072銀川(寧夏回族自治区)

銀川~フフホト~チャガンノール遺跡旅行~その3(銀川・排寺口双塔)

13:39、排寺口双塔に着きました。

ここは13世紀の
西夏王国の王室寺院遺跡群がある場所だ。
中に入ると、乾燥した厳しい寒気と少ない観光客のせいだろうか、時間が凍り付いて止まってしまったように感じられる。

1227年7月12日、西夏の狡猾さを憎んでいたannoy
チンギス・ハーンは、臨終の床で「西夏を地上から消し去れ」という遺言を残して死んだ。同年7月28日、遺言は実行され、西夏の軍民は殺され、建築物、文物も破壊された。その為、西夏王国は長年謎の王国とされ、西夏文字の解明が始まったのも近代になってからだ。ここ拝寺口で破壊を免れたのは東塔と西塔の二つの塔、双塔だけだった。
西夏はチンギス・ハーンに苦しめられ続けてきた。その為モンゴルへの従属をやめ、隣国金や南宋との連合を模索した。またモンゴルに決戦を挑んだこともあった。チンギス・ハーンから見れば狡猾に見えたのだろう。結局は西夏は哀れな最後を迎える事になってしまったweep
時間の止まった、静かなこの場所で、風も吹いていないのに塔の風鐸のチリーンという美しい音がかすかに響き渡る。今は亡き西夏の人々が何かを伝えようとしているようにも思えた。

双塔の一つ、
西塔

Dsc00544aDsc00545a入り口に向かう。Dsc00546a双塔の一つ、東塔Dsc00547a西塔。Dsc00548a
以下、カッコ内は、現地の説明板の記載内容である。
西夏石器
「ここでは展示された古代ローラー、石臼、石ミル、柱礎などは全部双塔の遺跡から発掘されたものである。現地の石材で製造されたものであり、当時寺院の僧侶が生活、生産した証拠である。」
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拝寺口方塔柱
「これは拝寺口西夏方塔から出土された塔心柱である。方塔は拝寺口に位置する。西夏大安二年(1075年)に創建された。方形13層の密櫓式碑塔である。1990年11月犯罪者に破壊された。1991年8月方塔の廃墟を片付けた際、多くの小泥塔、成形土仏及び数十種類の西夏文、漢文の仏経、文書など貴重な文物が出土された。寧夏の考古学者の牛建生氏の研究により、その中に、西夏文仏経の「吉祥辺至口和本続」は世界で最初の木活字印刷品であり、「本世紀印刷史で最重大な発現の一つである」と認められたので、拝寺口方塔は有名になってきた。この塔心柱も貴重な歴史文物として保存され、観光客が見学できる。」
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寺院建築遺跡と柱礎
「地面の建築遺跡の面積は300㎡あり、当時寺院の大型建築の遺跡である。地面に残った不完全石器は柱礎と称されている。古代の大型建築の柱を安定させる部材である。同じような石器は拝寺口のほかの場所でも多く発見された。当時寺院が立ち並び、建築雄大だと考えられる。」
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東塔
「八角形十三層の密櫓式の碑塔である。塔内は空の筒円錐型になり、塔底層の高さは5.7メートル、辺長は2.9メートル、直径は7.6メートル、総高さは39メートルである。塔体は直線錐体になって、まっすぐで力が強い。毎層の腰ひさしはコーベル式である。塔頂は「十三天」であり、第三層より上の各層の各面には二体ずつ獣面を飾っている。獣面は怒って目を剥く、猛威を振るって怖い。獣面の間には彩色上絵の雲托日月があり、塔壁の曲がり角のところには宝珠炎の柄が飾っている。構図が奇特で、独特な古塔飾り風格である。」

東塔の入り口。
上方には二体ずつの獣面、雲托日月、宝珠炎が見られる。
Dsc00557a中には仏像がある。塔の上に上がることはできない。Dsc00556a遠くからはわからなかった色とりどりの彩色が見られる。無数の風鐸が飾られている。Dsc00558a風鐸がえもいわれぬ音を奏でている。Dsc00559a
西夏煉瓦
「拝寺口双塔の周りの台地には寺院建築遺跡が多くあり、地表に西夏煉瓦及び様々な建築部材がどこにも見える。双塔塔院から出土された最大の西夏方碑は辺長が45センチ、最長のスレートは長さが40センチである。昔寺院建築の雄大さはわかるようになった。西夏煉瓦は品質が優れ、叩くと石のような音が出る。印鑑と硯の制作者はこれを奇妙な材料だと称される。瑠璃瓦は西夏王室寺院の独特な物である。千年でも鮮やかで、焼制工芝は優れた証拠である。」
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西塔
「壁が厚く、中空の八角形十三層の密櫓式の碑塔である。塔底面の高さは5.7メートル、辺長は3.2メートル、直径は8.4メートル、総高さは41メートルである。毎層の腰ひさしはコーベル式である。塔頂刹座の曲がり角に煉瓦式の角神像が飾られている。角神像は裸で、蓮花座を背負って、上には「十三天」の刹頂である。第ニ層より上の各層の各面には仏龕が飾られている。第三層から第六層までの仏龕には羅漢像が飾っているが、羅漢像は座っていたり、立っていたり、瀟酒飄飄で、いい顔をしている。第七層から第十一層までの仏龕には護法神像を飾っている。護法神像は項挂瓔珞、法器を持っている。毎層の仏像の両側には一体ずつ獣面を飾っている。獣面は威厳獰である。曲がり角のところには宝珠炎あるいは雲托日月の柄を飾っている。」

仏龕の中には羅漢像があり、その両面に獣面が飾られている。曲がり角に宝珠炎あるいは雲托日月がある。
Dsc00564a一層目の仏龕の中には剥がされたのか、何もない。両面に獣面が飾られている。曲がり角に宝珠炎がある。Dsc00565a西塔の入り口。Dsc00567a
塔の前の祠
「創建された由来はわからないが、祠と双塔は同じ時代で、一体の仏像を祭った事があるが、「文化大革命」の時に壊されたと山村の老人が話したが、この形および瓦当柄により、清代に建てられたものらしいである。祠の門は双塔に向って、距離は三歩ほどしかない、本当に珍しい。何のルールか、まだ分からない。」
Dsc00569a祠の中の仏像。Dsc00566aDsc00570a
タリン遺跡
「1999年に、ここで10列62座ラマ式ソリッド碑塔ベースを発掘し、多くの小泥塔及び成形の小泥仏、舎利子などの貴重な文物が出土された。研究により、ここは拝寺口タリン遺跡であり、多くの寺院僧侶葬骨の所である。タリンの形は大体同じであり、高さには差がある。表面には石灰でコーティングし、シェンナ柄を描いている。修築された跡がある。当時拝寺口では寺院、塔刹が立ち並んだ繁栄光景が分かるようになる。」
Dsc00572a上方の拝殿に向かう。Dsc00578aDsc00573a中には仏像三体が祀られている。Dsc00574a
上方より東塔と西塔を眺める。全くの静寂。この光景は永遠に変わらないのではないかとも思えてくるconfidentDsc00576a西塔Dsc00579a東塔Dsc00580a周辺の景色。
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考古探方
「考古発掘用ものである。探方の下は煉瓦敷き床であり、寺院排水溝遺跡がある。地面には多くの煉瓦が堆積して、黒い灰土層にカバーされている。寺院は火事で破壊されたと認められる。1227年チンギス・ハーンが西夏を滅亡したときに破壊されたと推測している。黒土の上には洪水により形成された砂利層がある。寺院は破壊されて八百七十年間を経た。廃墟は一メートルほどの砂利に埋められた。」
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西夏寺院の石ローラー
「石ローラーは長さが0.55メートル、直径が0.45メートル、ひき櫓の幅が0.7メートルである。砂岩である。双塔の塔院から出土された。西夏寺院の僧侶が米を作る用である。拝寺口は百寺口とも言える。寺院も僧侶も多く、斎飯用食料などは宮廷大法会及び民間から貰うほかに、寺院の水田も植えられる。当時寺院が盛んで、信者が多くとも考えられる。」
Dsc00587a西塔。観光客が若干現れた。Dsc00589a付近は荒れているが、遺構だと思われる。Dsc00590a
14:30出発。パオトウへ。


参考文献:
書名   :沙漠に消えた西夏王国                                                 
副書名  :シルクロードの風音
著者名  :齊藤進/著                                                            
出版者  :文芸社

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銀川~フフホト~チャガンノール遺跡旅行~その2(上海~銀川・排寺口双塔への道)

旅行二日目。上海のホテル。
腕時計のアラームthunderが鳴って奇跡的に起きることができた。しかし眠くてまだ寝ていたいbearing
ホテルのモーニングコールで意を決して、とりあえずバスタブにお湯を貯めた。お湯spaにつかると目が覚めてきた。
5:35、1階ロビーに降りた。Aさんは既に待っていた。弁当breadが出るとの事で、待つことにする。しかし中々出ないので車へ移動。そこへホテルマンが来て、弁当が出るので来いという。Aさんは悪態をついてホテルの中に戻ったcoldsweats01

今日は、飛行機で寧夏回族自治区銀川まで行き、前回見逃した拝寺口双塔を観光、その後車で黄河沿いに北上し、内蒙古自治区パオトウまで行く。
6:30、上海浦東空港着。Aさんとはここでお別れ。

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8:35、離陸airplane
9:19、機内食restaurantおかゆ。
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11:47、懐かしの銀川に着陸。銀川市寧夏回族自治区の首府。詳細はここを参照下さい。ここでガイドのBさんに会う。Bさんは内蒙古自治区のパオトウ出身で、ここからチャガンノール遺跡までガイドしてくれる。
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12:20、早速昼食restaurantを食べる。
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12:45、レストランを出て、今日の目的のひとつである銀川市賀蘭山脈のふもとにある拝寺口双塔に向かう。Bさんによると片道75キロあり、1時間程かかるとの事。ちなみにこの時期の銀川の最高気温は0度、最低気温は-11度。東京とは比べ物にならない寒さtyphoon
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13:24、国際映画城?
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13:33、賀蘭山脈に近付くにつれ、辺りは岩の転がる殺風景へと変化する。
賀蘭山脈が近くに見えます。
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拝寺口双塔が見えましたhappy02
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銀川~フフホト~チャガンノール遺跡旅行~その1(成田~上海)

某年12月、中国シルクロードの寧夏回族自治区銀川と、内蒙古自治区パオトゥ(包頭)、フフホト(呼和浩特)、河北省チャガンノール遺跡に行ってきました。

一日目:成田→上海
二日目:上海→銀川(排寺口双塔)→パオトゥ
三日目:パオトゥ(五当召、美岱召、市内キリスト教会)→フフホト(内蒙古博物館、大召、席力図召、五塔寺、白塔、昭君墓
四日目:フフホト→張家口
五日目:張家口→チャガンノール遺跡→北京(元大都城垣遺跡公園
六日目:北京→成田

今回もマルコ・ポーロ追っかけの旅です。

1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、数年の歳月をかけ中国・寧夏回族自治区銀川に達します。
そこからは黄河沿いに北上し、内蒙古自治区に入ってバヤンノール市臨河区付近で流れを東に変えた黄河に沿って東に進みパオトウを通過、南に流れを変えた黄河から離れ、フフホトに達しました。伝説の王、プレスター・ジョンの王国です。
更に東に進んで河北省に入り張家口市宣化区を通過、そこから北東に向かいチャガンノール行宮に到着しました。最終目的地、元帝国の夏の都、上都まであと僅かの場所です。ブログトップページの「マルコ・ポーロの行程図」をご覧になるとおおよそのルートがわかると思います。


今回の旅行は上記のうちなるべくポーロ一行の行程に合わせる形で
旅しました。
パオトゥは東方見聞録には記載がありませんが、いくつか観光地があるので見ておくべきと考えて加えました。

今回の旅の問題点は「酷寒typhoon。どこも平均気温がマイナス10度、最高気温はマイナス5度、最低気温はマイナス20度。このような寒さは、私は冬の日本アルプスでしか味わった事がない。そこで着るものについては冬山登山用の下着(防寒タイツや長袖シャツ)や冬山登山用の防寒ジャケットとズボン、それから耳当てと帽子、ネックウォーマーを準備した。
着るものは悩まなかったが、困ったのはコンパクトデジカメcameraだった。1年程前に買ったCyber-shot-RX100は当然持って行くのだが、動作保証温度がマイナス0度までなので、故障するのではないかと不安だった。今までネットで色々コンデジを厳寒地で使用した体験談(対応策)を見たが、結論から言うと防寒着の下に入れておき撮影する時だけサッと出してすぐしまう、との事だった。しかし故障した場合に備えマイナス10度まで動作保障しているアウトドア用のコンデジ、STYLUS-TG2-Toughを購入。更にその予備として冬の日本アルプスでも問題なく動作したアナログカメラ、T-VSを持参、ついでに使い捨てカメラも持参した。

※高速で移動する車carから撮ったものは画像が見苦しい状態になっています。ご了承下さい。


一日目:

14:18に家を出て成田空港第一ターミナルに16:45に到着。
円を人民元とUSドルに両替した後、チェックインする。中国国際航空のカウンターは長蛇の列になっていて、チェックインが終わったのは17:45。
荷物チェックではX線不透過のネガフィルム入れを持っていたので再チェックさせられた。機内持ち込みの荷物の下にある龍角散のど飴をサッと取ると係員が待て!という顔をして確認しに来た。
41番搭乗口まではとても遠い。18:10に搭乗口に着いた後、以前食べた事がある大きなソフトクリームを食べながら搭乗時間を待った。
予定通り18:50に搭乗開始。機内は満席、日本製の自動炊飯器を買って帰る中国の人達が多い。19:40離陸。
夕食。
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22:02(これより中国時間を記載)、上海浦東空港着。入国審査の係員は若い女性だったが、とても愛想がいい。笑顔でGoodLuck!と言われ嬉しくなったhappy01

ガイドのAさんに会った後、22:52、ホテルに向かう。高速道路を快適に飛ばして23:35、ホテル上海吉富酒店着。
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ホテルのロビーには、12/25を過ぎたのにクリスマスツリーxmasが飾られている。中国では正月(春節)が2月なので、年末年始はクリスマスの延長みたいな感覚なのだろうか。
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明日は5:40にホテル発との事なのでモーニングコールを頼んでもらう。
23:55、20階にある部屋に到着。
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着ていたTシャツは何故かひどい臭い。薬を飲んでジャージに着替え、説明書を見ながら腕時計のアラームをセット。24:22にようやく寝た。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その23(銀川・黄河~鄭州~上海~羽田)

これで観光は全て終わり、空港に向かうだけになった。
地図を見ると途中黄河を渡るので、Eさんに黄河を見る良い場所があったら連れて行ってくれと頼んだ。

15:55、到着。これがその場所。
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黄河を間近で見るのは初めてなので、感動だったが、Eさんはもっと天気が良かったらきれいだったのにと残念そうだった。

16:11、空港に着いた。
チェックインまで時間があるので空港の喫茶店でチャーハンを食べたが、結構高かった。
ガイドのCさん、Eさんは別のものにしたらいいのにと言いたげな顔だったが、どうしてもチャーハンが食べたかったのだ。これでお腹一杯。
17:10、Cさん、Eさんと別れてチェックインする。
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セキュリティチェック後、搭乗ロビーのみやげ物店を全て見るが塔の模型はない。
18:18、搭乗。
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18:48、離陸。
夕食が出てもう食べるのは無理と思ったが、気が付くと全部食べてしまった。
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20:05、鄭州に着陸。
どこにある町かもわからなかったが、搭乗ロビーに出て暇つぶしに塔の模型を探したがなかった。
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20:45、再搭乗。席は満席になっていた。
21:29、離陸。
また軽食が出たがさすがに半分しか食べれなかった。
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22:47、上海に着陸。
スーツケース受取場まで結構歩く。しかしスーツケースは意外と早く出て来てくれた。
23:10、到着ロビーの出口でガイドのAさんに会う。
タクシーでホテルに向かうことにする。
空港を出るとタクシー待ちの行列が300人位できていてうんざりした。
今日は中国の連休の最終日だそうで、特に混んでいるのだ。
しかしタクシーの台数も多いので、列はどんどん前に進んでいった。

23:47、ホテル華港雅閣大酒店に到着。
洗面所と風呂。
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客室。
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今日は洗濯がないので楽だ。
しかし荷物の整理等々で時間がかかり、24:40にようやく寝た。


六日目:
5:30頃起床。外は雨が降っていた。
7:00にホテルの一階で朝食。
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8:00に一階ロビーへ。すぐにAさんが来た。
ホテルをチェックアウトして空港の国際線ターミナル(第二ターミナル)へ歩いて行く。

空港の入り口で爆発物所持検査、チェックイン。
Aさんと別れ出国審査、セキュリティチェック。
搭乗ロビーのみやげ物店で塔の模型を探すがなし。
9:20、搭乗。
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9:56、離陸。
10:45、機内食。
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久しぶりの和食。味はまあまあ。

12:13(日本時間13:13)、羽田空港に着陸。


今回も東方見聞録をガイドブックとして、旅を楽しむ事ができました。
温和な性格の全行程ガイドのCさん、張掖から銀川への長い道のりを頑張ってくれた運転手のDさん、若いのに日本語が上手い銀川ガイドのEさん、短時間でしたがお世話になったガイドのAさん、Bさん、旅行会社の担当者さん、皆さんの協力のおかげで楽しく旅を過ごす事ができました。ありがとうございました。

残念ながら、マルコ・ポーロのイタリアから中国への旅を辿るのは、これでしばらく出来なくなります。
もしかしたら一生できないかもしれません。
アフガニスタンとイラン南東部の治安が改善されない事にはどうにもなりません。
早く平和になる事を祈るばかりです。


引用・参考文献

書名   :完訳東方見聞録 1                                                    
シリーズ :平凡社ライブラリー 326                                             
著者名  :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注                                  
出版者  :平凡社

書名   :地球の歩き方(2003~2004年版) 西安とシルクロード
著者名  :地球の歩き方編集室/著作編集                                          
出版者  :ダイヤモンド・ビッグ社

書名   :沙漠に消えた西夏王国                                                 
副書名  :シルクロードの風音
著者名  :齊藤進/著                                                            
出版者  :文芸社

書名   :シルクロード糸綢之路 第1巻 長安から河西回廊へ                        
出版者   :日本放送出版協会

書名   :敦煌往還記                                                            
著者名  :松本竜見/著 , 荒田秀也/スケッチ                                    
出版者  :第三文明社

書名   :砂漠の中のシルクロード                                                
副書名  :悠久の自然と歴史                                                      
著者名  :真木太一,真木みどり/著                                             
出版者   :新日本出版社

書名   :新 シルクロード 第14巻 敦煌風の道                                 
副書名  :歴史と人物                                                            
シリーズ :講談社DVD book                                                
著者名  :長澤和俊/執筆 , 平山郁夫/監修                                       
出版者  :講談社

書名   :シルクロードの風                                                      
副書名  :山と遺跡とオアシス                                                   
著者名  :内田嘉弘/著                                                         
出版者   :ナカニシヤ出版

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その22(銀川・西夏王陵)

13:30、西夏王陵の入り口に到着。
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西夏王陵は、11世紀~13世紀に河西回廊と寧夏を支配した、西夏王国歴代皇帝の陵墓が散在する場所。
銀川市街から35キロ、賀蘭山の東麓、騰格里砂漠の入り口にある南北10キロ、東西4キロの敷地である。
ここに9つの王陵と207の墓がある。残念だがこれが最後の観光である。

入り口の手前に駐車場があり、たくさんのみやげ物店が軒を連ねている。
入り口を入ってしばらく歩き、オープンサイドのミニバスに乗る。
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ミニバスにて西夏博物館に到着する。
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建物は西夏仏塔式建築という建築様式になっている。
ここの展示物を見ると、当時の西夏王国の成り立ちや勢力範囲がわかるようになっていて、モンゴル軍の略奪から逃れた残り少ない発掘物、龍の彫刻が施された石柱、石馬、碑文、石刻像、仏教経典、仏画、鎧、西夏磁器、官印などが見られる。
中でも私が感動したのはモンゴル軍に破壊される前の王陵の模型。
もともとは八角形で各層には瑠璃瓦で飾られた屋根がついており、彩色もあざやかな壮麗な建物だったのだ。

西夏王国はチベット系民族の羌族に属するタングート族により建国された。
タングート族の拓跋氏は唐の時代に勢力を伸ばし、唐の節度使(地方軍事と地方財政の統括者)に任じられるまでになった。唐から李姓を下賜された。

しかし宋の時代になると、地方勢力を弱めようとする宋の政策に不満を持つようになり、李元昊は霊州と河西回廊を宋から奪い、1038年に西夏を建国、独立した。
元昊は国家制度を定め、西夏文字を公布するなどして王国の礎を築いた。

元昊から第5代皇帝の仁孝までの157年間は西夏の発展、最盛期で、特に仁孝は、教育と人材育成に力を注ぎ、その治世で西夏の版図は最大になった。隣国の宋や遼が弱かった事も幸いした。

第6代純祐から第10代睍までの38年間は衰退、末期で、汚職と政治腐敗で国力が衰退した上に、モンゴルのチンギス・ハーンの度重なる侵攻により、1227年に西夏は滅亡した。

王陵は9つあるが、2つは元昊の祖父と父のもので、元昊は自分のものも含めて3つを造営した。
他の6つは第2代~第7代までのもので、第8代以降は、もはや国力がなく、造営することができなかった。
9つ全て見るのは無理なので、最も大きい元昊の3号陵(泰陵)のみ観光する。

3号陵に向かう。
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李元昊は国家制度構築や宋との戦いや交渉に優れた才能を発揮した反面、猜疑心が強く疑いのある家臣は容赦なく殺したという。
また息子の嫁を取上げて自分の后にしたり、腹心の妻と密通した挙句、腹心を殺している。
元昊は、嫁を取上げられた息子に鼻を切られて死亡した。

3号陵の中心に向かう途中には、道の両側に阙台、碑座がある。
3号陵の中心は、4つの門がある長方形の壁に囲まれている。その南門から中に入る。
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中に入ると献殿という八角形の台がある。ここで祭祀が行われていた。
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献殿の上。何も残っていない。
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献殿の先にある地下の墓室につながる墓道の入り口。
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墓室はモンゴル軍に盗掘され入り口は埋められている。

墓道の入り口の先には、高さ24メートル、直径36メートルの霊台がある。
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かつてはきらびやかな彩色が施され、瑠璃瓦で飾られていた面影は全くない。
チンギス・ハーンは西夏の滅亡を見ることはできなかったが、臨終の際に「気まぐれで狡猾な西夏に仕返しをしたい。西夏の皇帝が降伏したら、将兵、民人を皆殺しにし、都、宮殿、王墓を破壊してこの世から西夏を消し去れ」との遺言を残したといわれる。
その半月後、モンゴル軍はそれを忠実に実行した。

霊台の一部。
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霊台を見上げた。
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かつて謎の王国と言われた西夏の最後の姿。

まわりの壁の一角。
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献殿~墓道の入り口~霊台は一直線上に並んでいるが、まわりの壁が形作る長方形の中心軸から左にずれている。わざとそうしたと思われるが、理由はわからない。

門の跡。
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北門の跡。
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帰りに閑散としたみやげ物屋に立ち寄った。
全部で20軒くらいあったかもしれないが、塔の模型を探して全て見て回ったがなかった。
一軒、プラスチック製のちゃちな作りの霊台の模型が置いてあった(まるでプリンを作るときの型のようだった)。
15:15、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その21(銀川・賀蘭山岩画)

市街地を離れ、大きな石ころが両側に転がる道を延々と走っていく。
10:26、賀蘭山の入り口に着いた。
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ここで賀蘭山岩画を観光する。

奥に入ると駐車場がある。
ここで降りると、まず目にするのが大きくそそり立つ賀蘭山。
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岩だらけの山で迫力がある。
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賀蘭山地は平均2300メートル、最高で3556メートルの高さがある。
内モンゴルとの境界にあり、「賀蘭」とはモンゴル語で駿馬を意味するという。
賀蘭山は駿馬の形をしているそうだ。
冬はシベリアからの風をさえぎるので、銀川ではあまり雪が降らないそうだ。
4万5千年~1万2千年前には、ここに遊牧民がいたらしい。
昔は軍隊の駐屯地だった。
標高2000メートル付近では賀蘭石がとれ、硯などの加工に使われている。

駐車場には電気自動車があり、岩画のある場所まで行ってくれるようだ。
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我々は入場してからまず、遠くに見える銀川世界岩画館に歩いて向かった。
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広場には、岩画で描かれていて有名な太陽神といわれる大きな絵が描かれている。

岩画館の1階は世界各地の岩画の紹介が行われている。
有名なフランスのラスコー洞窟の壁画やスペインのアルタミラ洞窟壁画を始め、世界至る所に岩画が在るのだという事が良くわかる。
単なる遊びか何かを伝えようとしたのか。
2階は中国の岩画の紹介で、中国は岩画の宝庫だという事がわかる。

岩画館を出ると、いよいよ山のふもとの岩画を実際に見る。
「賀蘭山岩画」の大きな標識。
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山のふもとには散策ルートがあり、岩画のある場所には標識あるいは赤い丸が付いている。
ここに来る前には、岩画はある程度高い場所にあり山登りをするのだと思っていたので、いささか拍子抜けした。
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賀蘭山の岩画は匈奴、鮮卑、ウイグル、吐蕃、タングートなどの遊牧民族が描いたという。
時期は春秋戦国時代(紀元前8世紀~紀元前3世紀)、南北朝時代頃(5世紀~6世紀)、西夏時代(11世紀~12世紀)と言われる。

様々な顔。中には顔とは思えないものもある。
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遊歩道は岩の急斜面にも付けられている。
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急斜面を登った場所にある有名な太陽神。
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太陽神というのは現代の人が勝手に解釈してつけた名前だ。

これはよくわからない。
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山羊か羊と思われる動物。
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下のほうの岩画は、河の増水等で洗われてだいぶ薄く、はっきりしなくなっている。
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西夏文字が彫られている。
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この人面は変わった髪形をしている。

同じ人面がたくさん描かれている。
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ここで紹介した他にも岩画はたくさんあるので、ここを訪れた方は色々探し回るのも面白いと思います。

近くにみやげ物屋が2つあり、賀蘭石の硯などを売っていた。
小さな賀蘭石も売っていて、ドラえもんの顔を彫ったものもあった。
「ドラえもん」と言ったら理解したようで店の人がうなずいて笑った。
変わったデザインのものをいくつか買った。11:48、出発。

ところで帰国後知ったのですが、賀蘭山岩画から車で10分程のところに、賀蘭山の麓に西夏の重要な寺、五台寺の二基の塔がある。
拝寺口双塔と呼ばれ西夏時代に建てられたものがそのまま残っている。
あらかじめ知っていたら見に行ったのですが、残念な事をした。

12:05、昼食を食べる。
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うどんを正方形に切ったじゅうめん(じゅうは手偏に秋)の他、4品出た。
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13:08、近くのみやげ物店(観光枸杞園?)に入る。
東方見聞録にある駱駝の毛布がないか探したが、羊毛布しかなかった。
Eさんによると、駱駝の毛布は専ら内モンゴル自治区で作られているそうだ。
塔の模型も探したがなかった。
寧夏の特産品の枸杞の実はたくさんあった。
画像はみやげ物店の前にあった枸杞の畑。
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13:15、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その20(銀川・海宝塔寺)

8:53、海宝塔に到着。
現在は海宝塔寺という寺になっている。画像はその管理所の入り口。
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中に入ると山門があり、そこを過ぎると画像の天主殿がある。
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中には弥勒菩薩と四天王が安置されている。
天主殿の前の広場の左右には、鐘楼と鼓楼がある。
Eさんによると、海宝塔以外の建物は明代に建てられたという。

奥に進むと大雄宝殿がある。
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ここには薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、十八羅漢が安置されている。

その奥に海宝塔があった。
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11層十二角形で高さは53.9メートル。
旧市街の北にあるので北塔とも呼ばれる。
Eさんによると、創建年代は不明だが南北朝時代(5世紀~6世紀)に修復されたとの記述があるそうだ。また、昔は塔のまわりを階段が廻っていたという伝説があるそうだ。清代に改修されたという。
本によると、創建は少なくとも承天寺塔よりは古いという。五胡十六国時代(4世紀~5世紀)に修復されたと書かれている。1778年に再建されたらしい。
ポーロ一行はこれと同じ姿の塔を見たのだろうか?

塔の入り口。
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塔を見上げた所。
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塔を見上げた所。他の塔とは違う、変わった形の塔だ。
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奥に進むと臥仏殿がある。
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ここには釈迦涅槃像が安置されている。

何の建物かわからないが、熱心に拝礼する人がいた。
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9:12、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その19(銀川・概要と承天寺塔)

五日目:

6:00に起床。
7:38、ホテルの2階レストランにて朝食。
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胃を痛めないようおかゆ中心にした。

出発間際、キーカードを部屋の中に置き忘れたままドアを閉めてしまった。
あわててCさんに相談してドアを開けてもらった。

8:36、出発。
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今日は銀川周辺の観光(海宝塔(北塔)、承天寺塔(西塔)、賀蘭山岩画、西夏王陵)をした後、飛行機で鄭州経由で上海に行き宿泊する。

ガイドのEさんによると銀川は人口117万、市街地には70万。
117万の33%が回族で、中国全土の回族の1/5だそうだ。
回族以外は漢族がほとんど。
産業は農業(水稲、小麦、食油産物、甜菜、果物)、牧畜業、石炭、石油の採掘など。
特産品は枸杞の実、羊毛皮など。

銀川のある寧夏平原は「塞上の天国」「暴れ黄河、寧夏を富ます」の言葉通り、豊かな農地が広がる場所である。
ここを銀川と呼ぶようになったのは、土壌がアルカリ性で地面が白色になっているからだという。
この土壌に黄河の水を注ぐとアルカリが消え沃土に変わるそうだ。

その歴史はおおよそ以下の通り。
紀元前7~6世紀ごろ獫允、
紀元前3世紀まで秦、
3世紀まで前漢、後漢、魏、西晋、
5世紀前半まで夏(民族系統不明)など、
7世紀初まで北魏(モンゴル系)、西魏(モンゴル系)、北周(モンゴル系)、隋、
8世紀まで唐、
10世紀まで吐蕃(チベット系)、ウイグル(トルコ系)、後梁、後唐、後晋、後漢、後周、
13世紀前半まで宋、西夏(チベット系)、
13世紀後半以降モンゴル、元(モンゴル系)、明、清(ツングース系)、中華民国、現代中国。
現在は寧夏回族自治区の首都になっている。

銀川が歴史の表舞台に登場したのは、11~13世紀の西夏の首都だった時代だろう。
当時は興慶府と呼ばれ、周囲9キロの長方形の都市だった。
中は碁盤のように道が東西南北に交差していた。
しかし今は当時のものがほとんど残っていない。
13世紀にモンゴル軍により物も人も徹底的に破壊されたのだ。
寧夏回族自治区の「寧夏」とは、西夏の血を安寧ならしめるという意味があり、13世紀の元朝の時代に改名されたものだ。

東方見聞録には次のように書かれている。
「エルギヌール(武威)から東方へ八日行程を経てエグリガイア(寧夏)地方に到達する。
タングート大州に属する地方で都市・集落が多く、首府をカラチャンという。
住民は偶像教徒だが、中にネストール派の教会堂も三基建てられている。
ここもカーンに隷属する地域である。
カラチャン市ではラクダの毛で駝毛布を織造しているが、その品質の良さは世界に類がない。
白い駝毛を使った白駝毛布は特に上等で見事な品である。
しかもこれら駝毛布の生産は莫大な量に上がっており、商人の手を経て世界の各地、特にカタイ国に多く搬出されている。
エグリガイア地方についてはこれだけで済ませ、続いてテンドゥクと称する東方の土地を語りたいが、これでいよいよわれわれはプレスター・ジョンの領域内にはいることになるであろう。」
カラチャンは銀川の事だと思われる。

明代に造られた南門が見えた。
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8:42、承天寺塔に到着。
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13層で高さ64.5メートル。
Eさんによると西夏時代に建てられ、後に上部のみ修復されたという。
塔のある敷地は、昔は寺で最近まで博物館(寧夏博物館)だったと。
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本によると、1055年、西夏2代皇帝李諒祚の母が興慶府の西の隅に承天寺を建立し、宋の皇帝から贈られた大蔵経を納めたという。
伝説によると、諒祚の母が観音菩薩から「城内の西にある澄んだ井戸の水を常に飲用せよ」とのお告げをもらい、子供(諒祚)を授かったといわれる。

承天寺は興慶府の西にあったため、承天寺塔は西塔と呼ばれた。
清代に地震で崩れ再建されたそうだ。
現在は寺はない。
ポーロ一行はこれと同じ姿の塔を見たのだろうか?

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その18(武威と銀川の間)

武威を出て銀川へ。
14:22、蘭州への高速道路(312号線)に乗る。
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14:53、高速道路を降りて、省道(308号線)に入る。
騰格里(テンゲル。トンゴリとも言う)砂漠が近い。
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いつの間にか一時間以上も寝てしまった。
16:33、銀川まで321キロ。
16:35、休憩。あたりは一面の荒地。
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省道(201号線)に入る。

16:55、甘粛省を出て寧夏回族自治区に入る。
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高速道路を降りてからここまでの道から見える風景は、荒地(砂漠)がほとんどで、時々廃屋、30軒ほどの集落、電波塔、ガソリンスタンド、削掘場が見えた。
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17:10、甘糖通過。
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道を通る車は圧倒的に大型トラックが多い。
運転手のDさんはトラックを追い越しまくって進んでいく。
17:19、銀川への途中にある中衛まで60キロ。
17:21、蘭州と銀川を結ぶ鉄道線路と並行して走る。
世界初の砂漠の鉄道、包蘭鉄道だろうか?
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17:38、中衛まで34キロ。遠くに騰格里砂漠が見える。
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17:47、高速道路(定武高速)に乗る。中衛まで24キロ。
17:50、黄河を渡る。
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飛行機から見たのを除けば、初めて肉眼で黄河を見た。

18:02、中衛着。
中衛は銀川の南西190キロにあり、昔は黄河九渡と呼ばれる渡船場があった。
今は「寧夏の穀倉」と呼ばれる。
観光地として、仏教・儒教・道教が合祀された高廟、黄河遊覧の場所、沙坡頭がある。
市街地は見えなかったが、ここから畑が多くなる。
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18:24、中寧通過。緑が多い。
18:37、鳴沙通過。
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18:54、銀川まで87キロ。
19:00、關烏湖(关乌湖)通過。
19:09、呉忠通過。久しぶりに高層ビルや団地を見る。再び黄河を渡る。
19:25、永寧通過。

19:46、銀川着。
高速道路を降りる。賀蘭山路に入る。
19:55、車を止めて銀川の現地ガイドを待つ。
今日の道のりは800キロ近いとか。運転手のDさんに感謝。
19:57、銀川ガイドのEさんに会う。

20:10、銀川のレストランにて夕食。
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料理が出てきた。
これは手抓羊肉とニラ入シュウマイ。
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手抓羊肉は羊のぶつ切り煮で、肉が柔らかくてとてもうまい。今まで食べた羊肉料理で一番美味かった。
かつて寧夏の羊料理は、中国の周恩来首相に「寧夏の羊は天下一」と言わしめた。

清炖土鸡と、トマトと卵の炒め物。
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清炖土鸡はスープが味わい深くて美味しい。

21:10、ホテル凱達大酒店着。
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明日の朝食は2階レストランにて6:30~9:00、出発は8:30。
観光は明日が最後なので寂しさを覚える。

客室。
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洗面所と風呂。
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夜の銀川市内。
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いつも通り洗濯をして寝た。

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