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シルクロード西域南道旅行(チャルチャンに到着)

15:05、チャルチャンのオアシスが見える。
チャルチャンはバヤンゴル・モンゴル自治州に属しているが、モンゴル族は遊牧を生業としており、町に住むのは漢族とウイグル族が多い。広大な綿花畑がある。
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東方見聞録にはこうある。
「住民はイスラーム教徒である。
多くの都市・集落が存在するが、首府はチャルチャンという。
数条の大河がこの国を貫流しておって、その河源から碧玉・玉髄が押し流されてくる。
これらの玉は質が良くて量も多いから、商人がこれをカタイ国(中国北部)に販売して上げる利益は莫大である。
この地方は一帯の砂原をなしている。コータンからペムに至る間も一面の砂漠なら、ペムからチャルチャンまでも同じく砂漠の連続である。
水質はいったいに悪くて苦味を帯びるが、所々に味のいい清水が見出される・・・」

紀元前1世紀、ここには且末国があった。人口1600の小国だった。
1世紀から4世紀までは鄯善国(楼蘭国)の支配下にあった。
6世紀、インドに向かう途中の宋雲がこの国の左末城を通り、「住民は100戸ばかりで、雨が少ないため水を引いて麦を作る。」と記している。
6世紀、吐谷渾(鮮卑系、青海地方が根拠地)に支配された。
7世紀初、中国の隋が支配しここに且末郡を置いた。且末郡は隋の西端であった。犯罪者を送り込んで治めたという。
7世紀前半、唐がここに播仙鎮を置き支配した。
インドからの帰路ここを通過した玄奘は、ここを折摩駄那(チャルマダーナ)と呼んだ。
8世紀、吐蕃が支配した。
11世紀、天山ウイグル国が支配した。
13世紀、モンゴル帝国の支配下になった。
以降は前述した他の西域諸国と同じ歴史を辿っているだろう。

15:21、チャルチャン市街の中心に入った。
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15:25、昼食。
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トマトと卵の炒め物が入った麺。無難な選択。
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近くには商店街もある。
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16:10、ホテルムズダグ賓館着。
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ホテルのロビーには、チャルチャンで取れた大きな玉石が置いてあった。
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東方見聞録に「河源から碧玉・玉髄が押し流されてくる。これらの玉は質が良くて量も多いから、商人がこれをカタイ国(中国北部)に販売して上げる利益は莫大である。」と書かれている通り。
玉はホータンが有名だが、他の地域でも産出する。
チャルチャン南方の他、ヤルカンド河からタシュクルガンにかけて、ケリヤの南方などで産する。

部屋
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シャワー室
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これは初めて見た。部屋においてあったお湯と水を両方出す湯沸かし器。
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16:30、付近の観光に出かける。
16:45、チャルチャンの博物館に到着、ここで現地ガイドを同乗させる。
付近の観光には必ず現地ガイドを同行させる決まりになっている。
画像は博物館から見たチャルチャンの役所。
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