045タバス周辺(イラン・ヤズド州)

イラン北東部旅行(タバスを出発~南東のデイフッキ通過)

【5日目】

112502a 今日は車でイラン北東部の聖地マシュハドに行く。昨日よりもさらに移動距離が長い。6:00頃の気温は3.5度だった。ホテルで朝食が摂れないとの事なので、朝食はランチボックスにしてもらった。タクシーが来たが、積んでいるエンジンの馬力が弱いとの事で、代車を待つことになった。

ホテルの近くの芝生に木が何本か生えていて、おばさんが朝早くから実か何かを採取していた。

112503a 6:50、ホテルを出発した。タバス市街地の並木道を通過して南に向かう。東方見聞録では、トゥノカイン地方から先の行程について非常にあいまいである。トゥノカイン地方の章の後、有名な暗殺教団主「山の老人」の話が3章にわたって記述される。その次の章はアフガニスタンのサプルガン(ジューズジャーン州の州都シバルガン)の記述だが、「山の老人」の城砦から六日行程と書かれている。六日行程=180kmとすると、城砦はアフガニスタンかトルクメニスタン国内にあることになる。トゥノカイン地方から「山の老人」の城砦までの所要日数は書かれていないので、タバスから城砦に至る少なくとも1000 kmもの行程がどのルートなのかわからない。イギリスの東洋学者ヘンリー・ユールはタバス→サブザヴァール→ネイシャーブール→マシュハド→シバルガンのルートを想定しているようだが、モンゴル時代のシルクロードのメインルート(サブザヴァール→ネイシャーブール→メルブ→ブハラ)への合流を想定したのだろうか?イギリスのペルシャ領事パーシー・サイクスはタバス→ヘラート→シバルガンのルートを想定しているようだ。こちらの方がシバルガンへの最短ルートになる。どちらのルートにせよ、今日辿るルート、タバス→デイフッキ→フェルドゥス→ゴナバッド→トバト・エ・ヘデレイ→マシュハドのどこかをマルコ・ポーロ一行が通過したことは確かだろう。

ちなみに上記ルートの特定には、当時の「山の老人」の一派(シーア派イスマーイール派の分派ニザール派)の各地の城砦の場所と、城砦~シバルガン間の記述(すばらしい牧地が続き物資・糧秣が豊富、都市・集落が多数あり、時々5060マイルの砂漠がある等)が参考になるだろうが、私にはさっぱりわからない。

112504a 町外れの店でお湯を調達する。食事のときに飲むチャイのためだ。


112505a 町を出るとすぐ砂漠。


112506a 昨日行ったコリートを通過する。


112507a 通過後、道は東に方向を変える。


112509a 一瞬、はるか遠方に塩砂漠が見えた。ポーロ一行が通った塩湖かもしれないが、撮影できなかった。

112512a 7:40、地震で破壊された村を通過。


112514a 7:55、岩山の間の道を縫って行く。この辺りで道は東北に方向を変えた。


112515a 8:15、タバス東方デイフッキdeyhukのサービスエリアに着いた。ここで少し休憩。人懐こそうな運転手さんがこの辺の建物について教えてくれた。交番、レストラン、休憩所・・・。画像の道を進むと南側のケルマン州に着く。いつの日か行きたいものだ。

112516a 8:20、デイフッキの中心部を通過。一路北へ向かう 33°17'21.63"N 57°30'43.02"E。

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イラン北東部旅行(タバス・ホテルと結婚式)

112501a ホテルに着いた。出迎えた従業員?は今までのホテルのようにホテルマンといった感じではなく、実直そうな地元のおじさんといった風貌だ。東方見聞録にある「彼らは端麗な容貌をしており、ことに婦人たちはまれに見る美人ぞろいである。」という記述に期待していたが、特にテヘランなどと変ることはなかった。ただ、ホテルの部屋のドアが中々開けられずに困っているときに助けてくれた女性のはにかんだ表情と、後でホテル内の結婚式で見た5歳くらいの女の子の輝くような笑顔が素晴らしかったので、この点は記述どおりと言うことにしておいた。

112496a 部屋の中。3人部屋だった。暖房設備あり。

浴室。バスタブはなくシャワーのみ。
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なぜかトイレは和式洋式両方あった。

19:00にホテルの近くのレストランに行った。
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19:00から開く予定が店員が来ておらず中々開かない。19:30にようやく入れた。

112497a 魚がないので焼き鳥を頼んだ。ナンはこれまでと違って薄いもの。毎日ほとんど同じものを食べているのに飽きることがない。味付けが薄いせいだろうか?


20:00、食事を終えてホテルに戻るとライトアップされ人が大勢集まって騒いでいる。
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ホテルで結婚式が行われていたのだ。そういえばホテルを出る直前、大量の料理が用意されていた。雰囲気は日本の披露宴みたいな堅苦しいものではなく、もっとくだけた感じだった。丁度式が終わって人々が帰る所だったが、東洋人の私は子供たちから珍しそうにじろじろ見られた。式が終わってもホテルの外で友人同士、親戚同士のおしゃべりが尽きることがなく、ざわめきはいつまでも続いた。21:30頃にようやく十台ぐらいの車列がクラクションを鳴らしながらホテルを出て行った。

21:00、気温を測ったら17度だった。明日の出発は今日と同じ6:30、モーニングコールは5:00にしてもらった。いつものように洗濯して23:00には寝た。

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イラン北東部旅行(タバス・フサインの霊廟)

112481a タバスtabasの建物や緑が見えてきた。もうすぐ到着。
私はタバスの歴史を知らない。半ば想像で説明すると、サーサーン朝時代には集落が存在し、その後イスラム化された。中央アジアの北方遊牧民族がイランに侵入する際の通り道になったかもしれない。
11世紀にはシーア派の分派イスマーイール派が勢力を伸ばし、同じ頃イランを支配したスンニ派のセルジューク朝の攻撃を受けた。
13世紀にはモンゴルから攻撃を受け、この地方のイスマーイール派は衰えたと思われる。
サファヴィー朝時代には、ウズベク人(シャイバーニー朝?)の攻撃を受け破壊された。
近年では
1978年の大地震のほか、イラン革命後に1年にわたり占拠されたアメリカ大使館の人質を救助するため1980年に行われたアメリカ救助作戦機がタバス周辺に墜落して失敗した事件がある。
2003年にホラーサーン州からヤズド州に編入された。

112493a 14:50、タバス市内のフサインの霊廟に到着 33°36'9.66"N 56°54'23.97"E。
こんなに大規模な霊廟だとは思わなかった。大きな門が6箇所、ミナレットが4本、噴水が数箇所ある。
フサインとはシーア派十二エマーム派の第8代エマーム、アリー・リダー(いわゆるエマーム・レザー)の息子のシャーザード・フサインの事だそうだ。私は第3代エマームのフサインの事だと思っていたが勘違いだった。
比較的新しい建物だが、元の建物は
1978年のタバス大地震で倒壊し、イラン革命後に信徒の寄進等でより大規模な建物として再建されたそうだ。

入り口の門。
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112483a 中庭の小ドーム。


112485a 中庭の中央にあるまだ建築中の霊廟。こちらも6つの門、4つの塔がある壮大な建物。

霊廟の入り口。
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中は撮影禁止だった。金箔、銀箔、鏡面の幾何学模様のタイルで覆われた部屋があり、緑の光に照らされた棺が置いてある。棺の中は寄進のお札で埋まっている。他には絨毯が敷き詰められた礼拝の大広間がある。

112488a 霊廟の近くにある、ハージェ・タモル・ディンという550年前の詩人の墓石で、タバス大地震で瓦礫に埋もれたものを掘り起こして保存されている。

大きなミナレット。
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中庭はシュロの木が多い。

112491a 中庭の一角にイラン国旗が林立する場所があった。お墓だろうか?


112492a 「(トゥノカインの)国内に一大平原があって、その中にアルブル・ソル、すなわちキリスト教徒が「乾燥した樹」と呼ぶ樹がある。(中略)この樹の周辺には、ただ一方向の約十マイル彼方で多少の木が生えている以外、方百マイル以上にわたって全く樹木がない。」(東方見聞録)
「アルブル・ソルの地とは、ホラーサーン地方の一部を意味する。聖地にあって奇跡を現す開闢以来の巨大な長寿木という中世キリスト教徒の伝説と、大王が東方遠征中、人語を語る太陽樹・太陰樹に出会ったとするアレクサンダー物語の説話とが絡み合い、更にそれが、この地方に茂生するスズカケの大樹に関連づけられて成った地名である。」(完訳東方見聞録Ⅰの注釈)

周辺を探したがスズカケの木は見つからなかった。葉が針葉樹のように針状のもの、笹のように細長い葉のものはあったのだが。

タバス中心部の街路樹の中にもしかしたらあったかもしれないが、シュロの木がほとんどだった。スズカケの木が目立つようになるのは、タバスを離れもっと北に行ってからだった。

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イラン北東部旅行(タバスの南・コリートの崩壊した村と砂漠)

112457a 13:30頃、タバスの直前で南に方向転換し、近郊のコリートkoreyt 33°27'0.84"N 56°56'35.55"Eに向かった。オアシス都市タバスの近くはさすがにシュロの木などの緑が多い。

112459a 13:50、コリート付近の集落に入った。かなり年代物らしきモスクがあったが、車はシュロの林の中へ。

112461a 着いたところは1978年のタバス大地震で壊滅した村。この地震では25千人が死んだそうだ。サーサーン朝時代以来の村との事。

112462a 見るも無残な姿が視界一杯に広がる。この世の終わりの光景を彷彿とさせる。


112463a コリートの南側の砂漠に向かった。放牧の牛と羊が通過中。放牧風景は至る所で見るが、中々間近で見ることができないので嬉しい。

コリートの南側の砂漠に出た。
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ゴミ混じりのあまり綺麗な砂漠ではない。しかしマルコ・ポーロ一行が通った可能性のある砂漠だ。

ここを真っ直ぐ歩くとケルマーン州のクボナンに着く。
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ケルマーン州は治安が悪く、日本の外務省は退避勧告を出している。いつかは行きたいが今はここから彼方を眺めるだけだ。

「(コビナン(現在のクボナン)から)八日間の行程を終わるとトゥノカインという地方に着く。この地方はペルシアの北辺に位置し、都市城邑が多い・・・土人の言によれば、アレクサンダー大王とダリウス王の間に激戦が行われたのはこの地点だったという。この国は暑からず寒からずの良好な気候に恵まれているために、その都市や集落にはなにものにもよらず良質の品物が十分に出回っている。住民はすべてイスラーム教徒である。」(東方見聞録)トゥノカインとはトゥーンとカインという2つの町を中心にした地方だそうだ。

1906年にこの地方を調査したスウェーデンの探険家スウェン・ヘディンは、トゥノカインはタバスの事だと考えた。クボナンからタバスまでは240km、ラクダの移動距離は1日30 kmであるからちょうど八日間の距離になる。また、この区間の荒涼とした風景は「乾燥しきった土地には樹木も果実も見受けられず」と書いた東方見聞録の記述に一致するという。

実際のところトゥノカイン地方とはクヒスターン地方の事だそうで、それは所謂ホラーサーンと呼ばれる地域の南東部、現在のイランのラザヴィー・ホラーサーン州と南ホラーサーン州にタバスを合わせた地域を指すようである。スウェン・ヘディンの地図を見ると、トゥーンは現在のフェルドゥス付近、カインはフェルドゥス南東のQa’en周辺をさしているように見える(フェルドゥスは明日通過する)。ホラーサーンを旅した「バイクでシルクロード」の著者T・セヴェリンによると、「この国は暑からず寒からずの良好な気候に恵まれているために、その都市や集落にはなにものにもよらず良質の品物が十分に出回っている。」という記述がラザヴィー・ホラーサーン州の州都マシュハドの南方の低丘陵地帯に相当するという。タバスやマシュハドが暑からず寒からずの気候と言えるのかは何とも言えないが、各都市の年間月別平均最低気温と年間月別平均最高気温の差を見てみると、タバスが26.8、マシュハドが25.35、ケルマーンが22.35、ヴェネツィアが20.2になっており、タバスとマシュハドの夏と冬の寒暖の差が大きい事がわかる。各都市の月別平均最低気温と月別平均最高気温の差は、マシュハドが1218、ケルマーンが1521、ヴェネツィアが710で、若干マシュハドの月内の気温差がケルマーンの差より小さいものの大した違いはない。ヴェネツィアとの寒暖の差は歴然で、「暑からず寒からずの良好な気候」との記述は附に落ちないが、ポーロ一行がたまたま通過した季節がよくて感覚的にそう感じたのだろうか。面白半分で今回は気温を測ってみることにした。また、マシュハドの南方周辺は明日、明後日に通過するからどんな場所か見る事ができるだろう。

112480a 14:25、タバスに向かった。

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イラン北東部旅行(タバス南西のモスク~タバスへ)

112444a 途中、氷室のドームがあった。アーブ・アンバール(地下水槽)かもしれない。

更に進むと塩湖を横断する箇所がある。全面真っ白な塩砂漠を期待したが、所々が白くなっているだけだった。写真を撮ろうとしたが、ここぞという時にピントが合わず、結局撮れなかった。

112443a 砂漠の中にポツンとモスクだけが建っている場所に着いた。ここでトイレ休憩。アザーンだろうか?突然モスクの拡声器から流れ出した。こんな所でモスクの管理をやらされたら寂しくて仕方がないだろう。

112442a モスクを出発して砂漠のハイウェイを一直線に走る。遠くに山が見えてきた。


112441a トルファンの火焔山のような立ち上る炎の模様がついた山だ。


112449a 砂漠の色合いも場所によって違うようだ。


112448a タバスまでは途中集落もなく、砂漠と岩山だけが続いている。


112447a いよいよタバスの南西側に近づいてきた。


112451a_2 ここから見える砂漠は、マルコ・ポーロ一行がケルマン北西のクボナンから塩砂漠を越えてタバスに向った時、通った場所かもしれない。



その他の都市[イラン]旅行ガイド ~フォートラベル~
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