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2012年2月

シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その9(黒水国城堡遺址)

駱駝城の観光を終え、張掖に向かう途中。
集落や畑が続く道を車で走って、13:53、昼食を食べる。
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4品頼んだ。おなじみトマトと卵の炒め物、炒飯。
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肉うどんなど。
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14:37出発。

15:11、臨沢(临泽)県を通過。
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15:36、黒水国城堡遺址に着いた。
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Cさんによると、ここは漢の城跡か、敵対する匈奴の建てた黒水国の都かのどちらかだという。
もとは黒水河のほとりにあったが、明代になって黒水河の流れが変わり放棄されたという。
一辺が二百数十メートルと小さく、先程の駱駝城と比べるとだいぶ見劣りする。
ただしこちらのほうが造られた時代がずっと古い。だから有名なのだろう。
城の一角にある櫓跡の入り口。
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入ろうとしたら多数の蜂の羽音がぶんぶんする。危ないと思い入らなかった。
すぐに出発。
16:14、黒水河を通過。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その8(駱駝城)

酒泉を出て高速に乗り張掖方面に向かう。
南に雪を頂いた祁連山脈が高々とそびえている。
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祁連とは匈奴の言葉で天を意味するそうだ。
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10:50頃、ゴビ灘が続くようになった。
今年は雨が多く、緑(ラクダ草)が多いとのこと。
彼方に万里の長城と烽火台が続いているのが見える。
11:06、清水通過。
11:30、山上に烽火台が見える。
11:36、梧桐泉で高速を下りる。
11:43、目的地である駱駝城の看板を見つけた。それから駱駝城が中々見つからず探し回る。
12:20、遠くに駱駝城の遺跡を見つける。
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車は入れないので降りて徒歩で向かう。
Cさんによると、駱駝城は4世紀末~5世紀前半に甘粛省に存在した北涼の都だとの事。
まだ遺跡まで遠い。照り返す日差しの中、大きな溝や乾ききった地面を歩いて少しずつ遺跡に近づいていった。
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城壁や櫓らしきものがだいぶ近づいてきた。
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城壁の向こうには何があるのだろうか?
城壁によじ登って城内を見渡した。
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中には何もなく乾燥した大地が広がっているだけ。
まれに瓦らしき破片が落ちていた。
奥に四角く城壁に囲まれた場所がある。そこが城の中心かも知れない。行ってみる。
・・・・・・・・・・
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来ては見たものの、何も残っていないようだ。
だがちょっと探検気分を味わえて面白かった。
もと来た道がわからなくて車のある場所に帰れるか心配だったが、Cさんはちゃんと覚えていて助かった。
13:23出発。

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バルジ大作戦(SPI/HJ)のソロプレイ記録

ホビージャパンから発行されていた入門ゲームパック「ベーシック3」の中の「バルジ大作戦(SPI/HJ)」をソロプレイしてみました。

バルジの戦いゲームいろいろ~その1 
バルジの戦いゲームいろいろ~その2

20年以上前に代々木のポストホビーで箱なし、格安の値段で購入したもの。
買った時は、手軽にプレイする時の為にと思っていたのだが、今までプレイされる事はなかった。
理由は、手軽な小さいゲームより中規模のゲームのほうがプレイの充実感があった事、ブログに掲載するにあたってマイナーなゲームのプレイを優先した事、が挙げられる。

しかし、今回のゲーム「バルジ大作戦」特有の理由もありました。
それはこのゲームが戦闘力差方式の戦闘結果表を採用していた事。
7戦力対6戦力の戦闘と、2戦力対1戦力の戦闘が同じ戦闘力差+1のカラムを使用して戦闘解決する事に全く納得がいかなかった為です。

しかし、この冬無性にバルジのゲームがやりたくなり、中規模以上のバルジゲームをやる時間も空間も気力もなかった為、今回のゲームをやってみる事にしました。
ただしこのゲームはプレイした人が結構いるのではないかと思ったので、私の稚拙なプレイ結果について、今までの他のゲームのプレイ記録のように細かい記録をブログに載せるのはやめました。

一回目(2012.2.13)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍の戦闘解決のサイコロの出目は散々だった。その為前進が遅れてしまった。
3ターン目にアメリカ軍は「渡橋妨害」ルールにより、ドイツ国境の河川から補給がドイツ軍ユニットに届かないようにするため戦闘を仕掛けた。しかしたった一箇所の橋での「渡橋妨害」に失敗し、4ターン目以降のドイツ軍を補給切れにする事ができなかった。
4ターン目以降、ドイツ軍は精鋭の第2SS装甲軍団を受領し、アメリカ軍を包囲殲滅していった。エルゼンボルン尾根も掃討した。
5ターン目、全滅の危機にさらされたアメリカ軍は大きく後退し、増援部隊が集結するまで、天候が晴天になり空軍の支援が得られるようになるまで戦力の温存に努める事にした。その為スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点をガラ空きにしてしまった。
6ターン目、ドイツ軍はスパ北方の地図外脱出地点からユニットを脱出させ、晴天になる前に勝敗に決着をつける事にした。スパ北方の地図外脱出地点では脱出ユニットの戦力×2の勝利ポイント数しか得られないが、今までのアメリカ軍の全滅ユニット数が甚大かつドイツ軍の損害が少なかった為、そこで得られる勝利ポイント数とあわせれば勝利するに足りるポイント数が得られる事がわかった。必要な戦力のユニット+αを脱出させ、地図外脱出地点がアメリカ軍の「渡橋妨害」により補給切れにならないように残りのユニットでなんとか防衛ラインを張った。
アメリカ軍はドイツ軍の勝利ポイントを減らす為ドイツ軍ユニットを全滅させるべく総攻撃したが目的は達せず、ドイツ軍の勝利に終わった。

ゲーム終了時の盤面
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感想:ゲームルールについて、史実がこうだからルールがこうなった、という説明があるとありがたいしプレイのやる気も増す。そのような説明がないのは全く残念だった。中には納得のいかないルールもあるので・・。
毎ターン、必要な勝利ポイント数を達成すると(相手に達成されると)ただちにゲーム終了というのは、上司に尻をたたかれているようで緊迫感があってよかった。逆に言えば気楽にできるゲームではないという事ですが・・。
連合軍の「渡橋妨害」、空軍などうまく使えば勝利を左右できるとの感触があった。全体的に見て、かめばかむほど味のあるゲームだと感じました。

二回目(2012.2.23)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はまずまず。
前回大損害を出したアメリカ軍は早期撤退を心がけ、損害はやや抑えられたようだ。
しかしその分、スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点を早々とドイツ軍に明け渡してしまった。
結局、4ターン目にドイツ軍は増援の第2SS装甲軍団を中心に地図外脱出を行い、地図外脱出地点がアメリカ軍の「渡橋妨害」により補給切れにならないように残りのユニットで防衛ラインも張ることができて、勝利した。

ゲーム終了時の盤面
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感想:アメリカ軍は前回大損害を出してドイツ軍の勝利に貢献したので、今回は損害を出さない事を心掛けたが、結局ドイツ軍は4ターン目の増援により勝利ポイントの不足分を補うことができた。スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点を補給切れにする為、アメリカ軍は周辺の町にユニットを立て籠もらせなくてはならないようだ。

三回目(2012.2.29)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はやや良。
アメリカ軍は、スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出を防ぐ為、戦線後方にいた第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置した。その効果はてきめんで、ドイツ軍は「渡橋妨害」により中々脱出地点に近づく事ができない。
しかし、ようやくトロワ・ポンとスパに隣接したドイツ軍は、サイの目が好調で最初の攻撃で町を陥落させてしまった。アメリカ軍も黙っておらず、なんとか脱出を阻止しようと初の反撃を行なった。
そういうわけでドイツ軍がスパ北方のドイツ軍地図外脱出地点から脱出可能になったのは5ターン目、勝利に必要なポイントが60から80になってしまった後だった。
6ターン目に装甲5個師団相当を脱出させたものの、まだ80ポイントに達しなかった。このターンからアメリカ軍は、脱出後の弱体化したドイツ軍に攻撃をかけ始める。
7ターン目、ドイツ軍は不足した勝利ポイント分の2個歩兵師団を脱出させたが、大量の増援を得たアメリカ軍は総反撃に出て第1SS装甲師団はじめ数個師団を血祭りに上げ、スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点への補給線も「渡橋妨害」により途絶させ、逆に勝利ポイントを達成して、連合軍の勝利となった。

ゲーム終了時の盤面
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感想:ようやく連合軍が勝利した。第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置するのが良策だとわかった。あと何回かプレイして確認したい。

四回目(2012.3.3)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はまずまず。
アメリカ軍は、前回と同様スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出を防ぐ為、戦線後方にいた第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置した。
2ターン目、ドイツ軍は3個装甲師団でトロワ・ポンを攻撃したが敵ユニットを除去する事ができず、アメリカ軍に逆包囲されて装甲教導師団を失った。
また、その他の攻撃でもEx(相互損害)を数回出して歩兵師団を数個失った。
その結果、アメリカ軍は3ターン目に勝利ポイントを達成し連合軍の勝利となった。

ゲーム終了時の盤面
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感想:早くトロワ・ポンを落としたいばかりに、失敗した場合の先の事を考えず攻撃してしまった。

五回目(2012.3.11)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はやや悪。
アメリカ軍は、前回と同様スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出を防ぐ為、戦線後方にいた第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置した。
2ターン目以降、ドイツ軍はあせらず隙を見せず着実にトロワ・ポンとスパを陥落させ、除去できそうなアメリカ軍ユニットを攻撃していった。
そのため5ターン目になってアメリカ軍はOurthe河沿いの戦線に後退し、6ターン目の増援を得て、スパ北方の地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出後に弱体化したドイツ軍を総攻撃する態勢を整えた。
7ターン目にドイツ軍はスパ北方の地図外脱出地点から脱出し、アメリカ軍は総攻撃を行った。しかし力足りず、ドイツ軍の勝利ポイント達成を阻むことができず、ドイツ軍の勝利になった。

ゲーム終了時の盤面
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感想:ドイツ軍はぎりぎり勝利できた感じ。アメリカ軍は次ターンに脱出しそうなドイツ軍ユニットに隣接させて脱出を阻む必要があったかもしれない。

六回目(2012.3.17)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はやや悪。
アメリカ軍は、前回と同様スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出を防ぐ為、戦線後方にいた第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置した。
2ターン目以降、ドイツ軍はあせらず隙を見せず着実にトロワ・ポンとスパを陥落させ、除去できそうなアメリカ軍ユニットを攻撃していった。
そのため5ターン目になってアメリカ軍はOurthe河沿いの戦線に後退し、6ターン目の増援を得て、スパ北方の地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出後に弱体化したドイツ軍を総攻撃する態勢を整えた。ドイツ軍は、スパ北方の地図外脱出地点からの脱出では勝利ポイントを達成できないと判断し、より勝利ポイントを得られるヘクス0115のドイツ軍地図外脱出地点の占領を目指す事にした。
7ターン目はアメリカ軍最悪のターンになった。ドイツ軍にOurthe河を渡河され、強力な機甲師団2個を失った。もはやアメリカ軍には大攻勢をかけるだけの戦力は残っていなかった。
8ターン目以降、天気は快晴になり、ようやく上空にアメリカ空軍が現れた。空軍の「航空阻止」により戦線後方のドイツ軍の補給路が遮断され、Ourthe河のドイツ軍は8~10ターンの移動前攻撃フェーズまで攻勢をかける事ができなかった。ドイツ軍が装甲擲弾兵旅団を派遣して補給路を回復させると、空軍は「地上支援」に使用され、ドイツ第2SS装甲師団が壊滅した。
しかしアメリカ軍の攻撃もここまでで、Ourthe河北方のSS装甲師団を主力にしたドイツ装甲師団6個の攻勢によりアメリカ軍師団は次々に除去された。ゲーム後半戦のサイの目はドイツ軍に有利、アメリカ軍に不利な目が多かったのもその一因だった。ドイツ軍は、ヘクス0115のドイツ軍地図外脱出地点への補給路を「渡橋妨害」されない地点までアメリカ軍を後退させた。
14ターン目、天気が曇天でアメリカ空軍が出現できないターンに、ドイツ軍は4個師団相当を脱出させた。アメリカ軍は総攻撃によりドイツ軍を除去して少しでも勝利ポイントを稼ごうとしたが力及ばず、ドイツ軍は必要勝利ポイント70をはるかに上回る96ポイントを得て大勝利した。

ゲーム終了時の盤面
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感想:連合軍の敗北は、ゲーム後半戦のサイの目はドイツ軍に有利、アメリカ軍に不利な目が多かったのもその一因だったが、Ourthe河での防御ラインが簡単に破られたのが痛かった。ドイツSS装甲師団の集中攻撃の前では、河沿いの防御も大して効果はなかった。アメリカ軍は7ターン目以降もっと増援がないと苦しい。

七回目(2012.3.18)
天候は「史実通り」を使用。
1ターン目のドイツ軍のサイの目はやや悪。
アメリカ軍は、前回と同様スパ北方のドイツ軍地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出を防ぐ為、戦線後方にいた第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置した。
2ターン目以降、ドイツ軍はあせらず隙を見せず着実にトロワ・ポンとスパを陥落させ、除去できそうなアメリカ軍ユニットを攻撃していった。
そのため5ターン目になってアメリカ軍はOurthe河沿いの戦線に後退し、6ターン目の増援を得て、スパ北方の地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出後に弱体化したドイツ軍を総攻撃する態勢を整えた。ドイツ軍は、スパ北方の地図外脱出地点からの脱出では勝利ポイントを達成できないと判断し、より勝利ポイントを得られるヘクス0115のドイツ軍地図外脱出地点の占領を目指す事にした。
7ターン目、ドイツ軍はOurthe河の渡河に成功したが、アメリカ軍ユニットを除去する事はできなかった。ドイツ軍は次ターンに現れるアメリカ空軍の「航空阻止」に備えて、1個装甲擲弾兵旅団を戦線後方に配置した。アメリカ軍はバストーニュ南方の戦線での損害を恐れて後退し、戦線縮小により1個歩兵師団を抽出して北に向かわせた。
8ターン目、天気は快晴になり上空にアメリカ空軍が現れた。アメリカ軍は空軍3ユニットを「地上支援」に使える事になった。ドイツ軍は逆包囲を恐れて消極的攻撃しか行わず、Ourthe河の橋頭堡を拡大しなかった。アメリカ軍は空軍の「地上支援」により橋頭堡のドイツ第1SS装甲師団を除去し、代わりに1個空挺師団を失った。
9ターン目もアメリカ軍は空軍4ユニットを「地上支援」に使う事にした。ドイツ軍は、アメリカ空軍の「地上支援」を考えるとヘクス0115のドイツ軍地図外脱出地点の占領はもはや無理で、それどころかこのターンにアメリカ軍が勝利ポイントを達成しかねないと判断し、各地からスパ北方の地図外脱出地点より脱出可能な4ユニットをかき集めて脱出させ、勝利ポイントを稼いだ。アメリカ軍は、空軍の「地上支援」の下で2個ドイツ装甲師団の除去に成功して勝利ポイントを得、僅差で勝利した。

ゲーム終了時の盤面
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感想:連合軍は8ターン以降のアメリカ空軍を、前回のプレイでは主に「航空阻止」に使ったが、今回「地上支援」に使った方が有効だとわかった。ここぞと言う時にサイの目が味方しないとドイツ軍の勝利は難しいのではないか?

これまでのまとめ(備忘録)
前提:天候は「史実通り」を使用。
ドイツ軍:主目標はスパ北方の地図外脱出地点。脱出地点へつながる補給線がアメリカ軍の「渡橋妨害」にならない地点まで西に進出する。高戦力のユニット(装甲師団など)が除去されるとただちに相手の勝利になりかねないのでそれなりに慎重に攻撃し、相手に包囲攻撃されるような状況は避ける。その上で相手ユニット除去のチャンスは逃さず攻撃する。地図版東端近くに相手側ユニットを残させない。8ターン目以降はアメリカ空軍が出てくるので、その「航空阻止」で前線への補給線が絶たれないよう小戦力の装甲ユニットを前線後方に配置しておく。ヘクス0115の地図外脱出地点の占領を目指すかどうかは、アメリカ軍ユニットに攻撃の余力があるかどうかで決める(アメリカ軍の増援予定もチェックする)。相手が空軍の「地上支援」を使って戦闘結果表の最高差のカラムでこちらの装甲ユニットを2個以上攻撃できるだけの戦力がある場合、ヘクス0115を目指すのはあきらめてスパ北方の地図外脱出地点からの脱出による勝利を目指したほうが良いと思われる(7ターン目までの早期決着を目指す)。
連合軍:スパ北方の地図外脱出地点を容易に占領されないよう、戦線後方にいる第9機甲師団の各連隊をトロワ・ポンとスパに配置する。増援が来たらそれと交代させるも可。のちのち反撃する戦力を温存する為、南側の戦線は後退・縮小して余った戦力を北側に回すのが良いのではないか。相手側による包囲→除去を避けるため町を除いて包囲されるのを避ける。Ourthe河沿いの戦線に後退し、6ターン目の増援を得て、スパ北方の地図外脱出地点へのドイツ軍の脱出後に弱体化したドイツ軍を総攻撃する態勢を整えるべきか?8ターン目以降は空軍を「地上支援」に回して相手装甲師団を戦闘結果表の最高差のカラムで攻撃し、確実に除去していけば勝利は間違いない。そのために攻撃戦力を温存しておく事。
~終~

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その7(酒泉・夜光杯廠)

9:56、酒泉夜光杯廠に到着。
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夜光杯は酒の杯で、酒泉の代表的な工芸品。値段が手ごろなものがあるので、みやげとして買いやすい。

夜光杯の原料になる酒泉の近くの祁連山脈から採れた黒玉、緑玉。
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それを光が透き通るまで薄く削って杯の形にする。
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実際に削っているところ。
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なぜ酒泉の杯が夜光杯と呼ばれるようになったのか、書籍を見るとこのように書かれている。
大昔に酒泉には酒を出す泉があった。
酒の匂いをかぎつけた二人の仙人が地上に降り、近くの石を杯に変え酒を味わったという。
そのうちの一人が杯の中の酒が月光にきらめくのを見て、この杯の事を夜光杯と呼んだ。
それをたまたま牧童が聞きつけて人々に話したことから、酒泉の杯は夜光杯と呼ばれるようになったという。

また8世紀の詩人王翰は、その詩の中で夜光杯を登場させている。

葡萄美酒夜光杯(夜光杯でうまい葡萄酒を飲み)
欲飮琵琶馬上催(ほろ酔い気分で馬に乗り琵琶を奏でる)
醉臥沙場君莫笑(酔って砂漠に倒れ臥しても笑わないでくれ)
古來征戰幾人囘(今まで西域の戦地に赴いて無事に帰れた人がどれだけいたというのか。明日をも知れぬ命、一時の身勝手を許して欲しい)。

酒泉夜光杯廠の中の大便用トイレはドアのない中国式トイレ。
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溝にまたがって用をたす。
水は定期的に流れて溝の中を洗い流す。
今まで中国を何回か旅したが、隠す所のないこのようなトイレは初めて見た(パミール高原のカラクリ湖のトイレは別として)。
しかしこれがここでは当たり前、と思うと別に恥ずかしくもなく用をたせた。

夜光杯を一対80元で買って、10:22、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その6(酒泉・鐘鼓楼)

9:41、酒泉の中心にある鐘鼓楼に着いた。
この楼は酒泉のシンボルと言える建物で、Cさんによると前涼(四世紀半ば)の時代に創建されたが今の建物は明代のものという。
書籍には1905年に再建されたと書かれている。
ポーロ一行が見た鐘鼓楼はどのような形だったのだろうか。

その昔、誰もいないはずの楼から毎朝鐘と太鼓の音が鳴るという怪事があった。
長官は何事か確かめようと音が鳴り出した時に楼に上がろうとしたが、足に激痛が走って上がれなかった。
それ以来音は止んだという。
楼の東の門額には「東迎華嶽」(東に華嶽(西安にある山)を迎え)、
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西の門額には「西達伊吾」(西は伊吾(ハミ)に達し)、
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南の門額には「南望祁連」(南は祁連山を望み)、
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北の門額には「北通砂漠」(北は内蒙古の砂漠に通ず)と書かれている。
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酒泉の地理を示している。
近くで紙を配っている人がいたがマスクなどで顔中を覆っていた。
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何事かと思ったがウイグル族の人でイスラム教徒なので顔を隠しているとの事。
靴屋さん。
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