025テヘラン2008以降(イラン)

イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その3(テヘラン・アザーディー・タワー)

13:30、アザーディー・タワーに着いた。Dsc02710aアザーディー・タワーは国内便が発着するメヘラーバード空港やバスターミナルに近く、テヘランから入国して地方に行くときには必ず目にする建物だ。私にとってはテヘランの象徴と言ってもいい。Dsc02712aアザーディー・タワーは、パフラヴィー朝時代の1971年、古代ペルシア帝国(アカイメネス朝)建国2500年を記念して建てられた。古代ペルシア礼讃を国是としたパフラヴィー朝を象徴する建物でもある。そのアーチの形状は古代ペルシア建築のアーチを再現している。Dsc02713a高さは45m。Dsc02714a入り口。今日は上に上がれるそうで、よかった。入場料15万リアル。イランの紙幣は額面が大きいので、慣れないとゼロの数を数えるのにとても手間取る。Dsc02715a内部はいくつかのホールがある。最初に入るホールは、パフラヴィー朝の2代目国王であるモハンマド・レザー・シャーのファラー王妃が趣味で集めた工芸品が展示されている。当時制作されたもの以外に、アカイメネス朝、サファヴィー朝、ザンギー朝、ガージャール朝時代のものがある。
しかしここは歴史博物館というよりは、歴史的遺物で客寄せして実は、民族衣装や大理石の造形物、何とも評価しがたい絵画などを売りさばく場所のように思えた。Dsc02720aDsc02716aDsc02717aDsc02719aアザーディー・タワーの設計者の像。Dsc02718aタワーの最上階へは、建設当時からある旧式のエレベーターで上がる。反応の緩慢な、このレトロなエレベーターも見所の一つだと思う。
タワーの最上階は開けた展望台とはいいがたく、狭い隙間から外を眺めるような感じだ。それでもテヘラン市内をある程度俯瞰できる眺めはここに来たからには見ておくべき。Dsc02721a世界で6番目に高い、
ミラドタワー。人気のスポットだそうで、上に上がるのに待ち行列ができるらしい。今回はあきらめた。Dsc02722aバスターミナルが見える。ここは1970年代にはテヘラン市の西の周辺部だったのだ。かつてはテヘランのはずれのこの場所から長距離バスに乗って地方に行ったのだ。それが今では膨張して周りを囲むアルボルズ山脈の山際まで広がったテヘラン市の、真っ只中にある。Dsc02723aこちらは国内線の玄関口、メヘラーバード空港Dsc02724aタワーの建つアザーディー広場は緑が多く、流水もあり(今回は干上がっていたが)、殺風景なテヘラン市街の眺めの中で目に潤いを与えてくれる場所だ。
そしてこの広場は市内でも特に大きいことから、パフラヴィー朝時代以降、様々な国家行事が行われてきた。1980年から8年間も続いた悲惨なイラン・イラク戦争の開戦日である9/21には、ここで軍事パレードが行われる。当日はパレードを見ようとする人たちでごった返し、道路は大渋滞となる。Dsc02725aタワーの最上階からは降りるときは原則エレベーターは使用できない。階段で降りる。その途中に、タワーの上部構造部分の内側が見られる場所がある。Dsc02728aいくつもの窓が目のようで、ちょっと異様な雰囲気を味わえる。Dsc02727aアザーディー広場に建つ自撮りの人の像。この像の由来は残念ながら聞かなかった。Dsc02711aイランでのスマホ普及について、ガイドのAさんは一人1~2台は持っていると言った。田舎町の高齢者が一人残らずスマホを持っているのかどうかは疑問だったけれども、普及率は結構高そうだ。通信会社は3社で、2強1並らしい。通信料はデータ量の従量制。本体は韓国、中国製が主流らしい。
そろそろ
メヘラーバード空港airplaneに向かう事にする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その2(ドバイ~テヘラン・アザーディー・タワーへ)

ドバイからテヘランに向かう機中airplane
8:50、昼食。イラン便は例によって脂っこいのが多い。フライドポテトはやめといた。クレープのような薄いナンは懐かしい。Dsc02707a10:27(ここからイラン時間で記載)、着陸。入国審査のみで革命防衛隊のチェックはなかった。荷物検査もまあまあ普通か。
11:15、現地ガイドのAさんと会う。ここで日本の旅行会社のケルマーン州のツアーが開始されているとの話を聞く。A社は先週同地を視察したとの事。B社は既に始めているそうだ。今後に期待。
バンダル・アッバース行きの便は夜出発なので時間が空いている。テヘラン市民が集まるような大きな公園に行きたいと話したが、今の季節は日中暑く、今の時間帯は市民は公園には行かないとの事。そこで今まで上まで上がったことのないアザーディー・タワーに行くことにした。ただしアザーディー・タワーは市が管理していて、中に入れる日は不定期との事で、入れるかどうかは行ってみなければわからないとの事。とにかく出発する事に。
12:00、電気街を通る。電気屋さんが軒を並べる。昔は日本のメーカーの看板ばかりだったが、今は見る影もない。圧倒的に多いのはサムスンだ。日本はソニーとパナソニックが少しあるだけ。Dsc02708aDsc02709a12:30、市内の両替所でドルをイランリアルに両替。1ドル=38900リアルだった。
両替は一般的に銀行で行わない。銀行系列の両替所で行う。両替所は多数あるので待ち時間は少ないが、銀行から委託されているのでその分手数料を取られる(レートが悪い)。
山に囲まれて車が多いテヘランは排気ガスがたまりやすい。それでも今回ガスの臭いが鼻につかないのは季節によるものらしい。夏は恐らく上昇気流によって拡散されるらしいが、冬は別だ。
道路は今は比較的空いている。しかし9/23から学校が始まるそうで、そうなると大渋滞を引き起こす。それよりもイランの学校は夏の三カ月が休みだそうで、大変うらやましい。ただし一部の私立では休み期間中も定期的に登校するそうだ。
まもなくアザーディー・タワーに到着する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン北東部旅行(テヘラン・宝石博物館~ホテル)

この後、前々から行きたかった宝石博物館に行った 35°41'31.70"N 51°25'11.07"E

イラン中央銀行内にあり、手荷物の持込は一切禁止、入場前にセキュリティチェックを受ける。残念ながら中は撮影禁止である。

入ってまず目にするのは「孔雀の玉座」。ガージャール朝のファテ・アリー・シャーが作らせた玉座で、実に26,733個の宝石が埋め込まれている。まったく玉座全体がまんべんなく宝石で覆われている。こりゃーすごいなーと思って見ていたが、これは序の口だった。銀行の金庫のような分厚い扉を通って部屋に入ると、そこには陳列ケースが40個ほどあり、中には数々の財宝が展示されていた。ケースの前にバーがあり、これに触れると警告音とともに出入り口が自動的に閉まるとのこと。かなり厳重である。

陳列されている財宝は、冥土のみやげに一度は見ておくべき?これほどの物は見たことがない。
Dscn6144a

画像はここで売っていた日本語ガイドブックの表紙だが、この地球儀は純金34キロと51,366個の宝石でできている。海はエメラルド、陸地はルビーとサファイア、イランと赤道、境界線はダイヤモンドでできている。

世界最大の100カラットのルビー、世界最大の500カラットのサマリヤ尖晶石、1869個のダイヤモンドがちりばめられた世界征服の剣、非常に美しい92個のエメラルドでできたかぎ煙草入れ、214個のエメラルド、64個の尖晶石、4個のサファイア、275個のルビー、12,384個のダイヤモンドがちりばめられた剣、3,380個(1,114カラット)のダイヤ、5個(199カラット)のエメラルド、2個(19カラット)のサファイヤ、368個の真珠からなるパフラヴィー王家の王冠、36個のエメラルド、2個の尖晶石、105個の真珠、34個のルビー、1,469個のダイヤモンドからなるファラー王妃の王冠。

目玉は「光の海」と呼ばれる世界最大のピンクダイヤモンド。182カラットあり、ピンクがかった色合いも希少なものである。見る目のない私には、単なる平べったいガラスの塊にしか見えなかったが。このダイヤのフレームにも457個のダイヤと4個のルビーが使われている。

以上はほんの一例で、ネックレス、ブローチ、帽子飾り、時計の鎖、ベルト飾り、礼服、杖、冠などの装飾品、剣、短剣、盾、拳銃ホルダーなどの武器、燭台、花瓶、水パイプ、小箱などの調度品、これら数百点の品々すべて数十~数千個の宝石がちりばめられている。また、装飾に使われていないそれぞれ少なくとも百個以上の大粒のトルコ石、ルビー、エメラルド、サファイア、ダイヤモンド、真珠がそれぞれのトレイの上に積み上げられている。100カラット以上のものも多数ある。部屋の照明が暗いせいか、これ見よがしに大量の宝石を見せ付ける細工物が多いせいか、実はさほど美しくは思えなかったのだが、圧倒的な宝石の数々、普段滅多にお目にかかれないものでもある所にはあるものである。ガイドブックには、この一室の宝石全ての値段は計算不可能だと書かれていたが、確かに想像だにできない。

これらの宝石をどのようにして手に入れたかというと、戦利品、寄贈品、旅行者からの買い入れ、王室鉱山から出たものという。

112238a 驚異の宝石博物館を出て、早めにホテルに着いた。夕食はホテルのレストランで摂るように言われた。バイキングなので、こちらとしても好きなものが食べられるのでありがたい。19:00から開くそうなので、睡眠不足で早く休みたかったこともあり、時間まで寝ることにした。

今日はバスタブはなく、シャワーである。
112237a

112239a 夕食。バイキングの品数はまあまあか。野菜を和えた料理が多く、私の好みには合った。これらをナンにはさんで食べる。やっぱり本場のナンはおいしいです。

明日のヤズド行きの便は早朝出発なので、早起きしなければいけない。洗濯後、22:00には寝てしまった。

【イランの歴史について】

1. 有史以前・古代オリエント時代
イランでは紀元前七千年には農耕社会が存在していた。
古代オリエント時代には、イランは長い間メソポタミア文明の辺境だった。
しかし、イラン南西部のアケメネス朝ペルシアが古代オリエント世界全域を初めて統一する事に成功した。

その後継者であるサーサーン朝ペルシアと共に高度なイラン文明を作り上げた。
① 紀元前七千年にはガンジュ・ダッレで排水溝を備えた集落が存在していた。
② 紀元前四千年以降、エラム人は徐々にイラン高原南西部を代表する政治勢力に発展したが、アッシリアに滅ぼされた。
③ 紀元前二千年以降、中央アジアの遊牧民でインド・ヨーロッパ語系のアーリア人と呼ばれる集団が、オリエント世界に移動して来て、馬と鉄器をもたらした。
非アーリア人は次第にアーリア人に同化していった。
アーリア人は現在のイラン人、インド人の大部分を占めている。
④ アッシリア滅亡後、イラン高原西部を支配したのがメディア人(アーリア系=イラン系)で、次第に南西部と東部に勢力が拡大した。
⑤ メディアを倒したのがイラン南西部のアケメネス家率いるペルシア人(イラン系)で、騎馬弓兵と寛容な政策をもって紀元前6世紀には古代オリエント世界を統一した。

ギリシア、エジプトからイラン、中央アジアにまたがる大帝国が成立した。
⑥ 紀元前4世紀、マケドニアのアレキサンダー大王がアケメネス朝を滅ぼし、死後は後継国家セレウコス朝が支配。

彼らはアケメネス朝の統治政策を踏襲した。

⑦ 紀元前3世紀、イラン高原北東部のパルティア人(イラン系)がセレウコス朝から独立した。
彼らはアケメネス朝の統治政策を踏襲した。
イラン高原に進出したローマ帝国とたびたび争った。

⑧ 3世紀、イラン南西部のペルシア人(イラン系)がパルティアを倒してサーサーン朝が成立した。
ローマ帝国をたびたび破り、7世紀にはアナトリア、エジプトから中央アジアにまたがる領土を獲得した。

2. イスラム化とトルコ、モンゴルの支配
イランは7世紀にアラブ・イスラム帝国に征服された後、次第にイスラム教化した。
11世紀、イスラム化した中央アジアのトルコ系遊牧集団が、高度な文明を持つイスラム世界に移動し始め、その後モンゴル人が侵入した。
圧倒的な武力を持つトルコ系、モンゴル系民族はイランの政治、軍事を掌握したが、行政はアケメネス朝以来のイラン系の官僚、役人が担っていた。

① 7世紀、アラブ・イスラム帝国がサーサーン朝を滅ぼし、ウマイヤ朝、アッバース朝のカリフ(イスラム教における神の使いの代理人、政治的最高権力者)がイランを支配下に置いた。
しかしイスラム教化は進まなかった。
公用語としてアラビア語が使われた。

② 9世紀以降、アッバース朝の権威が衰えると、イランで独立王朝が次々と生まれた。
ターヒル朝(イラン系)、サーマーン朝(イラン系)、サッファール朝(イラン系)、ブワイフ朝(ダイラム人)、ガズナ朝(トルコ系)。
経済の発展とともに、イスラムへの改宗が進んだ。

③ 11世紀、イランに移動して来たトルコ人遊牧集団を取締る事を期待され、トルコ系のセルジューク家が支配者として迎えられる。
最盛期には地中海岸から中央アジアを支配したが、後継争いから分裂する。
ペルシャ語が再び公用語になる。

④ 12世紀、イラン北東部のホラズムシャー(トルコ系)がセルジューク朝を滅ぼし、イランと中央アジアを支配する。

⑤ 13世紀、チンギス・ハンのモンゴル軍がホラズムシャー朝を滅ぼし、イランを支配下に置く。
後にモンゴル人はイランにイルハン国を建国、14世紀にはイスラムに改宗した。
しかし内紛により同国でのチンギス・ハンの血統は絶えた。

⑥ イルハン家が絶えると各地に政権が誕生した。
イルハン朝の後継国家ジャライル朝(モンゴル系)、ムザッファル朝(イラン系)、地域勢力サルバダール。

⑦ ティムール(モンゴル系)が上記諸政権を滅ぼし、西アジア全域を支配する。
死後後継争いが起こり、西側をカラコユンル朝(トルコ系)次いでアクコユンル朝(トルコ系)に奪われた。
16世紀、シャイバーニー朝(ウズベク人)に滅ぼされたが、その子孫はインドでムガール朝を建国した。

⑧ シーア派サファヴィー教団の教主イスマーイール1世が、信徒であるトルコ系遊牧民の軍事力によって、内紛で弱体化したアクコユンル朝を滅ぼし、更に領土を拡大した。
死後、混乱が続いたが、アッバース1世は軍事・統治体制の改革によって領土を拡大し、最盛期を築いた。
また、この時代にシーア派十二イマーム派がイランに定着した。
経済的にも繁栄したが、無能な王が続くと徐々に衰退し、18世紀には各地で反乱が起きた。

⑨ サファヴィー朝は領土の東をアフガン人、西をオスマン朝に奪われた。
結局サファヴィー朝の宰相が滅ぼしてアフシャール朝(トルコ系)を建て、領域を拡大した。
その死後は地方勢力が抗争を繰り返した。

⑩ ザンド朝(イラン、クルド系)が統一に成功するが、十数年後には後継者争いが始まった。

3. 近代・現代
19世紀になると、イランは西洋列強のグレートゲームに翻弄され、ついには半植民地化する。
これに反発して立憲国家樹立への闘争が始まる。
この過程でイラン・ナショナリズムを形成する4つの立場が現われ、近現代のイランの政治を形作った。
a.
西欧流の民主主義確立により、自立と独立を目指す。
b.
イスラム以前の古代イランの伝統を重視する。
c.
マルクス主義の影響の元、列強の植民地支配からの独立を最優先にする。
d.
イスラム教こそがイラン国民を団結させる。

① ザンド朝とアフシャール朝を滅ぼしたのがガージャール朝で、テヘランを都とした。
強力な軍隊と官僚機構を持たず、地方の有力者に対する統治は名目的なものだった。

② 19世紀に入ると、フランスとロシアの南下政策と、イランをインド防衛の最前線とみなすイギリスの間で、ガージャール朝は翻弄された。
列強からの政治的独立を保つ為の努力が続けられたが、次第に利権を奪われ半植民地化していった。

③ 20世紀になると、列強の干渉とガージャール朝の専制政治への反対運動が生まれ、立憲国家を目指す動きになった。
憲法制定と国民議会の設立に成功し、派閥政争の混乱の中でも改革への取り組みが行われたが、利権喪失を恐れたロシア軍の進駐により失敗した。

④ 列強の占領と政情不安により、イラン全土は無政府状態になった。
強力な中央政府を望む声が高まり、イギリスの支援によるクーデター成功の後、パフラヴィー朝が成立した。
国軍と官僚機構の強化により中央集権化を進め、古代イラン礼賛ナショナリズムに基づき、司法の反イスラム化、西洋化を行った。

⑤ パフラヴィー朝の中央偏重政策は地方の不満を呼び、国内の政局は不安定化した。
農地の分配・汚職の追放による改革は、見せ掛けで終った。
権力強化の為、拡大した軍と官僚機構による抑圧が進められた。
一方、欧米の干渉により石油の完全国有化に失敗したものの、莫大な石油収入は急激な経済発展を生んだ。
その裏で貧富の差の拡大が深刻になった。

⑥ 経済格差と抑圧に対する不満が高まる中、抑圧された宗教界の憤懣をきっかけに始まったデモが全土に拡大し、その圧倒的な人数の前にパフラヴィー朝は崩壊した。
イスラム臨時革命政府が樹立され、後にイスラム法学者が統治するイスラム共和国が樹立された。
国内政策においては急速なイスラム化を進め、外交においては米ソに属さない独自路線で孤立を招いた。
80年代後半以降、急進的な革命路線から言論の自由と国際協調を重視する路線に移り始めたものの、改革派を締め上げるイスラム法学者を中心とした保守派、という図式は現在も変わっていないように見える。

※引用・参考文献は旅行日記の最後に掲載します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン北東部旅行(テヘラン・大バザールの隊商宿とモスク)

繁華街のレストランで昼食を摂った。胃が悪いので脂っこいものは避け、脂身の少ない焼き鳥と生野菜にした。長粒米のサフランライスは懐かしい。
112220a
イラン料理は嫌いではないが、睡眠不足でさすがに食欲なし。それでも何とか8割がた平らげた。結構混んでいるレストランで、騒がしいのがうっとうしかった。

次の観光場所、テヘランのバザールに着いた35°40'22.02"N 51°25'22.96"E
112222a
2平方キロもある巨大なバザールで、店が3000軒以上あるといわれる。ここに来ると生活必需品は何でも揃う。すごい数の人でごった返していた。中は大体同じ商品を扱う店が一箇所に固まっている。ある商品を目当てに来た人は、その地区に行けば間違いなく目当てのものが手に入るわけだ。バザールの内部には大きな通りがあるが、そこから狭い通りが枝分かれしている。更にその通りから狭い通りが枝分かれしており、何も考えずに進んでいくと間違いなく道に迷うことになる。ただし、通りは袋小路になることはなく、必ず別の通りに繋がっているから、いずれはバザールの出口に出られるはずである。

バザール内の通りにはひっきりなしに荷車や手押し車を押す人夫が行きかっていて、気を付けないと轢かれそうになる。

天井のドームには明り採りの穴が開いている。
112223a

Aさんはバザールの中にあるキャラバンサライ(隊商宿)に案内してくれると言う。

キャラバンサライはバザールの重要な施設。遠方から来た商人は、キャラバンサライで沐浴し休息を取り、他の商人と商談を行った。画像は中でも最もきれいなキャラバンサライの跡地だそうだ。
112224a
今は商店になっている。

112226a これもキャラバンサライの跡。キャラバンサライの沐浴場がある中庭を捜したが、どこも沐浴場が壊され、建物が建っていた。

キャラバンサライの二階への入り口。
112234a

112228a バザールの一角にあるモスクに行った。残念ながらモスクの名前は聞かなかった。

112233a 入り口で靴を脱ぎ中に入ると、バザールの喧騒がウソのような静けさ。まさに心のオアシス的存在だ。多くの人が一生懸命に祈っており、厳粛な雰囲気である。静かなせいか、寝ている人もいた。

112231a_2 隣の部屋には聖人の棺がある。額をつけて祈る人が多い。棺の中はお布施のお札がいっぱい投げ込まれていた。

112229a この部屋の天井や壁はまばゆいばかりの鏡のモザイクでできている。イスラムの装飾は実に緻密だ。

112230a ここでも祈る人が後をたたない。しかも一般の日本人が神社やお寺で一礼するだけなのとは違い、何度も頭を垂れたりひざまずいたり、その熱心さには心打たれるものがある。

112236a バザールを出た。画像はバザールの入り口。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン北東部旅行(テヘラン・ゴレスターン(バラの花園)宮殿)

最初の観光場所、ゴレスターン(バラの花園)宮殿に着いた35°40'45.72"N 51°25'9.14"E
112206a
ガジャール朝の王宮で、250年前から約100年かけて造営され、140年前に完成した。
イラン建築の見どころのひとつであるタイルの装飾が実に綺麗だ。
112208a_2

112218a ここは王の玉座があった場所 35°40'48.86"N 51°25'11.29"E

112211a 奥にはガージャール朝第4代、ナーセロッディーン・シャーの墓石がある。ナーセロッディーン・シャーの在位はイランの君主では最も長く、50年に及んだ。しかし、シャーが在位した19世紀後半は、イランが経済的・金融的にヨーロッパ列強に従属していった時代だった。治世前半は列強の影響力を抑えるために近代化や列強への利権供与の停止がすすめられたが、後半は財源確保と列強をけん制するための様々な利権の切り売りが行われた。治世の終わり頃、イラン国民がタバコの利権供与に反対し、ついに供与破棄を認めさせたタバコ・ボイコット運動は、ガージャール朝専制支配への住民の勝利であるとともに、列強の植民地支配への反抗の先駆けだった。

112210a ナーセロッディーン・シャーは1896年、汎イスラム主義の活動家、ジャマールッディーン・アフガーニーの支持者により暗殺された。アフガーニーは、イスラム世界を守るためにはガージャール朝のような専制国家は列強に対して無力であると批判していた。

墓石はゴレスターン宮殿に置かれたが、遺体はテヘラン郊外に埋葬された。尚、この大理石の墓石はシャーの体を模っており、彫刻の傑作とされる。

112212a 宮殿の前にはペルシャ式庭園が広がっている。ペルシャ式庭園は宮殿の前に噴水のある池があり、そこから細長い水路が伸びている。王は宮殿から水のせせらぎを楽しんでいた。乾燥地帯のイランではこれが贅沢だった。今回は季節が悪かったのか、水は入っていなかった。

画像中央の宮殿の中には入ることができる。中に入ると内部の壁、天井全てが鏡のモザイク張りになっており、そのまばゆいばかりの輝きに圧倒された。こんな派手な部屋は初めて見た。撮影禁止なのが残念である 35°40'49.25"N 51°25'13.81"E

112215a 庭園を取り囲む建物の壁も、全面にあざやかなタイルが張り巡らされている。

112209a 庭園のスズカケの大樹の並木が印象的だった。

112213a 庭園の一角にて。

112217a 庭園の一角にて。

ここにも小さな水路があり、バラの花が咲いていた。
112216a

ゴレスターン(バラの花園)宮殿でバラの花を見れてよかった。
112219a

※引用・参考文献は旅行日記の最後に掲載します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イラン北東部旅行(日本を出発~ドバイ~テヘラン到着)

2007年11月、イラン・イスラム共和国の北東部に行ってきました。

1日目:羽田→関空→ドバイ

2日目:ドバイ→テヘラン(ゴレスターン宮殿→バザール→宝石博物館)

3日目:テヘラン→ヤズド(金曜モスク→アレキサンダーの牢獄→12エマームの霊廟→ドウラトアーバード庭園→沈黙の塔→ゾロアスター拝火神殿)

4日目:ヤズド→ハラネ(盗賊の砦)→セガンド→ロバット・プシュティバーダ→コリート→タバス(ホセインの霊廟)

5日目:タバス→デイフッキ→フェルドゥス(サフラン畑)→ゴナバッド(カナート見学)→トバト・エ・ヘデレイ→マシュハド

6日目:マシュハド(ハラメ・モハッタル広場→ゴウハルシャードモスク→エマームレザー聖墓→バザーレレザー→ゴンバデ・サブス)→ネイシャーブール(シャーデ・ヤッハ遺跡)

7日目:マシュハド(バザーレレザー)→テヘラン→ドバイ

8日目:ドバイ→関空→羽田

今回もマルコ・ポーロの追っかけの旅です。

1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、パレスチナでエルサレム聖墳墓教会の聖油とローマ教皇からモンゴル皇帝フビライ・ハーンへの親書を得て1271年末に出発しました。その後トルコ東部を経てイランに入り、タブリーズ~サヴェ~ヤズド~ケルマーン~ホルムズ~ケルマーン~クボナンを通過した後イラン北東部を北上してアフガニスタンに入ったようです。ブログトップページの「マルコ・ポーロの行程図」をご覧になるとおおよそのルートがわかると思います。

今回訪問したヤズドやイラン北東部はマルコ・ポーロの東方見聞録に記述があります。ただしイラン北東部からアフガニスタンに至るルートは通過地点に関する明確な記述が見られず、過去の研究者、旅行者が様々な推測を行ってきました。この地域に一体何があるのか、興味がありました。

マシュハドはイラン国内におけるイスラム教シーア派最大の聖地です。

ネイシャーブールにはマルコ・ポーロが通過する前に廃墟と化した旧市街の遺跡があります。

【1日目】

出発直前に体調を崩してしまった。部屋の大掃除が悪かったのか、アレルギー症状になり喉が痛いし胃も痛い。数日前には気分が悪くて3時間ほど寝込んでしまった。不安はあったが医者から薬ももらったし、行くことに決定。

夕方に自宅を出て、18:30に羽田空港着。トラベレックス・ジャパンでドルに両替。

20:40、離陸。

22:00、関西国際空港着。

112101a 23:15、離陸。今回はエミレーツ航空なので前回のイラン航空のように遅れはない。機内設備も快適。映画も観放題。ただしイラン航空は成田~テヘランの直行便だったが、こちらは関空、ドバイと二回も乗り継がなくてはならない。でも仕方がない。

2日目】

112102a せっかくの2回の機内食も、胃を刺激して気分が悪くなるのがいやなので、一口づつでやめた。メニューはカワハギとスズキの蒸し物。イランに着けば一日中観光。早々に寝ることにした。

112201a 5:55(イラン時間、以下同じ。日本との時差は5時間半。)、ドバイ着。10時間以上のフライトだが意外と短く感じた。睡眠はあまり取れなかった。空港でのセキュリティチェックは拍子抜けするほど厳しくなかった。英語が話せないので外国での乗り継ぎは不安だ。何とかテヘラン行きの便の搭乗口に着いた。少しほっとする。でもさすがに日本人はいないようだ。韓国人らしい人は見かけるのだが。とても心細い。

112202a 7:55離陸。機内食はイラン風。これも少しだけ食べた。

9:35、テヘランのエマーム・ホメイニー国際空港着。前回のイラン旅行の時はメフラーバード国際空港だったが、それに比べれば新しくて綺麗だ。セキュリティチェックは厳しく、ベルトを外すよう言われ、手荷物の中も調べられた。入国審査時、手に持っているパスポートの表紙から、ビジネスマンらしい日本人も6人ばかりいることに気づいた。彼らと私は別途パスポートのチェックを再度受け、私は解放されたが彼らは別室で更にチェックを受けるようだった。

何とか入国手続きを終え、到着ロビーに入って現地ガイドのAさんを見つけた。優しそうな人なので少し安心した。

112203a 早速テヘラン市内の観光に向かう。画像は車窓から見たエマーム・ホメイニーの霊廟。イラン革命の指導者だった彼の霊廟は実に壮大で、ドームとミナレットが林立している。未だに建築中である。

112204a 画像中央にうっすらと見えるのはダマーヴァンド山だったかな?富士山によく似た端正な山だ。

112205a 排気ガス臭い懐かしのテヘラン市内に来た。喉が腫れているので刺激しないようマスクを付ける。テヘランは人口一千万以上、イラン国内で際立って大きな都市だ。

15世紀、スペインの使節クラビホによると、テヘランは単なるひとつの町であった。

1653年タハマスプ1世によって城砦とバザールと城壁が作られた。

18世紀、ガジャール朝のムハンマド王がこの町を首都にした。

18691871年、町は再構成され現代的な大通りができた。

20世紀のパフラヴィー朝の時代、町のレイアウトは一新された。

【イランの概要について】

以前イラン旅行日記の際に記載したものですが、再度記載します。

正式国名:「イラン・イスラム共和国」

面積:日本の4.5倍

人口:6600万(2006年)

首都:テヘラン

元首:マフムード・アフマディーネジャード大統領

地形:

イラン北部に東西に伸びるアルボルズ山脈、イラン北西部から南東部にかけて斜めにザクロス山脈が伸びる。

二つの山脈の間、イラン東部にキャビール、ルートの大砂漠がある。

ザクロス山脈の東側はイラン高原と呼ばれる高地になっている。

気候:

山脈に遮断されたイラン内陸部は、ペルシャ湾やカスピ海から来る湿った空気が遮断され、降雨が少ない。夏は高温になる。

ザクロス山脈の南のペルシャ湾岸は高温多湿。

アルボルズ山脈の北のカスピ海岸は降雨量が多く豊かな農業地帯になっている。

民族:

ペルシア人(50%)、アゼルバイジャン人(17~25%)、クルド人、ロル人、アラブ人、バルーチ人、ガシュガーイー人、シャーサヴァン人、トルクメン人など。

宗教:

大部分はイスラム教シーア派、他にイスラム教スンナ派、キリスト教(アルメニア教会、アッシリア教会、カトリック、プロテスタント)、ユダヤ教、ゾロアスター教など。

言語:

公用語はペルシア語だが、他にクルド語、ギーラーン語、アーザリー語、トルクメン語、ガシュガーイー語、アラビア語、アッシリア語、アルメニア語がある。

休日:金曜日

通貨:イラン・リアル。

20092/20現在では1リアル=0.0096

治安状況:

20092/20現在、以下の地域を除いて危険情報は出ていない。

シスターン・バルチスタン州及びケルマン州:「退避を勧告します。渡航は延期してください。」

イラク及びアフガニスタンとの国境付近:「渡航の延期をお勧めします。」、

フーゼスタン州、西アゼルバイジャン州、東アゼルバイジャン州、クルディスタン州(イラクとの国境付近を除く):「十分注意してください。」

※引用・参考文献は旅行日記の最後に記載します。

テヘラン[イラン]旅行ガイド ~フォートラベル~
http://4travel.jp/overseas/area/middle_east/iran/tehran/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

001ミラノ | 002ヴェネツィア | 003フィレンツェ、ピサ | 004ローマ、ティボリ | 006テルアビブ=ヤッフォ(イスラエル) | 007カイザリヤ(イスラエル) | 008アッコー(イスラエル) | 009ガリラヤ湖周辺、ゴラン高原(イスラエル) | 010ナザレ周辺(イスラエル) | 011ヨルダン川西岸(イスラエル) | 012死海周辺(イスラエル) | 013エルサレム(イスラエル) | 014ベツレヘム(イスラエル) | 016アダナ、アヤス、コザン周辺(トルコ) | 017カイセリ周辺(トルコ) | 018スィワス周辺(トルコ) | 019エルズィンジャン周辺(トルコ) | 020エルズルム周辺(トルコ) | 021ドウバヤズット周辺(トルコ) | 024ガズヴィーン、アラムート(イラン) | 025テヘラン2007(イラン) | 025テヘラン2008以降(イラン) | 026サヴェ往復(イラン・コム州) | 027ヤズド周辺(イラン) | 040バンダルアッバース、ティアーブ、ミーナーブ周辺2008以降(イラン) | 040バンダルアッバース、ミーナーブ周辺2007(イラン) | 045タバス周辺(イラン・ヤズド州) | 046フェルドゥス、ゴナバッド、トバトエヘデレイ周辺(イラン・ホラサーンラザヴィ州) | 047マシュハド、ネイシャーブール(イラン) | 060ウルムチ、トルファン、クチャ(新疆ウイグル自治区) | 061カシュガル、カラクリ湖(新疆ウイグル自治区) | 062ヤルカンド(新疆ウイグル自治区) | 063ホータン、ケリヤ(新疆ウイグル自治区) | 064チャルチャン(新疆ウイグル自治区) | 065チャルクリク(新疆ウイグル自治区) | 066コルラ周辺(新疆ウイグル自治区) | 067敦煌(甘粛省) | 068嘉峪関(甘粛省) | 069酒泉(甘粛省) | 070張掖(甘粛省) | 071武威(甘粛省) | 072銀川(寧夏回族自治区) | 073パオトウ(内蒙古自治区) | 074フフホト(内蒙古自治区) | 075張家口市宣化周辺(河北省) | 076チャガンノール遺跡(河北省) | 077上都遺跡周辺(内蒙古自治区) | 078赤城周辺(河北省) | 079北京2002 | 079北京2007以降 | 080咸陽(陝西省) | 081上海 | 082黄山(安徽省) | 083西安(陝西省) | 084青島(山東省) | 209北アルプス・雲ノ平 | 211南アルプス・北岳(11月) | 212南アルプス・甲斐駒ヶ岳(1月) | 216中央アルプス~木曽駒・宝剣岳(1月) | 218北アルプス・西穂高岳⇒焼岳(10月) | 220北アルプス・蝶ヶ岳(1月) | 222北アルプス・前穂、奥穂高岳(5月) | 229北アルプス・燕岳(1月) | 237北アルプス・西穂高岳(1月) | 247信州戸隠・鏡池クロカンスキーツアー | 250南アルプス・仙丈岳⇒塩見岳 | 257草津ヘリスキー | 299首都圏ハイキング | AC1187 ハッティンの戦い(CRUSADESⅡ) | AC1219 成吉思(チンギス)征西記 | AC1939.09 電撃戦1939 | AC1940.04 スカンジナビア電撃戦 | AC1942.06 キャンペーン・トゥ・スターリングラード | AC1942.09 ストリーツ・オブ・スターリングラード | AC1942.12 激闘!マンシュタイン軍集団 | AC1943.07 クルスク大戦車戦 | AC1943.07 ツィタデレ・クルスクの決戦 | AC1943.08 ウクライナ’43 | AC1943.11 トライアンファント・リターン! | AC1944.01 コルスンの戦い | AC1944.03 ウクライナ’44 | AC1944.06 白ロシア大作戦 | AC1944.10 ハンガリー戦役1944-45 | AC1945.01 ブダペスト’45 | AC1945.03 春の目覚め作戦 | ACxxxx その他シミュレーションゲーム | 【SF模型】2001年宇宙の旅 | 【SF模型】スター・ウォーズ | 【SF模型】スター・トレック | 【SF模型】天体模型 | 【SF模型】'その他 | グルメ・クッキング | 映画・テレビ | 模型・プラモデル | 祭り・イベント