040バンダルアッバース、ティアーブ、ミーナーブ周辺2008以降(イラン)

イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その18(バンダル・アッバースのバザール~テヘラン・フェルドゥースィー・グランド)

ホマホテル からバンダル・アッバースのバザールへ向かう。
19:50、海岸通り沿いのバザールに着いた。これがその入り口の一つ。

Dsc03003a他の都市と同様、売られているものは日常生活に必要な物が中心である。
民芸品などの土産物は売っていないとの事だった。
食料品はもちろん、衣服、洗剤、文房具、家電品、装飾品、子供のおもちゃ、化粧品、その他日用品全般。
中国製らしきボールペンが10000リアルした。10000と聞くと高っ!と思うが、日本円でたったの33円。それでももっと値切れたかも…。
それにしても、なんでバザールはどこに行っても迷路なのか。歩いていてわくわくするからいいのだが。
それからあんまりジロジロ見るのは失礼だが(日本も同じ)、この地方の女性のヒジャーブファッションは色柄が多様で、見ていて楽しい。
写真撮影については、宗教上の理由や一般常識的に、撮られることに抵抗感を持つ人もいるが、店の人は割とノリが良く、進んでポーズを取ってくれたりする。
Dsc02998aDsc02999aDsc03000aDsc03001aDsc03002aDsc03003bDsc03004aバザールを出た後、空港に向かう。これからテヘランに戻るのだ。ホルモズガーン州ともお別れだ。悲しい。でも再訪するよ。
20:30、空港着。運転手のBさんに感謝しつつここで別れる。
空港入り口で荷物検査→チェックイン。
21:15、手荷物検査→搭乗フロアへ。
21:57、搭乗。
22:29、離陸。airplane
22:59、機内食。restaurantサフランとクコの実のご飯に鶏肉。
Dsc03005a0:00、テヘランのメヘラーバード空港着。
0:35、スーツケース受取。
0:43、ホテルに向けて車で出発。
1:04、ホテル、
フェルドゥースィー・グランド着。ガイドのAさんは自宅に帰った。お疲れっ!Dsc03006aDsc03007aシャワー室、洗面所も清潔感があって良い。Dsc03008a1:30、寝た。
明日は
菓子店に行ってお土産を買った後、テヘラン郊外のトーチャールのテレキャビンへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その17(バンダル・アッバースのレストラン~ハンマーム~海岸~ホマホテル)

ファールヤーブのモスクから、「大傾斜地帯」を下りてきた。
14:22、
バンダル・アッバースに到着。町の中心部を通る。
中心部には百貨店や映画館などがある。ちなみに百貨店内は撮影禁止だ。Dsc02974aDsc02975a運転手のBさんお薦めの店で昼食をとることにした。
14:45、
レストランに到着。エンペラーという店だrestaurantDsc02984aDsc02983a店の中は涼しく、薄暗くて落ち着いていて良い雰囲気だ。大画面のモニターでは、ガジャール朝時代、イランを半植民地化しようとするイギリスとロシアに対する民衆の抵抗を描いたドラマをやっていた。Dsc02976aDsc02977aさっそく新鮮なサラダとDsc02978aそして再びエビのキャバーブに挑戦である。これはカレー系の香辛料が隠し味になっていて芳醇な味。おいしかったdeliciousDsc02979a長粒米のサフランライスもイラン旅行の楽しみのひとつ。Dsc02980a締めはヨーグルトで。Dsc02981a食べ終わったころ、ドラマでは英国公使らしき人物が殺されていた。
しばらくここでのんびり休憩した後、15:48出発。
テヘラン行きの飛行機の出発時間まで暇なので、ヒンズー教寺院に行くことにした。
しかし着いた場所は普通の学校みたいな建物。門は閉まっていた。どうやら信者が集まるだけの場所らしい。Dsc02986aDsc02985a_2帰国後調べたら、どうも場所が間違っていたようだ。bearingちゃんと下調べしないと。
ハンマーム(浴場)跡に行ってみた。Dsc02987aこれがお湯に浸かる部屋。当時の王様しか使えなかった。Dsc02988aこれが体を洗う部屋。Dsc02989aこれはその他の用途、マッサージとか休憩に使う小部屋が並んでいる。
昔の人は、こんな穴倉みたいな場所で風呂に入っていたのか…。Dsc02990a
海岸に行ってみる事にした。2007年は夜の海岸しか見る事ができなかったのだ。Dsc02991a沖合に多数の船が停泊していて壮観。入港待ちか、あるいは入港せずに小舟で荷の積み下ろしをするのだ。Dsc02992a_2Dsc02993a_2Dsc02994a船の多さから見ても、バンダル・アッバースがイラン最大級の港だという事がわかる。Dsc02995aDsc02996a一昨日泊まったホマホテルで休憩する事にした。1階のロビーはグリーンを基調にしていてすがすがしいし、落ち着ける。Dsc02739aガイドのAさんが持ってきた、タピオカに似た種子が入った甘い水。タピオカに似ているがそうではない。中心に種がある。疲れた時にはさっぱりしていておいしい。happy01この種子に保水効果があるらしく、イランでは良く飲まれているそうだ。Dsc02997aその後、少しうとうと…sleepy
19:35出発。次は
バンダル・アッバースのバザールへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その16(ファールヤーブのモスク~大傾斜地帯~海岸平野)

ミーナーブから「大傾斜地帯」を経てファールヤーブにやって来た。
12:57、
ファールヤーブのモスク着。
小さなモスクで、ミナレットは2本。運転手のBさんは拝礼するため中に入って行った。Dsc02957a屋根では、
アーシュラーの祭り準備をしていた。モスクの屋根の旗を赤い旗に変えている。赤は情熱の赤。フサインが殉教した日、すなわちヒジュラ暦(イスラム教で使用される暦。622年を元年とする。太陽暦と合わせるための閏月がないので、月と季節が同期しない)の最初の月の10日目には、旗の色を黒に変える。黒は弔意を表す。
フサインとはどのような人で、なぜ殉教したのか。
7世紀、イスラム教の創始者ムハンマド死去後、ムハンマドと同族で最古参の信徒の中から4代にわたってカリフ(神の預言者ムハンマドの代理人で、イスラム教の最高指導者)が選出された。3代目はウマイヤ家のウスマーンだったが、その専横に反発する信徒により殺され、彼らを含む最古参の信徒の選出によりムハンマドの娘婿で従兄弟のアリーが4代目に選出された。
アリーの支持者は、アリーとその子孫のみが預言者の後継者(エマーム)として信徒を指導する資格を持つと主張し、アリー派=シーア・アリー、略してシーアと呼ばれた。
しかし当時アラブ=イスラム帝国のシリア総督だったウマイヤ家のムアーウィアは、アリーの選出は不法であるとして自らカリフを名乗った。まもなくアリーが暗殺されたため、ムアーウィアは唯一のカリフとなった。ムアーウィアは後継カリフを選出ではなく世襲によって決める事を各地の有力者に強制した(ウマイヤ朝の始まり)。
ムアーウィアが死去した時、シーア派はアリーの子フサインを担いで政権奪取を図った。しかし百名にも満たないフサインの一族は、シーア派軍と合流する前にイラクのカルバラーで4000ものウマイヤ朝軍に囲まれ殺害された。国家権力がムハンマドの血族を殺害したこの事件に憤激した信徒はシーア派に結集した。ウマイヤ朝はスンニ派である事から、スンニ派への被害者意識が生まれ、フサインが大軍を相手に雄雄しく戦って殉教した事は、殉教へのあこがれを生んだ。
アーシュラーでは、フサインの殉教を哀悼する気持ちを様々な方法で表現する。フサインの苦痛を分かつ為、鎖で自分の体を鞭打つなどの行為も行われる。また、イランの伝統文化である詩で表現したりもする。Dsc02958a13:15、バンダル・アッバースに向けて出発。
元来た道を戻る。再び東方見聞録の記述を確認する。今度はポーロ一行が辿ったのと同じ順路で。
book「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」(東方見聞録)Dsc02959aDsc02961aDsc02962aDsc02963aDsc02964aDsc02965aDsc02966aDsc02967aDsc02968aDsc02969a「大傾斜地帯」を下って、海岸平野に下りた。
book「・・・コルモス(ホルムズ)平野というみごとな平地が開け、東西南北に向って二日行程の範囲で広がっている。
ナツメヤシをはじめ各種の果実が豊かに実り河川がそこを流れ、シャコだとかオウムそのほかの禽鳥が繁殖しているが、どれもわれわれの国のものとは種類を異にしたものばかりである。」(東方見聞録)Dsc02970aDsc02971aDsc02972a
13:45、バンダル・アッバースへの道に合流。
次は
バンダル・アッバース市内で昼食と観光


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その15(ミーナーブ~大傾斜地帯~ファールヤーブ)

ミーナーブのバザールを出て、北60キロのファールヤーブへ向かう。
ミーナーブの町のオブジェ。ミーナーブの豊かな水を表しているかのようだ。Dsc02922a大通りを走る。町の中では、9/30から始まるアーシュラーの祭りの準備をしている所があった。そういえばティアーブの町でも見かけた。
アーシュラーは、イランの宗教の主流派であるイスラム教シーア派にとって重要な祭りだ。女性や子供たちが黒い旗の様な物を飾り付ける姿が見られた。黒い色はシーア派の指導者として殉教したフサインを悼む色だろう。Dsc02923a
ミーナーブ河にかかる橋を渡る。河は干上がっている。Dsc02924aDsc02925aDsc02926aこれでミーナーブともお別れだ。バンダル・アッバースに向けて走る。Dsc02927aバンダル・アッバースへの道から、北のファールヤーブへの道に入った。2007年は分岐点を見ただけで通り過ぎた所だ。
今回なぜ無名のファールヤーブに行くかと言うと、東方見聞録に記述されている
「大傾斜地帯」を見る為です。
book「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」(東方見聞録)
この「大傾斜地」をマルコ・ポーロは「大傾斜地帯」と呼んでいます。
ポーロ一行が実際にどの場所を通って「大傾斜地帯」と呼んだのかわかりません。
19~20世紀の外交官、探検家のパーシー・サイクスが言うには、ドゥズディ河を下って行ったとの事ですが。しかし、現在の主要道路を使って「大傾斜地」を通過できる場所は、ファールヤーブ方面への分岐道しかありません。そこは、バンダル・アッバースのある海岸平野から400メートル以上の標高差を登る道です。私は、ポーロ一行もそこと同じような場所を下って行ったと思ったのです。
さて、あっという間にその分岐道に入った。周囲は次第に山がちになっていく。Dsc02928aDsc02929aDsc02930aDsc02931aDsc02932aDsc02933aDsc02934aDsc02935aDsc02936aDsc02937aDsc02938aDsc02939aDsc02940a途中、車を降りて周囲の景色を撮影。この辺は恐らく標高400メートル位だろうか。Dsc02941aDsc02942aDsc02944aDsc02943aDsc02945aDsc02946aDsc02947aDsc02948aDsc02949aDsc02950a再び乗車してファールヤーブに向かう。Dsc02951aDsc02952aDsc02953aDsc02954aDsc02955a12:45、警察の検問があり、私は後部座席に座っていたが、シートベルトを付けていなかった為に運転手のBさんが注意を受けてしまった。申し訳なかった。前々回の旅行のようにスーツケースの中身のチェックまではされなかった。
検問所を過ぎると、レモンの果樹園が続いている。
12:50、ファールヤーブの入り口に着いた。Dsc02956a20キロ程走ってみて、これが「大傾斜地帯」の光景だと確信しました。「道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」という記述にぴったりの場所でした。岩山が多く、盗賊が待ち伏せするのにもってこいの場所です。
次は
ファールヤーブのモスクへ。


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その14(ミーナーブのバザール))

ミーナーブの城塞からバザールに向かう。通りは結構人通りが多い。Dsc02908a11:35、ミーナーブのバザールの広場に着いた。
ミーナーブのバザールは木曜日に大々的に開かれ、露店は広場を埋め尽くす。しかし残念ながら今日は木曜日ではないので、とっても小規模。店は50店ほどか。Dsc02910aDsc02912a600キロ西にある大都市シーラーズから運んできた野菜や果物が売られている。この話が本当だとしたら相当大変な仕事だ。
昔から運ぶのは男の仕事で、売るのは女の仕事だという。しかし今では男も店番をしている。Dsc02909a仮面を着けた
バンダリーの女性がいるが、仮面を外すといたって普通だ。Dsc02911aでも仮面を着けると、やっぱり不気味である。Dsc02914a撮影してくれと言ってきた果物屋の男性。決めポーズがかっこいい。Dsc02916b_2それにしてもおいしそうな果物ばかり。Dsc02913aDsc02915a魚と肉の市場は建物の中にある。Dsc02917aDsc02917b小さな魚を売っているのは女性が多い。Dsc02918aこれはバナナエビというらしい。ペルシャ湾では一般的なエビだ。Dsc02921a他にはマナガツオ、アジ、サンマ、ヒラメかカレイといったところか。中央上の魚はレッド・スナッパーというらしい。Dsc02920a大きな魚をさばくのは男性の仕事らしい。このさわやかな笑顔。Dsc02919aイランの普通の猫。ペルシャ猫は見かけない。Dsc02917c11:44発。次は北60キロのファールヤーブへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その13(ミーナーブの城塞(ビビナザニン))

ミーナーブの城塞(ビビミヌ)からミーナーブの城塞(ビビナザニン)へ向かう。
再び通りがかりの人を呼び止めて道を聞く。Dsc02895a2007年と比べるとイランの女性のファッションはよりカラフルになった。特に都会の若い女性は。
しかしどちらかというとこの地方の女性のファッションは昔から色鮮やかだと思う。古くからインドとの交易が盛んで、影響を受けているのか、テヘランと違って民族衣装的なサリーに近いものが多い。その鮮やかさに目を奪われる事もしばしば。Dsc02896aDsc02898a
ビビナザニンのポルトガル城塞はすぐに見つかった。元々わかりやすい場所にある。遠くからでも一目見れば城塞だとすぐにわかる。Dsc02900aしかし2007年は、ミーナーブ河にかかる橋から小さい姿しか見なかったので、今こうして間近に見ると本当に感動する。やっと会えた、という感じだ。Dsc02901a城塞は、遊歩道を登って辿り着けるようになっている。Dsc02902a城塞の裏側に回る。崩れていて普通の岩と変わらないが、人工物だとはっきりわかる。泥レンガだが、所々石が混ざっている。地面には土器片もあるようだ。Dsc02903a上まで上がろうか迷ったが、斜面が急なうえに崩れやすくて途中であきらめた。上からの眺めは気持ちよかっただろう。Dsc02904aここまで形が整っていると、本当に感動もの。より整った姿は、オーレル・スタインが90年近く前に撮影した写真を見るしかないのだろう。Dsc02905aDsc02907a城塞のすぐ下に、町の中心部がある。城塞の建つ場所がいかに重要だったか、よくわかった。Dsc02906a11:24出発。次はミーナーブのバザールへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その12(ミーナーブの城塞(ビビミヌ))

4日目
ミーナーブのホテル、ツーリスト・イン
8:00前に起きた。こんなに寝たのは久しぶりだ。
今日は、
ミーナーブの城塞、バザールを観光した後、ミーナーブの北60キロのファールヤーブのモスクを見学する。その途中で、「東方見聞録」に記述されている「大傾斜地帯」を見る。そしてバンダル・アッバースのバザールを観光した後、ホルモズガーン州を後にしてテヘランに戻る。
9:00に1階の食堂に行くと、ちょうどAさんがテーブルについたところだった。朝食restaurantはナンとサラダの他、ゆで卵、目玉焼き、ジャムとバターの3種類
から選ぶようになっている。私は目玉焼きにした。
Aさんに、ミーナーブの町の夜の様子を尋ねると、バンダル・アッバースのように夜の人出が多いわけではなさそうだった。Dsc02853aDsc02854a9:30、部屋に戻ってスーツケースに荷物を詰め込み終えた後、スーツケースのキーが無いことに気付いた。あわてて部屋を探し回って、ベッドの上に置いてあるのを見てほっとした。
こんなことがあって、1階ロビーに着いたのは集合時間ぎりぎりの10:00だった。Dsc02858a10:12、ミーナーブの城塞に向けて出発。ホテルを出る。Dsc02857aミーナーブの町はテヘランと違って
が多い。街路樹はナツメヤシが多く見られる。Dsc02862a陽光豊かで、明るい町だ。Dsc02863aミーナーブの城塞のうちビビミヌと呼ばれる方に向かう。大通りから城塞への登り路に入る。Dsc02864a車道の終点は公園になっていて、車はそこまでしか入れない。10:25、車を降りた。
ヤギの彫像があった。このヤギは実際この地方に生息しているらしい。Dsc02865a
ザグロス山脈の南端部が見える。何と荒々しい姿。Dsc02868aその中にミーナーブのダム湖がある。Dsc02866aこのダム湖はミーナーブ河の起点であり、ミーナーブの町の水源になっている。Dsc02867aダム湖からいくつかの河が、山あいの平野を町に向かって下っていく。Dsc02870aDsc02869aここからはミーナーブの町や、ペルシャ湾岸まで続く平野が一望できる。Dsc02871aDsc02872aDsc02873aDsc02874aDsc02875aダムの北東へは、ザグロス山脈の山塊がひたすら続く。Dsc02876aDsc02877aさらに階段を上へ上へと上がっていく。Dsc02878aすると城塞の写真が貼ってある大きな看板がある。
そこは広場になっていて、大砲が置かれている。恐らくここが
ビビミヌの城塞の上端部だろうか?Dsc02881aミーナーブの城塞はビビミヌとビビナザニンの2つがある。両方とも女性の名前だ。Aさんによると、もとはアケメネス朝時代以前(紀元前6世紀以前)に造られたのではないか、との事だった。その後、ここにポルトガルが要塞を造った。Dsc02884aこの辺からはミーナーブ河を俯瞰できるが、撮影ポイントによって見え方が違う。広場を外れて色々歩き回ってみるのも楽しい。ただし道から落ちないように気を付けて。Dsc02880aDsc02879aミーナーブ河はダム湖から始まって、緩やかに下っていく。Dsc02882a今の季節は雨が降らないので干上がっているDsc02883aDsc02885aDsc02886a_2やがて河は町に至る。そこにはオーストラリア人が設計した長い橋がかかっているDsc02887a河は町を南北に分断して流れていく。Dsc02888aそして大きく蛇行しながら、ペルシャ湾へと下っていく。Dsc02889a広場には、ナツメヤシの木がたくさんある。今は実の色は緑だが、熟すと黄色や赤色になる。熟すと食べられるが、そのまま干して濃褐色になったものもおいしい。糖分が多い為、味は甘い。
乾燥地でも育ち、カロリーが高く、長期保存が可能なため、中東地域では重要な食糧である。ミーナーブはナツメヤシの原産地である。イランの特産品にもなっている。Dsc02890a気が付かなかったが、広場にはこんなミーナーブの家を再現した休憩所があった。夜この人形を見たらさぞかし怖いだろう。Dsc02891a10:59、出発。
次は
ミーナーブの城塞(ビビナザニン)へ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その11(ミーナーブのツーリスト・イン)

ゴラーズイーイェから東に向かい、ミーナーブに行く。
ミーナーブ市街地の本道に入った。日中の暑さsunの為、少ないとは言え、さすがに人を多く見かける。人口は5万だそうだ。今でも一般的には、ここが旧ホルムズだと言われる。Dsc02847a14:31、
ミーナーブのホテルhotelイマーム・ホメイニ通り、メッラット・パークのツーリスト・イン(ホテルチェーン)だ。Dsc02855aDsc02856aホテルのロビー。奥が食堂。Dsc02861a1階の様子。Dsc02859a部屋は102号室。小さいホテルだが清潔で居心地は良い。インターネット使用可。イランのほとんどのホテルはインターネットが使用できる。でなければ競争に勝てない。Dsc02850aDsc02851aメッカの方向を示す矢印。Dsc02852a14:40、ホテルの食堂で昼食を食べるrestaurant
新鮮なサラダと、イランの
エビ料理を食べる事にした。エビは大きいものはなく、小ぶりのものだった。イランのエビはおいしいし、味付けも良い。長粒米のご飯もおいしい。イランに来てよかったと思う。でも香草は未だに少し苦手だ。Dsc02848aDsc02849a15:30、部屋に戻ると強烈な眠気が。そのまま夕食も摂らずに寝てしまったsleepy時々目が覚めたが、人の話し声と、アザーン(イスラム教の礼拝の呼びかけ)だろうか、少し気味の悪い歌うような声が延々と聞こえた。聞きながらまた眠った。普通アザーンを気味悪いとは思わないのだが、何だったのだろう?
22時に起きたが、今さら外出する気にもなれず、Tシャツだけ洗濯して23時に再び寝た。
3:30に一旦起きたが、Tシャツは乾いていた。また寝た。こんな風に外国で思い切り寝るのも悪くない。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その10(ゴラーズイーイェの要塞跡)

バンダレ・カールガーンから北上して、ゴラーズイーイェ(Gorazuiyeh)の要塞跡に向かう。
どこにあるのかよく分からず、地元の人に声をかけて教えてもらいつつ、手探りで進んでいく。Dsc02833aようやくそれらしき小高い丘が見えた。これが
ゴラーズイーイェの要塞跡らしい。
Aさんによると、造られたのはサーサーン朝帝国時代末期の7世紀前半、ホルミズド5世か6世の頃だという。半世紀のち、アラブ=イスラム帝国の侵攻を受け、破壊されたという。Dsc02834aDsc02835a13:40、近くの大きな給水塔の前で車を止めた。Dsc02846a給水塔の直下には、大きな溝がある。地元の若者が親切にも案内してくれた。Dsc02836aここは昔の埋葬地であり、発掘されたのだという。Dsc02837aDsc02838aDsc02839a頂上に遺構のようなものがある小高い丘までは、ちょっと距離があったが、行ってみる事にした。給水塔の周りには柵があり、車は抜けられない。一人で歩いて行く事にした。
歩いていける距離とはいえ、
40度を超える暑さである。無理は禁物だ。Dsc02840a近づいて見たが、今一つ岩なのか遺構なのかわからない。Dsc02841a半周ほど回ってみた。何となく土塁を積み重ねたように見えなくもない。上まで上がろうかと思ったが、無理は避けることにした。Dsc02842a最初は丘に隠れて見えなかったが、その奥には似たような形状の大きな岩がいくつかあった。遺構に見えなくもない。地面には平べったい石のかけらが一面に散らばっている。土器片かどうかわからないが、天然の石だとも思われなかった。
恐らく大きな城塞、あるいは都市遺跡だろうと思われた。Dsc02845a_2Dsc02843a_2Dsc02844a_2更に奥に進もうかとも思ったが、給水塔から離れており、野犬などがいるとやっかいだ。ここで引き返すことにした。ここが旧ホルムズの遺跡だったらどんなに良いだろうかと思いながら。そしてカレサラワンの遺跡はここなのだろうかと思いながら。
今晩の宿泊地、東の
ミーナーブに向けて出発。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その9(コラーヒー~バンデザラク~バンダレ・カールガーンのマスジェデ・ジャーメ)

コラーヒーの集落から更に南下し、バンデザラクに向かう。Dsc02817a近辺ではエビの養殖で儲けた人たちが、この辺では見かけない瀟洒な家を建築中。
エビ料理は、イランでは結構高いそうだ。Dsc02818aDsc02819aDsc02820a12:30、2007年にも訪れた
クロカシの集落に着いた。入り口にあったザクロのオブジェは、なぜか取り壊されていた。Dsc02821aこの地方特有の仮面を着けたバンダリーの女性が歩いていた。仮面は宗教的な理由から着けるものらしいが、Aさんによると、仮面を着ける行為は9世紀以降のイスラム化以前からあったそうで、理由はきつい太陽の紫外線から顔を守る為だそうだ。
今は既婚者が着けているが、昔は未婚者も着けていて、当時は見合い結婚だったので、親が素顔を見て結婚するかどうか決めていた。Dsc02822a12:45、
バンデザラク(Bandzarak)の集落に入る。ミーナーブ河河口方面に行くことはできなかった。
ゴラーズイーイェ(Gorazuiyeh)を通過。クンビル(Kombil)付近も通過したと思われるが、集落が小さく、気が付かなかった。Dsc02824aDsc02825aDsc02826aDsc02827a13:00、バンダレ・カールガーン(Bandar-e-kargan)の町の入り口にあるマスジェデ・ジャーメに着いた。これで旧ホルムズ港遺跡があると思われる湾の周りを一通り回ったことになる。Dsc02829a2本の大きく立派なミナレット。Dsc02828aDsc02830a地元のモスクであり、観光地ではない為、中に入るのは控えた。Dsc02831aお祈りの前、体を洗い清める場所。Dsc02832a運転手のBさんがお祈りする間、暑いので日陰で休む。
13:11、出発。
次は来た道を戻り、
ゴラーズイーイェの要塞跡へ。

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