062ヤルカンド(新疆ウイグル自治区)

シルクロード西域南道旅行(ヤルカンド・旧市街散策と新市街)

ロバ車を撮っていたら、一台がこちらに近づいてきた。
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バザールの近くは人も多くなる。
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動物の頭を並べて売っていた。
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バザールの赤い屋根の店が密集している。
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昔ながらの建物。板を貼った上に漆喰?を塗りたくっている。
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旧市街の入り口は鍛冶屋が多い。
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槌音を響かせて何を作っているのだろうか?
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こちらは木材加工。模様にあわせて器用に切っていく。
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香辛料を並べて売る露店。
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仕事がなくて暇なのかここにも眠る男が。
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20:30、夕食に出かける。場所はよくわからないが四川料理の店。
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醤油味っぽい羊肉炒めは味がさっぱりして良い。
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味噌味羊肉炒めは少し辛くて食が進む味。
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あと一品は豆腐の味噌炒め。
日中気温が高いこの地で飲むビールはやはりうまい。

ホテルへの帰りがけ夜市へ。
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出店数はそこそこで露店の種類もトリ系、羊系など5種類位か?魚の干物を焼く店もある。
夜市の周囲には飲食店がズラリと並んでいる。
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このアーケードを通っただけで、ヤルカンドの街の大きさがわかる。
日用品であれば種類・品数が豊富(に見えた)。
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スニーカーも色々なデザインのものが揃っているようだった。
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小さな田舎町だと思っていたがそうではなかった。
なお東方見聞録に書かれている片足が大きい男、喉に瘤がある男は見当たらなかった。

ホテルに帰着後、下着、靴下のみ洗濯。
23:00過ぎに寝た。

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シルクロード西域南道旅行(ヤルカンド・サイディ・ハーン王墓、莎車阿孜那清真、莎車王陵、旧市街)

アマニシャーハン墓の隣にはモンゴルのパオ風モスクがある。
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その隣には王とその一族、家臣の墓群がある。
中央の四角い建物が王(サイディ・ハーン)の墓。
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中にはモンゴルのパオの形をした棺がある。
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棺が3段になっているのは女性、2段は男性である。
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王の墓の周りには一族の墓が立ち並んでいる。表面の模様が細かい。
更に周りには大臣以下家臣の墓があるが、壊れているものが多い。
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もともと彩色されていたらしく、一部色が残っている墓もある。
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これも同じ。
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これは比較的新しい墓のせいか、色がはっきり残っている。復元したのかもしれない。
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アマニシャーハン墓の隣に、ヤルカンド最大のモスク、莎車阿孜那清真寺がある。中は撮影禁止。
柱が赤、緑、黄、青に鮮やかに塗られている。
壁は白で、扉は金色で緑色に縁取られている。気品のある美しさである。
扉の上にはメッカのカーバ神殿の絵が掲げられている。
天井は極彩色の花柄模様。各地のモスクと思われる絵も描かれている。
建物の材質はポプラである。
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莎車王陵。16~17世紀にタリム盆地を支配したヤルカンド・ハン国の王宮。
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文化大革命で紅衛兵に破壊されたが、今は修復されている。
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入り口の中はめぼしいものはなさそうだった。
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門の傍らに昼間から死んだように眠る男がいた。
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旧市街の奥は街道の宿場町のような雰囲気があり、ロバ車が走り回る様は中世にタイムスリップしたかのような気分にさせる。
ほこりっぽくて息苦しくなるが、そんなところも昔らしくて良い。
ヤルカンド随一の見所はまさにここである。
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馬がつながれている。昔からそうしてきたように。
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子供たちにカメラを向けると、シャキーンと背筋を伸ばしてポーズをとってくれた。
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シルクロード西域南道旅行(ヤルカンド・街中散策とアマニシャーハン墓)

13:35、ヤルカンドの街に到着。
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ヤルカンドは人口10万、ウイグル族が90%。

東方見聞録にはこうある。「ヤルカンは延長五日行程の国で、その住民の大部分はイスラーム教徒だが、中に些少のネストール派キリスト教徒を交えている。
・・・何によらず物資は豊かであるが、特に木綿の産出に富む。
住民の大部分はその一方の足がとても大きく、これに対して片足が小さい。しかしそれでも結構うまく歩行する。
更に又たいていの者が甲状腺の肥大で喉に瘤をこしらえている。いずれも飲料水のせいである。」

紀元前1世紀、人口16300余の莎車国があった。玉の産地として有名だった。
中国の漢と匈奴の係争の地だったタリム盆地において、莎車国は漢の側に立っていた。
ところが賢王の時、後漢に西域都護に任じられなかった事を恨んで、自ら大都護を名乗って他の西域諸国を服属させて重税をかけ、更に西域諸国を併合していった。
これに対し後漢は対処出来なかった為、西域諸国は匈奴に服属し、ついに賢王は于窴国(ホータン)に降った。
1世紀、後漢の班超に降った。
2~3世紀には疏勒国(カシュガル)に服属した。
4~5世紀、渠沙国があった。
6世紀に于窴国に併合された。
7世紀の玄奘の記録によるとカッパンダ国(タシュクルガン)に服属していた。
10世紀末にはカラハン朝に服属し、この時イスラムに改宗した。
12世紀には西遼に、
13世紀にはモンゴル帝国に、
14世紀にはチャガタイ・ハン国~東チャガタイ・ハン国に服属した。
16~17世紀にはヤルカンド・ハン国の首都であった。ここはカシュガル、ホータン、タシュクルガンからの道の分岐点になっており交易の中継点として栄えた(現在はタシュクルガンからカシュガルを結ぶ中パ公路ができて、タシュクルガンからの道の分岐点としての価値はなくなってしまった)。
17世紀に中国の清に入貢した。
現在はカシュガル地区に属する県である。

13:45、ホテル莎車賓館着。
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部屋は213号室。
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トイレとシャワー室。
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14:30、昼食のため街に繰り出す。
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ここで食事。
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ラグメンとレンガ茶。
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ラグメンの羊肉は、ここの土地の水が塩気を含んでいるため塩味である。確かに水道の水は少ししょっぱい。
15:20、ホテルに戻る。

15:40、観光は夕方からとの事なので、暇なので街を見て回ることにした。
携帯電話屋主催と思われるショーが仮設舞台で行われていた。
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男性歌手の歌謡と男3人女5人の踊り。
男はコサックダンスだった。内容はまあまあだったが(プロという感じではない)見ていた人々は無反応。あまりに面白くなかったのか。

バザールの入り口で。スイカを夢中に食べているおじさんがいた。皮まで食べそうな勢いだった。
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17時すぎにAさんと旧市街の観光に出かける。露店が立ち並ぶ通りに入っていく。
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袋に入っているのは木綿だろうか。
東方見聞録の「特に木綿の産出に富む。」の記述を彷彿とさせる。
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途中モスクがあった。
東方見聞録には「住民の大部分はイスラーム教徒」とある。
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大きな建物が見えてきた。
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17:28、アマニシャーハン墓を見学する。
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アマニシャーハンはヤルカンド・ハン国の国王の妃になった16世紀の女性で、音楽の才能があり12ムカムという音楽を集成した。
ムカムという音楽、こんなものらしい。
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説明板
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棺。遺骸は棺の地下にあり、頭は北、顔は西(メッカの方角)を向いている。
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シルクロード西域南道旅行(ウルムチ~カシュガル~エンギサル)

二日目
2:30頃目が覚めた。
頭痛は治まったが背中が少し痛い。大体5時間は寝た。
寝転びながら5:30に来るはずのモーニングコールを待った。
その後歯磨き、シャワー、髭剃り。洗濯物は靴下以外乾いていた。
荷物を準備しているとあっという間に6:30だ。

7:00、Aさんとホテルのロビーで待ち合わせ出発。朝の町は閑散としていた。
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7:25、空港着。
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売店のあたりは6年前に訪れた時と変わっていない。
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空港だけは朝から大賑わいだ。
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8:05、カシュガル行きの便に搭乗開始。
8:51、離陸。
9:15、軽食あり。

10:27、カシュガルに着陸。
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10:47、運転手のCさんに会う。ウイグル族だ。
カシュガルの説明を受ける。海抜1200メートル、人口30万、70%以上がウイグル族、小麦・綿花が特産。
東方見聞録にはこうある。「往年のカスカールは独立王国であったが、現在ではカーンの属領をなしている。住民はイスラーム教を信奉している。都市・集落が多いが、中でも最も大きくりっぱなのがカスカール市である。
・・・住民はもっぱら商業・手工業を生業とするが、その反面、みごとな花園・果樹園・農場をも所有している。国土は肥沃で、あらゆる生活必需品が豊富である。アサ・アマとあわせて木綿の産出がすばらしい。この国の商人は世界各地に出向いて貿易に従事する。しかし住民はいったいに貧窮で、飲食ともに粗末である。・・・」
11:01、なつかしのカシュガル駅を左に見ながら車は走る。
アンズの果樹園あり。東方見聞録に「果樹園をも所有」と書かれている通り。
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315号線を走っていく。
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遠くにカシュガルの町並みが見える。
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カシュガルは中国、インド、中央アジアからの東西の交易路が交わる要地だった。
紀元前2世紀、ここには疏勒国(コーカサス系)があった。北方の匈奴(テュルク系またはモンゴル系の遊牧国家)と中国の前漢のうち強勢な側に服属していた。
1世紀の初め、莎車国(ヤルカンド)の支配下にあったが、再び独立し、班超の活躍により中国の後漢に服属した。
2世紀、後漢から離反し西域の5大国のひとつになる。
5世紀後半、エフタル(アフガニスタン東北部に興ったイラン系の遊牧国家)の属国になるが、
6世紀には突厥(アルタイ山脈に興ったテュルク系の遊牧国家。中央ユーラシア全域を支配した)に服属する。この頃から国名が突厥語のカシュガルになった。カシュガルの意味は諸説あって明らかではない。
7世紀、中国の唐の支配下になり都督府が置かれた。この頃玄奘(三蔵法師)が通過した。
8世紀、吐蕃(チベット系)の勢力が盛んになり支配される。
10世紀にはカラハン朝(テュルク系イスラム王朝)、
11世紀にはウイグル(テュルク系)、
12世紀には西遼(カラ・キタイ。契丹系)、
13世紀にはモンゴル帝国の支配を受ける。この頃ポーロ一行が通過した。
14~15世紀にはチャガタイ・ハン国~東チャガタイ・ハン国~ティムール帝国(モンゴル系)、
16~17世紀にはヤルカンド・ハン国(カシュガル・ハン国とも言う。モンゴル系)、
17世紀にはガルダン治下のジュンガル(モンゴル系)、
18世紀以降は中国の清朝~中華民国~現代中国の支配下に置かれた。
19世紀後半に一時期コーカンド・ハン国(テュルク系)のヤクブ・ベクに支配された。
19世紀~20世紀にタリム盆地や中央アジアの探検が盛んに行われたがその基地になっていた。
これから巡る西域南道の街も大体似たような歴史を辿っているだろうと思われる。

11:18、綿花畑に苗を植える人々が見える。東方見聞録に「綿花の産出」と書かれている通り。
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風除けのためポプラの苗木が植えられている。立派な木に育つのに15年かかるそうだ。
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アンズ畑?道はガタガタしてあまりよくない。
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バザールの村を通過。ロバは二千元するそうだ。
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村を過ぎてゴビが続く。
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12:05、エンギサルに到着。ウイグル式ナイフの製造で有名でナイフ屋が立ち並ぶ。
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エンギサルは、古代、依耐国があった。中国の後漢に支配された後、疏勒国(カシュガル)の支配下に入る。唐が平定して依耐州を置いた。その後、莎車国(ヤルカンド)の支配下になる。清の支配下になるとここにはじめて城が建てられた。エンギサルとはウイグル語で「新しい城」を意味する。現在はカシュガル地区に属している。

12:12、ナンと水を買う。水(586ml)1.5元、ナン一枚1元。
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ロバ車を見ると中国シルクロードに来たなあ、と思う。
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12:17、エンギサルダム湖通過。崑崙山脈から流れ出る河の水をせき止めたもの。
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これから雪解け水がどんどんたまっていく。
13:02、小さな竜巻がいくつか見られた。
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13:15、オアシスが続く。
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シルクロード西域南道旅行(成田~北京~ウルムチ)

新疆ウイグル自治区南部の、かつて西域南道と呼ばれたシルクロードのルートを辿って来ました。
中国甘粛省のオアシス都市、敦煌以西のシルクロードは3つのルートに分かれますが、西域南道は最も南側のルートで、タクラマカン砂漠の南辺を通ります。

一日目:成田→北京→ウルムチ
二日目:ウルムチ→カシュガル→エンギサル→ヤルカンド(アマニシャーハン墓、莎車阿孜那清真寺、莎車王陵、ヤルカンド旧市街)
三日目:ヤルカンド→タクフ→葉城(カルギリク)→ホータン(文物展覧館、ホータン河で玉探し、マリカワト古城)→策勒(チラ)→ケリヤ(モスク見学)
四日目:ケリヤ→ニヤ(博物館)→チャルチャン(地主荘園、ザグンルク古墓群、チャルチャン故城、博物館)
五日目:チャルチャン→瓦石峡(ワーシーシャ)→チャルクリク→ミーラン遺跡→チャルクリク
六日目:チャルクリク→拾拉水庫→ロプノール人の村→ユリ→コルラ(鉄門関見学)→ウルムチ
七日目:ウルムチ→北京→成田

今回もマルコ・ポーロの追っかけの旅です。
1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、パレスチナ、トルコ、イラン、アフガニスタンを通りパミール高原を越えて中国の元朝の領域だったカシュガルに達します。ここから西域南道のオアシス都市を通過して敦煌に到着しました。ブログトップページの「マルコ・ポーロの行程図」をご覧になるとおおよそのルートがわかると思います。
掲載した画像は走行中の車から撮影したものが多く、見苦しい点はご容赦下さい。

零日目
明日は成田から中国へ出発する日。出発は朝早いので明日横浜の自宅を出たのでは間に合わない。
やむをえず今回は前日に東京駅近くのカプセルホテルに泊まる。一泊三千円もしないとにかく安いホテルだ。ありがたい。
20:30にホテルに着き、21:00には早速寝た。思ったほど寒くなかったが、明日ちゃんと起きれるか心配だ。

一日目
3:50に起床し、4:16にホテルを出た。
途中コンビニでパンと野菜ジュースを買っていく。
4:55待ちに待った電車に乗る。
5:04発車。車内で朝食のパンを食べる。
6:30、成田空港着。新型ウイルスが流行の気配を見せていたが、マスクをしている人は少なかった。
7:35、出国審査。
8:30、搭乗。
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9:07、離陸。上空から見るとまだ苗が植わっていない水が張られた田んぼが広がっている。
8:55(これより北京時間)、機内の朝食。
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11:22、北京着。
11:42、入国審査。シャトルでCエリアへ。
12:15、ようやくスーツケースが出てきた。これからウルムチ行きの飛行機に乗り継がなければならない。
12:25、カウンターでチェックイン完了。電光掲示板で搭乗ゲートを確認するが、チェックインカウンターで言われた搭乗ゲートと違う。
おかしいと思い両方の搭乗ゲートまで行って次の便名を探したが、ない。
慌てて案内カウンターのともさかりえ似の美人の案内嬢に聞くと、チェックインカウンターで言われたほうが正しいとのこと。
その後電光掲示板を見たら私が乗る便名が表示されていたので安心した。
13:01、搭乗ゲート着。
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13:30、搭乗。飛行機の窓の外を見ると、柳の白い綿糸状のものが舞っている。7年前の北京訪問が懐かしく思い出される。
14:42、離陸。
15:45、昼食。
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下界を見ると荒地の中を無造作に流れる河、短冊形の畑、6年前にウルムチに行った時も見ただろうか?
細かい山のひだがどこまでも続いている。ひだとひだの間の谷間は緑になっていて、こんな緑が無数に繰り返されていて細胞のようだ。
18:22、ウルムチに着陸。長時間の飛行で首筋を痛めたか、頭のしびれと痛みが出てフラフラ状態だった。確か6年前もこうだった。座席がよくないのだろうか。
18:45、現地ガイドのAさんと会う。運転手はBさん。二人とも漢族。途中天山山脈がうっすらと見えた。
車内でウルムチについて教えてもらう。1.28平方キロ、海抜800メートル、人口230万、70%が漢民族。他の地域の中国人は、ウルムチの住人は皆パオ(モンゴル式のテント)に住んでいると思っているらしい。それだけ中央から外れた場所に来たということだ。
19:35、ホテル着。部屋は21階だ。
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部屋の中。
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バスとトイレ
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20:00から一時間程、Aさんと夕食に出かける。
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麺料理だが麺が何でできているのかよくわからない。
肉やら卵やら野菜やらが入っている小鉢がたくさん出てきて、これらをすべて麺の器にぶちこむ。
麺の味は微妙だが、スープは体によいと言われて気味が悪いが何とか食べきった。
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夕方の街の風景。屋台に灯りが灯って良い雰囲気だ。
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ホテルから見たウルムチの高層ビル。
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部屋に戻って洗濯をして寝た。頭痛は中々治まらなかった。

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