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歴史ジオラマ②

Fi1422841_0e 彼方から現れたフビライ軍がナヤンの陣営を襲撃する。
ナヤンはキリスト教徒で軍旗には十字架が描かれていた。

Fi1422841_1e 戦いは早朝から昼まで続いたが、フビライはトルコ系騎兵のキプチャク軍団を投入、ついにナヤン軍は敗走。
ナヤンは捕えられて殺された。

Fi1422841_2e 東進していたカイドゥは、フビライ軍がモンゴル帝国の旧都カラコルムに達すると軍を引き上げた。
東方三王家の反乱はナヤンの死後も続き1292年に終息。
1294年にフビライが死ぬと、フビライ憎しでまとまっていたカイドゥ派は解体しはじめ、カイドゥは危機感から元軍に決戦を挑んだが1301年に大敗、戦傷が元で死んだ。
やがて元と西方のモンゴル諸王は和睦して平和が訪れた。

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コメント

モンゴル帝国の部隊の中に
クロスを描いた軍旗を掲げていた
人が居たというのを初めて知りました
この人がワールシュタットの戦いに
参戦してたら複雑な心境だったでしょうね

投稿: レギオン | 2015年4月21日 (火) 16時21分

レギオン様。ご訪問ありがとうございます。返事が遅れて大変申し訳ありません。
十字架の軍旗につきましてはブログ記事「歴史ジオラマ①」内に書きました通り「時代考証はでたらめ」で実際に掲げていたかどうか確認しておりません。ただ平凡社ライブラリーの「完訳東方見聞録1」の260頁に「十字架を軍旗の上に掲げていた」という記述があります。
また、ワールシュタットの戦いにモンゴル軍のキリスト教徒が参戦したかどうかも確認しておりませんが、「(ネストリウス派キリスト教徒の)ケレイト部はチンギス一門の姻族とされ、モンゴル遊牧部族連合の有力部族のひとつとして存続した」(ウィキペディア「ケレイト」ご参照)為、「モンゴル帝国の王族・貴族に数多くのキリスト教徒が含まれていた」(同)そうです。もし参戦していた場合、どのような心境で戦いに臨んだのか、多少興味はありますね。

投稿: BON | 2015年11月 7日 (土) 06時41分

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