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イラン北東部旅行(タバスの南・コリートの崩壊した村と砂漠)

112457a 13:30頃、タバスの直前で南に方向転換し、近郊のコリートkoreyt 33°27'0.84"N 56°56'35.55"Eに向かった。オアシス都市タバスの近くはさすがにシュロの木などの緑が多い。

112459a 13:50、コリート付近の集落に入った。かなり年代物らしきモスクがあったが、車はシュロの林の中へ。

112461a 着いたところは1978年のタバス大地震で壊滅した村。この地震では25千人が死んだそうだ。サーサーン朝時代以来の村との事。

112462a 見るも無残な姿が視界一杯に広がる。この世の終わりの光景を彷彿とさせる。


112463a コリートの南側の砂漠に向かった。放牧の牛と羊が通過中。放牧風景は至る所で見るが、中々間近で見ることができないので嬉しい。

コリートの南側の砂漠に出た。
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ゴミ混じりのあまり綺麗な砂漠ではない。しかしマルコ・ポーロ一行が通った可能性のある砂漠だ。

ここを真っ直ぐ歩くとケルマーン州のクボナンに着く。
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ケルマーン州は治安が悪く、日本の外務省は退避勧告を出している。いつかは行きたいが今はここから彼方を眺めるだけだ。

「(コビナン(現在のクボナン)から)八日間の行程を終わるとトゥノカインという地方に着く。この地方はペルシアの北辺に位置し、都市城邑が多い・・・土人の言によれば、アレクサンダー大王とダリウス王の間に激戦が行われたのはこの地点だったという。この国は暑からず寒からずの良好な気候に恵まれているために、その都市や集落にはなにものにもよらず良質の品物が十分に出回っている。住民はすべてイスラーム教徒である。」(東方見聞録)トゥノカインとはトゥーンとカインという2つの町を中心にした地方だそうだ。

1906年にこの地方を調査したスウェーデンの探険家スウェン・ヘディンは、トゥノカインはタバスの事だと考えた。クボナンからタバスまでは240km、ラクダの移動距離は1日30 kmであるからちょうど八日間の距離になる。また、この区間の荒涼とした風景は「乾燥しきった土地には樹木も果実も見受けられず」と書いた東方見聞録の記述に一致するという。

実際のところトゥノカイン地方とはクヒスターン地方の事だそうで、それは所謂ホラーサーンと呼ばれる地域の南東部、現在のイランのラザヴィー・ホラーサーン州と南ホラーサーン州にタバスを合わせた地域を指すようである。スウェン・ヘディンの地図を見ると、トゥーンは現在のフェルドゥス付近、カインはフェルドゥス南東のQa’en周辺をさしているように見える(フェルドゥスは明日通過する)。ホラーサーンを旅した「バイクでシルクロード」の著者T・セヴェリンによると、「この国は暑からず寒からずの良好な気候に恵まれているために、その都市や集落にはなにものにもよらず良質の品物が十分に出回っている。」という記述がラザヴィー・ホラーサーン州の州都マシュハドの南方の低丘陵地帯に相当するという。タバスやマシュハドが暑からず寒からずの気候と言えるのかは何とも言えないが、各都市の年間月別平均最低気温と年間月別平均最高気温の差を見てみると、タバスが26.8、マシュハドが25.35、ケルマーンが22.35、ヴェネツィアが20.2になっており、タバスとマシュハドの夏と冬の寒暖の差が大きい事がわかる。各都市の月別平均最低気温と月別平均最高気温の差は、マシュハドが1218、ケルマーンが1521、ヴェネツィアが710で、若干マシュハドの月内の気温差がケルマーンの差より小さいものの大した違いはない。ヴェネツィアとの寒暖の差は歴然で、「暑からず寒からずの良好な気候」との記述は附に落ちないが、ポーロ一行がたまたま通過した季節がよくて感覚的にそう感じたのだろうか。面白半分で今回は気温を測ってみることにした。また、マシュハドの南方周辺は明日、明後日に通過するからどんな場所か見る事ができるだろう。

112480a 14:25、タバスに向かった。

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