« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

シルクロード西域南道旅行(ホータン・玉探しと玉の加工場)

15:20、ホータン川(白玉河、ユルン・カシュ)の橋の近くで玉探しをする。
099a
ホータンの玉の美しさは古来から有名で、ホータン川の上流の崑崙山脈から流れてくる。
町の東側の白玉河の他に町の西側に黒玉河(カラ・カシュ)がある。
かつては両河川の間に緑玉河があった。
このうち良質の玉を産するのは白玉河である。

古代、ホータンの玉は「禺氏の玉」と呼ばれていた。
禺氏とは紀元前にタリム盆地を支配した月氏の事で、彼らは中国の絹を西方に運ぶとともに、ホータンの玉を中国に運んでいたので絹の民、玉の民と呼ばれていた。

家族連れで探しに来ている。
100a
こちらでも。
101a
あちらでも地面を掘り起こして玉石を探している。
102a
私も河原を穿り返すが、どれが玉なのかわからず。
白い石は結構あるのだが。

ホータンの玉は学術的にはネフライトというものらしい。
色は乳白色、クリーム色、緑色等々だが、羊脂色のものが最上級とされている。

石売りの子供がたかってきてうるさい。
103a
ガイドのAさんは河原の石売りの玉石はニセモノというが本物らしく見えなくもない。
しかし彼らは最初1個100元と言っていたのが3個50元に値下げした。

ホータン玉石の加工兼販売所へ。
106a
白玉、青玉、めのうを加工している。
本物の羊脂玉を見せてくれたが、削ると透き通るような白い物らしい。
いまだに本物とニセモノの見分け方が良くわからない。
104a
将棋の駒や仏像を彫っている。
お守りなのか、小さな仏像を彫ったものが比較的多い。
105a
別室に大きな玉を加工した仏像や
Dscn5896a
青玉を加工した牛など加工品が多数置いてあったが、かなりの高値である。
Dscn5895a
中には値札に値段が書かれていないものもある。
値段が付けられないそうだが、そんなに価値があるものなのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シルクロード西域南道旅行(ホータン・オアシスと博物館、昼食)

12:55、ホータンのオアシスに入った。

東方見聞録にはこうある
「住民はすべてイスラーム教徒である。都市や集落が多いが中でも一段とりっぱな都市が首府コータンであり、同時にその名がこの国の国名ともなっている。あらゆる物資が豊富であるが、とりわけ木綿はアサ・アマ・穀物と並んで産額が大きい。またブドウ園・農圃・花園も多く見かける。住民は商業・手工業を営み、兵士には向かない」

トルファンの葡萄干し場に似た建物あり。東方見聞録の「ブドウ園」が見つかった。
Aさんによるとホータンの葡萄は質が悪いとの事。

紀元前1世紀、ここには于窴国があった。人口19300を数え、西域南道で最も強い国だった。
1世紀、莎車国(ヤルカンド)の賢王に服属するが、やがて賢王を倒し、精絶国(ニヤ)から疏勒国(カシュガル)まで13国を服属させ、西域南道では鄯善国と並ぶ2大国になった。王家は尉遅氏で、7世紀まで続いたとされる。
中国外で絹が生産された初めての場所であったが、于窴王に嫁いで来た中国の王女が、国禁を犯して髪の中にカイコの卵を隠して持ち込んだという伝説がある。
その後後漢の班超に服属するが、2世紀には独立した。
3世紀には更に勢力を伸ばし、タリム盆地の5大国の一つに数えられた。
6世紀初、エフタルの属国になるが、続いて西突厥に服属する。
7世紀、中国の唐の支配下になり都督府が置かれた。
この頃ここを通過した玄奘(三蔵法師)は、「国の周囲は4000余里、大半は砂漠であるが、穀作に適し、果実も多く、白玉や黒玉を産し、住民は音楽、歌舞を好み、仏法を尊び、伽藍は100箇所余り、僧侶は5000人ほどで、大乗教を学ぶ」と書いている。
7世紀、吐蕃の勢力が盛んになり支配される。
10世紀前半には独立したが、
10世紀後半にはイスラム教国カラハン朝が支配し、首都ヨートカンを始めとする仏教都市を破壊し、今のホータン市街の場所に新首都を造った。
12世紀には西遼、
13世紀にはモンゴル帝国の支配を受ける。
14~15世紀には東チャガタイ・ハン国、
16~17世紀にはヤルカンド・ハン国、
17世紀にはガルダン治下のジュンガル・ハン国、
18世紀以降は中国の清朝~中華民国~現代中国の支配下に置かれた。
現在はホータン地区に属している。ホータン市は県級市である。

13:21、綿花畑が見える。東方見聞録に「とりわけ木綿の産額が大きい。」と書かれている通り。
089a
黄色いお花畑があったが何の花なのかわからない。東方見聞録の「花園」だろうか?

オアシスの風景が続く。
090a
オアシスの風景が続く。
091a
オアシスの風景が続く。さすがホータンのオアシスは大きい。
092a
市の中心部に近づく。何かのモニュメント。
093a

13:37、博物館を見学する。
094a
中は撮影禁止。
漢代の建物の柱、銭の塊、コムギ・コーリャン等の実。
五代十国時代のミイラは、自然にできたミイラで皮膚がほぼ完全に残っていて表情がわかる。
漢代の女性の着物は、緑や赤の色が今でも大変鮮やかだった。
唐代の于闐文文書は、今でも布にくっきりと文字が残る。
北朝時代の仏像は、豊かな表情をしている。
14:12、出発。

途中で見たモニュメント。
095a
二人が握手しているモニュメント。
096a
ケリヤ出身のコルバンさんと毛沢東の像だ。
コルバンさんは毛沢東に会うためにロバ車に乗って北京まで行った人。
漢族とウイグル族の民族融和のシンボルなのだろう。

市の中心街に入った。
097a
ホータンの女性の服装はカラフルで、街は華やかな印象だ。

14:39、このレストランで昼食。最近できた店で内装がきれい。
098a
干しブドウがたっぷり入ったピラフとヨーグルト。
Dscn5893a
干しブドウや干しアンズはバザールに行くとたくさん売っているらしい。

おなじみシシケバブ。
Dscn5894a
15:15、出発

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シルクロード西域南道旅行(ヤルカンドとホータンの間)

三日目
6:00頃起きるが二度寝し、7:00のモーニングコールで起きた。
洗濯物は全て乾いていた。
シャワー、荷物の整理。背中が少し痛む。
9:00~9:20、レストランで朝食。
Dscn5892a
9:20、出発。小麦畑の中、クルミの木が植えられている。オアシスが続く。
074a
9:43、タリム河の上流、ヤルカンド河を渡る。川幅200メートル。
075a
9:50、タクフ着。タクラマカン南部の石油基地。
オアシスは4万平方キロしかないとの事。木々に囲まれた道路しか走っていないからわからないのだが、ほとんどが砂漠なのだ。
076a
10:00、葉城(カルギリク)着。
077a
漢族、ウイグル族が半分ずつ居住する。カルギリクとは「鳥の群れる町」を意味するそうだ。
古代、子合国と呼ばれた小国だった。インド方面へ向かう交通の要所として栄えた。
紀元前1世紀、西夜国に支配されていた。
1世紀に独立。
5世紀にここを通過した法顕は、「国王は大乗仏教を奉じ、千余人の僧がいる」と書いている。
6世紀に通過した宋雲は、朱駒波国と呼び、「人は山に住み、五穀は非常に豊かで、主食は麦粉である。屠殺を行わず、自然に死んだ動物を食べる。風俗と言語は于窴国(ホータン)に似ている。」と書いている。
7世紀以降、疏勒国(カシュガル)に服属していた。
7世紀に通過した玄奘は、ここをカンクカ国と呼び、「国は
・・・峻険で守備は堅固、人家は盛大である。山や丘が続き、石ころの地が広がっている。
二つの河に取り巻かれ、農耕が盛んで、ブドウ、ナシ、カラナシなどの果実が豊富である。
文字はクスターナ国(ホータン)と同じで、言語には差異がある。
伽藍は数十あるが破損したものが多い。僧徒は百余人で、大乗仏教を学習している。
・・・この国にある大乗経典の部数が最も多く、10万こうで一部をなす経典が10教経もある。」と書いている。

10:30、チベットへの道路分岐あり。
チベット道の0メートル地点(起点)石柱が立っている。この道を辿ると世界第二の高峰K2やヒンズー教の聖山カイラス、カラコルムの山々、崑崙山脈に登ることができる。そのため葉城は登山基地になっている。
078a
10:39、ゴビに入った。砂とタマリスク以外何もない。
079a
10:57、相変わらずゴビ。所々道路の建設工事を行っている。
080a
11;20、オアシス、村に入った(皮山か?)。
081a
しかしすぐにゴビへ。ここから道がよくなった。
すぐにオアシス、そしてすぐにゴビへ。
高速で流れさるゴビを見ていると眠たくなってくる。

11:41、相変わらずゴビ。
11:44、村を通過(木吉か?)。
11:53、オアシスへ。道が悪くなりすぐにゴビヘ。
082a
12:30、相変わらずゴビ。
083a
数分間休憩。青空トイレ。
P100a2
12:37、道良くなる。集落・セメント工場・農場通過。
12:45、携帯電話の中継基地あり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シルクロード西域南道旅行(ヤルカンド・旧市街散策と新市街)

ロバ車を撮っていたら、一台がこちらに近づいてきた。
060a
バザールの近くは人も多くなる。
061a
動物の頭を並べて売っていた。
062a
バザールの赤い屋根の店が密集している。
063a
昔ながらの建物。板を貼った上に漆喰?を塗りたくっている。
064a
旧市街の入り口は鍛冶屋が多い。
065a
槌音を響かせて何を作っているのだろうか?
066a
こちらは木材加工。模様にあわせて器用に切っていく。
056a
香辛料を並べて売る露店。
067a
仕事がなくて暇なのかここにも眠る男が。
068a

20:30、夕食に出かける。場所はよくわからないが四川料理の店。
069a
醤油味っぽい羊肉炒めは味がさっぱりして良い。
Dscn5890a
味噌味羊肉炒めは少し辛くて食が進む味。
Dscn5891a
あと一品は豆腐の味噌炒め。
日中気温が高いこの地で飲むビールはやはりうまい。

ホテルへの帰りがけ夜市へ。
070a
出店数はそこそこで露店の種類もトリ系、羊系など5種類位か?魚の干物を焼く店もある。
夜市の周囲には飲食店がズラリと並んでいる。
071a
このアーケードを通っただけで、ヤルカンドの街の大きさがわかる。
日用品であれば種類・品数が豊富(に見えた)。
072a
スニーカーも色々なデザインのものが揃っているようだった。
073a
小さな田舎町だと思っていたがそうではなかった。
なお東方見聞録に書かれている片足が大きい男、喉に瘤がある男は見当たらなかった。

ホテルに帰着後、下着、靴下のみ洗濯。
23:00過ぎに寝た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »