060ウルムチ、トルファン、クチャ(新疆ウイグル自治区)

シルクロード天山南路旅行(クチャ、再び病院に行く)

【2003年9月】

9:00頃起きて熱を計る。38度丁度。少し下がった。Iさんに今日の観光はキャンセルすると伝えた。昼食はMさんと摂る事にして15:30に病院に行く事になった。
10:00間際にレストランで朝食を摂る。ツアー客の一人からハミウリをもらった。ありがたかった。食事はおかゆだけにしておいた。レストランには他の日本人団体客もいた。その中のおばさんと話すとタクラマカン砂漠を縦断する15日間のツアーだという。今日クチャだけで日本人団体が3組いるという。中国旅行はいまだに下火だがいるところにはいるものである。
食堂を出ると今回のツアー一行がクチャ郊外の観光に出かけようとしていた。大丈夫かと言われて熱は下がりつつあると答えたが、高熱が出た事を伝えると相当不安そうな顔をしていた。申し訳なかった。
部屋に戻ってやることがないので洗髪しシャツを洗って乾かした。その後寝ながらお湯を飲みのみなぜ病気になったのか考えた。出発直前の1週間は少々夏バテ気味でよく物忘れをした。出発日は寝不足だった。しかし旅行を取りやめるほど体調が悪かったわけではない。お湯を飲んで1時間もすると喉がカラカラになるこの気候のせいなのか?意外とSARSへの心配がプレッシャーになっていたとも考えられる。8日間という私にとっては長期間に外国に一人でいることや、今回のツアー日程上私が本当に行きたい場所が少ない事もあって、完全に晴れ晴れとした気持ちで出発したわけではなかった。いずれにせよ、SARS再発が懸念されている時期に中国で病気になるという事は相当なプレッシャーだ。
しかしこうして寝ながら耳を澄ますと生活の音が色々聞こえてくる。隣の工事現場の音、町のざわめき、意外と日本の生活音と変わらない。ここがシルクロードの町だとわかるのはホテルの従業員のウイグル語の話し声だけだ。気が付くと雨が降っていた。後で聞いた話では観光は雨で道がぬかるんでバスが泥に嵌ってしまい時間がかかって大変だったとか。でもそういうのも面白そうだなと思う。
13:50、スーツケースを部屋の外に出す。Mさんが昼食に誘いにきた。レストランでおかゆと蒸しパンと野菜を注文する。辛いのは避けて欲しいと言うと青菜の油炒めが来た。油がぎとぎとしてとても食べられなかった。ほとんどおかゆだけ食べて部屋に戻る。Mさんは空港に皆のスーツケースを届けに行った。
15:30、Mさんと病院に行く。待合室で点滴を受ける。暇なのでずっとテレビを見ていた。上海電視台製作のバラエティ番組やアメリカの刑事物をやっていた。中国語の吹き替えなので子供の泣き声など微妙に中国風な表現になっている。
昨日の医者がやってきた。今日は勤務する日ではないが歯が痛くて来たのだという。喉を見てくれた。舐め薬を買う事にした。医者が何か言っているのでMさんに聞くと、舐め薬は舌の下に入れておけと言っているそうだ。舌の下だろうが上だろうが口に入れれば同じなのにこの医者はちょっと頭が固いんだ、とMさんがぼやいた。保険金を請求するのに必要なので診断書を書いてもらわなければいけない。昨日と同様紙に氏名・住所を書けと言ってきた。その後はMさんが手続きしてくれたが、診断書に族名を書く蘭があり医者から何族だとしつこく言われたとの事。日本人は特に族名はないので書けないと言って突っぱねたらしい。中国政府が統計をとっているらしく一字一句もらさず書かないと気がすまないらしい。この医者は頭が固いんだとまたぼやいていた。診断書をもらうのに結構時間がかかったが、この頑固で素朴な医者は憎めない人だ。診察室の外にタンカに寝かされた男性が苦しそうに横たわっていた。腹が痛いのに我慢して農作業をしていたらしい。医者に挨拶して病院を出た。
ホテルに戻ってから夕食は何がいいか聞かれた。おかゆ、蒸しパン、キャベツの酢漬け、果物が欲しいと言った。部屋に戻って歴史物のテレビ番組を見ていた。漢の皇帝が匈奴(紀元前5世紀~5世紀にモンゴルにあった国)と戦う話らしいが漢の皇帝がヒーローみたいな描き方だった。今中国の一部になっているかつての匈奴の人たちはこれを見て面白いのだろうか?
20:00、夕食が来た。キャベツの酢漬けはなかったらしい。変わりに紅しょうがのようなものが来た。おかゆと一緒に食べると食が進んだ。大きなボウル一杯のおかゆを平らげた。お盆一杯のスイカを見て小躍りした。熱は37度4分。明日は南疆鉄道で7時間にも及ぶ列車の旅だ。荷物を準備して寝た。3:00位に停電があった。発電機のモーターの音がフェードアウトして常夜灯が消えて真っ暗になるのでわかる。昼間もあったが人が起きているのですぐに騒ぎ声がして回復したがさすがに深夜なので誰も起きない。モーニングコールはどうなるのか?

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シルクロード天山南路旅行(ウルムチ~クチャの病院に行く)

【2003年9月】

モーニングコールは8:00だったが7:00位に起きて熱を計る。なんと38度4分で全然下がっていない。Iさんに電話が通じないので仕方なく15階の部屋まで行くことにした。熱がある事と今日の観光は取りやめる事を伝えた。その後予定通り8:00から展望レストランで食事する。おかゆやサラダは豊富にあるので助かった。他のメンバーも私の体調を気にして大丈夫か?と声をかけてくる。
10:00、ホテル出発。私はずっと寝ている。10:35から11:50までかの有名な楼蘭の美女ミイラがあるウルムチ博物館の見学だったが私は一人バスで寝ていた。このミイラは小さい頃東京で見たからいいやと多少悔し紛れに思う。振動もなく静かで心地よかった。ゆっくり休めそうだと思っているとバスの運転手が気を利かせたつもりだったらしい、頭上のFMラジオを流し始めた。うるさいと思いながらも面倒なので何も言わずそのまま横になっていた。
12:10、ウルムチ空港到着。熱は38度まで下がった。私は少しでも体力をつけようと空港の売店で5個2元のチョコナッツを買い無理やりほおばる。脂臭くて胃がもたれそうだ。13:15、新疆国際航空9961便にてクチャに向う。初めて乗るプロペラ機だ。離陸時プロペラの音がうるさいが飛んでしまえば意外と静かである。低空を飛ぶので下界の景色が良く見えた。

Fi406451_1e 14:45、クチャ空港41 42' 57.46"N 82 59' 26.26"E着。



012a 新しい町に着いて多少気分も新鮮になる。バスでホテル、クチャ賓館へ。クチャの町は相当な田舎かと思っていたら意外と色々な店が建ち並んでいて近代化されている。街路を歩く人も多い。ここでクチャの現地ガイドを紹介される。Eさんだ。今までのガイドと違い日本語がうまく絶妙な言葉の言い回しでツアー客を喜ばせる。日本の香具師にでも教わったかのような言葉遣いだ。バス内で熱を計る。37度5分まで下がった。
Fi406451_2e 15:15、クチャ賓館41 43' 11.95"N 82 57' 27.26"Eにて昼食。喉の調子が悪いのでビールをほんの僅か、辛いものを騙しだまし食べてみる(シルクロードの食事は辛いものだらけなのでこれが食えないというのはほとんどおかゆと蒸しパンだけ食えというのに等しい)。部屋に入る。さすがに昨日の部屋から数ランク落ちる。でも十分快適だ。熱を計ってみる。わが目を疑ったが38度8分もある。びっくりしてIさんに病院に行きたいと言うとMさんが今日の観光から外れてこれから病院に連れて行ってくれるという。病院に行くまでの間ベッドで寝ていると誰かがノックするので覗き穴から除くと制服のような服を着た怪しい男が立っていた。用心に越した事はないと無視していると今度はフロントから電話がかかってきた。ウイグル語なのでさっぱりわからずI CAN NOT UNDERSTANDとか言って電話を切った。またノックの音がするので覗くと先ほどの怪しい男がフロントの女性と一緒に立っている。馬さんが頼んだのだろう、おかゆを持ってきたウェイターだった。ちょっと疑心暗鬼になっていたようだ。
他の客は17:00~20:33の間、クチャ近郊のスバシ故城とバザール見学、レストランでの夕食に向った。
ようやく私はMさんと街に出て病院に向った。もうすでに暗くなっていた。熱の割には気分は悪くない。街を歩くとこの町に住むウイグル族、漢族の人などがよくわかる。通り沿いには紳士服、婦人服、理髪店、化粧品店、デパートなど店が建ち並んでいる。どの店の看板にも漢語で大書きされた傍らに小さくウイグル語が併記されている。交差点には信号があり赤はSTOP、緑は進めというのは日本とかわらないが信号機の高さが3メートル程しかない。5分程で病院41 42' 52.83"N 82 57' 18.15"Eに着いた。病院は思ったより大きく総合病院のようだ。クチャで一番大きな病院だという。一階建てのコンクリートでできた小学校のような建物だ。中に入ると各部屋の入り口に診療科目の看板があり日本の病院と変わらない。ただし診療科目には「五官科」といったものがあり分け方が多少日本と違うようだ。そしてもちろん「中医科=漢方医」という科目もあった。観光地に行けなかったのは残念だがウイグルの病院で診察を受けるなんて一生に一度の事だろう。これはこれで貴重な体験だ。
Mさんに言われるがまま診察室に入ったり外で待ったり。ようやく診察室で診察を受けられる事になった。診察室には木製のベッドというかベンチみたいなものが1つと木製の机がひとつあるだけで日本の昭和30年代の診察室はこうだったのではないかと思えるほど素朴な部屋だ。最新の電子機器などどこにも見えない。医者は60歳くらいのウイグル族男性でミスタースポックに似ている、というよりミスタースポックを演じていた俳優レオナード・ニモイにそっくりだ。東洋的な細長い目と西洋的な高い鼻を持っている。やはり中央アジアは民族の十字路だという事を実感した。Mさんによると新疆に住むウイグル人は同じウイグル人でも顔つきがバラバラだという。南部にいるウイグル人はインド人に似ていてその他漢族に似ている人もいればトルコ人に似ている人もいる。日本人も漢族に似ていたり東南アジア人に似ていたりとバリエーションはあるがウイグル人ほどではないだろう。
医者から「咳は出るか?」とか「痰は出るか」と質問される。恐らくSARSかどうかを確認する為の質問ではあるまいか?SARSは痰のからまない空咳が出る。幸い私の症状は咳は全く出ないし痰が少々出ていたのでSARSでない事は確信していた。次に喉を見せろという。この診察室には強力な照明付診察台もなければペンライトもない。医者は部屋にただ一つの照明の下に私を座らせて上を向いて大きく口を開けろと言った。医者は3日で治るだろうと言った。三日間通院して点滴をして更に薬も出すそうだ。しかしあさってにはカシュガルに移動してしまうので今日と明日点滴を受けてあとは薬を飲む事にした。病名を教えてくれと言うと上呼吸道の腫れだという。ウイグルでは呼吸器は上下に分けてそれぞれ専門医がいるらしい。ようするにノドの腫れが熱を引起したという事だ。乾燥した空気と疲れでノドを痛めたと思われる。医者が紙を差し出して住所氏名を日本語で書けという。使い慣れない万年筆でインクが滲まないようだましだまし書いた。医者は漢字が読めないらしく、つまり中国語がわからないので、Mさんが私の名前の発音を医者に教えていた。医者が資料を作成している間暇なので診察室の様子を眺めていた。机の上には一週間のスケジュールが置いてありどの曜日に誰がどの科目を担当するか書かれていた。また壁には色々なお知らせの紙が貼り付けてあった。こういうところは日本と変わらない。そうしている間にも他の患者が診察室に入ってきて診察を受けていた。
Mさんが点滴の瓶と薬を持って入ってきた。診察室を出て待合室で点滴を受ける事になった。まず点滴剤がアレルギーを起こさないかどうかを調べる為の注射を打った。15分位たって腫れてこなければOKらしい。かつて点滴を受けて逆に気持ち悪くなって熱が上がったことがあるので、日本の病院よりも丁寧だと思った。外国人だから慎重になったのだろうか?その後なぜか個室に移って点滴を受けた。入るときにわざわざモップで床を拭いてくれた。点滴は約40分ほどかかったがその間私を安心させようとしたのかMさんは付っきりで色々話し掛けてきた。
Mさんはタクラマカン砂漠の南のホータン出身で西安の大学を卒業したとの事。携帯電話を見せて南京大学のホームページで人事学科と情報学科が生徒を募集しているとか、以前日本人が意識不明でこの病院に来たが設備がないので原因がわからず保険会社がチャーターした中国軍のヘリでウルムチの病院まで行った時の話や、日本人は自分がガイド中に日本語を間違ってもなかなか指摘してくれないなどの感想を言ったりした。正直言って彼の日本語は流暢だとはいいがたい。結構聞き取りにくいところもあるのだ。その点を結構気にしているようにも受け取れた。でもとにかく彼はなかなかの気配り屋で診察室の外にいるときはそこは風があたって寒いからこちらに来なさいなどと気を使ってくれる。すばらしい人なのだ。
さて、点滴も終わったので医者と看護婦にあいさつをして病院を出た。謝々というと医者と看護婦は屈託のない笑顔を見せた。その素朴な笑顔に思わず感動した。
病院から戻ってもホテルで夕食は摂れないので売店でカップラーメンを買う事にした。Mさんはここのカップラーメンは味付けが辛いからと中を開けて辛そうな調味料の小袋を選り分けてくれた。ホテルに戻ると一行も観光から帰って来たところで、Iさんに病気の状況を説明した。またMさんのサポートに感謝している事も付け加えた。食べれなかったおかゆはそのまま返した。

011a 部屋で一人になった後、カップラーメンを食べる事にした。調味料の小袋が5つもあったが舐めてみてザーサイ以外は全て辛い事が判明した。つまり麺とザーサイにお湯をかけて食べるはめになった。まずくて仕方がなかったが我慢して半分ほど食べた。その後は早々に寝た。Mさんから喉をいためないよう、また解熱を促進する為お湯をたっぷり飲むように言われたので夜通し飲んでいた。真夜中、恒例の停電があった。鼻がむずむずして鼻汁が出そうだったのでかんだらテッシュペーパーが真っ黒になった。真っ暗闇の中でも血が出たとわかった。発熱のせいだろうか?もらった薬は解熱剤らしく夜通し汗をかいた。

庫車[中国]旅行ガイド ~フォートラベル~
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シルクロード天山南路旅行(トルファン・交河故城、火焔山、ベゼクリク千仏洞、高昌故城)

【2003年9月】

104a 11:45、交河故城42 57' 06.08"N 89 03' 47.24"Eに着く。1400年前の城と町の跡である。切り立った崖の上に築かれた南北1.5キロ、東西300メートルの要塞だ。中には土を固めて作られた役所跡や一般の住居跡がある。

102a 中央には大きな寺院がある。いずれも半ば崩れかけた廃墟だ。岩のオブジェが並んでいる感じ。もしかしたら1264年頃マルコポーロの父と叔父が通ったかもしれない。最もそのころにはチンギスハーンの攻撃により落城しており、やはり廃墟だったろう。ポーロ兄弟がもし訪れていたらと想像をめぐらしながら歩いた。

細い路地が縦横にあり迷路のようで楽しい。
103a
時間がないのでのんびりもしていられず帰途に着く。ここでとうとうカメラが壊れた。もう絶望的。小雨が続いているせいか私の体調も思わしくないようだ。13:00出発。

13:25、トルファン賓館にて昼食。だいたいお決まりのシルクロード料理が出る。チンゲン菜の油炒めや唐辛子入りの肉野菜炒めなど。名物ラグメンも出たが麺が長くて取るのに一苦労。麺が乾燥してくると麺同士固まってしまってますますやっかいなことに。昔給食に出たライス麺のようだ。味は特になく普通の麺としかいいようがない。体調が悪いせいか食欲わかず。14:10出発。
14:20、葡萄溝民俗村に着く。葡萄棚が広がる果樹園で先ほどのカレーズと似た感じ。天気がようやく晴れてきた。15:05出発。
15:25、火焔山42 52' 56.84"N 89 35' 23.08"Eに着く。西遊記の三蔵法師が燃え盛る火焔山に行く手を阻まれ、鉄扇公主から芭蕉扇を奪って火を消したという謂れのある山。山肌が赤く襞が火炎のように幾筋も彫りこまれている。自然の造形美とはまさにこの山を指すだろう。蜃気楼の立つ炎暑の日などはいっそう火炎が立ち上るように見えるという。この山の前面には一面の砂漠。広大な眺めだが唯一残念なのは観光地化されてラクダに乗せようとする客引きの声がうるさいことだ。静寂の中この山と対面してみたい。わずかな見学時間だがカメラを作動させようとして貴重な時間を失ってしまった。15:40発。
Fi406417_3e 15:50、ベゼクリク千仏洞42 59' 42.26"N 89 30' 55.64"E着。6世紀ころに作られた石窟寺院。仏教壁画が多数ある。石窟がいくつもありその中の7箇所を見る。千仏の名の通り数百体の仏像が一面に描かれた石窟がある。しかし今はほとんど破壊されている。もともとは金箔で飾られて相当美しかったようだが今では盗人にはがされて懐中電灯を向けると時々キラッと光るのみ。それから10世紀頃から入り込んできたイスラム教による破壊がすざましい。彼らには仏像の目が不吉であると考えられていたらしく数百ある仏像の目全てが抉りとられている。それまで手厚く信仰されてきた仏像が一転して悪魔に変わった訳だ。
石窟の中は暑苦しく私の体調もますます悪くなった。それぞれの石窟のガイドの説明の冒頭をだいたい聞くと外のベンチで休むようになった。

015a 入り口近くにみやげ物売り場があり使い捨てカメラがあったので買うことにした。9元だというので7元に負けろと言ったら8元でどうだと言う。面倒になって8元で買った。中国製だがちゃんと写るのか心配だ。Iさんが、体調が悪いのではと声をかけてきた。私は薄々風邪を引いたかもしれないと思いつつも昨日一日中座席に座りっぱなしだったこともあり筋肉痛だと答えた。後でIさんの湿布薬をもらうことにした。17:00出発。016a






17:15、高昌故城42 51' 07.73"N 89 31' 35.11"E着。3世紀から14世紀のこの地方の政治経済文化の一大中心地だ。Fi406417_4e みやげ物売り場が建ち並ぶ場所からロバ車で中心の仏殿に向う。交河故城と同じく岩のオブジェと化した建物跡が林立する。そびえたつ烽火台や仏塔もある。とにかく総面積は相当広いと思われ遥かかなたに城壁が続いているのが見える。ずっとシルクロードの要衝だった為、ポーロ兄弟も1264年にここを訪れたはずである。ただし当時は、モンゴル帝国皇帝フビライハーンの皇位継承に異議を唱えていた、フビライの親戚でオゴタイ・ハン国の国王ハイドゥハーンの反乱勃発の直前であり、政情不安の為あまり安穏としていられなかったのではないか。
ロバ車は歩くより楽だがかなり揺れるので荷車につかまるのに必死だ。帽子や首飾りなどのみやげ物を売りに来る小学生くらいの子供たちが自転車で追いかけてきたりロバ車に便乗してくる。どの子も屈託がなく人見知りをしないのでかわいいことこの上ない。また日本語もよく覚えていて驚かされる。学校で習うのだそうだが本当だろうか?ガイドのMさんが子供たちとひっきりなしに会話を交わしている。ウイグル語なので何を話しているのかさっぱりわからない。

014a 仏殿と思しき場所の前で降りる。





013a やはり交河故城と変わらない感じ。あちらの方が保存状態がいいだろうか。帰りも同じロバ車で帰る。降りるとおとなしそうに見えたロバがすざましい声で嘶いて放屁した。18:25発。
帰りのバスでウルムチまで3時間、疲れ果てていると中国語とウイグル語会話教室をやるという。一応皆に合わせてニイツァオなどと叫ぶ。
21:30、ウルムチのホテルに到着。すぐに夕食。体調が悪いので葛湯のようなスープなどなるべく消化のよさそうなものを選んで食べる。飯を食ったらとにかく早く寝ようと思っていると、なんとこれから自己紹介をやろうと言う。頭が痛くなってきた。21人分早く終わってくれいとばかり自分の紹介は早々に済ませるが数名長話の人がいて申し訳ないと思いながらもうんざりする。ようやく終わったかと見るや葉書のプレゼントに続いて今日たまたまAさんが誕生日ということでお誕生パーティをやるという!!!中国式の花火?付デコレーションケーキが出てきて皆でハッピー・バースディ・トゥ・ユーを歌う。体調がよければなかなか気の利いた楽しいツアーだ、と思ったに違いないが・・・。残念だ。ただ私以外にもこんな疲れているときに自己紹介だの誕生パーティはないだろうとの声もちらほらあったようだ。Iさんはと言えば明日からパワー全開で行きます、とますます意気盛んなのであった。
ようやく自室に戻り持ってきた体温計で熱を計る。なんと38度4分もあるではないか。さすがにIさんにこのことを伝えて明日の朝もう一度熱を計って状況を連絡する事にした。薬を飲んですぐに寝た。

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シルクロード天山南路旅行(ウルムチ~トルファン・カレーズ)

【2003年9月】

モーニングコールは6:30。Iさんがわざわざ自分で全員にかける。いつ寝るのだろうか、体力がなければとてもできない。起きて頭を洗う。毛布も薄く部屋の気温が低いせいで昨晩は寒かった。すぐに寝たので室温調節の方法もよくわからない。疲れも残っていて体がだるい。両手をお湯に浸して体調を良くしようとする。大陸性乾燥気候で空気が乾燥しているので洗濯物は靴下以外パリパリになっている。
088a 7:10、24階の展望レストランでバイキングの朝食。他のメンバーに挨拶する。外はまだ暗い。夜明け前だ。中国は全国北京時間で統一されているがウルムチは北京よりはるか西だ。したがって日本の時間感覚から行くと北京時間より更に2時間遅れた時間=5:10が感覚的にマッチする時間である。しかしこんな時間にレストランが空いているなんて。バイキングはメニューもそこそこ豊富で満足できる。おかゆ各種(白いのから黒いのまで)、蒸しパン各種、ピラフ、トマト、レタス、肉野菜炒め、あんかけ大根、マカロニ、ハム、すいか、卵料理各種、その他いろいろ。
8:00、ホテルを出発してバスでトルファンに向う。座席も不公平にならないよう日毎に変更するという。色々な客がいるから添乗員も大変だ。天気は曇り勝ちである。車窓から外を見ると早朝の街でジョギングや散歩をする人たちがちらほらいる。面白いのは後ろ向きに歩く人が大勢いることだ。ボケ防止に役立つのだろうか。
087a 市街地を抜けるともうあたり一面石ころ砂漠の荒地である。左側に林立する風力発電の風車が見えてきた。百基くらいあるだろうか。壮観だ。また右側には広大な塩湖が見えてきた。所々白く見えるのは塩である。塩の採集工場もあった。塩湖がなくなると見えるのは黒くたれこめた雲と灰茶色の荒地とその2つの間の白い空だけである。何ともいえない陰鬱な眺めだ。
トイレ休憩。外に出ると風が強く寒い。砂交じりの風なので油断すると目といわず鼻といわず口といわず容赦なく砂が入り込む。マスクをしていたが風で飛ばされてしまう。はるか遠くを18日に載る予定の南彊鉄道が走っているのが見えた。みんな良く見ようとして駆け寄る。ここで私のカメラの調子がめちゃくちゃ悪いことが判明、がっかりする。
091a やがて天山山脈の赤い山肌が右側から迫ってくる。トルファンは山に囲まれた盆地なので天山山脈の山の切れ目を通り抜けて盆地に入るのだ。


092a 左側には黄緑色の広大な牧草地に黒い米粒のような羊の群れが散らばっている。右の山肌には時折埴輪のような赤茶けた焼き物が並んでいるがそれはお墓なのだった。


095a 左側からも山並みが迫ってくると盆地の入り口も間近だ。




10:20、トルファンのカレーズに着く。天気は小雨交じりだ。トルファンというと有数の灼熱地帯というイメージだったので今日のような悪い天気は残念だ。ぶどうがたわわに実った果樹園に入ると干しぶどうや干し杏、さまざまなドライフルーツが器に山盛りになって売られている売り場がある。
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ぶどうと言っても十種類くらいあるようだ。売り子が日本語交じりで声をかけてくる。

ここをやり過ごすと博物館の建物がありここでカレーズの説明を受ける。
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カレーズとは砂漠地帯のオアシスで水を確保する為の一種の井戸である。ただし普通の井戸ではない。山の雪解け水は乾燥した地表を流れない為川ができない。地中にもぐりこんで地中を流れているのである。川が地中にあるようなものだ。この流れがある場所まで井戸を掘ったらトンネルを掘って流れをうまく生活地域に誘導する。この網の目のようなトンネルと井戸の集合がカレーズだ。カレーズは中近東など他の地域にもあるようだがトルファンのカレーズがとりわけ有名なのはトルファン盆地がユーラシア大陸のど真ん中にありながら海抜0メートル以下の低地であり、まわりの天山山脈からの雪解け水が流れ込む理想的な地形だからである。

実際にカレーズを見学する。
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観光用にライトアップされたカレーズはいささか興ざめ。しかしその豊富な水量はこの砂漠地帯を生き抜く人たちの力強さを象徴するようだ。
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次にぶどうを干している建物に行く。
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建物にはウイグル族の少女が2人あざやかな民族衣装を着て座っていた。一緒に写真をとると5元(1元=15円)だという。もちろん撮らない。
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097a ぶどう干し場では干しぶどうが雨に打たれてなんとも無残な感じだ。衛生的に大丈夫なのか。




外の街道はポプラ並木と荷馬車がシルクロードの雰囲気を濃厚に醸し出しており思わず写真を撮る。
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11:20ここを出発。
ところでカレーズでは今回旅行している新疆ウイグル自治区の「疆」の字の由来についての説明もあった。左側の三本の横線は三つの山脈、北からアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈を表し、横線の間にある「田」は北からジュンガル盆地とタリム盆地(=タクラマカン砂漠)を表している。それを弓を持った兵士が守っている事を素直に表現したのが「疆」の字だったのだ。こんな字書けといわれても書けないと思っていたが意外と単純な絵文字だったわけだ。

吐魯番[中国]旅行ガイド ~フォートラベル~
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シルクロード天山南路旅行(西安~ウルムチ・環球大酒店)

076a 【2003年9月】16:25、空港内レストラン「シルクロード」にて夕食。


078a メニューはお決まりのチンゲン菜の油いため、炒り卵とトマトの炒め物、生の胡瓜の千切り、煮た大根+あんかけ?、肉と千切り胡瓜の炒め物、酢豚など今後の食事全般にほぼ共通して出てくるものである。前回の北京に比べると内容は明らかに落ちる。

079a 17:30、ウルムチ行き中国南方航空(西安やウルムチは中国西部だが南方航空?)9236便に搭乗。ここでTさんと別れる。空港は夕焼けに染まっている。これから奥地に行ってしまうんだという心細い感じを覚える。
18:08、離陸。運良く窓際の席だったので上空から景色を見る。たぶんシルクロードにほぼ沿って飛んでくれるのではと思ったがランドマークがないのでやっぱりどこを飛んでいるのかわからない。曲がりくねった河や細長い田畑や土造りの家が並んでいたがやがて砂漠が広がり出した。
080a 夕食を食べたばかりだが機内食が来る。シルクロード名物ラグメン(牛肉入りあんかけソバ)とパン。何となく平らげてしまった。スチュワーデスは赤いチャイナを来ている。スタイルは日本人スチュワーデスに比べ断然よい。立ち居振舞いは日本のほうが品がよい。

081a 遠くに山脈が見えた。天山山脈だろうか。外は暗くなり景色も見えなくなった。今朝はまだ横浜にいたのに今は世界で最も海から遠い都市、ウルムチに着こうとしている。夢のようだった。

075a 21:10、ウルムチ空港に着く。ウルムチに着くと外は真っ暗。空港は新しく広い。新車の国産JEEPが展示されていた。

荷物を受け取るとすぐにバスでホテル「環球大酒店」へ。
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22:25到着。日本時間の23:25であるから今日は本当に一日中移動ずくめの日だった。徐々に思い知らされるのだがこのツアー、寝る間を惜しむかのように行動時間が長い。

083a Iさんから明日の起床時間などがかかれたメモをもらう。ホテルの部屋は22階。


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キーはカードキーなので案の定なかなかドアが開かずやっと部屋に入ると豪華さにびっくり。
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寝室のほかにリビングルームがあり洗面所・トイレが2箇所、大型テレビ、電話も2つある。一人じゃもったいないと思いつつ着ていた服を急いで洗濯し湯船に身を浸して疲れをとる。ちょっと寒いなと思いつつ、明日もハードなスケジュールなのですぐに寝た。
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