だったり殻が割れない質の悪いものは安いが、それなら質の高いものを買った方が結局得だ。イランの果物はおいしいから、ドライフルーツもきっとおいしいだろうDsc03017aイランの代表的な銘菓、箱入りのギャズを買う。ピスタチオ入りのものにした。ピスタチオの量が多いほど値段も高くなる(箱の裏面に含有量が%表示されている)。後は中のギャズが個装されているものは高くなる。価格帯は、大体10万~35万リアルだろうか。日本円でたったの330円~1150円だよ。安っ!後はピスタチオ入りのクッキー?を買った。これは脂っこくて失敗だったかも。
10:27、出発。次は郊外のトーチャールのテレキャビンへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その18(バンダル・アッバースのバザール~テヘラン・フェルドゥースィー・グランド)

ホマホテル からバンダル・アッバースのバザールへ向かう。
19:50、海岸通り沿いのバザールに着いた。これがその入り口の一つ。

Dsc03003a他の都市と同様、売られているものは日常生活に必要な物が中心である。
民芸品などの土産物は売っていないとの事だった。
食料品はもちろん、衣服、洗剤、文房具、家電品、装飾品、子供のおもちゃ、化粧品、その他日用品全般。
中国製らしきボールペンが10000リアルした。10000と聞くと高っ!と思うが、日本円でたったの33円。それでももっと値切れたかも…。
それにしても、なんでバザールはどこに行っても迷路なのか。歩いていてわくわくするからいいのだが。
それからあんまりジロジロ見るのは失礼だが(日本も同じ)、この地方の女性のヒジャーブファッションは色柄が多様で、見ていて楽しい。
写真撮影については、宗教上の理由や一般常識的に、撮られることに抵抗感を持つ人もいるが、店の人は割とノリが良く、進んでポーズを取ってくれたりする。
Dsc02998aDsc02999aDsc03000aDsc03001aDsc03002aDsc03003bDsc03004aバザールを出た後、空港に向かう。これからテヘランに戻るのだ。ホルモズガーン州ともお別れだ。悲しい。でも再訪するよ。
20:30、空港着。運転手のBさんに感謝しつつここで別れる。
空港入り口で荷物検査→チェックイン。
21:15、手荷物検査→搭乗フロアへ。
21:57、搭乗。
22:29、離陸。
22:59、機内食。サフランとクコの実のご飯に鶏肉。
Dsc03005a0:00、テヘランのメヘラーバード空港着。
0:35、スーツケース受取。
0:43、ホテルに向けて車で出発。
1:04、ホテル、
フェルドゥースィー・グランド着。ガイドのAさんは自宅に帰った。お疲れっ!Dsc03006aDsc03007aシャワー室、洗面所も清潔感があって良い。Dsc03008a1:30、寝た。
明日は
菓子店に行ってお土産を買った後、テヘラン郊外のトーチャールのテレキャビンへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その17(バンダル・アッバースのレストラン~ハンマーム~海岸~ホマホテル)

ファールヤーブのモスクから、「大傾斜地帯」を下りてきた。
14:22、
バンダル・アッバースに到着。町の中心部を通る。
中心部には百貨店や映画館などがある。ちなみに百貨店内は撮影禁止だ。Dsc02974aDsc02975a運転手のBさんお薦めの店で昼食をとることにした。
14:45、
レストランに到着。エンペラーという店だDsc02984aDsc02983a店の中は涼しく、薄暗くて落ち着いていて良い雰囲気だ。大画面のモニターでは、ガジャール朝時代、イランを半植民地化しようとするイギリスとロシアに対する民衆の抵抗を描いたドラマをやっていた。Dsc02976aDsc02977aさっそく新鮮なサラダとDsc02978aそして再びエビのキャバーブに挑戦である。これはカレー系の香辛料が隠し味になっていて芳醇な味。おいしかったDsc02979a長粒米のサフランライスもイラン旅行の楽しみのひとつ。Dsc02980a締めはヨーグルトで。Dsc02981a食べ終わったころ、ドラマでは英国公使らしき人物が殺されていた。
しばらくここでのんびり休憩した後、15:48出発。
テヘラン行きの飛行機の出発時間まで暇なので、ヒンズー教寺院に行くことにした。
しかし着いた場所は普通の学校みたいな建物。門は閉まっていた。どうやら信者が集まるだけの場所らしい。Dsc02986aDsc02985a_2帰国後調べたら、どうも場所が間違っていたようだ。ちゃんと下調べしないと。
ハンマーム(浴場)跡に行ってみた。Dsc02987aこれがお湯に浸かる部屋。当時の王様しか使えなかった。Dsc02988aこれが体を洗う部屋。Dsc02989aこれはその他の用途、マッサージとか休憩に使う小部屋が並んでいる。
昔の人は、こんな穴倉みたいな場所で風呂に入っていたのか…。Dsc02990a
海岸に行ってみる事にした。2007年は夜の海岸しか見る事ができなかったのだ。Dsc02991a沖合に多数の船が停泊していて壮観。入港待ちか、あるいは入港せずに小舟で荷の積み下ろしをするのだ。Dsc02992a_2Dsc02993a_2Dsc02994a船の多さから見ても、バンダル・アッバースがイラン最大級の港だという事がわかる。Dsc02995aDsc02996a一昨日泊まったホマホテルで休憩する事にした。1階のロビーはグリーンを基調にしていてすがすがしいし、落ち着ける。Dsc02739aガイドのAさんが持ってきた、タピオカに似た種子が入った甘い水。タピオカに似ているがそうではない。中心に種がある。疲れた時にはさっぱりしていておいしい。この種子に保水効果があるらしく、イランでは良く飲まれているそうだ。Dsc02997aその後、少しうとうと…
19:35出発。次は
バンダル・アッバースのバザールへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その16(ファールヤーブのモスク~大傾斜地帯~海岸平野)

ミーナーブから「大傾斜地帯」を経てファールヤーブにやって来た。
12:57、
ファールヤーブのモスク着。
小さなモスクで、ミナレットは2本。運転手のBさんは拝礼するため中に入って行った。Dsc02957a屋根では、
アーシュラーの祭り準備をしていた。モスクの屋根の旗を赤い旗に変えている。赤は情熱の赤。フサインが殉教した日、すなわちヒジュラ暦(イスラム教で使用される暦。622年を元年とする。太陽暦と合わせるための閏月がないので、月と季節が同期しない)の最初の月の10日目には、旗の色を黒に変える。黒は弔意を表す。
フサインとはどのような人で、なぜ殉教したのか。
7世紀、イスラム教の創始者ムハンマド死去後、ムハンマドと同族で最古参の信徒の中から4代にわたってカリフ(神の預言者ムハンマドの代理人で、イスラム教の最高指導者)が選出された。3代目はウマイヤ家のウスマーンだったが、その専横に反発する信徒により殺され、彼らを含む最古参の信徒の選出によりムハンマドの娘婿で従兄弟のアリーが4代目に選出された。
アリーの支持者は、アリーとその子孫のみが預言者の後継者(エマーム)として信徒を指導する資格を持つと主張し、アリー派=シーア・アリー、略してシーアと呼ばれた。
しかし当時アラブ=イスラム帝国のシリア総督だったウマイヤ家のムアーウィアは、アリーの選出は不法であるとして自らカリフを名乗った。まもなくアリーが暗殺されたため、ムアーウィアは唯一のカリフとなった。ムアーウィアは後継カリフを選出ではなく世襲によって決める事を各地の有力者に強制した(ウマイヤ朝の始まり)。
ムアーウィアが死去した時、シーア派はアリーの子フサインを担いで政権奪取を図った。しかし百名にも満たないフサインの一族は、シーア派軍と合流する前にイラクのカルバラーで4000ものウマイヤ朝軍に囲まれ殺害された。国家権力がムハンマドの血族を殺害したこの事件に憤激した信徒はシーア派に結集した。ウマイヤ朝はスンニ派である事から、スンニ派への被害者意識が生まれ、フサインが大軍を相手に雄雄しく戦って殉教した事は、殉教へのあこがれを生んだ。
アーシュラーでは、フサインの殉教を哀悼する気持ちを様々な方法で表現する。フサインの苦痛を分かつ為、鎖で自分の体を鞭打つなどの行為も行われる。また、イランの伝統文化である詩で表現したりもする。Dsc02958a13:15、バンダル・アッバースに向けて出発。
元来た道を戻る。再び東方見聞録の記述を確認する。今度はポーロ一行が辿ったのと同じ順路で。
「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」(東方見聞録)Dsc02959aDsc02961aDsc02962aDsc02963aDsc02964aDsc02965aDsc02966aDsc02967aDsc02968aDsc02969a「大傾斜地帯」を下って、海岸平野に下りた。
「・・・コルモス(ホルムズ)平野というみごとな平地が開け、東西南北に向って二日行程の範囲で広がっている。
ナツメヤシをはじめ各種の果実が豊かに実り河川がそこを流れ、シャコだとかオウムそのほかの禽鳥が繁殖しているが、どれもわれわれの国のものとは種類を異にしたものばかりである。」(東方見聞録)Dsc02970aDsc02971aDsc02972a
13:45、バンダル・アッバースへの道に合流。
次は
バンダル・アッバース市内で昼食と観光


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その15(ミーナーブ~大傾斜地帯~ファールヤーブ)

ミーナーブのバザールを出て、北60キロのファールヤーブへ向かう。
ミーナーブの町のオブジェ。ミーナーブの豊かな水を表しているかのようだ。Dsc02922a大通りを走る。町の中では、9/30から始まるアーシュラーの祭りの準備をしている所があった。そういえばティアーブの町でも見かけた。
アーシュラーは、イランの宗教の主流派であるイスラム教シーア派にとって重要な祭りだ。女性や子供たちが黒い旗の様な物を飾り付ける姿が見られた。黒い色はシーア派の指導者として殉教したフサインを悼む色だろう。Dsc02923a
ミーナーブ河にかかる橋を渡る。河は干上がっている。Dsc02924aDsc02925aDsc02926aこれでミーナーブともお別れだ。バンダル・アッバースに向けて走る。Dsc02927aバンダル・アッバースへの道から、北のファールヤーブへの道に入った。2007年は分岐点を見ただけで通り過ぎた所だ。
今回なぜ無名のファールヤーブに行くかと言うと、東方見聞録に記述されている
「大傾斜地帯」を見る為です。
「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」(東方見聞録)
この「大傾斜地」をマルコ・ポーロは「大傾斜地帯」と呼んでいます。
ポーロ一行が実際にどの場所を通って「大傾斜地帯」と呼んだのかわかりません。
19~20世紀の外交官、探検家のパーシー・サイクスが言うには、ドゥズディ河を下って行ったとの事ですが。しかし、現在の主要道路を使って「大傾斜地」を通過できる場所は、ファールヤーブ方面への分岐道しかありません。そこは、バンダル・アッバースのある海岸平野から400メートル以上の標高差を登る道です。私は、ポーロ一行もそこと同じような場所を下って行ったと思ったのです。
さて、あっという間にその分岐道に入った。周囲は次第に山がちになっていく。Dsc02928aDsc02929aDsc02930aDsc02931aDsc02932aDsc02933aDsc02934aDsc02935aDsc02936aDsc02937aDsc02938aDsc02939aDsc02940a途中、車を降りて周囲の景色を撮影。この辺は恐らく標高400メートル位だろうか。Dsc02941aDsc02942aDsc02944aDsc02943aDsc02945aDsc02946aDsc02947aDsc02948aDsc02949aDsc02950a再び乗車してファールヤーブに向かう。Dsc02951aDsc02952aDsc02953aDsc02954aDsc02955a12:45、警察の検問があり、私は後部座席に座っていたが、シートベルトを付けていなかった為に運転手のBさんが注意を受けてしまった。申し訳なかった。前々回の旅行のようにスーツケースの中身のチェックまではされなかった。
検問所を過ぎると、レモンの果樹園が続いている。
12:50、ファールヤーブの入り口に着いた。Dsc02956a20キロ程走ってみて、これが「大傾斜地帯」の光景だと確信しました。「道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」という記述にぴったりの場所でした。岩山が多く、盗賊が待ち伏せするのにもってこいの場所です。
次は
ファールヤーブのモスクへ。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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