027ヤズド周辺(イラン)

イラン北東部旅行(ヤズドから北東へ・ロバット・ブシュティバーダの隊商宿と早い昼食)

112431a_3 10:15、ロバット・ブシュティバーダrobat-e-poshtbadam到着。ここでサーサーン朝時代のキャラバン・サライを見学する33° 0'5.31"N 55°32'50.08"E。画像はキャラバン・サライの正面全体像。

キャラバン・サライの中に入った。中庭を部屋が取り囲む構造。部屋は二階建てだ。一階の一室に入る。炊事場だという。
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たくさんのかまどと煤けた天井、昔の旅行者が炊事をする姿が目に浮かぶようだ。

112439a_2 こちらは馬小屋。Aさんから蛇やサソリがいるかもしれないので奥に入るなと注意される。

112437a 階段を上がって二階部分に立った。二階にも部屋が多数ありその前を回廊が通っている。


112436a キャラバン・サライの正面入り口部分。


112435a 中庭の中央に窪みがある。ここは昔池があった。また、右端には礼拝所らしきものがある。

二階の客間と思われる部屋。
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昔の旅行者の生活を垣間見た思いだ。

112434a キャラバン・サライを出て運転手さんを交えて昼食を食べる。ランチボックスの中身はナン、ゆで卵、各種ジャムとバター、棗、チーズ。熱いチャイを飲みながらハチミツとバターをたっぷりつけたナンを頬張る。青空の下で食べる食事は実に楽しい。昼近くなって気温は高くなっている。日射しが少しきつい。11月下旬なのに初夏のようだ。砂漠の朝と昼はこうも違うのかと実感した。11:00に出発。

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イラン北東部旅行(ヤズドから北東へ・セガンド通過)

112422a 途中に塔の遺跡があった。何かは不明。

た右手遠方に真っ白い塩湖が見られた。Dar anjir desertと思われる。

112423a 山地を通過する。赤茶、緑、ベージュ、まさにシルクロードの大地の色合いだ。


112424a:17、セガンドsaghand通過。タバスまで225km 32°31'45.10"N 55°14'33.76"E


112425a ここにもサーサーン朝時代の城砦の遺跡があった。

112427a 町を通過すると再び見渡す限りの砂漠が続く。ラクダの交通標識(ラクダ横切り注意)多数あり。

112428a サファヴィー朝時代?のキャラバン・サライの遺跡が見えた。


112429a 近づいてみた。見張り塔があるのは王専用のキャラバン・サライだという。


112430a 10:05、山地通過。砂漠は延々と続く。

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イラン北東部旅行(ヤズドから北東へ・ハラネの盗賊の砦)

【4日目】

起きて朝風呂に入る。朝食はホテルのレストランでバイキング。今日は東のタバスに行く。途中まともな昼食を食べる場所が無いとの事なので、昼食はホテルに頼んでランチ・ボックスにしてもらった。タクシーを待って6:30に出発。いいホテルだった。出発後まもなく軽い砂嵐あり。視界が少しぼやけた。

112402a 途中、右側の台地上にゾロアスター教の鳥葬の塔が見えた(画像)。



112403a 朝焼けの空の下、遠い山並みが墨絵のように折り重なって見えた。美しい景色だった。



112404a 街を出るとすぐに砂漠が続く。砂漠は朝焼けと夕焼けの時間が一番美しい。砂漠と言ってもイランでよく見たのは砂礫や乾燥した土の荒地だ。砂丘は見たことがない。

002405a Kuh-e khorunaqという高い山がある山地の傍を通過する。

7:25、ハラネkharanaqのサービスエリアに到着。礼拝所があるからだろうか、サービスエリアの入り口はモスクの門にそっくりだ。
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中にはトイレや小さな公園がある
32°20'49.70"N 54°39'37.53"E

更に少し車で移動し、ハラネの集落に着いた。ここには400年前のサファヴィー朝時代のキャラバン・サライ(隊商宿)の遺跡があるという。

112408a キャラバン・サライの前まで来たが、まだ入り口が開いていない。係員がまだ来ていないようだ32°20'42.26"N 54°40'5.32"E

112409a 仕方がないので入り口から中を撮影した。キャラバン・サライは池のある中庭を部屋が取り囲む構造になっている。

112410a 集落の中をカナート(地下水路)から流れ出た水路が通っている32°20'42.65"N 54°40'5.85"E

112412a 集落のそばにサーサーン朝時代の盗賊のとりでがあった。昔、盗賊がキャラバンから盗んだものを一時的に隠しておいた場所だそうだ。追いかけられても容易に捕まらないように中は迷路になっている32°20'44.22"N 54°40'8.44"E

112420a 中はかなり広そうで、このように見通しのきかない狭い路地が途中いくつも枝分かれしながら通っている。私もこの先何があるのかわくわくしながらも、迷わないよう慎重に奥に入っていった。

途中には部屋がいくつもある。薄暗い部屋の中はゴミが散乱している。
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30年ほど前まで村の人が住んでいたそうだ。今では隣の新しい集落に移り住んでいる。

坂道を登ったり階段を上ったりしているうちに、思いがけずミナレットの建つ屋上に着いた。
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Aさんの説明ではセルジューク朝時代のもので(そういえばサヴェで見たミナレットと似ている)、シェイキング・ミナレットだという。シェイキング・ミナレットとは塔全体がぐらぐら揺れるミナレットのことだ。ミナレットの先端近くから飛び出ている鉄棒を持って揺するのかな?

112413a ここからは砦を見渡すことができる。思っていたよりはるかに大きいので驚いた。これは全部は回れそうにない。

112415a ミナレットの建つ屋上から下っていくと、モスクの跡があった。ミナレットの真下がモスクらしい。比較的新しい容器などが置いてあるので、最近も使っているのだろうか?

112421a 別の通路を通って部屋の二階に登ると、窓からキャラバン・サライが見えた。残念ながらまだ開いてなさそうだ。この部屋に入った時は床が落ちたりしないかと少しひやひやした。

112417a 通路を辿っていくと、砦の外に出た。出た所に新しい集落があった。集落はひっそりとしているが、時折村人がのんびりと歩いていた。画像は砦の側面だが、結構高い建物で見張り塔のようなものもある。村にはゲストハウス(宿泊所)があり、ヨーロッパからの客が来るのだという。砦の観光はちょっとした探検気分を味わえてとても楽しかった。8:30に出発。

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イラン北東部旅行(ヤズド・ゾロアスター教神殿)

1123a4a_3 次に向かったのはゾロアスター教神殿31°52'52.43"N 54°22'24.43"E。結構新しい建物だった。本当は大昔の神殿も見たかったのだが。神殿の上部にあるのはフラワシと呼ばれるゾロアスター教のシンボルだ。以下の説明は私の勘違いがあるかもしれませんが、確かゾロアスター教の精霊で、人間の霊魂を表していると思いました。翼は天国に上がるためのもので、手に持った輪は神との契約を表しています。もし契約に背けば二本の尾をつかまれて引きずり降ろされてしまいます。

1123a6a_2 中は人が結構いましたが、信徒なのか単なる見学者なのかよく分かりません。ゾロアスター教の信徒は、神殿でお祈りしたりするのか興味があったのですが、そのような人はいませんでした。係員らしき人が女学生から質問攻めにあっていました。神殿というより資料館といった感じでした。

Dscn5356a_2 ガラス越しに1500年間燃え続ける炎を見ることができます。火は光明の善神アフラ・マズダの象徴として尊ばれ、ゾロアスター教は拝火教とも言われます。火が消えないよう係員が常にいて燃料を補充しているそうです。

ゾロアスターの像です。
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1123a8a これは、ロシアにあるゾロアスター教神殿との事でした。火の燃え方が半端じゃないです。

1123b0a 東方見聞録のヤズドの項に、以下の記述があります。「この地にはヤスディと呼ばれる絹布が多量に製造される。商人たちはこれを諸外国に販売して非常な利潤を収めるのである。」ゾロアスター教神殿からの帰り道、現在のヤズドでも絹布を作っているのか確かめたくなりました。質問した所、テルメ織という刺繍があるとの事でした。早速その店に行ってみました。

1123a9a 店主に聞いた所、素材は絹との事でした。東方見聞録に記述されているものと関係があるのかどうかわかりませんが、絹製品を製造している事はわかりました。

1123b1a ホテルに戻りました。19時にレストランで夕食を摂る事になりました。ホテルの談話室には色鮮やかなオウムがいます。眠たいのか目を閉じていましたが、時折テレビの音に反応してきょろきょろします。

1123b3a 夕食も魚料理にしました。何の魚かまるで分かりませんが、少しマグロっぽい味がしておいしかった。味付けもさっぱりしてよかったです。

Dscn5358a ホテルの果樹園は夜になると園内各所のランプに灯がともされます。

明日は車でタバスに行きます。結構距離があるので今日と同様4時起きを覚悟していましたが、道路の状態が思っていたより良いそうで、5時起きで大丈夫という事になりました。しかし体調を崩すと怖いので、洗濯して22時には寝ました。

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イラン北東部旅行(ヤズド・沈黙の塔・麓の集落)

112391a 鳥葬塔の外に出て見下ろすと、現在のゾロアスター教徒のお墓が立ち並んでいる。鳥葬が禁止されてしまったため、やむを得ず土葬しているのだ。

112389a 葬式に使った建物などがある集落の全景。


112396a 葬式に使われた集会場の建物のひとつ。最も綺麗に修復されているものだ。


112397a 中に入ると、神官や参列者が集会した広間がある。彼らは葬式の際、ここに宿泊した。


112399a 炊事場。炭の跡が生々しい。




寝室だと思われる。
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1123a1a トイレは離れになっている。


1123a2a アーブ・アンバールと呼ばれる地下水槽。奥にあるドームの下に水槽がある。両側のバードギールは水を冷すための物。手前は地下水槽への入り口。残念ながら途中で行き止まりになっていた。

1123a3a 沈黙の塔の係員のおじいさん。かつての鳥葬を目撃した数少ない生き証人である。

沈黙の塔の荒涼とした光景はすばらしかったが、この敷地を囲んでいる塀が一部壊れていて、バイク野郎数名が勝手に侵入して乗り回すのでうるさくて仕方がなかった。せっかくの雰囲気も台無しになった。

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イラン北東部旅行(ヤズド・沈黙の塔・女性用の鳥葬塔)

112377a ホテルに戻って昼食を摂った。胃にやさしそうな淡白な魚料理を頼んだ。中々おいしかったです。カスピ海やペルシャ湾沿岸に住む人を除けば、ほとんどのイラン人は魚料理は苦手だそうだ。魚臭いのがどうもダメなようで。

食事後、いよいよ沈黙の塔に向かった。沈黙の塔はゾロアスター教の信徒が葬式を終えた後、遺体を鳥葬した場所だ。

ゾロアスター教は紀元前13世紀~紀元前12世紀頃、中央アジア西部においてゾロアスターという人物が始めたといわれる。この世は光明の善神アフラ・マズダと闇の悪神アンラ・マンユの戦いの場であり、人間はどちらの側につくことも可能だが、最終的には悪神の勢力は救世主による最後の審判において滅ぼされる、というものだ。預言者・救世主、最後の審判、天国と地獄等の世界観がユダヤ教、しいてはキリスト教やイスラム教、仏教に影響を与えたという説がある。火、水、大地を神聖なものとしているため、これらを遺体で汚すことはできない。そのため鳥葬の場が設けられている。

現在イランにはヤズド、ケルマンを中心に数万人程度の信徒がいるそうだ。

画像は沈黙の塔の全体像。左の丘の頂上が男性用の鳥葬塔31°49'18.62"N 54°21'25.57"E、中央右寄りが女性用の鳥葬塔31°49'22.53"N 54°21'17.73"E、手前にあるのは葬式に使われた集会場の建物などである31°49'28.05"N 54°21'24.23"E
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112382a 男性用の鳥葬塔の方が高いが、塔の内部に入るのが困難との事だった。体調も良いとは言えないので、女性用の鳥葬塔に行くことにした。画像は登る途中。最近運動をしていないので、思ったよりしんどかった。

112383a 荒涼とした光景。


112393a_2 登りの途中で男性用の鳥葬塔を眺めたところ。

112392a 別の方向にも遺跡が散在している。


112394a 鳥葬塔が間近に迫ってきた。入り口は塞がれているようだ。


112384a_2 裏手に回りこむと入り口があった。


112387a 中は結構広かった。声が反響して聞こえる。場所が場所だけに寒々とした寂しい雰囲気だ。

112388a_2 真ん中の穴がかつて鳥葬した場所。鳥葬は1930年代のパフラヴィー朝時代に禁止されてしまった。今では土砂が積もるのみ。

112386a 本来の入り口はこのように封鎖されている。

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イラン北東部旅行(ヤズド・ドウラト・アーバード庭園)

112362a 次に向かったのはドウラト・アーバード庭園。確か18世紀のヤズドの支配者の住居だったと思いました。このように城壁と見張り塔に囲まれています。

ここの見どころは何といってもヤズドで一番高い33mのバードギール31°54'6.75"N 54°21'13.82"E
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建物は支配者の家族の住居だ。

建物の1階に入ると、外からは気づかなかったが美しいステンドグラスがある。
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部屋には小さな池があり、水面に映るステンドグラスも美しい。

112367a バードギールの真下の部屋に来た。天井は空洞になっている。


112366a 天井を見上げたところ。風が音を立てて流れ込んできて大変涼しい。バードギールは高ければ高いほど大量の風を取り込んでくれるものらしい。バードギールの威力がよくわかった。

112368a かつて支配者の部屋だったところ。今は礼拝の場になっているのかな。


2階への階段。
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あまりに急なので驚いた。

2階から庭園を眺めたところ。
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噴水と水路がある典型的なペルシャ風庭園。支配者は噴水の音を聞きながらここで涼んでいたのだろう。砂漠の真ん中の都市でこれほどの贅沢はないだろう。ちなみに画像の上半分の敷地は支配者の子孫の私有地で立ち入り禁止だ。子孫の方々もよほどの金持ちのようだ。

2階には支配者の奥さん達が住んでいた部屋があるが、中は見れなかった。

果樹園の一角からバードギールを見たところ。
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112373a 召使が住んでいたと思われる建物。

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イラン北東部旅行(ヤズド・12エマームの霊廟と旧市街)

112353a 次に近くにある12エマームの霊廟に向かった31°54'17.65"N 54°22'12.73"E。ヤズドにある最も古い建物で11世紀に建てられた。13世紀に訪れたマルコ・ポーロ一行も目にしたのではないか。

エマームとはイスラム教シーア派で言うところの神の預言者(ムハンマド)の後継者、イスラム社会の最高指導者の事。イスラム教スンニ派で言うところのカリフ(神の使徒の代理人)とほぼ同じ意味になる。

7世紀、イスラム教の創始者ムハンマド死去後、ムハンマドと同族で最古参の信徒の中から4代にわたってカリフが選出された。3代目はウマイヤ家のウスマーンだったが、その専横に反発する信徒により殺され、彼らを含む最古参の信徒の選出によりムハンマドの娘婿で従兄弟のアリーが4代目に選出された。
アリーの支持者は、アリーとその子孫のみが預言者の後継者(エマーム)として信徒を指導する資格を持つと主張し、アリー派=シーア・アリー、略してシーアと呼ばれた。
しかし当時シリア総督だったウマイヤ家のムアーウィアは、アリーの選出は不法であるとして自らカリフを名乗った。まもなくアリーが暗殺されたため、ムアーウィアは唯一のカリフとなった。ムアーウィアは後継カリフを選出ではなく世襲によって決める事を各地の有力者に強制した(ウマイヤ朝の始まり)。
ムアーウィアが死去した時、シーア派はアリーの子フサインを担いで政権奪取を図った。しかし百名にも満たないフサインの一族は、シーア派軍と合流する前にイラクのカルバラーで
4000ものウマイヤ朝軍に囲まれ殺害された。国家権力がムハンマドの血族を殺害したこの事件に憤激した信徒はシーア派に結集した。ウマイヤ朝はスンニ派である事から、スンニ派への被害者意識が生まれ、フサインが大軍を相手に雄雄しく戦って殉教した事は、殉教へのあこがれを生んだ。
ウマイヤ朝やウマイヤ朝を倒してイスラム世界を支配したアッバース朝(ムハンマドの叔父の子孫であるアッバース家の王朝)はスンニ派で、アリーの子孫しか指導者として認めないシーア派は邪魔な存在でしかなく、迫害を続けた。そのためフサインの子孫である代々のエマームも殉教を余儀なくされた。
エマームが何代続いたかはシーア派の中でも諸説があり、イラン人の多くが信徒であるシーア派12エマーム派によれば、現在12代まで続いている事になる。9世紀、12代エマームであるムハンマドは、父の葬式の場で姿を消し「隠れエマーム」になったとされ、いつの日か再び姿を現すと信じられている。
12エマームの霊廟の12エマームとは、アリーからムハンマドまでの12人のエマームを指している。

霊廟に入ったが棺が安置されているわけではなく中はがらんどうである。
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それもそのはずで、12代目エマームは死んではおらず、11代目までのエマームの棺もここにあるわけではない。11代目までのエマームは殉教した場所にそれぞれ霊廟が建てられている。
なぜここに12人のエマームの霊廟があるかというと、昔ある人がこの建物の中に12人のエマームが現れた夢を見た事から、霊廟になったそうだ。画像はミフラーブの部分だが封鎖されている。

112354a_2 天井部分もかなり剥げ落ちている。台座部分に何とか装飾が残っている。



112357a 壁の一部だけ、いつの時代のものかわからないが装飾が残っていた。

112358a この付近にも旧市街の町並みがある。面白そうなので行ってみることにした。旧市街の中の家の扉には表札らしきものがあり、人が住んでいるように思えるのだが、なぜか人通りがない。時々バイクに乗った若者が走り回る程度だった。まったく不思議な場所だ。

道は途中、いくつも枝分かれしている。
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112359a 広場に出た。人影は全く見えない。幼稚園らしき建物があり、壁に女性と子供達が描かれていた。女性の顔に髭がいたずら書きされていて滑稽だったが、辺りが余りにひっそりとしているのでかえって不気味だった。遠くに金曜モスクのミナレットが見えた。

※引用・参考文献は旅行日記の最後に掲載します。

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イラン北東部旅行(ヤズド・アレクサンダーの牢獄とマドラサ)

金曜モスクを出て、アレクサンダーの牢獄に向かった。入り口はドームの脇にあった31°54'18.49"N 54°22'13.62"E
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アレクサンダー大王が紀元前4世紀に牢獄を作ったという伝承があり、13世紀?にマドラサ(イスラム神学校)が建てられたそうだ。

東方見聞録のヤズドの項には、「由緒深い立派な都市」、「学識が高く優秀な人々が住む美しい町」などと記述されている。マルコ・ポーロはここを訪れ、アレクサンダーの時代に遡るこの町の歴史や、マドラサで学ぶ人たちを目にしたのではないだろうか。

112343a 先程のドームの中。マドラサの礼拝所らしい。ミフラーブがある。中はすっかり古びていて、今は礼拝に使われていない。

112342a 天井部分。ドームの基礎部分にわずかに当時の装飾が見える。

112349a ドームの前は中庭になっている。まわりを同じような部屋が取り囲んでいるが、これらもマドラサの授業に使われたそうだ。当時は最先端の科学の講義も行われたとか。今は土産物屋になっている。中央、広場の片隅に見える手すりがアレクサンダーの牢獄への入り口。奥の建物の上にはバードギールが建っている。

112350a アレクサンダーの牢獄への入り口の手前から、ドームのある建物を見たところ。

階段を下って地下の牢獄へと向かいます。
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112346a アレクサンダー大王が造った牢獄との伝承がある場所。今は喫茶店になっていて牢獄らしさは感じられない。中央の池にはなぜかお金が放り込まれていた。特にお金を入れると願い事がかなう、等の言い伝えはないようだが。

112347a 天井はドームになっている。明かり採りの穴がある。中庭中央の穴はこれだった。

112345a 牢獄から上がって、先程見えたバードギールの建物に入った。これはバードギールを真下から見上げたところ。確かに風が吹き付けていて、ここにいると涼しい。

112352a アレクサンダーの牢獄の入り口にあった模型。金曜モスクとその周辺の旧市街部分で、アレクサンダーの牢獄の部分はない。

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イラン北東部旅行(ヤズド・金曜モスク周辺の旧市街)

112329a 金曜モスクの周辺には日干しレンガでできた旧市街の町並みが広がっている。Aさんの案内で立ち寄ることにした。

112334a 元々日干しレンガを積んだものを、上から漆喰を塗って修復したらしい。


家の入り口の扉。
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扉の左右それぞれにノックするための金具がついている。金具の形が左右で違う。棒状は男性用で輪っかは女性用だ。男性用のほうが低い音がした。家人はノックの音で客が男性か女性か判断し、男性客であれば男性が、女性客であれば女性が応対に出る。このような扉は今でも地方で使われているという。

112335a_2 塀のむこうにモスクのドームらしきものが見える。

112336a すぐそばにはバードギールもあった。

112338a アーチ型のトンネルがあり、旧市街の通路はどこまでも続いていた。


修復しているのだろうか?
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通路は途中枝分かれし、下手に入るとすぐ迷いそうだ。
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