024ガズヴィーン、アラムート(イラン)

イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その9(アラムート城・その3)

念願のアラムートに来たわけですが、その理由と言うのもマルコ・ポーロの東方見聞録に3章もの紙面を割いてアラムートの話が記述されているからなのです。
では、
東方見聞録に書かれている事は真実なのでしょうか?ちなみに東方見聞録には「マルコ・ポーロ氏が多くの人々から語り伝えられたままに」と書かれており、マルコ・ポーロが現地に行っていないのは明らかである。
井筒俊彦氏は、講演記録「イスマイル派「暗殺団」-アラムート城砦のミュトスと思想」の中で、はっきり「嘘」と述べています。その理由は次の通りです。
まず、13世紀にアラムート城陥落後に現地を実地調査したイランの歴史家ジュヴァイニーの著書「成吉思汗(チンギス・ハーン)伝」を読めば明らか、と書いています。恐らく、東方見聞録の「両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り」の「庭園」などなかったのでしょうか?
また、東方見聞録の、暗殺者にするべく楽園に連れ込む際に若者に盛った薬はハシシュ(大麻)だとしていますが、それは洋の東西を問わずアラムートの物語の中心には必ずハシシュが出ている事、これらの物語から、暗殺者を表すアサッシン assassiniの語源は麻薬常用者ハシーシー hashishiのヨーロッパ語化された形である事が理由と述べています。その上で、綿密な計画に従い己を失うことなく最後まで暗殺という仕事をやり遂げる事が、麻薬常用者には無理である事、ハシーシーとは麻薬常用者という意味だけでなく、暗殺団の常軌を逸脱した行為に対するイスラム教徒の憎しみの表現であり、実際の意味は社会の嫌われ者、人非人であったという事です。つまり、暗殺者候補の若者に薬を飲ませた事実はなかった、という事らしいです。
また、彼ら暗殺者の、ニザール派教団内での呼び名はフィダーイーであり、その意味は己の生命を犠牲にして己の尊敬する人、ここではイマームや「山の老人」、に忠誠を尽くす人、という意味があるそうで、この事からも、暗殺は天国での快楽を求めて行ったわけではなく、イマームや「山の老人」への忠誠心から、という方が妥当である事らしいです。
このように、東方見聞録の記述は、当時の人々がベールに包まれたニザール派教団内部を空想して作り上げた物語と言う疑いが濃厚です。
では、
アラムート城砦にいた人々(ニザール派)は実際にはどのような人々だったのでしょうか?
それにはまず
ニザール派がどのようにして生まれたのか、と言う点を記述します。
イスラム教は7世紀初めころにムハンマドにより創始された。ベースはユダヤ教とアラビアの土着信仰。元来イスラム教は血統を否定し、神の前ではいかなる人も平等であり、信仰心と敬虔さ、慈愛を重んじる。取り決めは神の言葉であるクルアーンと共同体の合議で決定する。ムハンマド死去後は、共同体のリーダーとして、神の預言者ムハンマドの代理人たるカリフを選出した。
しかし、7世紀後半、4代目カリフのアリーに有力部族ウマイヤ家が反発した事でイスラム教はシーア派とスンニ派に分かれた。シーア派はアリーの子孫だけが神から聖別され、ムハンマドの持つ神の霊性を引き継ぐ神聖な存在、イマームであり、イマームがイスラム共同体の指導者であらねばならず、クルアーンの法的解釈を含めた大きな権限を持つと主張した。一方、スンニ派は保守派であり、ムハンマドとクルアーンだけが絶対的かつ神聖な存在であり、ムハンマドの後継者は今まで通りカリフ(単なるムハンマドの代理人)であるとした。
8世紀半ば、シーア派は7代目イマームの座をめぐり、十二イマーム派とイスマイル派に分かれた。十二イマーム派は穏健派でスンニ派寄り。シーア派の主流であり現代のイラン人の大部分が属する。イスマイル派は急進的な過激派であり、イマームをより神に近い存在として熱狂的に信仰し、神秘的秘教的な面を持つ。当初はメッカを襲撃するなど各地で略奪・殺戮を繰り返したが、行動自体は次第に穏健になり、勢力も拡大して10世紀、チュニジア、エジプトを中心とするファーティマ朝帝国を築いた。そこでは世界最古の大学による学問の研究が行われ、イスラム文化の興隆に寄与した。
11世紀末、イスマイル派はファーティマ朝の跡目争いからムスタアリー派とニザール派に分かれた。勝利したムスタアリー派はシリア以西、ニザール派はイランを中心に活動した。
敗北したニザール派はその後どうしたのか
イマーム・ニザールの側近でアラブ人のハサニ・サッバーフ(第1のハサン)は、ニザール派の中心地となる場所を求めて中東を旅した。そしてついに、イランの山中に理想の場所を見つけた。そこは峻険な地形に囲まれた巨岩からなる城砦であり、その地方の住人は好戦的で反体制的気質だった。その場所アラムート城に、ハサンはイマーム・ニザールの孫を新たにイマームとして迎えて独立政権を創った。
ニザール派においては、イマームは天上の神が顕現化した存在だった。太陽そのものではないが、太陽の光と同等の存在。イマームは限りなく神に近いがゆえに、神の言葉であるクルアーンや、神の啓示を受けた預言者とは言え一人の人間に過ぎないムハンマドを上回る存在。保守的なスンニ派や十二イマーム派から見れば完全な異端で、当然敵対関係になる。
では、多数派の彼らに対抗する
ニザール派の組織はどのようなものか
ニザール派の組織は階層構造になっている。神の前では皆平等という訳ではない。秘教なので、上に上がるに従い教団の奥義が段階的に伝授されていく。
まず頂点に立つのはイマームだが、彼が教団の実務を行っているわけではない。イマームは存在する事に意味があるので、何もする必要がないのだ。奥義を知る必要もないし姿を見せる必要すらない。
事実上の最高指導者は、最高伝教師。ハサニ・サッバーフがこの地位にあった。「山の老人」とは最高伝教師を指す。暗殺者の育成も行う。一時的に最高伝教師がイマームを僭称した時期もあった。
その下にいるのは、上級伝教師。各担当地域の布教活動を統括する。
その配下にいるのが多くの一般の伝教師。実際の布教活動を行う。
その下が一般信徒になるが、一番上がラフィーク(同輩)。奥義の一部を伝授されている。
その下がラーシク(付着者)。イマームに絶対的忠誠の誓いを立てて入信しているが、奥義はほとんど伝授されない。
最下位がフィダーイー(献身者)。奥義の知識は何もなく、ただ伝教師の指示に従い暗殺や攻撃を行う。
伝教師による一般庶民の教化が主活動だが、教化の邪魔になる人間はフィダーイーを使って暗殺する、というのが裏の活動なのだろう。また、要人暗殺は教団の存在感を高める為に行われたのかもしれない。

ニザール派の思想はどのようなものか
イマームが神に限りなく近く、クルアーンやムハンマドをも超える絶対的な存在だったのは前述の通り。イマームの教えなくして人々は真実を知ることができない。
また、イスラム法(シャリーア)に反する思想を持っていた。クルアーンやムハンマドの言行録に基づくイスラム法はイスラム教徒の行動の規範であり、なくてはならないもの。例えば、一日5回の礼拝は、イスラム教徒が神とともにいる時間であり、その為に必要な行為である。しかし、ニザール派では、信徒の霊的復活により、信徒は礼拝の儀式なしに常に神とともにいる事が可能になるとした。これは、神とともにいる為の取り決めであるイスラム法の全面否定、棄却を意味する。霊的復活とは、信徒が地上的存在ではなくなり、天上的存在として蘇る事を意味する。実際、12世紀半ばに、4代目の最高伝教師が復活の儀式を行い、イスラム法を棄却する事件が起きた。イスラム教徒にとって禁忌とされている事が全て可能になったのだった。それは、13世紀前半、6代目の最高伝教師がイスラム法を復権するまで続いた。
13世紀以降、ニザール派は次第に穏健化していく。それは多分に6代目の最高伝教師の反イスマイリズムの思想がきっかけだったが、イランに強力な政権を打ち立てたスンニ派のホラズム・シャー朝の圧力が大きく影響していたかもしれない。

アラムートの最後はどのようなものだったか
「頃はキリスト降誕暦1262年の前後であった。「老人」のこれまでの悪行一切を知った近東タルタール領主アラウは、どうあっても彼を平定しようと決意した。そこで彼は数ある重臣の一人を選び、これに大軍を授けて「老人」の城塞に向わしめた。この軍勢は城塞を攻囲する事三年あまりにしてようやくこれを占拠した。もし城塞内にもっと兵糧があったなら、これくらいの日数では陥落しなかったであろう。しかし攻囲三年にして城内の兵糧は蕩尽したので、城塞は陥り「山の老人」、すなわちアラオディンはその部下と共に挙げて誅滅されたのである。…それとともに、かつて「山の老人」によって実施せられた忌まわしい統治もここに終わりを告げたのである。」(東方見聞録)
モンゴル帝国のフラグ率いる中東方面軍は、1256年から侵攻を開始し、12月にはアラムート城は陥落した。主な城塞は全て陥落したが、ニザール派のイスラム共同体は広範囲に存在していたため、全滅は免れた。ニザール派は現在も存在しており、信徒数約数百万。もちろん昔日の暗殺テロ行為は行われておらず、ただ秘教システムのみが残っている。


参考・引用文献:


書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社


書名 :井筒俊彦全集 第9巻
著者名 :井筒俊彦/著
出版者 :慶應義塾大学出版会

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その8(アラムート城・その2)

ガズヴィーン郊外のアラムート城の登り口。
これからいよいよ登り始める。最初はなだらかな道。雪もない。のどかな気分で歩きはじめる。鼻歌でも歌いながら。Dsc01287aしかし、巨岩に近づくと道は急になっていきます。雪も出てきます。しかもシャーベット状(笑)。一抹の不安が。Dsc01288ajpgおっ!階段だ。助かったぞ!Dsc01289a_2いやあー!勘弁してー!凍った雪が階段にへばりついています!何とかスニーカーで踏みしめながら歩けるレベル。階段じゃなくて地面を歩いたほうがましだった。Dsc01290a巨岩がせせりだしています。それを巻くように道が付いています。平坦な道になったのでほっとしています。Dsc01291a巨岩に巻き付いた道がうねうねと続くのが見えます。こんな道では大軍でも攻めあぐねたでしょう。難攻不落なわけです。道は思ったよりも雪が(氷が)少ない。やった!Dsc01292aしかし結局こうなるんだよなあ!この急角度。上まで行けるのか心配になってきた。無雪期だったらなんてことはない道なんですが。Dsc01293aアラムート城の巨岩。上から狙い撃ちですわ。Dsc01294a何か建物が見えてきたが、この道。完全に凍ってる。これ軽アイゼンがないと無理ですわ。ここから滑り落ちたら谷底へ転がっていく。Dsc01295aこれでもかと試練が続く。ガイドのAさんに支えてもらいながら、頼りない柵のようなものを掴みながら、なんとか少しずつ登っていく。Dsc01296a途中途中にこのような修復中?の遺構があります。この壁で敵を防いだんだろうなあ。Dsc01297a道は更に続きます。ただ雪の深さが増したおかげで歩きやすくはなりました。Dsc01298a巨大な城郭。こんな絶壁の上によくぞ建てたものだと感心する。asbi khane(通称:馬小屋)と呼ばれる岩を穿った長さ12.5m、高さ3.1mのトンネルがある。南側ではガザルダシュ(地名?)を見下ろせる。Dsc01299a途中、工事現場の番小屋らしきものがあった。Dsc01300a別角度から城郭を見る。ベースは本当に一枚岩だ。これでは崩すこともできないよ。Dsc01302aモスクの北門がある。5.8mの幅を持つモスクの中央部の入り口。様々なレンガの装飾を施した2つの側壁がある。この入口には壊れた断片が残っている。ベースの壁はセルジューク朝期(10世紀~12世紀)でその上にサファヴィー朝期(16世紀~18世紀)の遺構あり。もしかしたらここにイマームや「山の老人」の居室があったのだろうか?Dsc01303a見ての通り、2層になっている場所もある。岩の形に合わせて城郭を構築したのだろう。城郭の内部も移動しやすいようになっている。Dsc01305a城郭の間の通路。上に上がっていきます。Dsc01306a城の北端に出た。この部分は水槽、塔、壁、避難所、防護室が穿たれた階段でつながっている。防御壁と戦闘室があります。遠くにイランの国旗がはためいている。Dsc01308a恐らくこれが水槽だろうか?長さ13メートル、幅3メートル、奥行き4メートル。Dsc01307a他にも岩に穿たれた巨大な穴がある。イマームは天上の神に近い場所にいたのかもしれないから、居室もあったのかもしれない。想像が膨らむ。Dsc01309aDsc01310aこの丸い穴も良く分からないなあ。最近の物?Dsc01315a防御のための壁が連なっています。それにしても周りの景色も絶景!Dsc01313a当時はもっと立派な壁や塔が立ち並んでいたんだろう。Dsc01314aドライバーのBさんにおだてられ、一番高そうな場所に立ってみました。こ、怖い。と言うか、こんな細長くて高い場所、誰が攻めるのー!Dsc01320a両サイドは絶壁だしー!Dsc01318aひいい!怖い!落ちたら死ぬ。結構高度感ありますよー!Dsc01322aそれにしても雪に覆われたアルボルズ山脈の綺麗な事。ほんと絶景だわー!Dsc01317a麓の集落はガザルハン。マルコ・ポーロが東方見聞録で言っていた、「両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り、…彼がこの宮苑に現出せしめたかかる光景こそは、マホメットがその教徒に説いた天国の境地、すなわち天国に生まれたるものは葡萄酒・牛乳・蜂蜜・淡水の流れを眺め、思いのままに美女を手に入れ心行くばかりの快楽に耽ることができるという、まさにその通りのありさま」の庭園というのは、この峡谷のどこにあったんだろうか?Dsc01311aこの道を登ってきたんだな。まあクルマだけど。下から見るよりは高さを感じます。Dsc01312a城上部の主門の遺構。セルジューク朝期(10世紀~12世紀)のベースの上に、サファヴィー朝期(16世紀~18世紀)のレンガで作られた石段と6つのアーチがあります。入口と石のアーチの両側に2つの八角形の石柱がありセルジューク朝期のものです。Dsc01323a当時の主門はこんなイメージ。モンゴル軍、アラムートを攻めるの図。Dsc01324a城塞の上にいるときは考えてもいなかったが、凍結した斜面って登るときよりも降るときの方が怖いんだよねー!もういやだー!Dsc01326a無事車までたどり着きました。13:05出発。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その7(アラムート城・その1)

ガズヴィーン からアラムート城の登り口までやってきた。
11:03、車はここまでしか入れない。車を降りる。
Dsc01285aここは案内所か何かだろうか?冬は閉鎖しているみたいだ…。Dsc01286aここで、アラムートが東方見聞録にどのように記述されているのか、見てみよう。
「ムヘレットはその昔、「山の老人」の住んでいた国である。…以下マルコ・ポーロ氏が多くの人々から語り伝えられたままに、この老人の話を残らず述べる事にする。
…両山脈に挟まれた峡谷中に、彼はとても壮大美麗な庭園を造り、…彼がこの宮苑に現出せしめたかかる光景こそは、マホメットがその教徒に説いた天国の境地、すなわち天国に生まれたるものは葡萄酒・牛乳・蜂蜜・淡水の流れを眺め、思いのままに美女を手に入れ心行くばかりの快楽に耽ることができるという、まさにその通りのありさまだったからである。…
ところでこの宮苑に入る事を許される者は誰かと言えば、それはただこの老人が見込んでそれを刺客に仕立てようとする若者だけに限られていた。
…老人は昏睡する若者たちをくだんの宮苑内に移し入れ、しかる後目覚めるのを待つのである。
若者たちは眠りから覚めると、…さてこそ自分たちはまさしく天国に来たのだと信じ込む。美女たちはかたわらに侍って音楽を奏し歌を歌い、珍味佳肴の饗宴に給仕する。若者たちはこれら美女を相手に存分の快楽を享受する。…この宮苑を去りたいなどとはつゆほども望まないのである。…
老人が部下をどこかに派遣して誰かを暗殺せしめようとする場合、…薬を盛られた若者が昏睡状態に陥るのを待って、彼らをその宮廷の中に運ばしめる。
若者たちは眠りから覚めると、…大いに驚き、必ずがっかりする。
…「山の老人」は…刺客達に向ってこう諭告する。「もう一度お前たちをあの天国にやってやりたいと思うから、特にお前たちを選んでこの使命を託するのだ。さあ行け。ただ某々を殺しさえすればよいのだ。万一お前たちが失敗して死ぬような事があっても、そのまままっすぐ天国に行ける事は疑いない」
…刺客達は、…何事であれ老人の命ずるままにそれを遂行する。
かくして老人に狙われたが最後、だれであれその死を逃れる事はできなかった。数多くの国王・領主たちが老人に殺されはしまいかと恐れるのあまり、彼に貢物を納めて友好関係の維持に汲汲としていたのは紛れもない事実だったのである。」

ムヘレット国とは11~13世紀、アラムートを根拠地とし北イランを領域としたムラーヒッド朝というイスラム国家を指す。多くの刺客を抱えていたのも事実で、数多くの国王、領主がその毒牙にかかった。主要な国王・宰相だけでも120年のうちに14名。中にはセルジューク朝の大宰相、ニザーム・アル・ムルクや、十字軍のトリポリ伯レイモンド、エルサレム王コンラッド・ドゥ・モンフェラという大物もいる。
ではなぜ刺客をもって次々と各国の元首を狙ったのか。
それはムラーヒッド朝の根幹となる宗教と関係がある。ムラーヒッド朝は最高指導者が教主である宗教国家だが、その宗教はニザール派といい、イスラム教シーア派の一派、イスマイール派のうちシリア・イランに勢力を伸ばした宗派であった。イスラム教とはいえ、多数勢力であるスンニ派から見ればシーア派というだけで眉をひそめるのに、シーア派の中でも過激な思想を信奉しており、スンニ派やシーア派穏健派から見れば異端としか言いようのない宗派だった。
何が異端とされたのかというと、詳しくは後述するが、イマーム(シーア派から見たイスラム教最高指導者)と呼ばれる教主を天上の神が地上に顕現されたものとして扱い、それゆえ神の預言者、つまりは単なる人間にしか過ぎないイスラム教の創始者ムハンマドより上に置いた事による。預言者ムハンマドと神の言葉であるクルアーンを唯一絶対的なものと信じるスンニ派には受け入れがたい事だった。シーア派穏健派から見れば、イマームの存在は認めるものの、イマームがほとんど神と同じ存在という所には抵抗がある。イマームはムハンマドの血脈としてその霊性を受け継ぐ者であり、神ではないのだ。
そんな異端の彼らが生き残り、派閥を拡大していくには、堅固な要塞に立て籠もり、その教えは秘教として隠匿する必要があった。そして彼ら以外の宗派、キリスト教は言うに及ばずスンニ派もシーア派穏健派も、聖なる彼らにとっては聖に反するものであり、敵であった。
そのような状況で布教するには、敵の宗教の庇護者を暗殺し、他宗派の民衆に畏怖を与える事が必要だった。従って暗殺の目標の多くも、キリスト教徒というよりはスンニ派やシーア派穏健派の中心人物になった。聖地奪還に燃えるキリスト教徒は改宗せず、当然のことながら同じイスラム教徒の方が改宗させやすかったからである。このようにして他宗派の民衆を取り込んでいったのである。その為、ムラーヒッド朝は暗殺を目的としたのではなく、より多くの民衆を教化し、勢力を拡大する手段として暗殺を行ったのである。
また、東方見聞録に、刺客となる若者を昏睡させる薬が出てくるが、これはハシシュという大麻だと言われている。一方暗殺者の事をアサッシンassassinと言うが、これはハシシュhashishが語源になっているとされている。東方見聞録に出てくる話は、当時から西洋で広く流布されており、この話からアサッシンという言葉が生まれた。
彼ら暗殺者は、目標となる人物が住む地域の言葉、習俗、宗教を教え込まれ、時には召使として、時には修道士になりすまし時機が到来するまでじっと待ち続けるのである。その間、周りの誰も暗殺者だとは気付かない。そして緻密な計画のもとに確実に目標を暗殺する。
「山の老人」はアラムート城から一歩も外に出なかったとされる。その素性が全くわからない「山の老人」。そしてその配下で動く無数の暗殺者たち。「山の老人」が、諸国の王から恐れられたとしても不思議ではないし、実際東方見聞録に記載されているような話が西洋で広く知られていた事からも、相当不気味な存在としてとらえられていたのは確かである。
その「山の老人」が、イスラム諸国を巡り歩いてこここそニザール派の本拠地にふさわしいと居を構えたのがアラムート城なのだ。一枚岩の巨岩からなり、周りには深い谷、守るのにここ程適した場所はなかった。そしてここがニザール派にとっての世界の中心、周りの勢力にとっては恐怖の中心になったのだ。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

書名 :井筒俊彦全集 第9巻
著者名 :井筒俊彦/著
出版者 :慶應義塾大学出版会

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その6(ガズヴィーン~アラムート城)

二日目

ガズヴィーンのホテル、アルボルズの朝。
:30に起きてしまった。
今日は近郊の
アラムート城に行き、そのままテヘランに戻ってそこから国内線でタブリーズに行く。
6:30までには荷造りを終えた。我ながら迅速な行動。
7:00、ホテルのレストランにて朝食。ホテルのレストランはこじんまりとしているが居心地が良い。Dsc01256a朝食はお決まりのものだ。クレープのように薄いナン、ラヴァーシュ(これが大好き)、トマト、キュウリのサラダ、ハム。飲み物はコーヒー、紅茶。Dsc01255a8:00、ホテルを出発。天気はすこぶる良い。幸先がいいぞ。車は北東のアルボルズ山中を目指していきます。今日行くのは、アラムート城の7つの城塞のうち、ガザルハンという最も一般的な場所です。Dsc01257aところで、今回なぜ私がアラムート城を目指すのか、その理由なのですが、それはマルコ・ポーロの東方見聞録に、アラムート城とそこの支配者であったイスラム教イスマーイール派の一支派、アサシン(暗殺)教団で知られるニザール派の指導者と、世にもおぞましいその行いが書かれているからです。
マルコ・ポーロは一般的にはアラムート城に立ち寄っていないと言われていますが、どこかでその話を伝え聞いたのでしょう。それはガズヴィーンのあたりを通過した際か、もっと東のホラーサーン地方を北上中に通過したニザール派の拠点でなのか。とにかく彼は、東方見聞録に3章を割いて、詳細に書いているのです。これは無視する訳にはいきません。東方見聞録を片手に立ち寄るべきです。
8:35、車は早くも山道に入っていく。穏やかな冬の朝。Dsc01258a8:42、所々雪が出てきた。予想外だ。トルコ旅行の時みたいにひやひやしながらドライブか?Dsc01259a9:00、寒くなってきたので、下着を保温用下着に着替えた。Dsc01260a_2Dsc01262a周りはリンゴやクルミの果実畑だ。車の中では、宗教革命前に映画の音楽を歌っていたブフシーという歌手の歌が流れている。結局イラン政府の意に沿わず、アメリカに亡命したそうだが。
それにしても雄大な景色。純白のアルボルズ山脈の高山帯を背景に、枯れた山々がなだらかに広がる。
これぞ絶景!Dsc01261aDsc01264aDsc01265a9:20、ぽつねんと集落が見えた。Dsc01266a_29:28、ラジャイダイシを通過。Dsc01267aDsc01268aまたもや雄大な景色の連続!刈り入れを済ませた畑だろうか、真っ白の山を背景に丘の上は切り貼りしたかのような模様。冬のイランもいいものだ。Dsc01269aDsc01270aDsc01271aDsc01272aDsc01273a10:00、農民に道を聞く。この時期暇なのだろうか。怪訝そうにこちらを見る。Dsc01275aアメリカへ行ったハイデという女性歌手、アフマディネジャド前大統領のお気に入りだったサハラルリという男性歌手の曲が流れる。快適なドライブだ。雄大な景色は尚も続き、アラムート城への期待が高まる。Dsc01276aDsc01277a10:09、再び村の老人に道を聞く。
10:20、アラム村の集落に着いた。結構大きいぞ。Dsc01278aDsc01279aDsc01280a10:36、老人に道を聞く。
10:40、再び老人に道を聞く。大丈夫か?本当に着くのか?Dsc01281a11:00、ガザルハンの集落に着いた。女性の服装もペルシャ湾岸とは違うね。まあ気温が全然違うからね。Dsc01283a
ついにアラムート城が見えました。あの大きな岩山を登っていくのか…。でも雪はないみたいだし大丈夫か。
驚くべき事に、この山は一つの岩からなっている。
そして各国の要人暗殺と民衆教化によって世界を支配しようとした教団にとって、この山は宇宙の中心であり、あらゆるものがこの山から創造される。この山の頂には神がこの世に顕現した姿であるイマームがおり、天上の神と接触しているからだ。これから登ろうとしている山は、まさに聖なる山。
Dsc01284a

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その5(ガズヴィーンのバザールとマスジェド・オン・ナビー、サアドッサルタネの複合施設~ホテル・アルボルズ)

マスジェデ・ジャーメからガズヴィーンのバザールへ向かいます。
途中迷路のような路地に入りながら。おいおい大丈夫か。Dsc01217a16:35、
ガズヴィーンのバザールの入口に着きました。
なぜか日時計の在る立派な入口。ただバザールの規模はそれほどでもありません。Dsc01218aこのドームはマスジェデ・ジャーメのドームなのだろうか?Dsc01219aイラン版招き猫?猫に見えませんね。でもこのヘンテコな雰囲気がいい。Dsc01220a彩り豊かな果物市場。山積みの光景がバザールらしいです。わくわくする光景です。Dsc01221a魚と卵。卵は日本では珍しい15個入りケースです。魚は良くケバブにされるやつかな。Dsc01222a野菜市場。とにかく野菜の数が半端ないです。キュウリは置ききれないのか、目立たせたいのか、道の真ん中にも置いてあります。邪魔だー。Dsc01223aバザールを外から見ると、いくつかのドームがあります。Dsc01224a衣料品市場。店の前はきれいにしないとね。掃除掃除。Dsc01225a明かり採りのドームを見上げた所。イスラムは幾何学模様が好きですね。美しいです。Dsc01226aドームの真下。ドームの薄明かりが広がっているのがわかります。まあ、電球にはかないませんが。Dsc01227a_2こちらはドームじゃない、無理矢理明けたような穴になっています。おい、あんまりジロジロ見るなよ。Dsc01228a彷徨い歩くうち、廃屋のような場所に出ました。中庭を中心にした隊商宿のようにも見えます。違うかな?Dsc01229a年代物の部屋ですね。入り口にプレートと番号が張り付けられているのは何なんだろう?宿の部屋番号か?Dsc01230aここは修復中なのかもしれません。Dsc01231a人が住んでいるようにも見えます。扉だけが真新しい。ところでバザールはどうなったの?Dsc01232a再び衣料品市場。迷路の様でどこがどこにつながっているのやら。Dsc01233aイスラム寺院、
マスジェド・オン・ナビーに来ました。バザールのすぐそばにあります。買い物とお祈りを一緒に済ませるのでしょう。イスラムのバザールは日本の門前町みたいですね。Dsc01236aなかなか美しいドームと装飾です。Dsc01235aバザールの外に出ました。まるでNHKの世界ふれあい街歩きですね。Dsc01234aと思ったら、再び小路に入っていきます。奥に何か見えます。Dsc01237aサアドッサルタネの複合施設です。元々19世紀のガージャール朝時代にできた隊商宿を修復してできた、とても広大な商店街です。修復されたばかりで実際に店が入っているテナントは少ないです。Dsc01238a修復前のこんなボロボロの扉がありました。木製の扉に立派な扉の壁紙を貼っています。詐欺だなあ。Dsc01239a陶器の店です。モスクを小さくしたような幾何学模様が綺麗です。Dsc01240a外に出ました。まだ真新しく店が入っていません。Dsc01241aこの修復箇所はとても綺麗です。手が込んでいます。Dsc01242aこれも修復された隊商宿で、店が入る予定なのでしょう。こんなにたくさん店が入るのだろうか?作りすぎてない?またこの施設はいったいどこまで広がっているのか?広すぎます。Dsc01243aDsc01244a再び商店街です。開いている店は少ないけれど、訪れる客はちらほらいるようです。Dsc01245a_2延々と商店街が続きます。大昔にプレイしたファミコンの女神転生の街に迷い込んだかのようです。ここまでくるとまるで小宇宙。Dsc01246a修復された施設の一室。これも店かな?Dsc01247aバザールの金銀の装飾品市場に来ました。イランの人はこの手の装飾品が好きですね。Dsc01248aDsc01249a17:40、出発。ちょっとした探検旅行でした。面白かった。
18:00、ホテル、アルボルズに戻った。部屋で少し休憩。Dsc01250aDsc01251a19:05、ホテルのレストランで夕食
マッシュルームのサラダと、Dsc01252a魚のキャバーブ。恐らくカスピ海の魚だろう。胃の負担を考えるとやはり魚は無難。Dsc01253a20:50、レストランを出る。モーニングコールを6:30にしてもらった。
部屋に戻った。洗濯はできなかった。デジカメの充電ケーブルを忘れたことに気付きがっかり。コンセントのプラグと変圧器はちゃんと持ってきたのに…。Dsc01254a23:00頃には寝た。明日はいよいよ
アラムート城へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その4(ガズヴィーンのマスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク))

エマームザーディエ・ホセイン(ホセインの聖廟) からマスジェデ・ジャーメへ向かいました。
15:42、
マスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク)に着きました。
名前の通り、ガズヴィーンの中心的なモスクです。
元々建てられたのは9世紀らしいが、重要な建物という事もありチンギス・ハーンによって破壊された(情け容赦ないな)。今の建物は13世紀以降に建てられた事になるが、それなりに古めかしいたたずまいだ。しかしその後の時代、特に16世紀のサファヴィー朝のアッバース1世の時代に大増築が行われ、建物自体にも修築が施されているようだ。
エイヴァーン(門)は4面あり、それぞれ修築の度合いが異なっていた。Dsc01212aDsc01213aDsc01214a中に入った。2本のミナレットとドームを持つモスクで、壁面は色タイルで飾られている。ドームは見えない。Dsc01215a壁面を見ると、日干し煉瓦の上に5本の装飾された線が見える。このうち真ん中が19世紀のガージャール朝時代のもの。その左右は最近修築されたもの。19世紀のものでもこんなに劣化しちゃうんだね。Dsc01211a寄木細工のような瀟洒な扉。イスラム建築はタイルとかの幾何学的な組み合わせが実に巧みだ。Dsc01216a16:15、出発。次は、
ガズヴィーンのバザールへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その3(ガズヴィーン・テヘラーネ・ガディーム門とエマームザーディエ・ホセイン)

ガズヴィーンの宿泊先からテヘラーネ・ガディーム門へ。
14:39、
テヘラーネ・ガディーム門(テヘランの門)に着いた。ガズヴィーンの防衛のために造られたガージャール朝時代の門。かつてはここで徴税もしていた。高さ約10メートル。8本のミナレットが建ち、壁面は幾何学模様のタイルで飾られている。
今は城壁もなく、門だけポツンとしている。Dsc01197aDsc01198a14:46、
エマームザーディエ・ホセイン(ホセインの聖廟)に到着。
9世紀、アラブ=イスラム帝国のアッバース朝の後継カリフ(イスラム教の最高権力者)を誰にするかを巡って第6代カリフのアミーンと兄のマームーンの間で内戦となり、マームーンが勝利して第7代カリフになった。
マームーンはシーア派信徒の支持を得るため、シーア派十二エマーム派の第8代エマーム(シーア派最高指導者)であるレザーを自分の後継カリフにすることを宣言したが、アッバース朝はスンニ派であるためスンニ派信徒の離反を招いた。
しかしレザーはマームーンとともにホラーサーンに赴いたときに急死する。シーア派十二エマーム派ではレザーはマームーンに毒殺されたと見ており、彼は殉教者としてマシュハドに聖廟が建てられ、シーア派十二エマーム派最大の聖地になっている。エマームザーディエ・ホセインに祀られているホセインは、このレザーの息子であり、奇跡を起こした事で知られる。どんな奇跡だったのかは、確認しませんでした!聞けばよかった…。
ここは聖廟であってモスクではないが、奇跡にあやかろうというのであろうか、幸せを願う人々が集っている。
入口は6本の小さなミナレットを持つ、美しいタイル張りになっている。Dsc01209a特に美しい柱部分。ちょっと欠けているけれど。Dsc01206aいつも明るいドライバーのBさんと。この人は本当に明るい。Dsc01208aa中に入ると広場になっていて、小さなあずまやとプールがある。体を清める場所だ。特に足を洗う。洗うにも作法がある。Dsc01203aDsc01204a地面には、イラン・イラク戦争の戦没者だろうか、顔写真と名前が刻まれている。Dsc01202aこれが聖廟。冬の穏やかな日の光に照らされた幾何学模様が美しい。Dsc01199aDsc01201a今日も大勢の人たちが訪れている。信仰心が篤いというか、みんな幸せになりたいんだねー。世界中どこも一緒。Dsc01200a聖廟の男子トイレ。小便器はないのです。理由はとびはねが足を汚すため。足が汚れているのは不敬なのだと思います。Dsc01205a15:37、出発。
次は
マスジェデ・ジャーメ(グランド・モスク)へ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その2(テヘラン~ガズヴィーン・エゲヘボリで昼食)

テヘランのイマーム・ホメイニー国際空港。着陸後すぐにトイレに立ち寄る
普通の便器だった。ホースで洗い流す方式。紙はやはりというか、ない。Dsc01184a_210:03、入国審査。
10:17、スーツケース受取、検査、全て完了。
10:25、現地ガイドのAさんと会う。少し強面に見えたけど、大丈夫だろう。
10:30、空港を出発、今日の観光及び宿泊地、ガズヴィーンに向かう。
途中、ガソリンスタンドに立ち寄る。Dsc01187aオイル交換、トイレ休憩、水を買う。Dsc01185aここの息子だろうか、写真を撮ってほしいと言う。かわいいので撮影。腕が悪くてごめん。Dsc01186a
11:45発。
11:55、キャラジ市(karaj)に入る。Dsc01188a音楽を聴きながら気楽にドライブ。曲名はクーエスタン(山)。
13:07、古都
ガズヴィーン着。Dsc01189aガズヴィーンの概要です。
人口は35万でガズヴィーン州の州都。
3世紀、サーサーン朝のシャープール2世によって造られた。
長くシルクロードの要衝だった。
13世紀前半、チンギス・ハーンのモンゴル軍に破壊された。このことから、ポーロ一行が訪れたとしても復興中だったと考えられる。
16世紀、サファヴィー朝のタフマースブ1世がここに遷都した。西のタブリーズが首都だったがオスマン朝の脅威を受けやすかった為。
13:25、レストラン、エゲヘボリ(e ghbali)で昼食Dsc01194aノンアルコールビール。Dsc01190aガズヴィーンで良く食べられているケーメ・ネサールという料理。
トマトペーストで煮込んだ羊肉。それと、Dsc01191a_3長粒米、ピスタチオ、ニンジン、クコの実を混ぜたものと一緒に食べる。美味です。Dsc01192aこれは、ミゼロホスミかキャスクバネンジャーと言って、茄子を意味する。何に使うのかわからない。でも形が面白かったので。Dsc01193a街中を走ってまずはホテルへ。Dsc01195a_214:30、ホテル、アルボルズにチェックイン。スーツケースを置いて観光へ。Dsc01196a次は、
テヘラーネ・ガディーム門とエマームザーディエ・ホセインへ。

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イラン・ガズヴィーン~アラムート~タブリーズ旅行~その1(羽田~ドーハ~テヘラン)

2014年12月、イラン・イスラム共和国の北西部のガズヴィーン、アラムート、タブリーズ、キャンドヴァーンに行ってきました。

1日目:羽田→ドーハ→テヘラン→ガズヴィーン(マスジェデ・ジャーメ、エマームザーデイェ・ホセイン、バザール)
2日目:ガズヴィーン→アラムート(ガザルハン城塞跡)→タブリーズ
3日目:タブリーズ→キャンドヴァーン(奇岩の村)→タブリーズ(イールゴリー公園)
4日目:タブリーズ(バザール、マスジェデ・キャブード、アルゲ・タブリーズ、アゼルバイジャン博物館、ラベ・ラシーディー)→テヘラン
5日目:テヘラン(トーチャールのテレキャビン)→ダマーヴァンド山周辺→テヘラン
6日目:テヘラン→ドーハ→羽田


今回もマルコ・ポーロの追っかけの旅です。
1270年末にヴェネツィアを発ったポーロ一行は、パレスチナでエルサレム聖墳墓教会の聖油とローマ教皇からモンゴル皇帝フビライ・ハーンへの親書を得て1271年末に出発しました。その後トルコ東部のアララト山麓を経てイランに入り、タブリーズに達しました。
今回訪問したタブリーズやアラムートはマルコ・ポーロの東方見聞録に記述があります。ガズヴィーンはアラムートに行く起点になる街で、シルクロードの要衝である事からポーロ一行が通過した可能性があります。キャンドヴァーンはタブリーズから近く、トルコの世界遺産カッパドキアに似た景観が見られることから観光に加えました。


前夜

21:15、羽田空港着。円をドルに両替。
23:30、カタール航空機への搭乗開始。Dsc01175a

1日目

0:30、離陸。
1:10、夜食。サーモントオルゾーパスタのサラダ、魚の昆布巻き、鶏の煮込みと甘醤油ソース、ブロッコリー人参、フルーツ餡密。Dsc01176a食事後、寝ようと試みるがほとんど眠れず。Dsc01177a9:17、起床。朝食。旬のフルーツ、あさつき入りのスクランブルエッグ、フライドポテト、チキンソーセージ、チェリートマト、マッシュルーム、クロワッサン。Dsc01178a12:10、ドーハ着。Dsc01180aDsc01181a_212:45、テヘラン行きの搭乗口着。搭乗口まで遠くてぎりぎりバスに間に合う。
12:55、搭乗開始。窓際の席。私の並びの席の東洋人のおっさんが、他の席が空いているからそっちに座れと言ってきたが無視。搭乗券の座席№を見せると、それはここではない。もっと前だ、と無茶苦茶を言う。
13:21、離陸。
14:00、食事。甘そうで胸やけしそうだったが完食。Dsc01182a天気は快晴。Dsc01183a15:08(イラン時間9:38)、テヘランのイマーム・ホメイニー国際空港着。

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