069酒泉(甘粛省)

シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その7(酒泉・夜光杯廠)

9:56、酒泉夜光杯廠に到着。
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夜光杯は酒の杯で、酒泉の代表的な工芸品。値段が手ごろなものがあるので、みやげとして買いやすい。

夜光杯の原料になる酒泉の近くの祁連山脈から採れた黒玉、緑玉。
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それを光が透き通るまで薄く削って杯の形にする。
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実際に削っているところ。
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なぜ酒泉の杯が夜光杯と呼ばれるようになったのか、書籍を見るとこのように書かれている。
大昔に酒泉には酒を出す泉があった。
酒の匂いをかぎつけた二人の仙人が地上に降り、近くの石を杯に変え酒を味わったという。
そのうちの一人が杯の中の酒が月光にきらめくのを見て、この杯の事を夜光杯と呼んだ。
それをたまたま牧童が聞きつけて人々に話したことから、酒泉の杯は夜光杯と呼ばれるようになったという。

また8世紀の詩人王翰は、その詩の中で夜光杯を登場させている。

葡萄美酒夜光杯(夜光杯でうまい葡萄酒を飲み)
欲飮琵琶馬上催(ほろ酔い気分で馬に乗り琵琶を奏でる)
醉臥沙場君莫笑(酔って砂漠に倒れ臥しても笑わないでくれ)
古來征戰幾人囘(今まで西域の戦地に赴いて無事に帰れた人がどれだけいたというのか。明日をも知れぬ命、一時の身勝手を許して欲しい)。

酒泉夜光杯廠の中の大便用トイレはドアのない中国式トイレ。
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溝にまたがって用をたす。
水は定期的に流れて溝の中を洗い流す。
今まで中国を何回か旅したが、隠す所のないこのようなトイレは初めて見た(パミール高原のカラクリ湖のトイレは別として)。
しかしこれがここでは当たり前、と思うと別に恥ずかしくもなく用をたせた。

夜光杯を一対80元で買って、10:22、出発。

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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その6(酒泉・鐘鼓楼)

9:41、酒泉の中心にある鐘鼓楼に着いた。
この楼は酒泉のシンボルと言える建物で、Cさんによると前涼(四世紀半ば)の時代に創建されたが今の建物は明代のものという。
書籍には1905年に再建されたと書かれている。
ポーロ一行が見た鐘鼓楼はどのような形だったのだろうか。

その昔、誰もいないはずの楼から毎朝鐘と太鼓の音が鳴るという怪事があった。
長官は何事か確かめようと音が鳴り出した時に楼に上がろうとしたが、足に激痛が走って上がれなかった。
それ以来音は止んだという。
楼の東の門額には「東迎華嶽」(東に華嶽(西安にある山)を迎え)、
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西の門額には「西達伊吾」(西は伊吾(ハミ)に達し)、
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南の門額には「南望祁連」(南は祁連山を望み)、
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北の門額には「北通砂漠」(北は内蒙古の砂漠に通ず)と書かれている。
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酒泉の地理を示している。
近くで紙を配っている人がいたがマスクなどで顔中を覆っていた。
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何事かと思ったがウイグル族の人でイスラム教徒なので顔を隠しているとの事。
靴屋さん。
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シルクロード河西回廊・寧夏旅行~その5(酒泉・概要と西漢勝跡)

18:18、酒泉に入った。
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Cさんによると酒泉は人口25万、農業が盛んで小麦・とうもろこしを産出する。
人口の98%が漢族である(以上、酒泉市のどの部分をさしているのか不明)。

その歴史はおおよそ以下の通り。
紀元前3世紀まで西羌(チベット系)の支配下、
紀元前2世紀初まで烏孫(トルコ系)、月氏(イラン系?)、匈奴(民族系統不明)、
3世紀まで前漢、後漢、魏、西晋、
5世紀前半まで前涼、前秦(チベット系)、後涼(チベット系)、西涼、北涼(民族系統不明)、
7世紀初まで北魏(モンゴル系)、西魏(モンゴル系)、北周(モンゴル系)、隋、
8世紀まで唐、
10世紀まで吐蕃(チベット系)、ウイグル(トルコ系)、
13世紀前半まで西夏(チベット系)、
13世紀後半以降モンゴル、元(モンゴル系)、明、清(ツングース系)、中華民国、現代中国。※民族系統名がない国は漢族。

東方見聞録にはこう書かれている。
「(敦煌から)十日行程を終えるとスチュー(粛州)という地方に達する。
この地方には都市・集落が多く、首府を同じくスチューという。
住民は偶像教徒とキリスト教徒から成り、カーンに隷属している。
・・・境内の山々には至る所にダイオウが多量に繁生する。
商人はこの地に来たってこれを買い集め、全世界にそれを販売するのである。
ただしこれらの山々には、誤ってそれを食らおうものなら蹄が落ちるという猛毒の草が生えており、土地育ちの動物だけが良くこれを心得てその被害を避けることができるものだから、この地を通過する旅行者は、必ず現地産の駄獣を使用してでなければ、この山々を越すことはできない。
住民は農耕を生業とし、貿易に従事する者はまれである。
この国では、至る所が健康地である。
土人は黒味がかった肌をしている。」

酒泉はかつて粛州と言われ、甘粛省の粛は酒泉を表している。
Cさんによると最近はマンションがたくさん建てられているそうだ。
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ひときわ目立つこの建物は何だったのだろうか?
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ホテル宏興国際大酒店着。
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部屋の中。
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バスとトイレ。
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19:00、甘粛省名物の牛肉面を食べに行く。
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辛いラー油がたっぷり入っていてこれは食えるかなあと思ったが、だましだまし何とか完食。なぜかスープはそれほど辛くなくおいしかった。
他にも5皿料理が来たが、ほとんど辛くて食べられなかった。
唯一食べられたのが辛くない卵とトマトの炒め物でこればっかり食べていた。
Cさんは「甘粛省の料理はどれも辛いよ。大丈夫か」といいつつ体中から汗を噴出しながらおいしそうに食べていた。
私はビール1本半飲んでもう腹一杯。
運転手のDさんがビールを平然と飲むのには少し驚いた。
ホテルに戻って下着、靴下、シャツを洗濯すると何となく眠くなり、少し横になるといつの間にか眠ってしまった。


三日目:
夜中から早朝にかけて、2時、3時、4時と目が覚めた。
最終的に5:57にようやく起床。
朝食は部屋に運ばれてくる。8:16に来た。
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8:40、出発。
今日は酒泉の鐘鼓楼、西漢勝跡、酒泉夜行杯廠を観光した後、張掖に向かう途中で駱駝城址と黒水国城堡遺址を観光し、張掖で大仏寺、万寿寺木塔を観光して泊まる。

まず西漢勝跡(酒泉公園)に向かう。
その車中で、東方見聞録の
「境内の山々には至る所にダイオウが多量に繁生する。
商人はこの地に来たってこれを買い集め、全世界にそれを販売するのである。」
という記述について、現在でも酒泉ではダイオウ(大黄)が採れるのかCさんに聞いてみた。酒泉在住のCさんだったらわかるかもしれないと思ったのだ。
Cさんの答えは、大黄は今は酒泉では採れない。しかし明後日向かう武威の山奥に行けば採れるだろうとの事だった。
もし酒泉で手に入るならばみやげに買っていこうと考えていただけに、残念な答えだった。

8:50、西漢勝跡に着いた。
ここは酒泉の名の由来になった泉のある公園。
西漢勝跡という名前からして、西漢(前漢)が勝利した事を記念する公園なのだろう。
公園内に入ると、地面に点々と前漢の武帝(紀元前156年~紀元前87年)の功績が書かれた石がはめ込まれている。
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Cさんがそれを見て一つ一つ説明してくれた。
武帝は前漢の第7代皇帝で、当時苦杯をなめさせられ続けた北方の異民族匈奴を討伐し、河西回廊を漢族のものとした人。
この街の98%を占める漢族にとって武帝はヒーローなのだろう。
河西回廊を勝ち取った後、武帝はここ酒泉に郡(直轄地)を置いた。
続いて河西回廊の四郡(敦煌、酒泉、張掖、武威)をそれぞれ図案化したような石がはめ込まれた場所がある。

公園内の大木。
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唐の詩人、李白の有名な詩、月下独酌の一部が書かれていた。
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天若不愛酒(天がもし酒を好きでないならば)
酒星不在天(天に酒星はないであろう)
地若不愛酒(地がもし酒を好きでないならば)
地応無酒泉(地に酒泉はないであろう)
この石碑の前でよく記念撮影が行われていた。

酒泉の名の由来になった泉(手前の四角い枠で囲った部分)。
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前漢の将軍、霍去病が匈奴を破った時、武帝は喜び酒を一瓶贈った。
しかしそれだけでは全将兵に行き渡らないのでこの泉に酒を注いだところ、湧き出る水が酒に変わり、全将兵が酒を飲むことができたという。
奥に見える群像は杯を持った霍去病とその将兵たちである。
しかし霍去病はすばらしい将軍だと思いきや、司馬遷の史記によると、武帝から車数十台の食糧をもらったが、飢えた兵士がいるにもかかわらず、凱旋時にはその食糧を捨てたという話が書かれているらしい。
時期によって変わるのだろうか、今日は泉の周りが水浸しで池のようになっている。
ポーロ一行もこの泉の澄んだ水を飲んだだろうか。

公園内には池がある。
緑が多く一見美しい場所だが、残念ながらゴミがたくさん落ちていた。
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池の中の亭榭からだろうか、中国の楽器を奏でる音が聞こえてくる。どうも練習しているようだ。
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9:35、出発。

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