065チャルクリク(新疆ウイグル自治区)

シルクロード西域南道旅行(チャルクリク・街の散策)

16:30チャルクリクに向け戻る。

17:17、砂嵐の中を走る。
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ミーランへの往路よりも砂嵐が激しくなっている。
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外側が霞んでよく見えない。
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17:55、ホテル楼蘭賓館着。
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部屋。水道の水をなめたら今までのどこよりもしょっぱかった。
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シャワー室。
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19:00、夕食に出かける。
レストランの料理人は時間がまだ早くて暇なのか賭けトランプをしていた。
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今日の夕食。ウスビールを飲んだ。
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食後、付近を散策。
文化センター前は夜店あり。
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通りをはさんで商店街がある。
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店の経営者はほとんどが漢族のようだった。
商店街の突き当たりの通りをはさんで野菜の露店が並ぶ。
小さなモスクがあり、その入り口はケリヤ、チャルチャンと似た造りであった。
とにかく小さな町だ。
20:40、薄暗くなってきたのでホテルに戻る。

東方見聞録にチャルクリクの記述はない。
ただチャルチャンの章の最後に次の記述がある。
「チャルチャンを出発すると、砂漠横断の旅が約五日間にわたって続くが、この間を通じて良質の水が得られるのはごく数箇所にすぎず、ほかは至る所苦味を帯びた悪質の水ばかりである。
・・・右に述べた五日間の旅を終わると、ロプ市に到着する。」

ロプ市の章にはこうある。
「ロプ市はロプ砂漠と称する大砂漠の縁辺にある大都市で、その位置は東方と東北方との間に当たっている。
カーンの属領で住民はイスラーム教徒である。
ところでこの大砂漠を横断しようとする人々は、この町で一週間の逗留をなし、家畜並びに自身の英気を養う。
この休養期間が終わると、彼らは人畜の食糧一か月分を携帯して初めて砂漠の中に進発するのである・・・」

タングート大州の章のはじめに次の記述がある。
「騎行30日を費やして上記の砂漠(ロプ市東方の砂漠)を横断しきると、カーン領内に属するサチュー(沙州=敦煌)市に到着する。」

平凡社の「完訳・東方見聞録1」の注釈によるとロプ市はクロライナ(楼蘭国の首都)を指すと書かれているが、チャルチャンから五日行程(約150キロか)、敦煌から30日行程(約900キロか)との記述に照らし合わせると、相当無理があるように思える。
チャルチャン~チャルクリクのどこかが妥当なように思える。
チャルクリクの少し北にロプという町(村?)がある。
そこかとも考えたが、Aさんによると割と新しい場所だそうだから違うのだろう。

「シルクロード探遊」の著者、松本征夫氏は本書の中で「ロプ市」はチャルクリクであると書いている。
近代になっても著名な探検家がここで準備万端を整えたという記録が数多く残っているそうである。
チャルクリクではないにしても、この近辺のどこかにあったのだろう。

また街中に出ようと考えたが、首筋の腫れが引かないのと、明日出発時間が早いこともあり、止めた。
下着、ハンカチ、靴下を洗濯後、21:07に寝たがずっと寝付けなかった。

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シルクロード西域南道旅行(ミーラン遺跡)

15:37、ミーラン遺跡前到着。

畑のそばに小さな建物がある。入り口の鍵の管理人が来るのを待つ。
中年女性が管理人。門を開けて車で奥に進む。
砂漠のでこぼこ道をひどく揺れながら進む。
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ミーラン遺跡は、鄯善国(楼蘭国)の国都、伊循城でないかと言われている。
もともと鄯善国の国都は有名なクロライナ(楼蘭)であったが、4~5世紀にロプ・ノールの乾燥化が進み放棄され、国都を伊循城に移したとされる。

楼蘭国は紀元前2~1世紀、中国の前漢と匈奴の狭間にあって国運が翻弄された。
紀元前77年、前漢は楼蘭王を殺し代わりの王を立て国名も鄯善国に変えた。
紀元前60年頃の人口は14100であり、西域諸国の中では大国だった。
1世紀初、莎車国(ヤルカンド)の支配下だったが1世紀前半には匈奴の支配を受ける。
莎車国が于窴国(ホータン)に併合されると、これに乗じて鄯善国は西の精絶国(ニヤ)までを支配下に置く。
73年、後漢の班超が鄯善国を従わせた。この時に有名な「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の言葉を班超が発している。
2世紀、西域諸国は後漢の支配から脱していく。鄯善国は5大国の一つに数えられる。
国都が伊循城に変わった後の5世紀後半、青海地方の吐谷渾がタリム盆地に進出して鄯善国は滅ぼされる。
7世紀前半にこの地は唐の支配化に置かれる。
7世紀後半にはチベットの吐蕃が支配し、9世紀頃ミーランに築城した。この城砦跡を見に行く。

途中の仏塔にてストップ。
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丸いドームがきれいに残っていて遠くからでも目立つ。
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Aさんはここが有名な壁画「有翼天使像」があった場所と言っていたが、本当だろうか?
「有翼天使像」等があったM3、M5遺跡はここから1~2キロ離れているのではないか?
「有翼天使像」は3~4世紀頃に描かれた西洋のキューピッドを思わせるような壁画で、ヘレニズム文化の影響を強く受けており、ここがヘレニズム文化の東端とされる。
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次に唐の時代の吐蕃の城砦跡(M1遺跡。Mxは発見者のオーレル・スタインが付けた番号で、Mはミーランを表す)に行った。
城砦は周囲310メートルの菱形をしている。
ここからは吐蕃語の木簡、武具、布や陶片、筵などの生活用品、食料が発見されている。
タマリスクと土を交互に積み上げ版築という工法で堅固に作られた城壁が残っている。
画像上方の壁が層になっているのがそうだ。
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城砦の中のパノラマ。大量の砂で覆われている。
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城砦の右奥に一段と高くなっている物見台のような場所があった。
そこから見たパノラマ。
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とにかく茫洋と広がる砂漠に仏塔や寺院の遺跡が点在するさまは圧巻。
ミーラン遺跡の価値はここに立って初めてわかるだろう。
かつて吐蕃の将兵もこの眺めを見たであろう。
このどこかにM3、M5遺跡はあるだろうか?
わりと近く左に見えるのはM10遺跡の仏塔だろうか?

反対側のパノラマ。
遠くにいくつもの砂嵐が渦を巻いて移動しているのが見えた。
小さな城砦も見える。
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城砦の正面。
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城砦の内部。掘り返された跡がある。
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城砦の内部。四角く区切られた区画が連なっている。
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城砦の内部。四角く掘削された台がある。
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城砦の内部。
何の部屋だったのだろうか?穿たれた穴は何なのか?
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城砦の内部奥から正面を見る。
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とにかく大きな城壁。厚さ7~8メートルはある。
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シルクロード西域南道旅行(チャルクリクからミーランへ)

13:34、前方にチャルクリクのオアシスが見えた。
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その前に砂嵐が見える。
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路面を砂が流れていく。
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チャルクリクの中心部に入った。
紀元前、ここにはジャク羌国があった。中国の前漢の属国だった。
後漢の時代になると異民族に支配された。
その後の歴史ははっきりしない。
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きれいな花壇。
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13:59、チャルクリクのレストランに入った。
野菜たっぷりの麺。スープの味は薄味。
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あまり美味しいとは思わなかったが、日本に帰国してしばらくすると何となく懐かしくなった。
14:29出発。

14:40、チャルクリク河を渡った。
14:45、崑崙山脈の山陰がうっすらと見える。
北側ゴビに竜巻が多数見える。
14:58、風強く道の上に流砂あり。
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15:00、前方砂煙でよく見えず。
道の上に砂が描く様々な形をじっと見る。霧のように形を変えていく。
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15:26、前方左に蜃気楼らしきものが見える。
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拡大。実は本物だった。
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15:30、ミーラン(米蘭)路に入った。
15:34、ミーラン鎮(鎮は村より大きい行政単位)36団に入る。
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シルクロード西域南道旅行(チャルチャンとチャルクリクの間)

9:57、出発。しばらく田園風景が続く。
10:47、ゴビに入った。
10:50、カメラが故障してしまった。シャッターが切れない。またか!

11:00、一面のすすき野原。
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11:27、トイレ休憩。カメラが直った。でもいつまでもつか?
この辺りの砂地には葦で四角く区切られた砂止めが作られている。
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11:50、砂丘の中の道になった。
カメラはやっぱりシャッターが切れないので、ここからデジカメで撮影する。
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12:10、写真ストップ、砂丘を撮る。
私が立っている場所は砂止めが施してある砂丘だ。
砂止めのない砂丘まで歩きたかったが、出発まで時間がない。
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砂丘部分を拡大。
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ああ、歩きたいなあ。砂丘。
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12:22、出発。
出発後、すぐに胡楊の林になった。
また砂丘。
12:31、オアシスに入った。綿花畑が広がる。
耳の下が腫れだした。原因不明。
12:46、村を通過。

12:50、瓦石峡(ワーシーシャ)を通過。
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12:53、ゴビヘ。
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遠くに小さな砂嵐が見える。
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13:12、ゴビと砂丘。
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13:20、砂嵐が頻発。
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路面を砂が流れていく。「流砂の道」とはまさにこの事か。
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13:27、砂嵐が車と並走している。
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