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2010年3月

敦煌・西安旅行(青島・八大関景区を散策~帰国)

8月26日
6:00起床。天気は曇り。
洗濯物はまだ乾いていない。
8:22、ホテルのレストランでバイキングの朝食。
料理の種類が多く、パン9種、お粥3種、フルーツ5種、その他洋、中華中心で30種程。
中で珍しかったのが揚げた春雨のような物の中にイモアンが入った物。
8:55、会社に電話する。時差がある事を忘れ1時間遅れで掛けてしまった。
9:00、セーフティボックスに貴重品を預けて観光に出発。
気温28度、蒸し暑い。
この付近で1時間程度で行ける所として植民地時代の別荘地、八大関景区を選ぶ。
一人で行動するので人通りの少ない場所を避け、香港西路という大通りを西に歩く。
途中正陽関路に入り更に紫荊関路を通って海の方向に進む。
9:24、第1目標の花石楼に着いた。
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石造りの塔が美しいかつての蒋介石の別荘だ。
雰囲気は神戸の異人館めぐり。
冷たい飲み物の露店が2つ3つ並んでいる。
入場料は3元だが時間がないので入らず。
次に公主楼(旧デンマーク公使令嬢の住居)を目指す。
緑の木々と芝生の公園周辺をうろうろするが中々見つからない。
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塔がついた水色の建物がそれらしいので一応見たことにして帰路に着く。
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途中厳重な警備の建物があったが後で八大関賓館(国賓を迎える高級ホテル)だと知る。
第二海水浴場沿いの山海関路を通って花石楼に戻る。
そのまま海沿いの黄海路を歩くとやがて開けた砂浜に出る。
潮風が心地良い。
西側に東海飯店のある岬に建つ高層マンションが見えた。
更に海沿いの太平角一路を歩くと、洋風建築の別荘が立ち並ぶ地区に入る。
今も人が住んでいるのでジロジロ見るのは気が引けたが、中々綺麗な場所だ。
10:15、第一海水浴場に着く。
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波打ち際で遊んでいる人が幾らかいるが平日のせいか疎らだ。
貸し水着屋というのがあった。
ここからは東側に連なる高層ビル群の眺めが実に見事だ。
また近くのレストラン?では白い礼服に身を包んだ新郎が結婚式に臨もうとしている姿が見られ、ちょっとすがすがしい気分になった。
遥か北の丘の上には湛山寺やテレビ塔が望めたがさすがにもう観光する時間がない。
10:35、ホテルの自室に戻ってテレビを見ながら横になる。
洗濯物はまだ乾いていなかった。敦煌とは大違いだ。
11:30、チェックアウトして出発。空港に向う。
12:23、青島流亭国際空港着。
搭乗ロビーで職場向けの栗羊羹を買う。
14:13、NH158便離陸。
上空から青島中心部の入り組んだ海岸線が良く見える。
岬に建つ高層マンションがひときわ高くそびえていた。
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遠くに勞山、サッカースタジアム。
やがて分厚い雲が覆って景色が見えなくなり同時に眠気が襲う。
高空まで発達した雲により激しいゆれ。
無事帰国の途に着いた事を祝って機内食のワインで一人乾杯。
17:10、関空に着陸。
関空を利用するのは初めて。
予約した羽田行きは21:10搭乗。
随分遅いがこれより前の便は昨日の情報では予約一杯だったのだ。
で暇で仕方が無いので空港ビル内に何か珍しい物はないかとうろつくが、食べ物屋とみやげ物屋など普通の店舗があるだけ。
この時間に前の便でキャンセルが出ていないか確認すればよかったのに全然頭が回らず。
とりあえず折角大阪の近くなんだからとガンコ寿司を食べる。
本屋を見つけたのでずっと立ち読み。
岳人9月号は冒険心をそそる「山上の桃源郷」企画。
5年程前に北アルプス1/25000の地図を見て憧れていた、赤牛岳と薬師岳の間にある薬師見平という平地を訪れた記録が載っていた。
登山道がないので訪れるには相当の技術力が必要、でも山上の楽園、高天原や夢ノ平に近く、きっと綺麗な場所だろうなと夢に想い描いていた。
こうして写真で見るとやっぱり綺麗な所だがなんか見ないほうが夢があってよかった気もする。
21:30、関空を離陸。
22:25、羽田着。
家に着いたのは25:30。
明日はスーツケースを返さなきゃいけないのでもう一仕事。
会社にまともに行けるんだろうか?

敦煌は想像以上に素晴らしい所だった。
砂漠やシルクロードの雰囲気を手軽に味わいたい人には絶対お勧めである。
最初期待していなかった莫高窟は、荒涼とした砂漠の中に忽然と現れた美術館さながらで仏様の安らかな顔は心に潤いを与えてくれる。見てよかったとつくづく思う。
できれば特別窟も見たほうがいい。特別料金を払うだけの価値は十分にある。
また通常のツアーならば西安とパックになっているので、一層満足感の大きいツアーになるだろう。
今回延泊した分の宿泊代、食事代等は全て海外旅行保険でカバーできた。
今回のように中国国内を乗り継ぎで帰国する場合、病気や盗難よりも航空機遅延の特約の方がメリットが大きいのではないかと思った。
現地ガイドはこのような保険の為の遅延証明の取得について、一切アドバイスはなく残念であった。現地ガイドとは観光と宿泊のみのサポート要員なのだろうか。
鳴沙山で履いていた靴下はもう何回も洗濯したが、未だに履く時に砂が零れ落ちる。
その瞬間が何となく嬉しい今日この頃である。

青島[中国]旅行ガイド ~フォートラベル~
http://4travel.jp/overseas/area/asia/china/qingdao/

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敦煌・西安旅行(西安から帰国のつもりが青島で足止め)

8月25日
6:00起床。今日は帰るだけの日である。天気は曇り。
窓から西安城の城壁が見渡せた。
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7:10、1階のカフェインザパークで洋食バイキングの朝食。
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7:33、チェックアウトを済ませてホテルを出発。空港に向う。
西安の街は丁度ラッシュアワーが始まるところ。今日が平日だった事を思い出す。
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途中古代の陵墓が散在している。西安近郊は未発掘の陵墓が無数にあり、中には歴史を塗り替えるようなお宝もあるかもしれない。ただ発掘すると布や紙はたちまち炭化してしまい、うかつに発掘できない。
8:25、西安咸陽国際空港着。
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空港使用料50元を払う。
国内線で青島へ。青島から国際線で成田に向う。
ガイドのCさん、Gさんと別れ搭乗ロビーに入る。
みやげ物屋で三国志のチョコレート80元を買う。ところが同じフロアの別の店に入ったら60元で売られていてショック。
9:20、搭乗時間を過ぎても案内がない。出発時刻のモニターを見てもMU289の便名がない。何回も目を凝らす。
搭乗口の前に中国語のホワイトボードがありよくわからないが天候不順で出発が遅れるらしい。
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少し待ってみるが搭乗開始の気配まるでなし。国際線への乗り継ぎの都合もあるので近くの空港係員に聞いてみるがLateと言うばかり。
国内線ロビーなので日本語がわかる係員がいない。埒があかずツアー会社の現地事務所に電話して空港に確認してもらう事にした。
中国の公衆電話で初めて電話する。ICカードを入れるが壊れているのか中々通じない。空港係員を捕まえて電話を掛けてもらうがやはりダメで匙を投げられた。10台ある電話のうちやっと通じる電話を探して事務所に電話した。
10分後、10:50に出発予定である事が判明。国際線は13:40発なのでぎりぎりだ。
現地事務所は空港に圧力をかけて飛行機を引き止めますから、と言っていたらしいが・・・。
10:50間際になったが未だに搭乗の気配なし。中国東方航空のカウンターにて再確認する。言葉が通じず係員もイライラ。
やっと11:30出発だとの答え。これでは予定の国際線に間に合わないので、ツアー会社の現地事務所に電話して今日中に帰れるよう別の便を手配してくれるように依頼。
11:30が迫るが搭乗案内なし。
11:30、いきなり搭乗開始。今回のツアーで初めて窓際の席。ほっとして座り込む。
12:03に離陸した。機内食はパンと、イカとニンジンとセロリのマリネ。
雲海の上を飛ぶ。
雲海を見ていると鳴沙山の砂丘を思い出す。
青島が近づくと海と密集したレンガ色の建物が見える。
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13:35、青島流亭国際空港着。
当初乗る予定だった国際線が入れ違いに飛び立つのが見えた。
到着ロビーで待っていた現地ガイドに今日の帰りの便はどうなるのか訪ねると、今日は帰れないとの意外な答え。明日の午後の便になるという。
抗議すると、今日のこれ以降の便は他の航空会社になるので運賃は自腹になるという。
明日の便ならば無償で用意すると。
パッケージツアーならば日本に帰るまでの費用は全額主催会社持ちだと思い込んでいたが、旅行条件書を読み返すと確かに、旅行会社は天災の場合の損害に対して責任は負わない、とある。
結局今日は青島で一泊して、明日関空経由で羽田に向う事になった。
航空会社の人に来てもらいチケット交換の手続きをする。
15:20、空港発。空港近くの宿はないそうで1時間程かけて青島市内に向う。
途中、道教の聖山、勞山の険しい峰々が見える。
景観保護の為だろうか家の屋根は全てレンガ色で統一されていて美しい。
青島はドイツの植民地、次いで日本の植民地になった所だ。
16:17、ホテル海天大酒店に着く。
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宿泊代はサービス料込みで558元。
何故か値段表に書いてある料金より全然安い。
ガイドから明日の予定等色々聞いた後部屋に入る。
ポーターにチップ5元を払おうとすると何故か拒否する。余りに少なすぎて頂けませんという事だった。西安のホテルでは感謝の言葉と共に受け取っていたのに。10元渡すと受け取った。
部屋の中は何故か油臭かった。
部屋からは南側の海と東側の香港中路に連なるビルが見えた。
西洋風の建物が多く敦煌や西安とは全く違う雰囲気の街だ。
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18:06、他のツアー客らと夕食の為外出する。近くに天天漁港酒家という餃子の店があったので入ってみる。
ところが餃子が全く見当たらず、様々な中華料理のサンプルと奥の方に魚が入った水槽が並んでいる。
今まで食事はガイドにお任せだったので、どう注文するのかよくわからない。
ましてや水槽の前に案内されて、どうぞ好きな魚を選べと言われても、調理方法を指示できるはずもなく、早々に水槽前から立ち去った。
注文方法だが、サンプルに値段が書いてあるので好きなものを選んで店員に言えばよいとわかった。
サンプルは3、4人前位の大皿で一つ約20元~35元。幾らなんでもこの大皿1つがこの値段じゃないよなあ、という事で皆この値段は一人前だと信じて疑う者なく、一人一皿注文する事にした。
注文を終えようやくテーブルに着いたが、言葉がうまく通じずお茶が出ずに水が出た。頼んだ料理が来た。
イカ、玉ねぎ、ピーマン、赤ピーマン、唐辛子の炒め物、セロリ、とうがん、きくらげ、ギンナン、人参、ゆりね、マッシュルームの炒め物、海老が埋め込まれた豆腐に葱がのせてある料理、私が頼んだ料理は見た目炒飯だと思ったら、卵白と海老とコーンを炒めたものだった。
私の失態で炭水化物が異様に少ない夕食になってしまった。
だが自分で苦労して注文した事もあり、味は満足出来た。
隣のテーブルを見ると餃子の山。餃子は当り前すぎてサンプルが無かったのだろう。
そろそろ出ようかと言う事で勘定を頼むと、全部で112元だった。
あの値段は大皿1枚の値段だったのだ。この味と量でこの安さに感動。それならもっと注文すればよかったと後悔。
19:10、外に出ると既に暗くなっていた。青島は経度が北京に近いので時差が少なく、日本と同じ時間感覚で過ごせる。
ホテルについた後、公衆電話から家に電話しようと四苦八苦。何故かICカードで国際電話がかけられないのだ。
仕方なくクレジットカード払いのオペレータ通話で電話する。
19:40、部屋に戻る。
明日空港に行くまで午前中暇なので近場の観光計画を練る。
21時過ぎ頃、「マッサージドウデスカ?」の電話。
明日着る物がないので洗濯する。
今日は観光はしていないが疲れた。23:00に寝た。

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敦煌・西安旅行(海潮音茶葉加工廠、陜西歌舞大劇院)

16:56、西安市街に向けて出発。
すぐの所に秦始皇帝陵
34 22' 53.09"N 109 15' 14.68"E の小高い丘が見えた。
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高速道路に入る。東側から西安市街地に近づいたが渋滞を避ける為まわり道をする。
自転車があふれるかつての中国の風景はなく車が多い。
シートベルト着用義務もあって違反すると運転手は罰金100元、助手席は20元。
たまに人力車や荷馬車が通る。

気が付くと家具を売る大きな店の前を通過してその後は南下して建築関係の店が建ち並ぶ通りに入った。
石材、彩陶、設計事務所などどこまで続くのかと思うほどの長い通りである。
こんなにあるのは西安の史跡復元事業の為だろうか。

通りが途切れると西安の城壁の一角に立つ楼閣の前に着いた。
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そこから東の城壁沿いに南下、
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雨にけぶる大雁塔
34 13' 10.95"N 108 57' 35.18"E の手前で西に向かい
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18:26、陜西歴史博物館そばの海潮音茶葉加工廠に着く。

ここは要するに中国旅行のみやげ物屋の定番、お茶屋さんである。
別室に通されると何回も聞かされたお茶の話よりも木の切り株を加工したと思われるテーブルの造形の素晴らしさに気を取られる。
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あと逆さにしてもお湯がこぼれない桃急須なるものも初見。
最近呼吸器系が弱いので呼吸器疾患に効くという白毛猿というのを買う。

19:11、ここから北上して夕食に向う。
超高層ビルが見えたので何階建てか聞いたら55階建ての税務署のビルだと言う。西安市内にはこの位のビルが五ヶ所あるそうだ。

19:31、陜西歌舞大劇院そばのレストランに着く。ブロッコリとピーマンの炒め物、ピーマン入りビーフン、小魚と葱とピーマンの揚げ物、火であぶった鶏肉、
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チンゲン菜の油炒め、豚肉とピーマンの炒め物、とうがんの炒め物、フライドポテト、豚肉とふきの炒め物、卵の炒め物、
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主役は葫廬鶏という香辛料を詰めて油で揚げた鶏。なんとお頭付き。胡椒を付けて食べる。味はそのまんま胡椒味の鶏肉。
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おいしかったのはジャガイモとニンジンの野菜スープのラーメン。全体的に敦煌よりは料理のレベルが高くおいしかった。

Gさんが観劇しないかと誘ってきた。
陜西歌舞大劇院での唐時代の宮廷楽舞でミネラルウォーター付き200元。
本場で見る機会もそうそうないだろうから見ることにした。

20:20、入場。開演直前に申し込んだせいか席は一番後ろで舞台が小さい。客は日本人、欧米人が多い。
演目は大唐礼祭、白麻舞、羽衣舞、秦王凱旋といった踊りと鴨の喧嘩、春鶯歌、華清宮といった宮廷楽器の演奏。踊りは長い羽衣をひらひらさせる類が多い。面白かったのは楽器演奏のほうで楽器の物まねをしたり演奏者同士で喧嘩したりコメディタッチのパフォーマンスである。
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21:30、終了。
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22:00、ホテル長安城堡大酒店 34 15' 01.13"N 108 56' 27.29"E に着いた。
中国の宮殿を模した西安で一番人気のホテル。
中に入ると中央が巨大な吹き抜けになっていて未知との遭遇のUFOの中を思い出した。
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ロビーに流れるピアノの音色が旅の疲れを癒してくれる。

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この後西安市内のみやげ物屋と夜市に出かけようとしたが、Gさんによるとみやげ物屋は20:00迄、夜市は雨でやっていないとの答えなのであきらめた。
部屋は8階だったがライトアップされた西安城の南門が良く見えて眺めも良かった。
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色々テレビを見て24:30に寝た。
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敦煌・西安旅行(兵馬俑坑・銅車馬展覧館、一号坑、二号坑、三号坑)

13:42出発。西安郊外の兵馬俑坑まで高速道路を走る。
Gさんから西安の概要説明。7、8月は雨がやや多いそうだ。
道の両側はとうもろこし畑。昔の宮殿のような大掛かりな建物があったが漢の皇帝の陵墓だそうだ。
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14:37、兵馬俑坑 34 23' 08.40"N 109 17' 47.53"E 近くの駐車場着。ここから入口まで延々と歩く。
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世界遺産になって色々制約があるのか兵馬俑坑の周囲が広大な緑地になっており車は近づけない。広場にみやげ物の露店が建ち並んでいた。
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14:51、入口着。
兵馬俑坑は秦始皇帝の陵墓を守る兵士の実物大の焼き物が発掘された場所で、一号坑、二号坑、三号坑、銅車馬展覧館から成り立っている。
世界でも屈指の遺跡なので観光客の顔ぶれも欧米はもとより中近東やインドから来ているような人もいて多彩だ。
いまや始皇帝は兵馬俑坑によって中国のみならず世界の耳目を集めているわけであの世でほくそえんでいるかもしれない。

14:56、まず銅車馬展覧館に入る。
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ここには20年前に発掘された1/2スケールの始皇帝専用の馬車二組の銅製模型が展示されている。
それぞれ4頭の馬が曳くようになっており模型とはいえ実際に動かせるのではないかと思うほどの出来栄え。
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余談だが写真を撮ろうとするとフラッシュがガラスに反射して中々綺麗に撮れない。綺麗に撮れる時もあるのでコツがあるようだ。

その他出土した剣や矢、弩、矛、戟などの青銅の武器も展示されているが、中でも驚いたのが水筒。金属製だが表面が劣化しておらずどうやら化学的な処理が施されているらしい。
2220年前の技術力の高さに驚くばかりだ。

次に体育館のような建物の一号坑に入る。入ったとたん喚声を上げた。
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東西230m南北62
m深さ5mの坑道の中に見渡す限り1000体もの兵士俑が並ぶ様はただただ圧巻。
未発掘も含めると人馬合わせて9000体はあると言われ今も発掘作業が続く。
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通常の観光場所より坑道に近い一段下で記念撮影。過去にカメラに集中しすぎて坑道に落ちた人もいるそうなので一応気をつける。
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坑道の前のほうは割と整った姿形の兵士俑が揃っているが半ば以降は将棋倒しになっていたり未発掘の場所があったりである。
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兵士俑は武器を持っていないが、もともと無かったのではなく秦を倒した項羽と劉邦の軍が奪い去ったのではないかと言われている。
人馬は焼き物でも武器だけは本物だったからだ。
また所々焼けた跡があるがこれも秦末の動乱の際に焼けたものらしい。

次に二号坑に入る。
二号坑は4つの坑道から成っており東西96m南北84m。
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弓兵、戦車隊、騎馬隊の兵士俑がある。調査の為に学者が立ち入っていた。

坑道の脇には発掘された弓兵、
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中級将校、
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高級将校など
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一体ずつが間近で見られるよう展示されており、兵種、階級による体型の違いが忠実に再現されている事がわかる。
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最後の三号坑は司令部を再現したもので東西18m南北22m。坑道の廊下に点々と立つ衛兵や戦車が見られる。
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16:25、なんかもっと写真撮りたかったなあと思いつつ、みやげ物売り場へ。
パンフレットにサインしてくれる兵馬俑坑の発見者はもう死んでいないとの事だった。
兵馬俑坑の敷地外の広場に建ち並ぶ露店では無関係のおじいさんを座らせて第1発見者だと偽って商売しているらしい。
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館内のみやげ物売り場では大小様々な兵馬俑、銅馬車が売られている。
一番小さな兵馬俑(高級将校)は100元、銅馬車は520元、
目を引いた一号坑の模型は1200元。
確か日本でも食玩で兵馬俑のミニチュアがあったので、誰か頑張って集めて一号坑を作ってくれないだろうか。
結局置物には興味がなく何も買わなかったが、実物の迫力を見た直後ではかなり食指が動いた事は事実。

16:47、みやげ物屋を出て駐車場に戻る。
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途中近郊に住む農民だろうか、手に持った
兵馬俑入りの箱を30元で売りに来た。
全く興味がないので断ったが何故か私にだけ付きまとって売ろうと必死である。
結局駐車場まで付いて来て最後は5元まで値下げした。

西安[中国]旅行ガイド ~フォートラベル~
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敦煌・西安旅行(敦煌を出発~西安で昼食)

8月24日
7:30起床。昨日と同様早朝は雨、後曇り。
今日は敦煌を離れ西安に向う。今回のツアーは敦煌がメインなので西安はおまけなのだが、おまけと言うには存在感ありすぎの兵馬俑坑が待っている。
8:30、レストランにて食事、その後チェックアウト、両替、9:02にホテルを出発。
敦煌の景色もこれが最後、車窓から目を凝らす。
9:20、敦煌空港 40 09' 53.47"N 94 48' 05.58"E 着。
来た時は真っ暗で見えなかった空港周辺の景色を初めて見た。と言っても広場があるだけ。
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空港使用料50元を払い9:35に入場、現地ガイドのJさんと別れる。明るい性格の良いガイドだった。
搭乗時間まで40分あるので狭い搭乗ロビー内のみやげ物屋を行ったり来たり。
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1袋20元のドライフルーツを買う。
10:20、MU2503便に搭乗。
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滑走路を歩くと空港の建物以外何も無い大平原。二日目のゴビ灘を彷彿とさせる。
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10:52、機内食。辛い味付けの鶏の唐揚とご飯、ソーセージの入ったパンと菓子パン。
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12:27、西安咸陽国際空港着。こちらは雨だった。
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空港の外に出ると日本の夏を思わせるような蒸し暑さ。敦煌の乾いた空気が懐かしい。
現地ガイドのGさんに会い、12:48出発。
13:01、机場賓館餐庁にて昼食。
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機内食を食べたばかりだが食べなきゃもったいない。トマトと卵の炒め物、瓜とハムを炒めた物、小豆とふきを炒めた物、マーボー豆腐、挽肉と玉ねぎの炒め物、
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チンゲン菜の炒め物、とうがんと挽肉の炒め物、鶏肉の醤油煮、中華ソバ、ご飯、スイカ。いつもの事だがご飯は人気が無い。贅沢な話だが日本のコメより味が落ちぼそぼそしていて食欲をそそらないので誰も箸をつけない。
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敦煌・西安旅行(鳴沙山観光)

19:53、私にとって最も期待するイベント、そして敦煌での最後のイベント、鳴沙山観光が始まる。
植樹した場所は鳴沙山の砂丘が目の前に見え否が応にも期待感が高まる。
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鳴沙山は敦煌中心部から南5キロにある砂丘群である。名前の由来は、砂地を踏むと音が鳴るからとか、昔軍隊が砂嵐で生き埋めになり地中から太鼓の音が鳴るからと言われている。
衝立状の門
40 05' 32.84"N 94 40' 33.64"E を潜ると
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南側に延々と連なる砂丘が目に飛び込んできて見事の一言に尽きる。
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記念撮影。
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鳴沙山のパノラマ。
右には観光客を待つラクダの群れ。
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我々もラクダに乗って月牙泉まで行く。
ラクダは大変穏やかな動物で近づいても眠たそうな目でじっとしゃがんでいるばかりだ。
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あぶみに足をかけて勢い良くまたがる。ラクダが立ち上がる時の体が持ち上がる感じが良い。歩き始めるとお尻への衝撃がきついがすぐに慣れる。
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目の前ににょきっと突き出たこぶを不思議そうにさする。単なる肉のかたまりのようだ。月牙泉までは15分のルートで、小さな谷を越える前半は砂漠の雰囲気があってよいが後半は鳴沙山山麓の緑が豊富な人工池を通る為興ざめである。
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20:30、月牙泉 40 05' 14.12"N 94 40' 09.43"E に着くとここもまたラクダの群れでいっぱいだ。月牙泉と脇に立つ楼閣が夕日に照らされ美しい。
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さっきまで明るかったのにもう薄暗くなっている。まわりを囲む鳴沙山には無数の人が蟻のように尾根を目指して登っている。
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北側の尾根だけ砂丘形成の調査の為、登山禁止になっている。

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手短な尾根目指して登り始める。
下るときの砂すべり込みの料金が20元。斜面には歩きやすいように木道が渡してあるが、どうしても砂地を歩いてみたくて試すがやはり大変。
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15分かけて息を切らせて尾根に辿り着くと思わずへたり込む
40 05' 02.99"N 94 40' 31.72"E
辺りはもう暗くなっていて遠くの砂丘の様子はほとんど見えない。眼下の月牙泉や鳴沙山の入口とそこから敦煌市街に伸びる道路の明かりだけが見えた。
果てしなく広がる砂丘を見れなかったのは非常に残念だ。
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ここの地面は陽関付近と違って乾き切ったさらさらの砂だ。
尾根から少しでも外れると蟻地獄にはまったようにまともに歩けない。
炎天下の中、こんな所を歩いていたらたちまち体力を消耗してしまう。昔の旅行者にしてみればラクダと十分な水を準備してこそ成り立つ旅だったのだろう。

日が落ちて涼しくなった事もあり、四方に広がる砂漠を眺めながらしばらくここにいたいと思ったが、観光時間のリミットは刻々と迫る。
仕方なく砂すべりの乗り場に急ぐ。係の兄ちゃんが「ピャオ、ピャオ」と言うので何の事かと思ったら20元と引き換えにもらったチケットを見せろと言う事だった。
滑り方を教わり恐る恐る滑り始めると思っていたよりスピードが出ない。のんびり降りる事が出来て気分は良かったが下の方に来るととうとう止まってしまった。
この後は再びラクダに乗って入口に戻る。
すっかり暗くなっていたので周りの景色は望めず、来る時にもっと写真を撮っておけばよかったと後悔。
でも月牙泉に設置してある強力な照明によって出来た砂漠にゆらめく我々とラクダの影は、大変幻想的で思わず見とれてしまう。ちょっとの間だったが、昔の旅行者の夜の砂漠の旅気分を味わう事ができて満足だった。
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入口に着くと、ああこれで敦煌の観光も終わってしまったか、と少し寂しい気分になった。
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21:26に鳴沙山を出る。
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今回の旅で何回も通りかかった市中心部のロータリーに立つ敦煌市のシンボル、反弾琵琶像を眺めながら、楽しかった旅の終わりを想った。
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21:56、ホテル着。着衣を洗濯したら大量の砂が出てきた。テレビを見てから23:27に寝た。

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敦煌・西安旅行(夕食~砂漠化防止の為の植樹)

18:23、ホテルのレストランに戻って夕食。
鳴沙山でラクダに乗る前に、ラクダの掌の煮込みを食べる。
出てきた料理は人参のきんぴら、にがうりの炒め物、チェリートマト、ミミガー?とピーマンと葱の炒め物、茄子の炒め物、レバーの炒め物、北京ダック、シシカバブ、鶏肉の醤油煮、きしめんのような平べったい麺の料理、
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棗の砂糖漬け?
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細切れの麺と人参が入ったスープ、揚げ饅頭、蒸饅頭。

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肝心のラクダの掌の煮込み料理は「雪山駱駝」と呼ばれ祁連山脈を模した白いメレンゲの横にラクダ肉が盛り付けてある。
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ラクダの掌肉はほとんどがゼラチン状で歯ごたえがない。味も煮こごりのようで要するに素材そのものに味はないのだ。美味いとは言えないが話の種にはなるだろう。
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19:25発。

19:45、鳴沙山の近くで砂漠化防止の為の植樹を行なう。動物や妖精の張りぼてが飾られた変な場所を分け入って行くと植樹をする場所に着く。一人一本ずつ木を植えて名前の入ったプレートをつける。感謝状をもらう。なんか良く分からないけど良い事したような気分になる。
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敦煌・西安旅行(絨毯博物館~夜光杯作坊~敦煌民俗博物館)

16:10、市内の絨毯博物館?に着いた。
まず絨毯の工房で実際に織っている姿を見る。
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織機にかけられた細かい糸を器用に拾っていかなければならないので、指が細く目が良い人でないと勤まらない。
日給は500元、出来高の良い人は更にもらえる。
大きい絨毯は1年がかりだそうだ。
絨毯売り場に入ると大小様々な絨毯が並んでいる。
シルクロードのキャラバンの図柄のものに引き付けられたが40万円、値引きして30万円。良く出来ているだけあって高い。

16:42、隣の「夜光杯作坊」に入る。
まずここで扱っている夜光杯がニセモノで無い事の証明をしてくれた。磁石を近づけると本物の夜光杯は引き寄せられる。
どうやって細かい部分の形を整えるのか?の質問に、「ざらざらした紙」との答。「紙やすりか?」と言うと皆商売熱心なのかこの日本語を覚えようと「カミヤスリ」を連発する。
売り場に入ると素材の良さで精品、特級、一級などと仕分けられている。
一番小さなサイズで精品が1500円、特級が600円。
工房、売り場ともなぜか美人が多い。夜光杯を買うなら一度覗いてみては如何だろうか。
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ドライフルーツも売っていたが3袋1000円、なぜか4袋100元。
17:21発。
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17:26、鳴沙山近くの敦煌民俗博物館に入る。城郭を復元した建物だ。
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敦煌の家庭の暮らし振りが展示されている。寝室、
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婚礼の部屋、神様が祭ってある礼拝所。
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客間には安徽省西逓村の民家で見た帽子掛けがあるが、ちょっと違うのは敦煌の場合砂よけの帽子入れが用意されている事。基本的に中国本土とかわらず敦煌が中国文化圏の内側にある事を確認できた。
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さて東方見聞録では沙州(=敦煌)の章で中国人の風習を細かく記述している。
中国人は死ぬと皆火葬で、紙でできたお金などを一緒に燃やすというものである。
この件をガイドに聞いてみたが敦煌では皆土葬で、当然紙でできたお金を燃やす事も無い。
マルコ・ポーロが火葬の話を沙州の章で述べた理由はわからないが、恐らく沙州に着いた時、初めて中国に着いた事を実感したからではなかろうか。18:16発。

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敦煌・西安旅行(昼食と莫高窟その2・特別窟の観光)

11:45、ホテル着。10分後昼食の為市内のレストランに向け出発。
12:05、菜根香というレストラン着。
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奥にある綺麗な別室で食事する。トイレも綺麗。出てきた料理は人参とワカメのきんぴら、チンゲン菜の油炒め、蒸した鶏肉、セロリと人参を炒めた物、蒸饅頭、トマトと卵の炒め物、ピーマンと鶏肉を炒めた物、
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牛肉の石焼、薄味スープの麺料理、鶏がらと香菜の入った薄味スープ。
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それと西涼ビール。飲み食いしながらこれでもう今回の旅行の日程が半分終わっちゃったなどと話す。
12:51、レストランを出る。
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13:18、莫高窟着。気温は30℃。午後は特別料金のかかる特別開放窟を観光する。ガイドするのは昨日見所を説明したYさんである。

156窟:張議潮出行図、宋国夫人出行図。視察に出る宋の役人の行列が描かれる。軍楽隊、舞楽隊・・・とにかく絵が緻密。なぜ特別料金を払うのか一目でわかった。絵の美しさが一般窟の比ではない。
158窟:15.5mの横臥した涅槃仏、その周りには釈迦の死を嘆き悲しむ弟子や各国の王の壁画。涅槃仏の安らかな表情に癒されついつい見とれてしまう。造形の妙とでも言おうか。着衣の流れるようなラインも実に美しい。囲む弟子には二種類いて、何事も無かったかのように安らかな表情をしている人と、顔をゆがめ嘆いている人。前者は既に悟りを開いている者とされる。各国の王はそれぞれの国の方法で耐えられない悲しみを解決しようとしている。耳を削ぐ者、鼻を削ぐ者、胸に剣を突き立てる者。表情、色彩が豊か。1200年前のものとは思われない。涅槃仏の台座には、死を喜び踊るバラモン信者達。
159窟:本尊は無くなっているが回りの比丘、菩薩、天王像6体が残る。しかし素晴らしいのは壁画。文殊変、普賢変で、伎楽を奏する者、剃髪する者、歯を磨く者・・・とにかく細部まで描きこまれている。
220窟:壁画の阿弥陀経変、薬師経変、維摩詰経変。通常退色して黒くなる肌色が、この壁画の阿弥陀仏は美しい肌色のまま。楽器を演奏する人、燭台に灯を点す人。演奏者の肌の白さ、演奏される様々な楽器、燭台にぶらさがる皿ひとつひとつの細やかさ、美しさが印象的。
217窟:壁画の観無量寿経変、法華経変。インドへの巡礼者の一行、蓮華から生まれる子供たち、仏のまとう衣、どれも緻密な描き方だ。
254窟:壁画のサッタ太子本生図、シビ王本生図。修復作業中でコピー版の下絵が描かれていた。飢えて弱った虎の親子に我が身を捧げる「捨身飼虎」はストーリーの進行順に描かれておらず独特な画面構成になっている。描き方は退色の影響によるものか油絵のようである。釈迦をたぶらかす魔物の絵も面白い。
275窟:交脚菩薩坐像。日本の仏像に見られない独特の座り方をしている仏像で、衣のラインがよく表現されている。
285窟:天井にはコンパス、定規、墨壷を持った神様、風神、雷神が描かれた中国神話図像。五百人の盗賊が役人に捕まり拷問を受け、その後仏様の導きで帰依し五百羅漢になる謂れを描いた五百強盗帰仏因縁図は、4コマ漫画のようなストーリー順の構成でわかりやすい。
57窟:阿弥陀説法図、その周りに千仏。観音菩薩は莫高窟の二大美人と言われるだけあって紅が入った肌色の美しさ、伏目がちな表情、身にまとう金色の装身具のあでやかさに見とれてしまう。側にいる比丘の流し目も色っぽい。
45窟:釈迦如来、阿難、迦葉、菩薩、天王の立像が並ぶ。唐時代の塑像の最高傑作と言われ、特に菩薩は莫高窟の二大美人の一つとして有名でみやげ物の絵やTシャツ、プレートなどに最も多く描かれている。当初この窟は観光予定に入っていなかったが、ツアー客の一人がぜひ見たいという事で200元の追加料金を払って見たものである。その価値は十分にある。
窟内に入ると他の窟にはない変わった匂い。原因はわからないがすぐに慣れた。肌の白い菩薩は薄暗い窟内で際立って見え、まるで生身の人間のようななまめかしさを感じる。礼拝する位置にかしずいてこれらの仏像を見上げるとこちらに向って語りかけてくるようである。
壁画の観音普門品は信仰心の篤い人々を観音様が救済する様を色々と描いたもので、特に盗賊の難を逃れた西域の商人の風俗、荷物は当時のシルクロード旅行者の姿を知る上で興味深かった。

これで莫高窟の観光は全て終わった。
気になったのはガイドさんが窟内で長居をしたくないように感じられた事だった。
最初は観光時間の遅れを心配しているのかと思ったが、帰国後新聞記事を読んで別の理由かもしれないと思うようになった。
その記事には、莫高窟関係者は観光客を歓迎するが窟内の観光時間を減らしたがっていると書かれていた。理由は壁画の保護である。
そこで窟内の様子をスキャンしてデジタル化し、それを投影した擬似窟でじっくり見られるようにして本物の見学は大幅に時間短縮しようという計画があるらしい。

15:25、先程の本屋・みやげ物屋に立ち寄った後、莫高窟を後にした。
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敦煌・西安旅行(莫高窟その1・一般窟の観光)

8月23日
6:00時に起きた。
窓の外の天気は曇り。明け方雨が降ったようである。
7:35、ホテルのレストランで朝食。
昨日このレストランで食べれなかった麺料理にありつくことが出来た。麺はその場で手打ちで作っている。麺職人が引き伸ばした麺を手で捌く姿を間近で見ながら、麺料理はマルコポーロが中国にもたらしたのか、イタリアに持ち帰ったのか、という議論を思い出した。
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8:04、ホテルを出発。
今日は世界遺産である莫高窟へ、その後期待の鳴沙山を観光する。
天気も晴れてきたようだ。沿道にはトウモロコシ畑が続く。
途中お墓があった。盛り土の形が長方形は未婚、丸型は既婚らしい。
8:30、莫高窟の駐車場に着いた 40 02' 31.26"N 94 48' 26.88"E 。
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右側には干上がった大泉河のほとりの崖に点々と百近くの洞穴がある。かつては莫高窟の職人が暮らしていた。
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みやげ物屋が並ぶ建物 40 02' 28.57"N 94 48' 27.39"E を抜けてチケット売り場の前を通る 40 02' 26.24"N 94 48' 26.69"E 。
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普通はここで莫高窟の専門ガイドを頼むらしい。
舎利塔が立ち並ぶ宗教的な雰囲気の道 40 02' 24.32"N 94 48' 26.71"E を進むと
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大泉河にかかった橋を渡る 40 02' 22.01"N 94 48' 24.05"E 。
大泉河の河岸には日本には無い様々な形の仏塔、祠のようなものが立ち並んでいて、干上がって荒々しい河床をさらけ出した大泉河と彼方に見える皺だらけの山肌と相まって、神秘的な光景を見せてくれる。ここは日本とは異質な世界である事を改めて実感する。
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橋を渡ったところには唐の時代に作られた門がある 40 02' 22.24"N 94 48' 21.11"E 。
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道をまっすぐ進むと二番目の門がある。
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入って右手に荷物預かり所がある 40 02' 23.16"N 94 48' 15.96"E 。
懐中電灯のレンタル3元(保証金10元)、荷物預かり料は2元。
正面には莫高窟の各石窟の入口が立ち並ぶ高さ15m~30mの岩の壁があり、左右に全長1.6キロも続いている。
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莫高窟は柵で仕切られていて正面にある入り口から入場するようになっている。
カメラは持ち込み禁止なので、入場する前に左にしばらく歩いた所にある莫高窟のシンボル、九層楼 40 02' 14.29"N 94 48' 12.78"Eの前に行き記念撮影をしたり各々写真を撮ったりする。
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9:08、もと来た道を戻り莫高窟に入場する。
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莫高窟の専門ガイド、Rさんが同行する。莫高窟の観光は専門ガイドが同行しないとできない。専門ガイドは当然のことながら莫高窟について勉強を重ねた人たちだ。観光シーズンともなると予約が大変困難らしい。当日申し込んでも無理だとの事。
今回は岩壁に穿った735個の石窟のうち開放されている窟から更に選ばれた20窟を観光した。
午前中は一般開放窟10窟。

16窟
:外から見た時はわからなかったが中は意外と広い。4m位の仏像と壁面にびっしりと描かれた千仏。下の方の仏は異教徒により目が潰されている。
17窟:敦煌が世界に知れ渡る原因となった窟 40 02' 29.89"N 94 48' 17.51"E 。1900年に16窟を清掃中の道士が密封された17窟を愚然見つけ、中にあった大量の写本、仏画をイギリスのスタインに売り渡した。その後もフランスのペリオ、日本の大谷探検隊、ロシアのオルデンブルグ、アメリカのウォーナーが訪れ仏像、写本、絹画、壁画を持ち去った。ペリオが各石窟に書いた番号が今も残っている。今は唐の高僧こうべんの坐像があるのみ。紙幣が何枚か供えられていた。
328窟:釈迦と4大弟子の像。4体の供養菩薩のうち1体はウォーナーが持ち去ってここにはない。
427窟:3m位の一仏、二菩薩。壁面にびっしりと千仏。千仏の顔は金箔で鮮やかな金色。ほとんどはロシア人に剥がされて残っていない。
428窟:スダーナ太子本生図とサッタ太子本生図(捨身飼虎)。インド人らしく立体感のある顔の描き方。
259窟:釈迦の前身である2人の仏が並んでいる珍しい仏座。北壁の禅定仏は微笑を浮かべ東洋のモナリザと称される。
237窟:前室に二重壁画がある。
96窟:莫高窟のシンボル、九層楼の中にある窟で35mの大仏坐像がある。余りに大きすぎて見上げても鼻の穴しか見えない。唐、西夏、元、各時代の地面(石畳)が保存されている。
130窟:高さ26mの弥勒仏坐像。壁面両側にも変色して黒くなったと思われる仏立像の巨大な絵。
148窟:前室の両側に金剛力士像、主室に14mの横臥した涅槃仏。取り囲む83体の弟子立像が色彩、表情豊かで面白い。但し後世に修復された物だとの事。

10:45、ここで午前の観光を終わり莫高窟の敷地内の本屋に立ち寄る。
商品には全く期待していなかったが、たまたま「Tracing Marco Polo’s Northern Route」という本が目に留まった。
もしやと思ってページを開くとやはりマルコポーロのシルクロード旅行のルポルタージュで本文は英文ながら写真も豊富だ。
このようなマルコポーロの辿った道を忠実に再現するという企画本は、喉から手が出るほど欲しい。最近ではナショナルジオグラフィック社から「再見マルコポーロ 東方見聞録」(マイケル・ヤマシタ著)という全行程を辿った写真集が出ているが、今回の本は中国シルクロード限定ながら写真の数はずっと多い。
貼ってある値札シールには「¥420」とある。日本円で420円?安いなあと思ったが日本円で表示されているはずが無い。
聞いてみるとやっぱり元。でも420元だと日本円で6300円?100ページ足らずの本なのに高すぎる!
出版社を見るとhong kong china tourism pressとあり香港の本のようだ。日本に帰ってから探したほうがもっと安く手に入るかもと考えたが、もうお目にかかれないかもと思うと諦められない。
もっと安くしてくれと言ったが結局5600円より安くしてくれず、この値段で買ってしまった。
まあ、莫高窟で手に入れた本という事で思い出にも残るでしょう。
11:25、本屋を後にする。

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敦煌・西安旅行(莫高窟講義、農家園で夕食、ナイトバザール散策)

陽関博物館のトイレに立ち寄った後17:08発、ホテルに18:00に着いた。
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部屋で休む間もなく18:20、南楼の向かいの貴賓楼で莫高窟の見所について主任研究員のYさんから説明がある。
莫高窟は敦煌の中心部から東南25キロの場所、鳴沙山のふもとにある。色々な時代の色々な人が作った寺院=石窟の集合体で、石窟の数は735窟あり千仏洞と呼ばれる。
造営された時代は4世紀~14世紀。
さすがプロだけあって明日特に注目すべき仏像や壁画についての話が次から次と淀みなく出てくる。
期待した元時代の石窟は技術的に高くなくしかも開放されていないとの事。残念だ。
また各石窟は特定の僧侶のみ入室を許された訳ではなく一般の人も参拝していたとの事。
東方見聞録には「多くの寺院・僧院があって、そこにはありとあらゆる偶像が所狭しと安置されており、人々は多量の犠牲を捧げてこれを信仰し崇拝している」とあるが、マルコ・ポーロも莫高窟を訪れたのだろうか?
尚、Yさんは市内の大変立派なマンションに住んでいた。

19:35、敦煌賓館直営の緑に囲まれた農家園にて夕食。
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到着すると店員がなにやら大声を上げるのでびっくりする。客の到着を知らせているのだ。
これを合図に中国の伝統楽器の演奏が始まる。演奏している胡弓もそれぞれ形が違っていてどんな音が鳴るのか興味深い。
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料理はと言うと鶏肉と棗の煮物、きくらげとしいたけとピーマンの炒め物、鶏肉の醤油煮、ふかしたサツマイモと人参、ミニトマト、胡瓜、
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チンゲン菜の炒め物、肉団子とマロニーのような麺の入ったスープなど。
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食事の後、市内のナイトバザールに出かける。

20:45、ナイトバザール入口に到着。
まずは色とりどりの果物の屋台、そして水槽になにやら得体の知れない魚介類、
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香辛料屋ではおばさんが一生懸命赤唐辛子をすり潰している。
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やがて夜光杯の店が軒を連ね、ラクダのぬいぐるみや木彫りの仏像など置物の店が並ぶようになる。
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店の数は多いが概ね今述べたような店ばかりで割と単調である。
もっと奥にはシシカバブの屋台が立ち並んでいたがそちらにはいかず。
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途中スタイルの良い細身の女の子に声を掛けられるが無視。風俗営業のようである。
その後私は一人先にホテルに帰った。

21:09、ホテル着。洗濯をして風呂につかり22:00頃には寝た。

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敦煌・西安旅行(陽関烽火台周辺)

16:15、バスは烽火台側の陽関文物管理所の前に着いた39 55' 39.84"N 94 03' 31.35"E
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門をくぐるとそこは赤茶色の砂に覆われた別世界。
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砂の上に立つ渡り廊下から見える砂漠の景色に興奮する。ガイドの、西の楼閣に登るともっとすごいよ、の声に促され高台の楼閣に登ってみると息を呑むような景色が広がっていた。西から東南にかけて、地平線まで人工物が全く無い砂漠だけの世界。赤茶けた大地に点々と散らばるラクダ草の緑がはるかかなたまで続いている。日本ではアルプスの最奥部に登ってさえ山小屋などの人工物が目に付くのに、そんなものは何も無い。この瞬間、今回のツアー代の元は全て取れたと思いました。マルコ・ポーロの一行は西域南道を辿って敦煌に着いたのだからこの陽関付近に来たはずで、この砂漠の奥から彼らが来たと思うと感慨深い。
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いつまでも眺めていたいが観光の時間は限られているのでそうもいかない。私は砂漠の真っ只中を歩いてみたいという夢をかなえるべく、高台から砂漠に向って駆け下りた。時間が許す限り、南に向けて歩いていった。
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地面は少し湿り気があり、砂漠と言うより土漠に近い。
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タイムリミットが来たので仕方なく引き返す。
西北に目を転じると先程の陽関博物館の城郭が遠く砂の上に浮かんでいる。こうして見るとあそこに城郭を復元したのは全くの正解。シルクロードが栄えた昔もこのような幻想的な眺めだったのではないかとロマンを掻き立てる光景だ。16:45発。
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敦煌・西安旅行(陽関博物館)

15:07、陽関博物館に着く。
陽関博物館は陽関、玉門関、中国シルクロードに関する事物を陳列した博物館で2003年にオープンしたばかり。何故か周りを城壁が取り囲んでいて昔の城を復元した造りになっている。
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広さは実に10万平方メートルで昔の兵営を再現したパオ(宿泊可)や物見櫓が立ち並ぶ一角もある。博物館というよりテーマパーク。
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シルクロード館に入ると入口では漢帝国の兵士と将軍の等身大の人形がお出迎え。
館内には河西四郡の昔の砦の模型やこの辺で出土した?唐三彩、東ローマ帝国のコイン、昔の武具、農具などの陳列、霍去病(張騫の情報を得た武帝の命令で匈奴を撃滅した漢の将軍)やマルコポーロなど中国シルクロードの著名人の紹介が行なわれている。
シルクロード館を出ると中央の広場には張騫(匈奴を挟撃すべく漢の武帝の命令で同盟国を探しにアフガニスタンまで行った人で西域の詳細情報を中国にもたらした人)の大きな騎馬像。
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更に奥に進むと陽関通関式イベントの始まりである。
昔の役人姿をした館員が我々一人一人に「間諜」???と書かれた通関証を手渡す。中には私の名前と日付、承認した役人たちの印鑑、たぶん西域への通行を許すという意味の漢語が書かれている。
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お役人と記念撮影した後通関証を出口の門番の兵士に見せて印を押してもらう。
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役人も兵士も照れくさそうだった。
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晴れて出口を出ると今度は天女の扮装をした踊り子6人が舞を披露。
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踊り終わると我々に夜光杯(祁連山で産出する石を削って作った緑色をした杯で月の光にかざすと妖しく光って見える)に酒を注いで手渡した。ガイドによるとしきたりでは3杯飲み干さなくてはならず、かわいい踊り子たちを目の前にして気が強くなったか勢いで3杯飲んだ。その後踊り子と記念撮影。
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さて目の前には陽関の唯一の史跡である烽火台が立っているが、簡単に歩いて行ける距離ではない。
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ここから中国風の屋根のオープンサイドの観光バスが往復しているのだ。20元取られる。烽火台に行ってこそ陽関に行ったと言えるのにツアー代金にこのバス代が入っていないのは不思議。
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敦煌・西安旅行(陽関農家園で昼食)

12:54、玉門関に戻った。

トイレに立ち寄った後、南方約60キロの陽関に向った。

朝走ってきた道とは少し違う道だった。

途中集落の中を通る。敦煌近郊はゴビ灘しかないと思っていたが所々立派な集落もあるようだ。

車は猛スピードでゴビ灘の中の一本道を快適に南下して行きやがて右手に陽関の烽火台が見えた。

またトルファンで見たような箱型の葡萄干し場が現れた。

14:15、陽関農家園着。

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ポプラ並木が続く街道沿いのレストランで昼食を摂る。

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最初案内された部屋は一番良い部屋らしいが白壁に囲まれた病室みたいな部屋で食欲がなくなりそうだ。

部屋の外に葡萄棚がありその下で食事している家族がいたので、他のツアー客と相談のうえ葡萄棚で食事する事になった。

葡萄棚は青々と生い茂った葡萄の葉が周りを緑に染め上げさわやかな雰囲気だ。
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たわわに実っている葡萄は下についている実が一番甘い。そのせいかどの葡萄も先の部分の実がもぎとられてなかった。
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運ばれてきた料理はナンに似たバオビン、トマト、カボチャ、とうもろこし、ピーマンと鶏肉の醤油炒め、鶏がらスープの麺料理。
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麺は給仕の女の子が器用にくるくるっと箸に巻き取って一人一人のおわんに入れる。真似したがうまくできなかった。

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敦煌・西安旅行(漢長城)

12:12、漢長城に着いた。漢代の万里の長城である。
版築という方法でつき固められた土壁の長城が半ば朽ちて保護用の鉄柵の中に並んでいる。
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見回すと鉄柵の外にも長城が並んでいてそれが東の地平から西の地平まで一直線に伸びているではないか。
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今は無用の長物でしかない長城が荒野の中圧倒的なスケールで自己主張している姿に何故か心打たれてしまった。
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鉄柵に囲まれていない所は触れる事もでき、触れてみると単なる土くれに過ぎなかった。
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また近くには数箇所、烽火を上げるのに使った当時のわら束が石のように固まって残っている。史跡というより化石である。
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遠くから見る烽火台は「未知との遭遇」のデビルスタワーさながら。
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この付近の荒野。
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敦煌・西安旅行(河倉城)

10:55、東方の河倉城に向けて出発。
行く途中から道が全くなくなり柔らかい地面の上を慎重に走る。時折小雨がぱらつくので地面が泥濘にならないか心配だ。そうなったら身動きが取れなくなる。荒野の中にポツンと人工物が一個見えたので烽火台かと思ったらブルドーザーだった。河倉城への道をたった一人で毎日もくもくと作っているのだった。
本物の烽火台が見えて、11:21、河倉城 40 24' 31.12"N 93 58' 11.84"E に到着した。外の気温は28℃。
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河倉城は玉門関よりはるかに大きく見ごたえがある。
縦17m、横130m、高さ6mの岩室で兵士の食糧倉庫だったそうだ。
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玉門関から車で30分も離れたところに倉庫を作る意図がわからないが・・・。ここのすぐ北側にも疏勒河の緑地が広がっている。11:33発。
12:01、玉門関に戻る。今度は西方の漢長城に向う。

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敦煌・西安旅行(玉門関)

8月22日7:00に起床。モーニングコールは7:30だが、いつも直前に起きてしまう。窓の外を見ると曇り空。
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洗濯物は靴下以外全て乾いている。
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洗髪して観光に持っていく荷物をまとめて8:30、一階のレストラン「中餐庁」に行った。
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ガイドやツアー客に挨拶しバイキング形式の朝食を摂る。メニューはレタス、キュウリ、トマト、タマネギ、ブロッコリのサラダ、もやしや青菜の炒め物、そばを油で炒めたもの、スクランブルエッグ、ウインナー、ベーコン、パン数種類、おかゆ数種、クッキー数種など。宿泊客は中国人はもちろん、日本人や欧米人も結構いるようだ。
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9:00にロビー集合。若干寒くなると言われ雨具の上着を羽織る。
すぐにワゴン車で出発。まずは市の北西にある玉門関に向う。距離にして102キロ、約1時間半の行程だ。
市街地を抜けると七里鎮あたりまでポプラ、ヤナギ、ニレの並木と綿花の畑が見られる。途中結婚式の車列とすれ違う。普通の人は7台、金持ちになると20台も繰り出すそうだ。
七里鎮を過ぎると灰茶色のゴビ灘が広がるばかり。左方に鳴沙山の砂丘が連なり前方には仏様が横臥した姿の無名の山。
ゴビ灘には所々ラクダ草やタマリスクが生えている。また朽ちた烽火台が点々と建っていた。
9:35、左方に倣宋故城が見えた。映画「敦煌」用に作られた西夏時代の城だ。
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9:55、玉門関のチケット売り場着。玉門関に着いたと思ったら、実はまだ40分も先だった。チケット売り場の係員が毎日玉門関に通うのは大変なので途中のこの場所に設置されたらしい。
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車から降りるとチケット売り場の建物と門以外は灰色のゴビ灘しかない。まるで海を眺めているようだ。
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日本ではいつも人工物を目にするのが当り前なので、このシンプルな光景は新鮮でショッキングだ。
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ガイドの話では敦煌周辺の土地は100平方メートルにつき5万元だそうで移住したらどうかと言われた。
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10:37、玉門関40 21' 12.62"N 93 51' 50.22"Eに着いた。一応休憩所のような建物があり食堂や展示室もあるようだが営業しているのかどうか分からない 40 21' 02.07"N 93 51' 49.68"E 。
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中央にはタマリスクなどの植物が栽培されていた。トイレは有料で一元取られる。またいないはずの係員みたいな人がいたが何者だろうか?
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この休憩所から玉門関の遺跡が見えるのだが少し距離があるので更に車で近くに移動。
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玉門関は天山南路から中国本土に入るときに通る関所で2000年の歴史を持つ。西のホータンの玉石が運び込まれた事から玉門関の名が付いた。
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近くで見るとタテヨコ25m、高さ10mの単なる石室にすぎない。当時はここで役人が仕事をしていたのだろうか。汗血馬を得る為西域を遠征したが失敗した将軍李広利を、怒った漢の武帝が玉門関に入れさせなかったそうだが、当時はもっと大規模な砦だったのだろう。辺りには観光用の馬引きがいて馬に乗らないかと誘ってくる。他には日本とロシア?の観光客が数名。
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入り口
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記念撮影
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ここからすぐ北に疏勒河とその周囲の緑地が見える。玉門関はじめ敦煌北西の遺跡群は適当な場所に作られたのではなく、疏勒河沿いに展開しているようだ。北東方面の疏勒河の青々とした緑地と更に先の荒涼としたゴビ灘を眺めながら、昔の旅人が天山南路を辿ってあの彼方からここにやってきた事が信じられない。
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先ほどの休憩所に戻る。
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敦煌・西安旅行(成田~北京~蘭州中川空港~敦煌)

【2004年8月】
昨年行ってきたカシュガルの街で、中国より更に西方の世界を覗いてみたいと思った。
しかし何とか行けそうなイランも、マルコポーロが辿ったケルマン州が外務省の危険情報「渡航の是非を検討して下さい」が解除されないのであきらめた。
結局今年はおとなしく敦煌に行く事にした。SARSの脅威も大分下火になり昨年とは打って変わった穏やかな観光旅行が楽しめるはずだったが・・・。

一日目:成田~北京~蘭州中川空港~敦煌
二日目:敦煌(玉門関~河倉城~漢代長城~陽関~夜市)
三日目:敦煌(莫高窟~絨毯博物館~夜光杯作坊~敦煌民俗博物館~鳴沙山)
四日目:敦煌~西安(兵馬俑坑・銅車馬展覧館、一号坑、二号坑、三号坑~海潮音茶葉加工廠~陜西歌舞大劇院)
五日目:西安~青島
六日目:青島(八大関景区を散策)~関空~羽田

8月21日早朝、天気曇り。
今までのツアーと違い成田での集合時間が8:35で1時間遅いので多少のんびりと家を出る。それでも昨晩準備等で時間を費やしてしまい寝不足で体がだるくて仕方が無い。
金沢文庫5:59発の特急に乗り青砥で京成線に乗り換え、空港第2ビルに8:16に着いた。
カウンターで搭乗券をもらう。受付の女性、対応がきつくて印象悪し。座席変更もできず。
8:43、出国審査。その後眠いのでリラクゼーションスペースの長椅子で横になる。ここは静かで休むには絶好の場所だ。ただし寝込むと飛行機に乗り遅れる危険あり。001a

10:10、搭乗。座席は後部通路側、ガソリン臭い。
10:51、離陸。外の景色も見えないので早々に映画を見る準備をする。最近映画館で見て面白かったデイ・アフター・トゥモローをやっていたので早速これを見る。飛行機が乱気流に巻き込まれるシーンとヘリが墜落するシーンはもれなくカットされていた。
機内食のカレーはおいしいが所詮インスタントな味。
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13:09(ここから現地時間)、北京首都空港着。天気曇り、気温29℃で蒸し暑い。
13:28、入国審査。2年前に初めて北京に来たときの緊張感を思い出す。
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13:48、到着ロビーにてガイドを探す。出迎えのガイドは皆手に手に客の名前が書かれたボードを持っていて、それを目当てに探すが中々見つからない。ようやく見つけたガイドは女性で、他のツアー客はもう揃っていた。
まずは国内線の空港使用料50元(1元=15円)に両替する。
蘭州行きの飛行機は15:30にチェックインするそうなので2時間近く暇がある。せっかくだから近場の観光に行かないかな~と思っていたがそのような気配はない。
空港内の喫茶店で暇をつぶす事に。ここで何となくそれぞれ自己紹介する。ガイドはCさん、20代後半の女性で行程全体をガイドするスルーガイド。ツアー客は全部で4人。最少催行人数は6人なので人数割れしたらしい。皆一度は中国に来た事のある人ばかり。
中国の喫茶店に入るのは初めてなので多少緊張気味。メニューに書いてある中国語がさっぱりわからずガイドに聞いてミルクティー(20元)を頼んだ。他の飲み物も20元~30元位だったと思う。ビールはもっと安かったか。
ガイドが旅行での注意点を軽く説明する。色々話している内に時間が過ぎた。
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15:30、国内線にチェックイン。搭乗ロビーをうろつく。これから旅行が始まるという期待感はあるがとにかくやる事がなく暇だ。
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16:40、蘭州行きMU7816に搭乗開始。座席はまたも通路側。
17:10離陸。他のツアー客とおしゃべりしながら時間をつぶす。
18:10、機内食が来た。牛肉あんかけ麺とパン2個。蘭州に着いてから夕食だと分かっていたがついつい平らげてしまう。むしろ胃が刺激されて食欲が増した。
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18:57、蘭州中川空港36 30' 27.82"N 103 36' 58.42"E着。遥か彼方に祁連山脈らしき茶色い山並みが見えた。シルクロードに来たという実感が沸いてきた。
すぐに空港内のレストランで夕食。出てきたのは人参のキンピラに炒めたきくらげと鶏肉を混ぜたもの、よくわからない妙にプルプルした肉(豚肉?)と青ピーマン、赤ピーマンを炒めたもの、
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おなじみチンゲン菜の油炒め、鶏肉としいたけを炒めたもの、
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ユリ根の炒め物(一番おいしかった)、蘭州名物牛肉面(たぶん)など。
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やがて仕事を終えたレストランの従業員が40人位厨房からわらわらと湧き出てきて一斉に夕食を食べ始めた。6人しかいない客に比べて従業員は大いに盛り上がる。
良く見ると皆若くて高校生位だ。ここで働きつつ食事の面倒も見てもらっているのだろうか。
レストランを出た。敦煌行きの飛行機にチェックインするまで2時間半も時間がある。蘭州市内に興味があったがなんと空港から70キロだ。
空港の周りには噴水のある広場と七色にライトアップされた管制塔のみ。外の気温27℃、思ったより暑くない。
それにしても全く暇だ。もっと時間を有効に利用できるような企画を考えてもらえないものだろうか。
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やっと21:30にチェックイン、みやげ物屋をぶらぶら見て暇つぶし。「模倣犯」の中国語版があった。他に松浦亜弥が表紙の得体の知れない雑誌、世界の著名人シリーズの一冊らしいプーチン大統領を紹介した本など。ロシアものが多い。
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さて予定の搭乗時刻になったが係員が来ない。飛行機が遅れているらしい。
22:50、ようやく敦煌行きMU7852に搭乗開始。座席はどこに座ろうが自由。
23:03離陸。もうすぐ到着するという緊張感と寝不足のだるさが入り混じった変な感覚。
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24:32、敦煌空港着40 09' 53.47"N 94 48' 05.58"E。やっときたか~という感じ。飛行機を降りると真っ暗闇。気温30℃。
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空港の建物でスーツケースを受け取り現地ガイドのJさん(女性)に会う。すぐに車に乗って市内のホテルに向う。
車内でJさんが敦煌の概要を説明する。人口18万で主な産業は農業、昼と夜の寒暖差を象徴する「夜はストーブを囲んでスイカを食べる」という話が印象的だった。
東方見聞録によると「住民は・・・農耕によって得た穀物を売却した利益に頼って生計を立てている」(平凡社 完訳東方見聞録 愛宕松男訳注 以下同じ)であるから現在もその通りなのだろう。他の話は疲れていてよく覚えていない。
補足すると敦煌が歴史上に現れるのは紀元前111年で漢帝国が西に対する防衛拠点として築いたのが始まり。実に2100年もの歴史がある街だ。シルクロードから中国に入るときに必ず通らなければならない街でもあり、長らくシルクロードの主要都市だった。
25:11、ホテル「敦煌賓館」南楼着40 08' 25.04"N 94 40' 10.69"E。
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ロビーには仏様の立像があり敦煌の雰囲気が出ていていい感じだ。
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日本人客が多いせいか日本料理店がある。
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部屋の案内、明日の朝食の説明を受け早速4階の自分の部屋に入る。いつもおなじみカードキーで部屋に入るのに一苦労。
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着替えが一着しかないので今着ている物を洗濯し、湯を沸かして飲み水を作ってから26:00に寝た。長い一日がやっと終わった。
夜中、空気が乾燥していてノドがカラカラに乾き水を何度か飲んだ。

敦煌[中国]旅行ガイド ~フォートラベル~
http://4travel.jp/overseas/area/asia/china/dunhuang/

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