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内モンゴル上都遺跡旅行(大安閣・宣文阁・鹿顶殿)

110355a ついに着いた。大安閣の上り口。

「ルイーザと私は、ずっと敬虔な気持ちになっていた。この場所に着くまでに、二万キロも旅を続けてきたのだ。玉座へと続く坂道の下に立つ。七百十一年前にマルコ・ポーロも、その旅の最後に、ここに立ったのだ。

“二人の兄弟とマルコは、その大都市に到着すると、宮廷へおもむき、多くの廷臣に囲まれた皇帝に会った。彼らは皇帝の面前で一礼し、それから地面にひれ伏して、できる限りうやうやしく敬意を表した。皇帝は彼らに立ち上がるよう命じ、丁重に礼を尽くし、彼らの来訪をたいへん喜んだ。そして、健康状態はどうか、旅はどうだったかとなどとあれこれ尋ねた。彼らはハンが機嫌よく、元気なのを知って、まったく何の心配もいりませんでしたと答えた。そして、法王から授かった信任状と手紙を差し出すと、皇帝はとても喜んだ。そのあと、聖墳墓教会の聖油を献上すると、皇帝はそれが貴重なものと知っていたので、やはりたいへん喜んだ・・・”

私はチョッキのポケットから聖油の小びんを取り出し、二歩うしろにルイーザを従えて、ゆっくりと坂道を登った。」(マルコポーロ・クエスト)

私もまったく同感だった。

110354a 「上に着いた私は、かつてハンの玉座が建っていた場所の前にひざまずいた。びんの蓋を取って傾け、油をゆっくりと地面にそそぐ。ほんの一瞬、油は地面にたまったが、すぐにゆっくりと地面にしみこんだ。地面には、きらきらと光る斑点だけが残された。こぬか雨の中、ケンブリッジから地球を半分まわったその場所で、ルイーザと私はこの地を不滅なものにした詩を声をそろえて暗唱した。・・・」(マルコポーロ・クエスト)

110353a 大安閣の上、礎石らしきもの。「マルコポーロ・クエスト」に記述があった、酒盃を手にしたあばた顔で顎髭を細長く伸ばし、悪意に満ちた表情をした高さ90センチほどの浅浮き彫りの彫像は見当たらなかった。もっと注意深く探せば見つけたかもしれない。

「各種の妖術に長けた連中をバクシ(ラマ僧)と称するが、彼らはまた次に述べるような不思議をも演ずるのである。それはカーンが正殿に出御して宴席に臨まれる時のことであるが、正殿の中央にはブドウ酒、乳そのほかの飲み物を満々と満たした杯が並べられ、そこから少なくとも十ペースの距離に高さ八キュービットもあるカーンのテーブルがすえつけられている。バクシと称する上記の魔術師がここでその妖術・呪文を行うと、飲み物を満たした杯はひとりでに床を離れて浮き上がり、誰も手を触れないままにカーンの御前に至らされる。次いでカーンがこれを飲み干すと杯は再びもとの場所にひとりでに戻るのである。このことは一万人からの人々の面前で行われるものであって、一点のうそもない確かな事実なのである。全くのところ、これら呪文を習得した妖術師たちは諸君らに対しても、彼らが本当にこの不思議をやってのけることができる者だと信じ込ますことができるであろう。」

(東方見聞録)

110352a 宣文阁を発見。

110351a 鹿顶殿を発見。

Dscn5071a 模型の大安閣・宣文阁鹿顶殿部分(北側から)。

「クブライ・カーンは城内に大理石をも使用した石造の一大宮殿を営造したが、数ある広間や部屋はすべて金箔を張り鳥獣細工をはめ込み各種の花卉草木を描いて装飾されている。全く華麗を窮め善美を尽くした輪かんである。」(東方見聞録)

110358a 更に遠くに大きな土盛りが見えた。

※引用・参考文献は旅行日記の最後に記述します。

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