« 内モンゴル上都遺跡旅行(上都遺跡チケット売り場周辺~その1) | トップページ | 内モンゴル上都遺跡旅行(护城河を渡る) »

内モンゴル上都遺跡旅行(上都遺跡チケット売り場周辺~その2)

モンゴル帝国の13世紀後半の版図。
110326a

上都の平面図
110325a_2

上都のあるドロンノールは、遼、金朝時代からの皇帝の夏営地だった。
フビライは大ハーン位に即位する前から、ここを南宋攻略の本拠地にしていた。

「軍事力をほとんど唯一の存立基盤とする遊牧政権が、その政治支配力の根源を失わずに農耕地域に進出して国を維持する場合、官僚・行政機構や物流の中枢地域などの“政治装置”を収容する拠点都市と、軍事支配の裏づけとなる遊牧軍団を収容する大遊牧地とを、ある程度の近距離のうちに(ふつう250~350kmくらい)兼ね持つ必要がある。
その候補地として、燕京(北京周辺)~開平(上都周辺)地区と京兆(西安)~六盤山地区は、中華地域全体の中でずぬけた好条件をそなえている。」

1256年、フビライは劉秉忠に閃電河の水辺のあるこの地に開平府を設計・建設することを命ずる。
閃電河は灤河の上流にある川ですが、灤河は天津まで続いていて黄海に流れ込みます。

上都遺跡の航空写真。
110324a

南東辺に正方形の皇城があり、その中に宮城がある。

この部分は1259年に完成し、開平府は完成した。

恐らく完成当時は宮殿、行政府、寺院などいくつかの建物を除いて家屋がなく、ほとんどが空き地になっていたと思われる。
空き地は園地かゲルによる宿泊地になった。

開平府は1263年、上都と命名された。

皇城の西と北に外城があるが、これらはもともとの設計にはなく、フビライが劉秉忠に大都建設を命じた1267年以降に付加されたものらしい。

北の外城はクリルタイなどが開かれた御苑、西の外城は居民区だったらしい。

内城は一辺1400メートル、外城は一辺2200メートル。

「モンゴル帝国と大元ウルス」(杉山正明/著京都大学学術出版会 東洋史研究叢刊)には同時代のフビライ系列の集団が各地に建設した都城の形態からして、宮城は内城、皇城は外城、外城は外苑と称するのが適当と書かれている。

ちなみに、われわれの現在位置(上都遺跡チケット売り場)は、皇城の南辺の南側のある程度離れた場所である。

マルコ・ポーロの行程図。
110329a_2

そのそばに猫が寄り添ってきた。
110330a

※引用・参考文献は旅行日記の最後に記述します。

|

« 内モンゴル上都遺跡旅行(上都遺跡チケット売り場周辺~その1) | トップページ | 内モンゴル上都遺跡旅行(护城河を渡る) »

077上都遺跡周辺(内蒙古自治区)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 内モンゴル上都遺跡旅行(上都遺跡チケット売り場周辺~その2):

« 内モンゴル上都遺跡旅行(上都遺跡チケット売り場周辺~その1) | トップページ | 内モンゴル上都遺跡旅行(护城河を渡る) »