071武威(甘粛省)

シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その17(武威・雷台公園)

12:30、雷台公園を観光する。
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雷台公園は雷様を祀る道教の道観(寺院)、雷台観のある公園。
雷台観は高さ8.5メートルの土台の上にある。

しかし観光目的は雷台観にあるのではなく、その土台の下にある後漢の時代の墳墓だ。
1969年、ここからすぐれた造形の銅奔馬が発見された。

雷台観の入り口。
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Cさんによると、東晋時代(4世紀)に造られ明代に修復されたそうだが、他の資料では清の時代と書かれている。

雷台観の建物。
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雷様と思われる。
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墳墓は土台の横に入り口があり、レンガを積み上げて造った磚室墓といわれるもの。
後漢の張という名の将軍の墓だそうだ。
中ソ紛争という時代背景のもと、防空壕を掘り進んでいた農民が発見した。

入り口を入ると下り道になっており、前室、中室がある。
その先の后室に高さ34.5センチ、長さ45センチの銅奔馬(画像手前)の他、ミニチュアの軍団が置いてある。
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これらはもともと中室にあった。
この墓はすでに盗掘されていたが、銅奔馬とミニチュアの軍団は値打ちがなかったのか、残されていたという。
この銅奔馬は馬踏飛燕(飛ぶ燕を踏む天馬)と呼ばれ、その芸術性の高さが評価されている。
ちなみにここにある銅奔馬とミニチュアの軍団はレプリカで、本物は蘭州の甘粛省博物館にある。

中室の左右にある耳室。
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がらんどうである。

外に出た。
土台の前の広場には本物を6倍にしたレプリカが並べられている。
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リアルな造形は秦の兵馬俑を思い出させる。
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13:06、出発。

13:14、昼食をとる。
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麻婆豆腐など4品。
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14:05、出発。
名残惜しいがこれで武威ともお別れ。
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次の目的地、銀川に向かう。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その16(武威・羅什寺塔)

次に羅什寺塔を観光する。
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4世紀の名僧、鳩摩羅什が経典を講じた場所に、その業績を称えて488年に創建され(創建は4世紀または唐の時代と書いているものあり)、1927年の地震で崩壊したものの1930年に再建された。
高さ32メートルの八角十二層の塔。

鳩摩羅什は西域の亀茲国(現在のクチャ)国王の甥で、出家して大乗仏教を極めた人。
その評判を聞いた前秦王は彼を捕えて知識を得る為、将軍呂光に命じて亀茲国に攻め入った。
呂光は鳩摩羅什を連行したが、前秦王が殺され国が滅んだことを知り、武威に後涼国を建てた。
そのため鳩摩羅什は囚われのまま武威で16年間を過ごすことになる。
しかし後涼は後秦に滅ぼされ、鳩摩羅什は後秦王に招かれ長安で経典の漢訳を続け、59歳でこの世を去った。
大量の経典の漢訳が彼の偉業といわれる。「極楽」という言葉を考案したのも彼だ。

塔の下には、鳩摩羅什の舌が納められているという。
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彼は死んでも舌だけは腐らずに残った。
もし経典の漢訳に間違いがあれば腐ると言われているが、腐らずに残っているという。

塔の近くでは大きな寺院が新築されていた。
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武威の街。
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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その15(武威・入れなかった西夏博物館)

西夏博物館(武威市博物館)に行こうとしたが、なんと修復中で休みだった。

ここには有名な西夏碑(重修護国寺感応塔)がある。
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これは11~13世紀に河西回廊を支配した西夏王国で使用されていた西夏文字が書かれている、現存する最大の碑である。
西夏第四代皇帝の崇宗が1094年に建てた。

書かれている内容は、もともとこの地にあった護国寺(感應寺)が11世紀末の地震により倒れたためその修復を行った時の事情であるが、そこには西夏時代の社会制度、土地制度、階級関係、官吏の名称などをうかがい知ることができる。
高さ2.5メートル、幅0.9メートル、厚さ0.3メートルの碑の正面に1800字の西夏文字、裏面には同じ内容が漢字1800字で刻まれている。

西夏王国はチンギス・ハーンの遺言(後述)によりモンゴル軍に徹底的に破壊され、後世に残されたものが少ないために、西夏文字を含め謎が多かった。
この碑文は西夏文字と漢字を比較して読むことができるため西夏文字解読の手がかりになった。

この西夏碑が世に出たきっかけは、19世紀の中国人歴史学者が、大雲寺(現在その鐘楼のみ残っている)に包装して安置されていた西夏碑を、寺の僧侶が「開けると災いが起こる」というのを説き伏せて開けたのが始まり。
彼は碑文を西夏の文字だと認めた。
その後、フランス人学者、中国人学者、日本人学者らにより研究・解読が進められた。

売店では西夏碑の拓本が売られていた(3千元=4万5千円)。
武威の観光地のポストカードを買った。
やはりここにも塔の模型はなかった。
12:05出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その14(武威・概要と文廟)

10:24、永昌県に入る。
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農業がさかんで小麦と飼料用のとうもろこしを産する。

11:03、高速道路を降りて武威の市街地に入る。行く手に復元された南門が見える。
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Cさんによると武威は人口80万、農業がさかんでぶどうも採れ莫高ワインが有名だという。

「武威」という地名は、前漢の将軍霍去病が匈奴を討伐し、この地に前漢の武帝の軍事力の威力が及んだ事から付けられた。
武帝が設置した河西回廊の四郡のうち、もっとも古い町である。
張掖と同様土地が肥沃なので「銀の武威」といわれる。
ここの歴史については酒泉と大差ないと思われるので、酒泉の記述を参照頂きたい。

東方見聞録には次のように書かれている。
「・・・(張掖から)東方に向かってのこの騎行五日の後、エルギヌール(涼州)という王国に達する。
この王国はカーンに隷属し、タングート大州に含まれている諸王国の一をなす。
住民はネストール派に属するトルコ人キリスト教徒と偶像教徒・イスラーム教徒よりなる。
多数の都市があるがエルギヌール市が首府となっている。
この町から東南行すればカタイ国の領域に到達することができる・・・。」
涼州とは唐の高祖(566年~635年)が武威を改名してつけた名である。

11:15、文廟に入る。
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文廟は甘粛省最大の孔子廟で、1439年(明の正統二年)に創建された。
2.5万平方メートルの敷地内は東から文昌宮のあるエリア、大成殿のあるエリア、儒学院のあるエリアの3つに分かれている。
1981年、重要文化財に指定された。

まず文昌宮に向かったが、途中には墓石があり略歴が延々とつづられている。画像の丸いくぐり門がいかにも中国らしい。
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文昌宮に入った。
文昌宮は文昌帝という科挙(役人への登用試験)制度に関する道教の神様を祀っている。
天井にはここで学んだ人々や著名な書道家が奉納した牌匾が多数掲げてあった。
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画像はその中のひとつで、「(武威は)夜を忘れて勉強する町」の意味だそうだ。

文昌帝像。
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西側のエリアに入った。
これは大成殿。孔子を祀っている。
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中にある孔子像。
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大成殿を出て南に移動すると、中庭に孔子像が建っている。
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孔子像からさらに南、檽星門をくぐると半月形の泮池に状元橋がかかっている。
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もしここで学んだ人で科挙で一番が出たら、行く手の壁に門を造り、馬に乗ってこの橋を渡ることになっていた。
しかし結局一番は出なかったので、門は造られていない。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その13(山丹の漢代長城)

張掖を出て武威に向かう途中。
北方には龙首山の山並みが続いている。
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9:04、気がつくとそれまでの畑は途絶えゴビが広がっている。
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烽火台らしきものも見える。
9:17、南側はるか彼方の線路沿いに長城が続いているのが見えた。
9:25、山丹県に入る。遠くにセメント工場が立ち並ぶ。中国軍の軍馬の産地でもある。
9:30、高速道路の脇に赤い袋がいくつもぶらさがっている。地元の農民がしいたけを売っているとの事。
万里の長城がかなり近くに見えてきた。

9:49、山丹長城に着いた。写真ストップ。
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長城が高速道路をななめに横切り切断されている。
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漢代長城の上に明代長城が作られたとの事。
近くに掘っ立て小屋のような博物館が見えた。

昨夜読んだ東方見聞録に書かれた「精霊のささやく声」について何か手がかりがないか探したが何もない。
東方見聞録の「ロプ市」の章では、旅人を惑わす砂漠の精霊の話が出てくるが、それと同じだろうか?
ただ張掖から武威の間は比較的集落が多い地域だと思うので、砂漠の精霊も出番が少ないと思うのだが。

この地をもって、今まで高速道路の南側に続いていた長城が、北側に続くようになる。
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