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イラン北東部旅行(タバス・フサインの霊廟)

112481a タバスtabasの建物や緑が見えてきた。もうすぐ到着。
私はタバスの歴史を知らない。半ば想像で説明すると、サーサーン朝時代には集落が存在し、その後イスラム化された。中央アジアの北方遊牧民族がイランに侵入する際の通り道になったかもしれない。
11世紀にはシーア派の分派イスマーイール派が勢力を伸ばし、同じ頃イランを支配したスンニ派のセルジューク朝の攻撃を受けた。
13世紀にはモンゴルから攻撃を受け、この地方のイスマーイール派は衰えたと思われる。
サファヴィー朝時代には、ウズベク人(シャイバーニー朝?)の攻撃を受け破壊された。
近年では
1978年の大地震のほか、イラン革命後に1年にわたり占拠されたアメリカ大使館の人質を救助するため1980年に行われたアメリカ救助作戦機がタバス周辺に墜落して失敗した事件がある。
2003年にホラーサーン州からヤズド州に編入された。

112493a 14:50、タバス市内のフサインの霊廟に到着 33°36'9.66"N 56°54'23.97"E。
こんなに大規模な霊廟だとは思わなかった。大きな門が6箇所、ミナレットが4本、噴水が数箇所ある。
フサインとはシーア派十二エマーム派の第8代エマーム、アリー・リダー(いわゆるエマーム・レザー)の息子のシャーザード・フサインの事だそうだ。私は第3代エマームのフサインの事だと思っていたが勘違いだった。
比較的新しい建物だが、元の建物は
1978年のタバス大地震で倒壊し、イラン革命後に信徒の寄進等でより大規模な建物として再建されたそうだ。

入り口の門。
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112483a 中庭の小ドーム。


112485a 中庭の中央にあるまだ建築中の霊廟。こちらも6つの門、4つの塔がある壮大な建物。

霊廟の入り口。
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中は撮影禁止だった。金箔、銀箔、鏡面の幾何学模様のタイルで覆われた部屋があり、緑の光に照らされた棺が置いてある。棺の中は寄進のお札で埋まっている。他には絨毯が敷き詰められた礼拝の大広間がある。

112488a 霊廟の近くにある、ハージェ・タモル・ディンという550年前の詩人の墓石で、タバス大地震で瓦礫に埋もれたものを掘り起こして保存されている。

大きなミナレット。
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中庭はシュロの木が多い。

112491a 中庭の一角にイラン国旗が林立する場所があった。お墓だろうか?


112492a 「(トゥノカインの)国内に一大平原があって、その中にアルブル・ソル、すなわちキリスト教徒が「乾燥した樹」と呼ぶ樹がある。(中略)この樹の周辺には、ただ一方向の約十マイル彼方で多少の木が生えている以外、方百マイル以上にわたって全く樹木がない。」(東方見聞録)
「アルブル・ソルの地とは、ホラーサーン地方の一部を意味する。聖地にあって奇跡を現す開闢以来の巨大な長寿木という中世キリスト教徒の伝説と、大王が東方遠征中、人語を語る太陽樹・太陰樹に出会ったとするアレクサンダー物語の説話とが絡み合い、更にそれが、この地方に茂生するスズカケの大樹に関連づけられて成った地名である。」(完訳東方見聞録Ⅰの注釈)

周辺を探したがスズカケの木は見つからなかった。葉が針葉樹のように針状のもの、笹のように細長い葉のものはあったのだが。

タバス中心部の街路樹の中にもしかしたらあったかもしれないが、シュロの木がほとんどだった。スズカケの木が目立つようになるのは、タバスを離れもっと北に行ってからだった。

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コメント

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投稿: hikaku | 2009年7月14日 (火) 04時24分

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