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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その2(北京~蘭州~嘉峪関・嘉峪関城)

二日目:

3:57に目が覚めた。
4時間しか寝ていないが仕方がない。おかげで湯船に浸かることができた。
5:50、レストランに行く。
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久しぶりにおいしいベーコンを食べた。もっと食べたかったが我慢してレストランを出る。

6:05、Bさんに会った。
6:12、出発。今日は飛行機で嘉峪関に行き、
関、万里長城第一敦、懸壁長城を観光して酒泉に泊まる。

空港第二ターミナルビルに着いた。
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チェックインに時間がかかりちょっと焦りだす。
何とか済ませるとBさんと別れて、6:55、セキュリティチェックを受ける。
5分ほどで済んだ。
7:05、嘉峪関行きの便に搭乗。席は今度は後ろから2番目だった。
7:33、離陸。
8:15、機内食。
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ホテルの朝食で腹は満たされていたが目の前にあると何となく食べてしまった。

9:24、蘭州着。
自分は嘉峪関まで行くのでこのまま乗っていれば良いと思っていると降りろといわれる。
搭乗口に着くと11:10離陸と表示されていた。
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一時間以上もの間どうしようかとロビーをうろうろする。
トイレに行ったりみやげ物を見たり。
みやげ物はラクダのぬいぐるみや敦煌の壁画の置物などで、今まで見たことのあるものばかりだった。しかも結構高い。
10:40、再搭乗。乗客の数はかなり減っていた。
11:26、軽食が出た。これも何となく食べてしまった。
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12:18、嘉峪関に到着。
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ガイドのCさんに会う。運転手はDさん。
Cさんによると嘉峪関市は1958年に開発が始まり、人口は13万、祁連山脈の鉄を使った鉄鋼業と観光で成り立っている。
住民は漢族がほとんどで他にはウイグル族がいる。
敦煌から酒泉に向かう途中に位置するが東方見聞録には
「(敦煌から酒泉への)途中は終始して人煙が絶えているから、報告に値するようなことは何もない。」
と書かれているのでポーロ一行の時代には何もなかったのだろう。

飛行場から市街地に向かう道のポプラ並木は製鉄所の下水を使って育てているそうだ。
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12:51、街の食堂で昼食を食べる。
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煮た豚肉とネギをラー油と辛子で炒めた回鍋肉という料理の他、やわらかいタケノコの炒め物と海草と卵のスープが出た。
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13:52出発。

14:10、嘉峪関城を観光する。
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嘉峪関は明代の万里の長城の最西端の関所(城)で「天下第一雄関」と呼ばれる。
明の時代の1372年、常勝将軍といわれた
勝将軍がここに関所を設けたのが始まり。
明は西北方のモンゴル系部族の強勢により西域(タリム盆地)の領有をなしえなかったために西域の東にあるこの地に西方の敵への備えとして設けたのだろう。
何しろここは北は山地、南は岸の切り立った河に挟まれた天然の要害である(これら山地と河は後で見に行く)。
その為か実際は敵に攻められることは少なく、旅人から税金を徴収する場所として機能したそうだ。
ちなみに嘉峪とは美しい谷、別の本によれば美しい峠と書いてある。
だがこの周辺は荒地が広がるばかりだ。

貸し衣装屋。
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昔の鎧を着用できる。残念ながら着た人を見ることはできなかった。
連休とあってか、観光客が多い。
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嘉峪関は内城と外城の二重構造になっているが、外城の近くに九眼泉という泉がある。
昔は九つの泉があったが今は一つしかなく、それが湖のようになっている。
そこを過ぎると外城の東門がある。
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門の額には「天下雄関」と書かれている。
外城に入る。
外城の北辺を城の内側から見たところ。
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外城は北方からの万里の長城がそのまま延びたような形状になっている。
外城の周囲は1100メートルの長さである。
これは孔子を祀った文昌閣だっただろうか。
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これは将軍たちが演芸を楽しんだ舞台。
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いよいよ内城に入る。
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内城の東門は光化門といい、甕城(おうじょう)の形態をなしている。
甕城とは中国の城でよく見られる
正規の城門から外側に方形または円形に出っ張った城壁で、防御用の城門を備えている。
ここに敵を招きいれ、出口を塞いで袋のねずみにする戦法も用いられたそうだ。
内城に入った。
後ろを振り返ると、
光化門の上の楼閣に上がる位置に坂道がついている。
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現在は観光用に階段がついているが、もともとは騎馬が上がれるように階段になっていなかった。
斥候に出た兵士がいち早く楼閣にいる将軍に報告できるように騎乗したまま上がれるようになっていたのだ。
この坂道は内城の西門である柔遠門のそばにも付けられている。
坂道を登って内城の城壁の上に出た。
ここからは内城の内側が良く見える。思っていたよりも広く感じられた。
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内城の城壁の高さは10.7メートル、厚さ8メートル、周囲の長さは740メートルである。
かつてここに兵士200~400名が駐屯していた。
画像奥に見える楼閣は柔遠門と
嘉峪関門。
南辺の城壁を西に向かって歩く。
南に目をやると外城の西南角から万里の長城がはるか南に延びているのが見えた。
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壮大な眺めだ。
これが北大河という大渓谷にぶつかる場所に
万里長城第一敦がある。
ここは後で見に行く。
柔遠門と嘉峪関門が近くに見えてきた。
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内城の南西角付近から南方に延びる万里の長城を見る。
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柔遠門の楼閣を見上げる。
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廊内には絵模様の彫り物があるらしいが中には入れないようだった。
嘉峪関の楼のひとつ。
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画像中央に一個のレンガが置かれているのがわかるだろうか(○印)。
これにまつわる話がある。
嘉峪関の造営を引き受けた易開占という人がレンガ(磚)の使用量は99999枚だと明の役人に報告した。
役人は1枚でも間違えれば易の首を刎ね、人夫には3年の労役を課すと言った。
果たして嘉峪関は完成したがレンガが1枚余ってしまった。
それを城楼の上に置いていたら役人に見つかってしまい、問いただされた。
易は「そのレンガは神様が昨夜城固めの「定城磚」として置くのを夢で見ました。
取り除くと城は壊されてしまいます」と言って難を逃れたという。
この話は当時の設計技術の高さを語るものとしても伝えられる。
嘉峪関の中心、遊撃将軍府の建物群。
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柔遠門の坂道を降りて内城の外に出た。
更に外城の西門、
嘉峪関門を出て振り返ったところ。
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門額に「嘉峪関」と書かれている。
昔、兵士たちが戦いのため城門を出る時に、石を足の下に打ち付けた。
その時雀の鳴き声の様な木霊が返ってくると無事に嘉峪関に戻ってこられると縁起をかついだという。
嘉峪関の外には観光用のラクダが観光客を待っている。
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昔、西から来た旅人は嘉峪関でラクダから馬に乗り換え、東から来た旅人は馬からラクダに乗り換えたという。
そんな事を想像させる光景だ。
嘉峪関の西は荒地が広がっているばかり。
嘉峪関門、柔遠門をくぐって内城に戻る。
画像は
遊撃将軍府の入り口。
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