いらっしゃいませ

201709aa右下のお好きなカテゴリからお入り下さい  ↑マルコ・ポーロの行程図(往路) 
海外旅行airplane、山歩きfuji、ウォーゲームsagittarius、SF模型impactを主に掲載しています。

尚、記事は掲載日あるいは文中の追記日時点の情報です。情報が古い場合があります。

本文中に座標(例:35 46' 16.43"N 140 23' 28.86"E)が記述されているものがありますが、これは”グーグル・アース”(地球検索ブラウザー)の座標です。
観光地または画像の撮影地点の座標を示しています。

左上のジャンプ窓に上記の座標をコピー&ペーストして入力し、脇の検索ボタンを押すと座標の場所に飛べます。

”グーグル・アース”については
こちらを。無料でダウンロードできます。

※座標は私が調べた物ですので、間違っている場合があります。

※閉鎖されたDoblogから移住してきました。画像データは移行できなかったため、ほとんどの記事に画像がありません。これから少しずつ貼り付けていきます。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その18(バンダル・アッバースのバザール~テヘラン・フェルドゥースィー・グランド)

ホマホテル からバンダル・アッバースのバザールへ向かう。
19:50、海岸通り沿いのバザールに着いた。これがその入り口の一つ。

Dsc03003a他の都市と同様、売られているものは日常生活に必要な物が中心である。
民芸品などの土産物は売っていないとの事だった。
食料品はもちろん、衣服、洗剤、文房具、家電品、装飾品、子供のおもちゃ、化粧品、その他日用品全般。
中国製らしきボールペンが10000リアルした。10000と聞くと高っ!と思うが、日本円でたったの33円。それでももっと値切れたかも…。
それにしても、なんでバザールはどこに行っても迷路なのか。歩いていてわくわくするからいいのだが。
それからあんまりジロジロ見るのは失礼だが(日本も同じ)、この地方の女性のヒジャーブファッションは色柄が多様で、見ていて楽しい。
写真撮影については、宗教上の理由や一般常識的に、撮られることに抵抗感を持つ人もいるが、店の人は割とノリが良く、進んでポーズを取ってくれたりする。
Dsc02998aDsc02999aDsc03000aDsc03001aDsc03002aDsc03003bDsc03004aバザールを出た後、空港に向かう。これからテヘランに戻るのだ。ホルモズガーン州ともお別れだ。悲しい。でも再訪するよ。
20:30、空港着。運転手のBさんに感謝しつつここで別れる。
空港入り口で荷物検査→チェックイン。
21:15、手荷物検査→搭乗フロアへ。
21:57、搭乗。
22:29、離陸。airplane
22:59、機内食。restaurantサフランとクコの実のご飯に鶏肉。
Dsc03005a0:00、テヘランのメヘラーバード空港着。
0:35、スーツケース受取。
0:43、ホテルに向けて車で出発。
1:04、ホテル、
フェルドゥースィー・グランド着。ガイドのAさんは自宅に帰った。お疲れっ!Dsc03006aDsc03007aシャワー室、洗面所も清潔感があって良い。Dsc03008a1:30、寝た。
明日は
菓子店に行ってお土産を買った後、テヘラン郊外のトーチャールのテレキャビンへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その17(バンダル・アッバースのレストラン~ハンマーム~海岸~ホマホテル)

ファールヤーブのモスクから、「大傾斜地帯」を下りてきた。
14:22、
バンダル・アッバースに到着。町の中心部を通る。
中心部には百貨店や映画館などがある。ちなみに百貨店内は撮影禁止だ。Dsc02974aDsc02975a運転手のBさんお薦めの店で昼食をとることにした。
14:45、
レストランに到着。エンペラーという店だrestaurantDsc02984aDsc02983a店の中は涼しく、薄暗くて落ち着いていて良い雰囲気だ。大画面のモニターでは、ガジャール朝時代、イランを半植民地化しようとするイギリスとロシアに対する民衆の抵抗を描いたドラマをやっていた。Dsc02976aDsc02977aさっそく新鮮なサラダとDsc02978aそして再びエビのキャバーブに挑戦である。これはカレー系の香辛料が隠し味になっていて芳醇な味。おいしかったdeliciousDsc02979a長粒米のサフランライスもイラン旅行の楽しみのひとつ。Dsc02980a締めはヨーグルトで。Dsc02981a食べ終わったころ、ドラマでは英国公使らしき人物が殺されていた。
しばらくここでのんびり休憩した後、15:48出発。
テヘラン行きの飛行機の出発時間まで暇なので、ヒンズー教寺院に行くことにした。
しかし着いた場所は普通の学校みたいな建物。門は閉まっていた。どうやら信者が集まるだけの場所らしい。Dsc02986aDsc02985a_2帰国後調べたら、どうも場所が間違っていたようだ。bearingちゃんと下調べしないと。
ハンマーム(浴場)跡に行ってみた。Dsc02987aこれがお湯に浸かる部屋。当時の王様しか使えなかった。Dsc02988aこれが体を洗う部屋。Dsc02989aこれはその他の用途、マッサージとか休憩に使う小部屋が並んでいる。
昔の人は、こんな穴倉みたいな場所で風呂に入っていたのか…。Dsc02990a
海岸に行ってみる事にした。2007年は夜の海岸しか見る事ができなかったのだ。Dsc02991a沖合に多数の船が停泊していて壮観。入港待ちか、あるいは入港せずに小舟で荷の積み下ろしをするのだ。Dsc02992a_2Dsc02993a_2Dsc02994a船の多さから見ても、バンダル・アッバースがイラン最大級の港だという事がわかる。Dsc02995aDsc02996a一昨日泊まったホマホテルで休憩する事にした。1階のロビーはグリーンを基調にしていてすがすがしいし、落ち着ける。Dsc02739aガイドのAさんが持ってきた、タピオカに似た種子が入った甘い水。タピオカに似ているがそうではない。中心に種がある。疲れた時にはさっぱりしていておいしい。happy01この種子に保水効果があるらしく、イランでは良く飲まれているそうだ。Dsc02997aその後、少しうとうと…sleepy
19:35出発。次は
バンダル・アッバースのバザールへ。

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イラン南東部・ホルモズガーン州旅行~その16(ファールヤーブのモスク~大傾斜地帯~海岸平野)

ミーナーブから「大傾斜地帯」を経てファールヤーブにやって来た。
12:57、
ファールヤーブのモスク着。
小さなモスクで、ミナレットは2本。運転手のBさんは拝礼するため中に入って行った。Dsc02957a屋根では、
アーシュラーの祭り準備をしていた。モスクの屋根の旗を赤い旗に変えている。赤は情熱の赤。フサインが殉教した日、すなわちヒジュラ暦(イスラム教で使用される暦。622年を元年とする。太陽暦と合わせるための閏月がないので、月と季節が同期しない)の最初の月の10日目には、旗の色を黒に変える。黒は弔意を表す。
フサインとはどのような人で、なぜ殉教したのか。
7世紀、イスラム教の創始者ムハンマド死去後、ムハンマドと同族で最古参の信徒の中から4代にわたってカリフ(神の預言者ムハンマドの代理人で、イスラム教の最高指導者)が選出された。3代目はウマイヤ家のウスマーンだったが、その専横に反発する信徒により殺され、彼らを含む最古参の信徒の選出によりムハンマドの娘婿で従兄弟のアリーが4代目に選出された。
アリーの支持者は、アリーとその子孫のみが預言者の後継者(エマーム)として信徒を指導する資格を持つと主張し、アリー派=シーア・アリー、略してシーアと呼ばれた。
しかし当時アラブ=イスラム帝国のシリア総督だったウマイヤ家のムアーウィアは、アリーの選出は不法であるとして自らカリフを名乗った。まもなくアリーが暗殺されたため、ムアーウィアは唯一のカリフとなった。ムアーウィアは後継カリフを選出ではなく世襲によって決める事を各地の有力者に強制した(ウマイヤ朝の始まり)。
ムアーウィアが死去した時、シーア派はアリーの子フサインを担いで政権奪取を図った。しかし百名にも満たないフサインの一族は、シーア派軍と合流する前にイラクのカルバラーで4000ものウマイヤ朝軍に囲まれ殺害された。国家権力がムハンマドの血族を殺害したこの事件に憤激した信徒はシーア派に結集した。ウマイヤ朝はスンニ派である事から、スンニ派への被害者意識が生まれ、フサインが大軍を相手に雄雄しく戦って殉教した事は、殉教へのあこがれを生んだ。
アーシュラーでは、フサインの殉教を哀悼する気持ちを様々な方法で表現する。フサインの苦痛を分かつ為、鎖で自分の体を鞭打つなどの行為も行われる。また、イランの伝統文化である詩で表現したりもする。Dsc02958a13:15、バンダル・アッバースに向けて出発。
元来た道を戻る。再び東方見聞録の記述を確認する。今度はポーロ一行が辿ったのと同じ順路で。
book「レオバール平原は南方に向って5日行程の広がりをもって延びているが、この行程5日間を行き尽くすと、別の大傾斜地にさしかかる。ここでは前後二十マイルにわたる道のりが終始ずっと下り続けになっている。道はとても悪い上に、盗賊が横行して危険この上もない。」(東方見聞録)Dsc02959aDsc02961aDsc02962aDsc02963aDsc02964aDsc02965aDsc02966aDsc02967aDsc02968aDsc02969a「大傾斜地帯」を下って、海岸平野に下りた。
book「・・・コルモス(ホルムズ)平野というみごとな平地が開け、東西南北に向って二日行程の範囲で広がっている。
ナツメヤシをはじめ各種の果実が豊かに実り河川がそこを流れ、シャコだとかオウムそのほかの禽鳥が繁殖しているが、どれもわれわれの国のものとは種類を異にしたものばかりである。」(東方見聞録)Dsc02970aDsc02971aDsc02972a
13:45、バンダル・アッバースへの道に合流。
次は
バンダル・アッバース市内で昼食と観光


参考・引用文献:

書名 :完訳東方見聞録 1
シリーズ :平凡社ライブラリー 326
著者名 :マルコ・ポーロ/著 , 愛宕松男/訳注
出版者 :平凡社

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