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2007年8月

イラン旅行・ゲノ温泉~その2(浴場~温泉が流れ込む谷)

バンダル・アッバス北方のゲノ温泉にて。

あった。
エメラルドグリーンの流れ。
温泉場から流れ出たお湯だ。
Fi2602239_1e
バスクリンのようなこの色は、銅を含んでいるために出てくる色だ。
日が翳っていて鮮やかな色ではなかったが、見られてよかった。

この光景は、マイケル・ヤマシタ氏の写真集にあった光景とほぼ同じ。
Fi2602239_2e
写真集では単なる砂利の中の小川だったが、今ではこのように整備されている。

Fi2602239_3e 流れにそって、更に奥のほうに歩く。

このエメラルドグリーンの流れは、はるか先の谷に流れ込んでいる。

Fi2602239_4e 温泉場の方を振り返る。
見る位置によって、水の色が微妙に変わる。




山に囲まれたこの場所だけが、桃源郷のように見えた。
Fi2602239_5e
谷のほうに城壁のようなものが続いている。
道なのか壁なのか良くわからない。

昔、ここはユダヤ人の土地だったそうだ。

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イラン旅行・ゲノ温泉~その1(入り口~浴場)

ミナブからゲノ温泉に向けて走ってきた。

Fi2602238_1e 何とか明るいうちにゲノに着いた。ゲノ温泉の入口。

入場するとき、Bさんが「日本のマスコミが来たからタダで入れてくれ」と言っていたような気がしたが、私の妄想だろう。

Fi2602238_2e 中に入るといきなり目に入るのが、観覧車とレストハウス?
ただ、現在は工事中のようだ。
素朴な温泉場ではなく整備された遊園地だった。
広場では数人の家族がバーベキューを楽しんでいた。

Fi2602238_3e これが温泉場の建物。
露天風呂はない。





ここが入口。右が女性、左が男性。
Fi2602238_4e
知らないで右側の入口に入ろうとしたら制止された。

でも、今回は温泉に入るのが目的ではない。
マイケル・ヤマシタ氏の写真集、「再見マルコ・ポーロ」にあった光景を見るのが目的。

なかなか見つからないので、高台に登る事にした。

高台にかけ上った。
日没前とはいえまだまだ気温が高いせいもあり、登るのはしんどかった。

高台の上にはイスラム教の祈りの部屋?があった。
ここからは全体が見渡せる。
Fi2602238_5e
ゲノ温泉は周りをすっかり山に囲まれており、外界と隔絶している場所だった。
(たぶん、このあたり 27 26' 51.03"N 56 18' 16.91"E )

私が探しているものは左側にありそうだった。
高台から降りる。

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イラン旅行・バンダル・アッバスから北へ

ミナブからバンダル・アッバスの近くまでやってきた。

Fi2602237_1e バンダル・アッバスの北側に着いて、ここから北側に方向転換する。
(このあたり 27 14' 45.45"N 56 21' 53.92"E )
これからゲノ温泉に向う。

Fi2602237_2e 砂漠のような場所に集落が続いている。
集落をとりまく壁には、意味のわからない文字が大きく書かれていた。
イランでは良くみかける風景だ。

Fi2602237_3e この辺りは工場が多い。
かなり日が落ちてきた。日没前にゲノに着くだろうか?

Fi2602237_4e このルートは、おそらくポーロ一行がホルムズからケルマンへ引き返した時にたどったルートだと思う。
東方見聞録には、ケルマン~ホルムズの往路と復路は「別の道筋をとって」と記述されている。
山賊が出る往路を避けたのは当然と思われる。

Fi2602237_5e 「コルモスからケルマンへのこの帰路には、食糧を豊かに産するうるわしい平野を通って行く。
この平野には温泉場がたくさんあり、シャコの棲息もきわめて多く、その値もはなはだ安い。
ナツメヤシをはじめ各種の果実も豊富である。」
(東方見聞録)


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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第33回金沢まつり花火大会

毎年恒例の金沢まつり花火大会、本日開催されました。

Fi2602236_1e 今年は仕事が厳しくて、夏らしいイベントはこれ位しか参加していない・・・。

でも、最後の特大スターマインで、ちょっとスカッとできました。

去年の画像はこちら

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イラン旅行・大傾斜地帯

ティアブへの道を左に見ながら、バンダル・アッバス方面に車を走らせる。

ここでBさんから改めて、本日観光予定のゴラシュケードとファーヤーブをどうするか聞かれた。

4時間程前、バンダル・アッバス国際空港からミナブに向かう途中の車中で、
「運転手のDさんによると、ファーヤーブとゴラシュケードは麻薬シンジケートの通り道になっており、あまり立ち入りたくない場所だそうだ。」
と告げられ、行くかどうか保留にしていたのだ。

そもそも私がゴラシュケードとファーヤーブに行こうと思った理由は、次の2点でした。

① このルートをポーロ一行が通ったと思われる事。

ポーロ一行がケルマンから旧ホルムズに達するまでに通ったルートは、東洋学者サー・ヘンリー・ユールやアンリ・コルディエによればたぶん以下の通りです(私の誤解である可能性もあります)。

ケルマン~(マハーン)~(ライアン)~カマディ(現ジーロフト郊外のシャハレ・ダキアヌス=シェール・イ・ダキァノス≒カマーディーン、クマーディーン)~カノサルミ~(ゴラシュケード)~(ファーヤーブ)~コルモス(旧ホルムズ)。

② ①のルートの途上でポーロ一行はカラウナスという山賊に襲われたのですが、その地点の近くまで行きたかった事。

カラウナスについて、東方見聞録には次のように書かれています。

「この(レオバール)平原には多くの都市や集落があるが、いずれもその周囲に高く厚い城壁を回らしている。
これは、この地方を荒らし回るカラウナスという山賊に備えているのである。

この山賊がなぜカラウナスと呼ばれるかといえば、それは彼らがインド人を母としタルタール人(モンゴル人)を父として生まれた者だからである。

彼らはある地方を略奪し蹂躙しようと企てる場合、魔法の呪文を二言三言唱えるだけで、白昼でもこれを暗闇に化し、よほど間近に接近するまで見つからないようにする術を心得ている。

(中略)彼らがこの平原を見渡してその目にとまったが最後、なにものも彼らから逃れる事はできない。
人間も家畜も財物も、あげて彼らの餌食になってしまう。
生け捕った男子の中から、老人は殺し若者は奴隷・農奴として売りとばす。

(中略)実はマルコ・ポーロ氏自身もあやうくこの暗黒の中でカラウナスに生け捕りにされそうになったという一事をここに付言しておきたい。
さいわいにもマルコ氏はカノサルミという町に逃げ込んで難を免れることができたが、一行中には捕われてあるいは売られ、あるいは殺された者がかなりあった。」

ユールによると、カラウナスとはモンゴルのオンギラート族の支族、カラヌート族の事で、原住地が興安嶺(カラウン・ジドゥン)である事から名付けられた名前だと言う。

イルハン国配下の兵団であったが、のちイラン東部を本拠とする山賊集団になった。
旧ホルムズを衰亡させたのが彼らなのかどうかはわからない。

カノサルミという町の所在は、現在もわかっていない。
ユールはカナート・ウル・シャム(ジーロフトから一日行程の場所か?)を支持し、アンリ・コルディエまたはアーサー・クリストファー・マウルはヴァキラバードあるいはkahnuj-panchehの近くのカマサール廃墟村だと言っているようです。

本当はこのカノサルミの町に行きたいのですが、バンダル・アッバスから遠い上に危険情報が出ているケルマン州の奥に位置するため、今回はゴラシュケードまでで引き返す事にしました。
ゴラシュケードからカノサルミと目されている場所までは、恐らく35キロ~60キロも離れていますが。


話をもとに戻します。
私は念のため、Bさんにファーヤーブやゴラシュケードの治安が悪いのかどうか再確認した。

良くないとの答えだった。

私はともかく、ガイドと運転手を危険に晒す訳には行かず、結局あきらめる事にした。

Fi2602235_1e ミナブからバンダル・アッバスへの幹線道路の北側には、延々と岩山が続いている。
この岩山は、東方見聞録には「大傾斜地帯」と書かれている。

Fi2602235_2e 「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。
ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。
道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」

Fi2602235_3e 私はここに来る前は、「大傾斜地帯」とは傾斜した平原だと思っていた。
しかし、実際に見ると岩山が折り重なった場所のようだ。
たしかにこの場所なら、盗賊が潜んでいてもおかしくはない。

Fi2602235_4e ここがファーヤーブ~ゴラシュケード~ジーロフトへと続く道の入口。
27 23' 24.05"N 56 55' 04.62"E
残念だが見送ってこのままバンダル・アッバスへ向う。

しばらく後、右側にシャミールへの道が見えた。
27 23' 11.14"N 56 51' 50.87"E
Dさんが、地元の音楽だと言ってノリの良い曲を流した。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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イラン旅行・ミナブ城砦遠景~ミナブの支配者の館

ミナブ河にかかる橋。

Fi2602234_1e 橋のたもとからは、ミナブ城砦 27 09' 05.33"N 57 04' 40.53"E ? を眺める事ができる。

写真撮影のため、車を降りた。
夕方に差し掛かって、幾分暑さがやわらいだとはいえ、まだまだ厳しい。

ミナブ城砦は、ミナブ市内で最も有名な観光地だ。
城砦の上から景色を眺めたかったが、時間がないのであきらめた。

運転手のDさんが、変わった場所に案内するという。

案内された場所は、200年前のミナブの支配者の館跡。
Fi2602234_2e
泥レンガで出来ているのだろうか?
溶けたように崩れている。

敷地はかなり広い。
Fi2602234_3e
地面を見ると、土器の破片が散らばっている。

こちらは形が整っているとは言え、ゴラーズと呼ばれる場所で見た遺跡と非常によく似ている。
Fi2602234_4e
やはりゴラーズの遺跡も新しいものなのだろう。

敷地の隅には監視塔のようなものが建っていた。
Fi2602234_5e
この後Dさんから、数百年の歴史があるバザールや、手工芸品を売る店に行かないかと言われたが、もう時間がないので断った。

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イラン旅行・ミナブ河にかかる橋

ミナブの町に戻った。

Fi2602233_1e 車はバンダル・アッバスの方向に向って走っていく。
道路沿いに延々と建物が建ち並んでいる。

ミナブは海抜200メートル、人口17~8万人の古い町だ。
かつては、ここが旧ホルムズだと考えられていたらしい。

東方見聞録には、「この地(ホルムズ)の暑気は非常なものだから、家屋にはみな風を受けるための通風孔が施されている。
通風孔はこの地における主要な風向きの面に作られ、屋内に風を流入せしめる。
これがなければ住民はとうてい酷暑に耐えられないから、普及して施された設備なのである。」とある。

恐らく、ヤズドでよく見られるバードギール(風採り塔)の事だと思われるが、ミナブでは見かけなかった。
現在はクーラーがその役割を担っているようだ。

ありふれた光景だが、黒いチャドルの女性がいるだけで、エキゾチックな気分になる。
Fi2602233_2e

小学校だろうか、大勢の子供が元気よく飛び出してきた。
目ざとく車の中の私を見つけて、無邪気に手を振った。
Fi2602233_3e
「この地の住民は色が黒くイスラーム教を奉じている。」(東方見聞録)

この辺りは黒人の顔つきをした人が多い。
運転手のDさんもそうだ。

ホルモズガン州はアラビア半島に近いため、アラブ人やアフリカ人との交流が多かったためだとガイドブックに書いてあった。

Fi2602233_4e ミナブ川に掛かる橋のたもとに来た 27 09' 24.09"N 57 04' 33.51"E 。
川はすっかり干上がっていた。

画像の山の奥にはダム湖があるらしい 27 09' 48.80"N 57 06' 46.86"E 。

Fi2602233_5e 橋を渡りきったところ。
この橋はオーストラリア人?が造ったそうである。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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