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2012年5月

シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その22(銀川・西夏王陵)

13:30、西夏王陵の入り口に到着。
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西夏王陵は、11世紀~13世紀に河西回廊と寧夏を支配した、西夏王国歴代皇帝の陵墓が散在する場所。
銀川市街から35キロ、賀蘭山の東麓、騰格里砂漠の入り口にある南北10キロ、東西4キロの敷地である。
ここに9つの王陵と207の墓がある。残念だがこれが最後の観光である。

入り口の手前に駐車場があり、たくさんのみやげ物店が軒を連ねている。
入り口を入ってしばらく歩き、オープンサイドのミニバスに乗る。
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ミニバスにて西夏博物館に到着する。
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建物は西夏仏塔式建築という建築様式になっている。
ここの展示物を見ると、当時の西夏王国の成り立ちや勢力範囲がわかるようになっていて、モンゴル軍の略奪から逃れた残り少ない発掘物、龍の彫刻が施された石柱、石馬、碑文、石刻像、仏教経典、仏画、鎧、西夏磁器、官印などが見られる。
中でも私が感動したのはモンゴル軍に破壊される前の王陵の模型。
もともとは八角形で各層には瑠璃瓦で飾られた屋根がついており、彩色もあざやかな壮麗な建物だったのだ。

西夏王国はチベット系民族の羌族に属するタングート族により建国された。
タングート族の拓跋氏は唐の時代に勢力を伸ばし、唐の節度使(地方軍事と地方財政の統括者)に任じられるまでになった。唐から李姓を下賜された。

しかし宋の時代になると、地方勢力を弱めようとする宋の政策に不満を持つようになり、李元昊は霊州と河西回廊を宋から奪い、1038年に西夏を建国、独立した。
元昊は国家制度を定め、西夏文字を公布するなどして王国の礎を築いた。

元昊から第5代皇帝の仁孝までの157年間は西夏の発展、最盛期で、特に仁孝は、教育と人材育成に力を注ぎ、その治世で西夏の版図は最大になった。隣国の宋や遼が弱かった事も幸いした。

第6代純祐から第10代睍までの38年間は衰退、末期で、汚職と政治腐敗で国力が衰退した上に、モンゴルのチンギス・ハーンの度重なる侵攻により、1227年に西夏は滅亡した。

王陵は9つあるが、2つは元昊の祖父と父のもので、元昊は自分のものも含めて3つを造営した。
他の6つは第2代~第7代までのもので、第8代以降は、もはや国力がなく、造営することができなかった。
9つ全て見るのは無理なので、最も大きい元昊の3号陵(泰陵)のみ観光する。

3号陵に向かう。
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李元昊は国家制度構築や宋との戦いや交渉に優れた才能を発揮した反面、猜疑心が強く疑いのある家臣は容赦なく殺したという。
また息子の嫁を取上げて自分の后にしたり、腹心の妻と密通した挙句、腹心を殺している。
元昊は、嫁を取上げられた息子に鼻を切られて死亡した。

3号陵の中心に向かう途中には、道の両側に阙台、碑座がある。
3号陵の中心は、4つの門がある長方形の壁に囲まれている。その南門から中に入る。
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中に入ると献殿という八角形の台がある。ここで祭祀が行われていた。
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献殿の上。何も残っていない。
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献殿の先にある地下の墓室につながる墓道の入り口。
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墓室はモンゴル軍に盗掘され入り口は埋められている。

墓道の入り口の先には、高さ24メートル、直径36メートルの霊台がある。
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かつてはきらびやかな彩色が施され、瑠璃瓦で飾られていた面影は全くない。
チンギス・ハーンは西夏の滅亡を見ることはできなかったが、臨終の際に「気まぐれで狡猾な西夏に仕返しをしたい。西夏の皇帝が降伏したら、将兵、民人を皆殺しにし、都、宮殿、王墓を破壊してこの世から西夏を消し去れ」との遺言を残したといわれる。
その半月後、モンゴル軍はそれを忠実に実行した。

霊台の一部。
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霊台を見上げた。
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かつて謎の王国と言われた西夏の最後の姿。

まわりの壁の一角。
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献殿~墓道の入り口~霊台は一直線上に並んでいるが、まわりの壁が形作る長方形の中心軸から左にずれている。わざとそうしたと思われるが、理由はわからない。

門の跡。
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北門の跡。
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帰りに閑散としたみやげ物屋に立ち寄った。
全部で20軒くらいあったかもしれないが、塔の模型を探して全て見て回ったがなかった。
一軒、プラスチック製のちゃちな作りの霊台の模型が置いてあった(まるでプリンを作るときの型のようだった)。
15:15、出発。

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金環日食

朝、横浜はどんよりと曇っていて金環日食は見えないなあとあきらめていました。
でも7:30頃、雲間から時折漏れる太陽の光を目を細めて見ると、リングがくっきりと見えました。神秘的でした。本当は肉眼で見てはいけないのですが、薄曇なのが幸いしたのか特に目に負担になるような事はなかったです。
今日は職場のキャッシュバック自販機で初めて当たりが出てキャッシュバック。これも金環日食から授かったささやかな神秘の力のおかげだったかもしれません。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その21(銀川・賀蘭山岩画)

市街地を離れ、大きな石ころが両側に転がる道を延々と走っていく。
10:26、賀蘭山の入り口に着いた。
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ここで賀蘭山岩画を観光する。

奥に入ると駐車場がある。
ここで降りると、まず目にするのが大きくそそり立つ賀蘭山。
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岩だらけの山で迫力がある。
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賀蘭山地は平均2300メートル、最高で3556メートルの高さがある。
内モンゴルとの境界にあり、「賀蘭」とはモンゴル語で駿馬を意味するという。
賀蘭山は駿馬の形をしているそうだ。
冬はシベリアからの風をさえぎるので、銀川ではあまり雪が降らないそうだ。
4万5千年~1万2千年前には、ここに遊牧民がいたらしい。
昔は軍隊の駐屯地だった。
標高2000メートル付近では賀蘭石がとれ、硯などの加工に使われている。

駐車場には電気自動車があり、岩画のある場所まで行ってくれるようだ。
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我々は入場してからまず、遠くに見える銀川世界岩画館に歩いて向かった。
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広場には、岩画で描かれていて有名な太陽神といわれる大きな絵が描かれている。

岩画館の1階は世界各地の岩画の紹介が行われている。
有名なフランスのラスコー洞窟の壁画やスペインのアルタミラ洞窟壁画を始め、世界至る所に岩画が在るのだという事が良くわかる。
単なる遊びか何かを伝えようとしたのか。
2階は中国の岩画の紹介で、中国は岩画の宝庫だという事がわかる。

岩画館を出ると、いよいよ山のふもとの岩画を実際に見る。
「賀蘭山岩画」の大きな標識。
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山のふもとには散策ルートがあり、岩画のある場所には標識あるいは赤い丸が付いている。
ここに来る前には、岩画はある程度高い場所にあり山登りをするのだと思っていたので、いささか拍子抜けした。
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賀蘭山の岩画は匈奴、鮮卑、ウイグル、吐蕃、タングートなどの遊牧民族が描いたという。
時期は春秋戦国時代(紀元前8世紀~紀元前3世紀)、南北朝時代頃(5世紀~6世紀)、西夏時代(11世紀~12世紀)と言われる。

様々な顔。中には顔とは思えないものもある。
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遊歩道は岩の急斜面にも付けられている。
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急斜面を登った場所にある有名な太陽神。
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太陽神というのは現代の人が勝手に解釈してつけた名前だ。

これはよくわからない。
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山羊か羊と思われる動物。
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下のほうの岩画は、河の増水等で洗われてだいぶ薄く、はっきりしなくなっている。
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西夏文字が彫られている。
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この人面は変わった髪形をしている。

同じ人面がたくさん描かれている。
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ここで紹介した他にも岩画はたくさんあるので、ここを訪れた方は色々探し回るのも面白いと思います。

近くにみやげ物屋が2つあり、賀蘭石の硯などを売っていた。
小さな賀蘭石も売っていて、ドラえもんの顔を彫ったものもあった。
「ドラえもん」と言ったら理解したようで店の人がうなずいて笑った。
変わったデザインのものをいくつか買った。11:48、出発。

ところで帰国後知ったのですが、賀蘭山岩画から車で10分程のところに、賀蘭山の麓に西夏の重要な寺、五台寺の二基の塔がある。
拝寺口双塔と呼ばれ西夏時代に建てられたものがそのまま残っている。
あらかじめ知っていたら見に行ったのですが、残念な事をした。

12:05、昼食を食べる。
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うどんを正方形に切ったじゅうめん(じゅうは手偏に秋)の他、4品出た。
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13:08、近くのみやげ物店(観光枸杞園?)に入る。
東方見聞録にある駱駝の毛布がないか探したが、羊毛布しかなかった。
Eさんによると、駱駝の毛布は専ら内モンゴル自治区で作られているそうだ。
塔の模型も探したがなかった。
寧夏の特産品の枸杞の実はたくさんあった。
画像はみやげ物店の前にあった枸杞の畑。
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13:15、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その20(銀川・海宝塔寺)

8:53、海宝塔に到着。
現在は海宝塔寺という寺になっている。画像はその管理所の入り口。
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中に入ると山門があり、そこを過ぎると画像の天主殿がある。
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中には弥勒菩薩と四天王が安置されている。
天主殿の前の広場の左右には、鐘楼と鼓楼がある。
Eさんによると、海宝塔以外の建物は明代に建てられたという。

奥に進むと大雄宝殿がある。
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ここには薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、十八羅漢が安置されている。

その奥に海宝塔があった。
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11層十二角形で高さは53.9メートル。
旧市街の北にあるので北塔とも呼ばれる。
Eさんによると、創建年代は不明だが南北朝時代(5世紀~6世紀)に修復されたとの記述があるそうだ。また、昔は塔のまわりを階段が廻っていたという伝説があるそうだ。清代に改修されたという。
本によると、創建は少なくとも承天寺塔よりは古いという。五胡十六国時代(4世紀~5世紀)に修復されたと書かれている。1778年に再建されたらしい。
ポーロ一行はこれと同じ姿の塔を見たのだろうか?

塔の入り口。
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塔を見上げた所。
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塔を見上げた所。他の塔とは違う、変わった形の塔だ。
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奥に進むと臥仏殿がある。
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ここには釈迦涅槃像が安置されている。

何の建物かわからないが、熱心に拝礼する人がいた。
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9:12、出発。

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JUNE AUGUST’44(DDH/国際通信社)ソロプレイ記録~その3

DDH/国際通信社出版のゲーム、JUNE AUGUST’44のソロプレイ記録です。

【キャンペーン・プレイ3回目(2012.5.6)】

■目標
独軍が勝利条件を満たす事。ただしできる限り地図盤南西角(クエノン河西岸)への連合軍の進入阻止よりも15勝利得点を連合軍に与えない事を優先する。

※以下の選択ルールを採用
16.1,16.5,27.2,27.3

■プレイ内容
~6月~
1ターン目(6/6):
天気晴。
連合軍。ジュノー、ゴールド、オマハ西海岸は損害なしで上陸、スウォード、ユタ海岸は歩兵師団1ステップロスで上陸、オマハ東海岸は歩兵師団1ステップロスで上陸失敗。独709,243師団をヴァローニュに向かわせないよう米82,101空挺師団の各連隊が道路沿いに散開する。英6空挺師団はカーン運河の東で全滅覚悟で独軍をひきつけさせるか、運河の西に渡って上陸部隊と合流させるか迷ったが、前者にした。
独軍。21装甲師団と711戦闘団は英6空挺を包囲。716師団はバイユーへ。352師団は米軍がもたつくオマハ海岸に隣接。243師団はカルトレ防衛の為動けず。709師団はヴァローニュに近付く。
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2ターン目(6/7,8):
天気曇。「ドイツ軍戦闘機隊の投入」。
オマハ米軍。オマハ東海岸を攻撃、上陸成功。
ユタ米軍。サン・メール・エグリーズを攻撃、独709守備隊を除去。
独軍。ヤーボの交通妨害も「ドイツ軍戦闘機隊の投入」の効果もあって増援は皆順調に移動。709師団はシェルブールに向かう。12SS、21装甲師団が英6空挺師団を包囲攻撃するがまさかの21装甲師団1ステップロスに終わる。
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3ターン目(6/9,10):
天気曇。連合軍「橋梁破壊」。
英軍。独716守備隊を攻撃、除去。バイユーを攻撃、独716師団除去の大戦果、占領(史実では6/8占領)。
オマハ米軍。オマハ海岸後方に立ちはだかる独352師団を攻撃、1ステップロスさせる。まだオマハ海岸から前進できない。
ユタ米軍。ヴァローニュを占領(史実では6/19頃占領)。
独軍。21装甲師団はカーン北市街に向かうがイベントカード「橋梁破壊」により南市街で停止。代わりに装甲教導師団が北市街に入る。17SS装甲擲弾兵師団はサン・ロー~バイユー街道上でヤーボにより足止め。トレヴィエール~バルロア~ティリーには戦線張れず。12SS装甲、346師団で英6空挺師団を包囲攻撃、1ステップロスさせる。
連合軍、ヴァローニュ、バイユー占領で勝利得点2。
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4ターン目(6/11,12):
天気晴。独軍「指揮の混乱」。
英軍。ヒルマン要塞を攻撃、破壊。ようやくスウォード海岸から前進できた。カーンに接敵。バイユーの英軍はオマハの米軍が海岸に釘付けの為動けず。
オマハ米軍。独352師団を攻撃するがまさかの攻撃失敗、除去できず。まだオマハ海岸から前進できない。
ユタ米軍。独709師団を攻撃、1ステップロスさせる。
独軍。カーン周辺の独軍、イベントカード「指揮の混乱」により動けず。英6空挺師団を攻撃、除去。ぎりぎりで英軍のカーン運河渡河を阻止した。交通妨害のヤーボは全て有効、独2装甲、17SS装甲擲弾兵師団ら4個師団相当が移動停止。相変わらずトレヴィエール~バルロア~ティリーはガラ空き状態。
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5ターン目(6/13,14):
天気雨。「ヘッジロー・カッター」。
英軍。内陸へ4ヘクス進出。
オマハ米軍。ようやく独352師団を除去、前進。
ユタ米軍。シェルブールに向かう独709師団を攻撃、除去。
独軍。何とかバルロア~カーン運河に戦線を張った。カーンの装甲教導、21装甲師団が右翼の英軍を攻撃、英8機甲旅団除去。
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6ターン目(6/15,16):
イベントカード「天候回復」により天気晴。
英軍。カーン攻防戦が始まった。11機甲師団ら2.5個師団でカーン北市街の装甲教導、21装甲師団を攻撃、加師団1ステップロス。
オマハ米軍。バルロア占領。独352守備隊除去。
ユタ米軍。シェルブールの東側外郭要塞を2個除去。
独軍。カーンの装甲教導、21装甲師団が右翼の英軍を攻撃、英師団1ステップロス。
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7ターン目(6/17,18):
天気曇。イベントカード「マルベリー完成」によりゴールド海岸にマルベリーを置く。
英軍。カーンへの直接攻撃は損害を増やすだけなので矛先を112高地に向ける。11機甲師団ら2.5個師団で12SS装甲師団を攻撃、要塞除去。
オマハ米軍。イジニー占領。
ユタ米軍。シェルブール東市街の独守備隊と外郭要塞一個を攻撃、東市街のみ占領(史実では6/26)。
独軍。サン・ローへの増援1個師団、ヤーボにより移動停止。カーンの装甲教導、21装甲師団が左翼の英軍を攻撃、英15師団除去の大戦果。
連合軍、シェルブール東市街早期占領で勝利得点2。

8ターン目(6/19,20):
イベントカード「大嵐」により天気嵐。マルベリーは無事。
英軍。11機甲師団ら2.5個師団で112高地の12SS装甲師団を最高戦力差攻撃、まさかの双方損害なし。
オマハ米軍。2機甲師団ら2個師団でバルロア西Foret de Cerisyを攻撃、独旅団1ステップロス。
ユタ米軍。シェルブール外郭要塞一個除去。
独軍。112高地への戦力抽出の為カーン北市街の装甲教導、21装甲師団を南市街へ、南市街の2装甲師団を112高地へ移動。サン・ロー方面へ1.5個師団の増援。112高地の12SS,2装甲師団が英軍を攻撃、英機甲旅団1ステップロス。

9ターン目(6/21,22):
天気曇。独軍「東部戦線の安定化」。
英軍。独軍撤収後のカーン北市街に入り占領(史実では7/9占領)。11機甲師団ら2.5個師団でティリー~ヴィレル・ボカージュ間の独高射砲群を攻撃、高射砲群除去、戦線突破、加1個師団1ステップロス。
オマハ米軍。2機甲師団らでバルロア西Foret de Cerisyを攻撃、独30快速旅団を除去。
ユタ米軍。シェルブール西市街占領(史実では6/28)。外郭要塞二個除去。
独軍。英軍の突破に対し112高地の12SS,2装甲師団をヴィレル・ボカージュ北に移動。112高地に9SS装甲,352師団が入る。243師団が米79師団の進出に備えカルトレに移動。
連合軍、カーン北市街、シェルブール西市街占領で勝利得点2。

10ターン目(6/23,24):
天気曇。独軍「対空砲火!」。
英軍。カーン方面の独軍戦力充実の為攻撃する余力なし。
オマハ米軍。2機甲師団らでバルロア西Foret de Cerisyの2個師団を攻撃、双方1ステップロス。2個師団でカランタン~サン・ロー街道上の2個師団を攻撃、双方1ステップロス。
ユタ米軍。シェルブール攻略部隊はカルトレへ。シェルブール最後の外郭要塞を攻撃、まさかの米師団1ステップロス、要塞破壊できず。
独軍。大きな動きなし。

11ターン目(6/25,26):
天気曇。イベントカード「マルベリー完成」によりユタ海岸にマルベリーを置く。
英軍。11機甲師団ら2.5個師団で112高地の9SS装甲,352師団を攻撃、加機甲旅団1ステップロス。
米軍。1.5個師団でカランタン~サン・ロー街道上の1.5個師団を攻撃、独275戦闘団除去。シェルブール最後の外郭要塞を最高戦力差攻撃、まさかの双方損害なし。2個師団でカルトレの1個師団を攻撃、双方損害なし。
独軍。サン・ロー方面の戦力不足によりサン・ローにつながる街道上の2.5個師団を2ヘクス後退させる。レセからも1.5個師団がクータンスに向け撤退。これに合わせ戦線東翼(カーン方面)も調整する。それでもサン・ロー~コモン間に間隙が出来てしまうが仕方がない。

12ターン目(6/27,28):
天気曇。連合軍「橋梁破壊」。
英軍。11機甲師団ら2・5個師団が112高地の9SS装甲,352師団を攻撃、双方1ステップロス。
米軍。2,3機甲師団が192高地の独1.5個師団を攻撃、独266戦闘団を除去した。シェルブール最後の外郭要塞を最高戦力差攻撃、ようやく要塞を破壊。2個師団でカルトレの1個師団を攻撃、独243師団を除去、占領(史実では7/2頃)。米82空挺師団も1ステップロス。
独軍。サン・ローにつながる街道上の1.5個師団をサン・ロー市街に撤退。サン・ロー~コモン間の間隙は埋められず353師団と増援の2SS装甲師団を後方に置き米軍突破時に対処させる事にした。
連合軍カルトレ占領で勝利得点1獲得。
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13ターン目(6/29,30):
天気雨。「連合軍パイロットの損失増加」。
英軍。11機甲師団ら2・5個師団が112高地の9SS装甲,352師団を攻撃、双方1ステップロス、352師団除去。
米軍。2,3機甲師団がサン・ロー~コモン間を突破、353師団と2SS装甲師団を攻撃、双方1ステップロス。カルトレの米軍レセに向かう。
独軍。カーン運河~サン・ローに薄い戦線を張る。出来るだけ早くオルヌ河の東岸まで後退する事にした。クータンスを放棄してアヴランシュへ移動中。

~7月~
14ターン目(7/1,2):
イベントカード「天候悪化」により天気嵐。
英軍。オルヌ河東岸からカーン攻撃の為11機甲師団ら2.5個師団でカーン南オルヌ河の装甲教導師団を攻撃、双方損害なし。近衛,7機甲師団ら2.5個師団でヴィレル・ボカージュ東の9SS装甲師団を攻撃、双方損害なし。
米軍。3機甲師団ら2個師団がサン・ロー南東の2SS装甲師団ら1個師団を攻撃、独353師団除去。LaFiere橋近くの独91守備隊を攻撃、除去。
独軍。オルヌ河東岸に何とか撤収、ただし戦力弱い為英軍の集中攻撃に耐えられそうもない。サン・ロー放棄。サン・ロー、カーンから南方諸都市への街道上に装甲師団を中心に4個師団を置く。アヴランシュに2.5個師団が到着。

15ターン目(7/3,4):
天気雨。「連合軍の兵員不足」。
英軍。オルヌ河西岸に移動。今後補充を滅多に受けられないので、攻撃には慎重になる。
米軍。3機甲師団ら2個師団でサン・ロー~StSevere-Calvados中間地点の2SS装甲師団を攻撃、双方1ステップロスで2SS除去。サン・ロー占領(史実では7/19頃)、レセ占領(史実では7/26頃)。
独軍。チュリー・アルクール~アヴランシュの戦線が全くない状態。カーン運河~チュリー・アルクールには戦線があるが、半分はスタックを作れない状態。まだ15ターンだが早々に全戦線が崩壊すると思われる。プレイヤーとしても士気崩壊寸前。これでは前回と同じ展開になるだけなので、ルールブックでは禁じ手?とされている地図盤南西角にユニットを集める策を講じる事にした。今からでは遅いと思われるが。
連合軍サン・ロー、レセ占領で勝利得点2獲得。

16ターン目(7/5,6):
イベントカード「天候悪化」により天気嵐。
英軍。11機甲師団ら2.5個師団がチュリー・アルクール北の9SS装甲師団を攻撃、独砲兵師団除去。
米軍。サン・ソヴール・ル・ヴィコントからクータンスまで南下する米軍の長い縦列ができている。2個師団がヴィルディユ北の1.5個師団を攻撃、米師団1ステップロス。
独軍。嵐は天の恵み。地図盤南西角に集められそうなユニットはどんどん戦略移動させる。カーン方面ももはや戦線はもたないと思われるので、戦線を縮小して英軍を釘付けにする為カーンを捨てて地図盤東端アルジャンタン付近に集結する事にした。一体何個師団が無事辿り着けるかわからないが・・。
16ターン終了時、連合軍の勝利得点は8点。
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17ターン目(7/7,8):
天気曇。独軍「司令官退場」。
英軍。大挙してオルヌ河東岸へ。カーン南市街を占領(史実では7/18頃占領)。後退する1個師団+砲兵を2.5個師団で攻撃、双方1ステップロス。9SS装甲師団を2.5個師団で攻撃、双方1ステップロス。ヴィールを占領(史実では8/7?占領)。
米軍。ヴィルディユ南西の1.5個師団を2,3機甲師団で攻撃、双方損害なし。
独軍。21装甲師団がファレーズに入る。2装甲師団がモルテン付近でヤーボの交通妨害で停止。その他は地図盤南西角目指して移動中。
連合軍カーン占領及びヴィール早期占領で勝利得点3獲得。

18ターン目(7/9,10):
イベントカード「天候回復」により天気晴。
英軍。フレール占領(史実では8/16?占領)。2個師団で0.5個師団を攻撃、独346師団除去。9SS装甲師団を2個師団で攻撃、双方損害なし。
米軍。モルテン占領(史実では8/7?占領)。アブランシュ北市街占領(史実では7/31?占領)。3機甲師団ら2個師団がアヴランシュ北で2個師団を攻撃、双方1ステップロス。
独軍。12SS装甲、17SS装甲擲弾兵師団が次ターンには地図盤南西角に入る。2装甲師団はまたもヤーボの交通妨害で停止。3降下猟兵、91師団はアヴランシュ南市街で米軍を待ち受ける。9SS装甲師団はフレール付近で英軍から逃げ回る。装甲教導師団と711戦闘団はファレーズに到着。21装甲師団は102+503重戦車大隊のいるアルジャンタンへ。
連合軍フレール、モルテン、アヴランシュ北市街早期占領で勝利得点6獲得。15得点以上になった為勝利条件の1つを満たした。

19ターン目(7/11,12):
天気曇。独軍「イタリア戦線の危機」。
英軍。1.5個師団が後退する16空軍野戦師団を包囲攻撃、双方1ステップロス。近衛、7機甲師団ら2.5師団が9SS装甲師団を包囲攻撃、双方1ステップロス。9SS装甲師団除去。
米軍。3機甲師団ら2個師団がアヴランシュ南市街の3降下猟兵、91師団を攻撃、双方1ステップロス。
独軍。地図盤南西角のクエノン河(河口に世界遺産モン・サン・ミッシェルがある)西岸に装甲3個、歩兵4個師団と戦闘団1個を配備した。またアヴランシュ南市街の3降下猟兵、91師団がなんとか河口東岸に辿り着いた。2装甲師団はまたもヤーボの交通妨害で移動停止、残念ながらもう間に合わない。この戦力で残り19ターン守りきるのは不可能だろうがやれる所までやってみる。アルジャンタン付近には計4個師団+砲兵1個が集まっている。

20ターン目(7/13,14):
天気曇。「88ミリ砲の待ち伏せ」。
英軍。南と東から来る独軍増援を警戒してカーン等にユニット配備。アルジャンタンに集結する独軍を包囲する構え。ファレーズを占領(史実では8/17?占領)。1個師団が後退する16空軍野戦師団を包囲攻撃、双方1ステップロス。英51師団、独16空軍野戦師団除去。
米軍。地図盤南西角のクエノン河の独軍に攻撃したいが、この付近の米軍9個師団中完全戦力なのは3機甲師団のみ。増援と補充で戦力が回復するのを待つしかなし。アヴランシュ南市街占領。
独軍。3降下猟兵、91師団をクエノン河西岸に収容。補充で得た快速旅団と減少戦力の9SS装甲師団が入る。2装甲師団はまたもヤーボの交通妨害で移動停止。

21ターン目(7/15,16):
天気曇。「連合軍の補給逼迫」。
英軍。ドンフロン占領(史実では8/14?占領)。11機甲師団+機甲旅団で砲兵師団を攻撃、砲兵師団除去、11機甲師団1ステップロス。
米軍。特に動きなし。
独軍。2装甲師団は地図盤南端に達し米軍戦線の背後に迫る。クエノン河西岸の戦力は装甲3.5個、歩兵7.5師団。
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22ターン目(7/17,18):
天気嵐。「連合軍船舶の転用」。
英軍。アルジャンタンを包囲中。カーンを強化中。
米軍。補充で2機甲師団を完全戦力に。独2装甲師団を包囲。
独軍。クエノン河西岸、補充で9SS装甲師団を完全戦力へ。1個戦闘団を追加。クエノン河西岸の戦力は装甲4個、歩兵8個師団。アルジャンタンは変化なし。

23ターン目(7/19,20):
天気曇。連合軍「過度な警戒」。
英軍。アルジャンタン周辺、2.5個師団で砲兵師団を攻撃、除去。
米軍。補充で1個歩兵師団を完全戦力に。2,3機甲師団で独2装甲師団を攻撃、双方1ステップロス。
独軍。クエノン河西岸の戦力は装甲4個、歩兵9個師団。アルジャンタンは変化なし。

24ターン目(7/21,22):
天気曇。「絨毯爆撃」。
英軍。2.5個師団で装甲教導、271師団を攻撃、双方1ステップロス、独711戦闘団除去。
米軍。補充で2機甲師団を完全戦力に。クエノン河西岸に絨毯爆撃、独軍計3ステップロスの大損害、独30快速旅団除去。2,3機甲師団が独2装甲師団を攻撃、除去。
独軍。クエノン河西岸。絨毯爆撃で損害の出たユニットを完全戦力のユニットと交代。

25ターン目(7/23,24):
天気曇。独軍「東部戦線の危機」。
英軍。特に動きなし。
米軍。完全戦力のスタックを3つ作った。一部軍団砲兵も攻撃位置についた。
独軍。アルジャンタン北東に増援の363師団配備。102+503重戦車大隊が支援。

26ターン目(7/25,26):
天気雨。「V-1によるロンドン攻撃」。
英軍。アルジャンタン周辺に機甲3個、歩兵3個師団、機甲5個旅団、軍団砲兵2個集結。うち減少戦力ユニット5個(機甲師団は全て減少戦力)。特に動きなし。
米軍。クエノン河周辺に機甲3個、歩兵11個師団、軍団砲兵5個が集結、うち減少戦力ユニットは5個師団。2,3機甲師団がクエノン河西岸の17SS,275師団を攻撃、独275戦闘団を除去。
独軍。アルジャンタン周辺に装甲2.5個、歩兵3個集結。クエノン河周辺に装甲5個、歩兵9個師団、うち減少戦力ユニット3個師団。特に動きなし。
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27ターン目(7/27,28):
天気曇。「絨毯爆撃」。
英軍。特に動きなし。
米軍。クエノン河西岸への絨毯爆撃により独軍4ステップロスの大損害、独272、77師団除去。2,3機甲師団が12SS装甲師団を攻撃、1ステップロスさせる。4,9師団が17SS,275師団を攻撃、米師団1ステップロス。
独軍。クエノン河西岸の戦線整理のみ。

28ターン目(7/29,30):
天気雨。「英軍の兵員不足」。
英軍。イベントカード「英軍の兵員不足」により3師団除去。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、双方損害なし。
独軍。特に動きなし。

~8月~
29ターン目(7/31,8/1):
天気晴。「ヘッジロー・カッター」。
英軍。特に動きなし。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、米独師団双方1ステップロス。
独軍。クエノン河西岸でステップロスした91師団を326師団と入替え。アルジャンタン周辺に1.5個師団の増援。

30ターン目(8/2,3):
天気雨。独軍「88ミリ砲の待ち伏せ」。
英軍。特に動きなし。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、米師団2ステップロス(うち一個は機甲師団)、独師団1ステップロス。
独軍。クエノン河西岸に9装甲師団の増援、おかげで最前線を全て完全戦力ユニットにする事ができた。

31ターン目(8/4,5):
天気雨。「ドイツ軍の兵員不足」。
英軍。アルジャンタン付近に機甲4個(減少戦力3個)、歩兵3個(減少戦力1個)師団、機甲5個旅団(減少戦力1個)、軍団砲兵2個。特に動きなし。
米軍。クエノン河周辺に機甲5個(減少戦力3個)、歩兵12個(減少戦力7個)師団、軍団砲兵6個。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、米5機甲師団1ステップロス。
独軍。アルジャンタン付近に装甲2個、歩兵5個師団、装甲旅団2個。クエノン河周辺に装甲6個、歩兵6個(減少戦力4個)師団、1個戦闘団。アルジャンタン北で装甲教導、271師団、102+503重戦車大隊が英1.5個師団を攻撃、英50師団除去。その他は動きなし。
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32ターン目(8/6,7):
天気雨。独軍「指揮の混乱」。
英軍。特に動きなし。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、米独双方損害なし。
独軍。アルジャンタン北側1ヘクス進出。

33ターン目(8/8,9):
イベントカード「天候回復」により天気晴。
英軍。波1機甲、加3歩兵師団、英34機甲旅団でアルジャンタン北の独2個師団を攻撃、独89師団1ステップロス。
米軍。クエノン河西岸。6機甲、9歩兵師団で独2個師団を攻撃、双方1ステップロス。2,3機甲師団で独2個師団を攻撃、米2機甲、独116装甲師団1ステップロス。
独軍。アルジャンタンに1個師団増援。クエノン河西岸で減少戦力ユニット(116装甲、276歩兵師団)を後に下げ完全戦力ユニット(12SS装甲、326歩兵師団)と交代。

34ターン目(8/10,11):
天気雨。独軍「88ミリ砲の待ち伏せ」。
英軍。特に動きなし。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、それぞれ米5,28師団1ステップロス。
独軍。アルジャンタンに1個師団増援。その他動きなし。

35ターン目(8/12,13):
天気晴。「天候回復」。
英軍。波1機甲、加3歩兵師団、英34機甲旅団でアルジャンタン北の独2個師団を攻撃、独85師団1ステップロス。
米軍。クエノン河西岸を2箇所で攻撃、仏2機甲師団1ステップロス。
独軍。特に動きなし。

36ターン目(8/14,15):
イベントカード「天候悪化」により天気嵐。
英軍。波1、加4機甲師団、英34機甲旅団でアルジャンタン北の独2個師団を攻撃、加4機甲、独84師団1ステップロス。
米軍。戦線整理のみ。
独軍。戦線整理のみ。

37ターン目(8/16,17):
天気晴。「連合軍パイロットの損失増加」。
英軍。1.5個師団でアルジャンタン北の0.5個師団を攻撃、独84師団除去。
米軍。特に動きなし。
独軍。特に動きなし。

38ターン目(8/18,19):
天気曇。連合軍「橋梁破壊」。
英軍。波1、加4機甲師団、英34機甲旅団でアルジャンタン北の独331,363師団を攻撃、波1機甲、独331師団が1ステップロス。
米軍。米6機甲、8師団がクエノン河西岸の独9装甲、326師団を攻撃、米8、独326師団が1ステップロス。米2,3機甲師団がクエノン河西岸の独12SS装甲、17SS装甲擲弾兵師団を攻撃、米2機甲師団が1ステップロス。
独軍。特に動きなし。
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クエノン河周辺の兵力(括弧内は減少戦力ユニット数)
米軍:機甲師団6個(3)、歩兵師団13個(11)、軍団砲兵6個
独軍:装甲・装甲擲弾兵師団6個、歩兵・降下猟兵師団6個(2)、戦闘団1個
アルジャンタン周辺の兵力(括弧内は減少戦力ユニット数)
英軍:機甲師団5個(5)、歩兵師団3個(2)、機甲・機甲歩兵旅団7個(1)、軍団砲兵3個
独軍:装甲師団2個、歩兵師団6個(3)、装甲旅団・連隊2個
その他の兵力(括弧内は減少戦力ユニット数)
米軍:機甲師団1個、歩兵師団1個(1)、軍団砲兵1個
英軍:歩兵師団3個(1)、機甲旅団1個、軍団砲兵3個


■勝敗
連合軍は38ターンまでに地図盤南西角(クエノン河西岸)に3個師団+2個軍団砲兵を進入させられなかった為、独軍の勝利。

■感想(兼備忘録)
今回のプレイでは独軍は15ターン目に勝利得点都市の防衛から地図盤南西角(クエノン河西岸)の防衛へと方針を切り替えました(連合軍が最終的に15得点するのは確実と考えた為)。その為にカーン方面に集中していた装甲師団を徐々に西にずらし嵐のターンに戦略移動で一気に南西角へ移動しました。
南西角には約11個師団が集結しましたが、38ターン目までは持たないだろうと思っていました。それが二度の絨毯爆撃による計7ステップロスにも耐え、増援と補充により戦力を回復させて米軍を一兵も渡河させる事なく最終ターンになりました。むしろ米軍は損害がかさみ攻撃不能に陥ってしまいました。ユニットの少ない独軍は長い戦線では苦戦を強いられますが、スタックを作れる短い戦線では砲兵支援、空軍支援を受けた米軍の攻撃にも耐えられる事を改めて知りました。
ルールブックに書いてある「ドイツ軍がマップ南西角エリアに戦力を集中した場合、連合軍の勝利が困難になるでしょう」というのは本当の事でした。これなら1ターン目から南西角に向けて全ユニット、特に装甲師団を移動させれば良いのではないかとまで思いました。その場合、歴史再現性を大きく損ねてしまいますが・・。というかクエノン河西岸5ヘクス守っただけで米軍の突破を防げるというのもだいぶ無理がありますが。地図盤に救われているだけ。
今の所私の認識では、連合軍の都市獲得+南西角への進入を勝利条件とする場合は独軍有利、都市の獲得のみを勝利条件とする場合は連合軍有利になると思います。試してはいませんが、都市の獲得のみを勝利条件としてコマンド95号21ページの右下選択ルールを採用するのが良いのかもしれません。
文句ばかり言っているように見えるかもしれませんが、キャンペーンを短時間でプレイできて何回も試せる本作は、ありがたい存在だと思います。面白くなければ3回も続けてフルプレイしていませんし。

連合軍:序盤、バイユーは独軍の増援がこないうちにできるだけ早く占領する。ユタ方面はヴァローニュとシェルブールの早期占領(1ヘクス2得点獲得)を達成する為、米空挺師団は統合せず道路沿いに散開して独243,709師団がヴァローニュとシェルブール占領の邪魔にならないよう移動を妨害する。オマハとの連絡は特に考えない。カーン北市街の早期占領は、独軍増援の到着状況を見て決める。北市街に1個師団しかおらず包囲して補給切れにできるようなら早期占領を考える。その他独軍戦線崩壊後ならアヴランシュも早期占領を狙えるかもしれない。英6空挺師団はカーン運河東岸に残す。そのほうが独軍にとって脅威だと思うので。空軍は独増援部隊の交通妨害使用を最優先にする。都市占領による勝利得点をもれなく獲得する事を第一に考えて戦力配分、攻撃進路を決める。
独軍:まず第一に英6空挺師団を包囲、除去。カーン運河の東からも英軍が攻撃してくると面倒なので。カーン北市街を早期占領(2得点獲得)されない事。あとはバイユーに716師団を入れたほうがいいか。シェルブールはなるようにしかならない(守備隊は東市街に置くほうがいいか)。序盤カーン方面に戦力を集中すると戦線東側は安定するが、15ターン前後に戦線西側の崩壊が起こる。どう対処するか。今の所南部都市防衛戦力温存の為の西側大撤退とカーン方面からの装甲ユニット引き抜きしか考えていない。南部都市の早期占領(1ヘクス2得点獲得)は阻止しなければならない。どうするか。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その19(銀川・概要と承天寺塔)

五日目:

6:00に起床。
7:38、ホテルの2階レストランにて朝食。
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胃を痛めないようおかゆ中心にした。

出発間際、キーカードを部屋の中に置き忘れたままドアを閉めてしまった。
あわててCさんに相談してドアを開けてもらった。

8:36、出発。
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今日は銀川周辺の観光(海宝塔(北塔)、承天寺塔(西塔)、賀蘭山岩画、西夏王陵)をした後、飛行機で鄭州経由で上海に行き宿泊する。

ガイドのEさんによると銀川は人口117万、市街地には70万。
117万の33%が回族で、中国全土の回族の1/5だそうだ。
回族以外は漢族がほとんど。
産業は農業(水稲、小麦、食油産物、甜菜、果物)、牧畜業、石炭、石油の採掘など。
特産品は枸杞の実、羊毛皮など。

銀川のある寧夏平原は「塞上の天国」「暴れ黄河、寧夏を富ます」の言葉通り、豊かな農地が広がる場所である。
ここを銀川と呼ぶようになったのは、土壌がアルカリ性で地面が白色になっているからだという。
この土壌に黄河の水を注ぐとアルカリが消え沃土に変わるそうだ。

その歴史はおおよそ以下の通り。
紀元前7~6世紀ごろ獫允、
紀元前3世紀まで秦、
3世紀まで前漢、後漢、魏、西晋、
5世紀前半まで夏(民族系統不明)など、
7世紀初まで北魏(モンゴル系)、西魏(モンゴル系)、北周(モンゴル系)、隋、
8世紀まで唐、
10世紀まで吐蕃(チベット系)、ウイグル(トルコ系)、後梁、後唐、後晋、後漢、後周、
13世紀前半まで宋、西夏(チベット系)、
13世紀後半以降モンゴル、元(モンゴル系)、明、清(ツングース系)、中華民国、現代中国。
現在は寧夏回族自治区の首都になっている。

銀川が歴史の表舞台に登場したのは、11~13世紀の西夏の首都だった時代だろう。
当時は興慶府と呼ばれ、周囲9キロの長方形の都市だった。
中は碁盤のように道が東西南北に交差していた。
しかし今は当時のものがほとんど残っていない。
13世紀にモンゴル軍により物も人も徹底的に破壊されたのだ。
寧夏回族自治区の「寧夏」とは、西夏の血を安寧ならしめるという意味があり、13世紀の元朝の時代に改名されたものだ。

東方見聞録には次のように書かれている。
「エルギヌール(武威)から東方へ八日行程を経てエグリガイア(寧夏)地方に到達する。
タングート大州に属する地方で都市・集落が多く、首府をカラチャンという。
住民は偶像教徒だが、中にネストール派の教会堂も三基建てられている。
ここもカーンに隷属する地域である。
カラチャン市ではラクダの毛で駝毛布を織造しているが、その品質の良さは世界に類がない。
白い駝毛を使った白駝毛布は特に上等で見事な品である。
しかもこれら駝毛布の生産は莫大な量に上がっており、商人の手を経て世界の各地、特にカタイ国に多く搬出されている。
エグリガイア地方についてはこれだけで済ませ、続いてテンドゥクと称する東方の土地を語りたいが、これでいよいよわれわれはプレスター・ジョンの領域内にはいることになるであろう。」
カラチャンは銀川の事だと思われる。

明代に造られた南門が見えた。
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8:42、承天寺塔に到着。
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13層で高さ64.5メートル。
Eさんによると西夏時代に建てられ、後に上部のみ修復されたという。
塔のある敷地は、昔は寺で最近まで博物館(寧夏博物館)だったと。
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本によると、1055年、西夏2代皇帝李諒祚の母が興慶府の西の隅に承天寺を建立し、宋の皇帝から贈られた大蔵経を納めたという。
伝説によると、諒祚の母が観音菩薩から「城内の西にある澄んだ井戸の水を常に飲用せよ」とのお告げをもらい、子供(諒祚)を授かったといわれる。

承天寺は興慶府の西にあったため、承天寺塔は西塔と呼ばれた。
清代に地震で崩れ再建されたそうだ。
現在は寺はない。
ポーロ一行はこれと同じ姿の塔を見たのだろうか?

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